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復活するベッキィーさん [ネット]


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* 農家の謝罪
下衆の極み乙女の川谷絵音さんとの不倫問題でバッシングをうけたベッキィーさんがテレビ番組の金スマで中居さんとのインタビューにおうじた。囲炉裏をかこんで微妙な問題を中居さんが上手に聞きだしてた。事件の顛末を説明、嘘をついたと謝罪した。これで復活への第一歩をふみだしたようだ。。

その発端は週刊文春の記事だった。不倫相手の川谷さんとの生々しいLINE上でのやりとりが暴露された。まるで事件の展開をよろこぶような二人の会話は世間の集中砲火をあびた。

既婚者の川谷さんがだす離婚届を「卒論」という。長崎にある川谷さんの実家に二人で訪問したなどは女性の反感をかうのに充分だった。休養にはいった。川谷さんはやがてバンドのライブ活動で復活しはじめた。彼女には、その人柄をしる人々から擁護の声があった。またまったく男女スキャンダルに縁のなかった彼女がはじめて好きになった。恋にのめりこんだ。既婚の事実をしったものの後戻りできなかった女性の心理を同情する声もあった。まあやっと復活がはじまったところだろう。

* 愛は偏愛
川谷さんの妻との離婚協議が順調でないことにふれた会話。ベッキーさんがいう。大丈夫だよ。待ってる。だから「けんちゃん」も待ってあげて。大丈夫だよ。卒論提出できたら、「けんちゃん」にいっぱいワガママ聞いてもらおうっとー(笑)。

勿論、卒論は離婚届のことである。この一行が愛の本質をずばりしめしてくれる。愛は偏愛、エコひいき。あなただけ。他所をみちゃ駄目といってる。二人の間だけに成立する会話の一行が外にでたからおどろきとなる。私は実は気味がわるい。ちょっとひく。二人以外の誰のことも気にしない自分勝手がある。一人だけだった子どもが下に弟や妹ができると、きゅうにワガママになる。自分が独占してた愛がうばわれる。子どもなら、かわいいとおもえる剥きだしの姿である。

これがわるいことか。誰もがもつ。否定できない。なら同じ程度にみとめざるを得ない。平等に人を愛することが可能か。私はない。博愛は社会儀礼の一つ、それを成立させるために充分な配慮と準備がある。純粋な愛にはない。自分勝手の限界をこえないよう配慮して成立させてる。私は博愛は偽装愛とおもう。さて結論である。

* 二人だけのもの、外部には
二人の関係が成りたつなら。相手のゲロをなめて、しあわせという。第三者がみてどんなに醜悪であっても二人だけで成りたつなら成りたつ。でも第三者の私はいう。そんなものみせないでくれ。

市長とメディアの闘い [ネット]


* はじめに
この29日、サンケイのWeb記事である。今村岳司西宮市長が、記者会見よりHP(ホームページ)で、と取材拒否を表明したという。重要事項はHPで発表するので、記者会見は不要、不適当ということらしい。これには、きっかけがあった。

* 経緯
阪神大震災の被災者向けに西宮市が借り上げた復興住宅がある。これは今年の9月末に返還期限をむかえた。これが問題である。

1) 今年1月15日に放送された番組で、復興住宅を返還することを、「自宅を奪われる」などと報道した。ところが市は住替え用の住宅をあっせん、引越し費用を支給という支援措置をとってるのに、ほとんどこれにふれてなかったという。市長はその翌16日、報道各社に抗議、場合によっては取材拒否と通知。
2) 1月23日の記者会見で偏向報道について改善がなければ取材拒否もと表明。
3) 9月上旬、報道陣が復興住宅の問題について記者会見をもとめたが拒否。この時、一部住民が退去を拒否してる事実があった。
4) 9月中旬、市長にたいし記者会見をひらくよう要望した。HPの内容を記事にすればよいとの回答。
5) 9月24日、市のHPに担当部署の説明文書を掲載。さらに市長のblogに、会見を求めるマスコミもあったが、主張や発言の一部から誤解を招く可能性がある、との見解を掲載。
6) 10月15日、定例記者会見でHPの文書掲載を優先すると表明。

* いろいろな批判
1) インターネットがないのでHPを見れない。
2) 市長は市民との対話を重視してるはず、その代表として記者会見すべき。
3) マスコミに批判的なので理解できる。
4) 青山学院大の教授は市長の言行は民主主義を根本から否定してる。
5) 日本大学の教授は市長の姿勢に疑問。だがマスコミも反省すべき。

* 感想
地方の市長や知事には時々、個性的な人がでて、マスコミと緊張関係をつくる。今村市長はHPで充分な情報を発信する。全体像をみて評価してほしいとの姿勢もある。たんなる、お騒がわせ市長でないようだ。なお参考までだが、新聞をとっていず、テレビもみず、インターネットだけという人もいる。インターネットは図書館で閲覧するとの方法もあると思う。

今村市長は京都大法学部卒。大手企業のリクルート勤務。26歳で西宮市議に初当選。当時から茶髪でひげを生やし、ピアスをつけた独特のファッションで注目。昨年5月に市長選で初当選。なかなか個性的である。

* 結論
上記の青山学院大の教授は、1) ジャーナリズは市長を批判する役割がある。2) 記者と対話できないのは市長の資格がない、などをあげた上で市長の姿勢を民主主義を根本から否定してると断言しておられるようだ。しかし、これは、やはり市長とそれを選出した市民に失礼といわざるを得ない。

市長はマスコミを批判し、マスコミは市長を批判すればよい。その緊張をとおして、おおくの有益な情報が市民にもれでてくる。

史上最年少の女性市長をblogで批判 [ネット]

* はじめに
大津市の越直美市長を元副市長の茂呂治元氏がblogで批判し注目をあつめてる。越市長の資質に問題がある。人のいうことに耳をかたむけない。市長として出席すべき行事に小まめに出席しない。関心が、予算、人員削減というような実績づくりに片よってる。などの批判をblogで公表しつづけて、7万5千ものアクセスをかせいたという(産経のWeb記事から)。

茂呂副市長は越市長から任命された。任期途中に一身上の都合で辞任した。その後、blogを開設した。大津市では市長選挙が予定されてる。同氏はその意志がないという。なお、同市の民間出身の教育長も任期途中で辞任してる。

* 感想
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)というあたらしいメディアがこのような形で利用される。これが世論の形成に相当の影響が予想される。あたらしいメディアが世論形成にどのように関係するのか、この国の民主主義にどの程度影響があるのか。わたしは、ほとんど思いつくままにblogをかいてきたが、過去をふりかえって、これらのことが自分の強い関心事項であったと気づいた。

さて、これをどう評価するかである。従来ならあやしげな雑誌などに登場する暴露話しときってすてることもできる。この人は元々、総務部長から実績をみとめられ副市長に任命された。市職員のキャリアからは、辞任後もしかるべき職が世話されるはすだが、なかったか、充分でなかったのかもしれない。わたしは、とりあえず、このあたりの真相の追及はしない。

このblogが登場すると、市長選挙に出馬する気なのかというコメントがすぐよせられた。その数もおおかったという。従来型とちがう。一方的に発信者の意向がたれながされるわけでない。時にはシニカルな反応がよせられ、市民による反論もでるだろう。一般の人間にとって真相を推測する手がかりがあたえられる。blogの立ちあげは個人で簡単に実現できる。ネットワーク社会の光の部分である。さて結論である。

* 結論
わたしは大津市民でない。市民の皆さんに。この情報を現市長の評価にいかしてほしい。またきたるべき市長選にもいかしてほしいと、希望する。また、できれば、SNSが良き世論形成に貢献してくれれば、よいと思ってる。

野次の品性 [ネット]

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10月7日の参議院予算委員会で山谷えり子国家公安委員長の質問中に野党議員席から「懇(ねんご)ろだっただろ」とやじがとんだ。紛糾し一時審議が中断した。このやじについて安倍総理が「聞くにたえない侮辱的で下品な発言」と強く批判した。文脈から同議員が政治活動において、相手の男性と性的な関係があったと匂わせる、セクハラ発言とみとめられるものだった。

翌日、野田国義民主党議員が、「女性の品位を傷つけたと受け取られかねない不規則発言をしたのは自身だ」とみとめ、さらに「親しいのではないかというのを『懇ろ』と表現した。誤解を与えたことは反省しないといけない」という。

野田氏は日本大学法学部を卒業、1993年全国最年少、福岡県八女市長に当選、4期をつとめた。2013年の選挙で民主党公認で当選した。わたしの感想である。

翌日、名のりでたことは、都議会の議員と好対照である(6月24日ブログ、セクハラの野次)。評価できる。この文脈で「懇ろ」を「親しい」という意味につかわない。あるいは九州地方の方言か。やはり下品というほかない。政治家は政治の手腕や業績をもって評価すべきで、失点だけで評価すべきでない。ところが国民にとっては、それがむづかしい。閣僚となり、新聞、テレビに登場する。国会の予算委員会で質問、答弁する。そんな機会でもなければ、実力の判定はむづかしい。その人柄すらわからないだろう。野田氏はまだ一年生議員だ。出番はまわってこない。で、結論である。

野田氏の評価は時期尚早だろう。しかし、この人が国会議員にふさわしい品性をもった人なのか一抹の不安がある。やじ問題を考えると地方議員にも同様に不安がある。もう現実を考え「やじ厳禁」としたらどうか。高性能、方向性の強い集音マイクを複数設置する。これで充分監視できるだろう。これでやじをとばすような議員は願いさげだ。もし、やじがなくなって、政策論議がすこしも面白くないとなれば、議員の資質の問題が浮き彫りとなる。まともに政策を論じられない議員がいるということだ。すこし横道にそれるが、こんな人が議員になってはいけないという人もいた。とりあえず、任にたえない人物を排除する。この工夫をもっと真剣に取りくんだほうがよい。

エド・はるみが法的手段 [ネット]

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お笑い芸人のエド・はるみさんがネットで自分にたいしいわれない誹謗中傷が出まわってる。法的手段に訴えることも辞さないことを公表した。好感度を気にするタレントとして、ずいぶん思いきった態度である。所属事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシーも、よく許可したものだと思う。

エド・はるみさんは、「グー」のギャグで2008年に大ブレイク、流行語大賞も受賞。しかし2010年ころからメディアへの露出がへってきた。最近のテレビ番組で飛行機にのった時のこと。CAに冷房の風がつよいので席をかえてほしいといった。そのことが後でニュースサイトでCAの発言として暴露された。自分が横柄な態度をとったという印象がのこった。これが発端でネットでの誹謗中傷につながった。これがテレビ出演がへった理由だといったという。法的手段も辞さないというのは、代理人である弁護士法人港国際法律事務所の公式サイト上で発表した。このような方法をとったタレントははじめてと思う。わたしの感想である。

このことは、

1) 誹謗中傷がメディア露出減少の理由か、と
2) 匿名の投稿による誹謗中傷にどのような法的手段がとれるのか、相手をどのように特定するのか、

という興味ある問題がある。

1) については、11年の本人のブログに、いいたくないとことわり、マネージャーの数々の不手際、現場への入り時間を間違って伝える。事前に答えておくべきアンケートをわたさない。これは番組の話題のタネとなる。こんな不手際で自分の評価がおちた。テレビ出演がへったという記事がある。現在主張してることとちがう。さらに自分のプライドが高すぎることが、使いづらいと敬遠される原因と指摘する記事があった。

2)についてである。たんに、掲示板を運営するネット事業者などに記事の削除をもとめるだけではないのだろう。裁判で賠償請求することまで考える。そうなら、相手の特定はどうするのか。ネット事業者から情報をどう入手するのか。その法的手段はどうなのか。実効性がどれだけあるのか。名誉毀損は成立すると思うが、出演減少による損害となると、因果関係の認定はどうするのか。問題が山積だ。

ネットは無法地帯のようなところがある。個人がたまたまもらした情報や写真が、たちまち拡散し大騒ぎとなる。この背後に悪意のある人がいる。タレントの生き方についてちょっと話す。

タレントが活躍しつづけるには、実力が何より大切だが、どうやら知名度を非常に気にしてるようだ。まず知ってもらわないと、見てもらわないと評価もしてもらえない。そのため何でもするという(人もいる)。いわるにネットの炎上商法といわれるものだ。申し訳ないがお笑い芸人のドランクドラゴン鈴木さんのことはほとんどしらなかった。しかし、テレビ番組の出演態度がけしからんと、ネットで炎上した。これで知名度があがった。わたしも面白いと思うようになったし、本人もこれでメディア露出がふえたといってる。「エド・はるみ 誹謗中傷」とgoogle検索するとすぐ記事が見つかった。たしかに知名度があがった。法的手段に訴えるというのは、知名度と事前抑止効果がねらいかも。で、結論である。

この国の人びとはあたらしい秩序をつくってゆくのに、受け身だ。わたしは意見は異見といった(ブログ9月12日、朝日新聞、意見は異見)。秩序は誰かがつくってくれるだろう。それに文句をいう。これで事たれりとしてた。匿名を利用して好き勝手なことをいってよいわけでない。そのため、われわれが何をするべきか、まだよくわからない。エド・はるみさんが法的手段に訴えるという覚悟をしめした。ねがわくば、悪質な誹謗中傷があったら、ためらわず法的手段にでてもらいたい。

江角マキコの指摘 [ネット]

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かって、テレビ番組、「ショムニ」で活躍、元バレーボール選手というスタイルのよさで輝いていた江角マキコさんが、突然、ネットや週刊誌の話題となってる。江角さんは中堅女優として、いわゆるママタレとして着実に地位をきづいている。

子どものことで、ママ友から露骨に無視されてる。お茶会やランチ会が開催され、そこで江角さんの話題(悪口)が飛びかってるなど、いじめをうけてるとブログで告白した。その1週間後らしい。週刊誌で、江角さんこそ加害者だという記事がでた。また保護者から抗議があったという。さらに週刊誌で、いじめをは長嶋一茂氏の息子であり、江角さんは、元マネージャーにたのんで、長嶋邸の壁にスプレーで、「バカ」「アホ」「バカ息子」という落書きをしたと報道された。こんな報道については、まず、面白い、そこまでやるか、と感心する。とにかく、これが事実なら微罪とはいえ器物損壊の犯罪である。

爆笑問題の田中さんが、TBSの深夜番組で、あきれつつも、ただ面白いという感想をのべてた。犯罪性より、その奇抜さに目がゆくという感想に同感した。さて、わたしの感想である。

ネットが発達し、個人がマスコミと対等にわたりあえる時代がまた近づいた。タレントといえども立場はよわかった。マスコミに無視されれば、どんなに不当な扱いをうけても、それを世間にうったえることはむづかしかった。実は江角さんは最近ブログ更新を停止したようだが、そこにおおくの激励コメントがよせられてる。この騒動には、ブログで発信する江角さん。週刊誌。学校の保護者が登場してる。今のところ、保護者個人がブログで参加してないようだ。この人たちまで参加したら、一体、マスコミはどうするのか。今までなかった事態である。真実を問題にしなければいけない。

1) いじめは、どちらが加害者なのか。
2) 壁の落書き、器物損壊は事実か。被害届がだされているのか。警察が捜査にうごいてるのか。

犯罪が事実と認定されたら、江角さんのタレント活動に重大な影響があるはずだが、まだない。わたしは、個人がマスコミにたよらずに自由に発信できる手段をもつことはよいことと思ってる。しかし、事実をないがしろにしてはならない。従来なら、個人の情報よりマスコミが信頼される。しかし、決着はまだだ。江角さんの旦那さんはテレビのディレクターだそうだ。公共の場での発言について、個人とはいえ、いいかげんであっては困る。認識はあるだろう。個人がいうことなんて、いいかげんだという結果におわってほしくない。で、結論である。

わたしは、当初、誤解してた。バカ息子とは、あの長嶋一茂氏をさしていったと思った。野球好きの爆笑、田中さんのことだから、ただ面白いといった感想もこのことと思って興味をもった。マスコミ界、スポーツ界の禁断の言葉をいったから面白いといったと誤解した。この誤解は重々、お詫びするが、やはり、このバカ息子は面白い。

山本一太議員が朝日に猛抗議 [ネット]

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山本一太参議院議員が朝日新聞に猛抗議したという。朝日に掲載された、閣僚通信簿において、5点を最高とする評価で、2点だった。今回の最高が4点の菅儀偉官房長、平均が2.58点だった。そこで2点だから、まあまあだな、とはならなかった。ネットの記事からはたしかに猛抗議といえる。その理由である。

閣僚を身近でみている番記者が通信簿をつけるとうたっているが、山本氏がしら べたところ、内閣府担当となったのは、近頃、50日あまりの活動だ。さらに山本氏と名刺交換したこともなければ、取材をうけたこともない。だから番記者でないと断言した。さらに反論はつづく。山本氏は沖縄・北方領土担当相、領土問題担当相だが、そこでおこなってきた活動がまったく言及されていない。まったく不公平な評価である。まとめると、番記者が評価するといいながら、実質番記者でない。閣僚としておこなった政策の評価がない、ということだろう。ちなみに、「物言う持ち味 影潜める」、「肝心なニュース発信では、持ち前の明確な物言いを避けがちだった」という内容らしい。さて、わたしの感想である。

1) 偉い人は、批判されても頭をたれて謝るのがよい、というのがこの国の慣習だった。国会議員のような偉い人は、民間の一新聞の記者に居丈高に反論するのは見ぐるしいとする。しかし、対等の人間として、おかしいことには、きちんと反論した方がよい。そのことについては、山本氏を評価する。
2) 番記者でないという。これはどうか。この国の組織では、政治家の閣僚、党役員人事をみてもわかる。定期的異動は普通である。50日はたまたま異動の関係でそうなっただけで、当然、前任からの引き継ぎをうけている。それをもとに評価をするのは、問題とすることではない。これを、これほど問題視するのは、的はずれだ。
3) 担当相としての実績にふれず、物言いが、以前にくらべておとなしくなった。こんな人物批評で、2点の評価は、ひどい。わたしは朝日新聞のこの記事をよんでない。このとおりだったら、やはりひどいという。

で、結論である。

1) 朝日は政治家の抗議にびくびくする必要はない。政治家の批判は新聞に期待されてる。この意味では、朝日がんばれという。
2) 朝日は権威ある新聞と自負しておられると思うが、政治家は国民が投票により、最終的な評価をくだす。新聞の批判においては、たんなる評価では不十分だ。事実を提示し、それにもとづいて評価する。わたしは朝日の評価をそのまま受けとるつもりはない。それがどの様な事実にもとづき評価されたかに関心がある。国民がみずから評価できるように、批評には事実を提示してしめしてほしい。


セクハラの野次 [ネット]

18日、塩村文夏都議会議員が一般質問の時に「早く結婚したほうがよい」、「(子どもが)うめないのか」などのセクハラとみられる野次がとんだ。このため塩村議員が懲戒請求を議長にだしたが、相手方を特定してないので受理されなかった。塩村議員はこれでもあきらめずに、なお戦う姿勢をしめした。記者の質問にこたえて、「早く結婚したほうがよい」は大声だったので、ほぼ特定できる。その他は(声の方向から)会派はわかるが人物まではむづかしいといってたそうだ。

23日、自民党の鈴木章浩議員が名のりでて塩村議員に謝罪した。同議員は当初記者の質問にたいして否定してた。自民党議員団も特定には消極的だった。どうして名のりでたのか。

1) 自民党の国会議員、石破茂幹事長は名のりでるよう、よびかけた。
2) 声紋鑑定で特定されるとの情報がながれた。
3) 23日にネット記事で、声の方向と座席表から、複数議員があやしいと指摘した記事があった。当然、そのような絞りこみにもとづいて取材があった。その時、動揺してたとの記事もあった。
4) 1000件もの抗議が議会によせられた。などあったが決め手は、
5) どうやら今回もネットの動向だったと思う。辛辣な意見が多数登場してた。その影響が議員にはねかえった。ホームページで無罪だと釈明する事態が発生した。

わたしの感想である。

ネットの匿名の意見は、特異なもの、思惑をかくしたものがある。しかし今回もふくめ、総じて健全な方向にあると感じる。要するに自ら名のりでて謝罪せよというものだった。すこし時間がかかったがこの件はこれでよい。まだ残りがある。それはどうなるかである。本件の核心にある野次の話しをする。

教室の生徒をしかる教師のように野次を否定する意見はとらない。何のための野次かを考えてほしい。活発な議論がおこなわれ、それに生彩をあたえるような野次は否定しない。勿論セクハラはそこにふくまれない。民主主義先進国の英国議会ではこんな考えのようだ。だから野次歓迎というところかもしれぬ。ではこの国の議会はどうか。活発な議論というより、議会は提案された議案に賛成するか反対するかだけ。議会の政策立案能力不足はよく指摘される。議会の議論に注目があつまったので思いだした。猪瀬前都知事の5000万円カバン質問は、御本人にはわるいが面白かった。で、結論である。

思いきって野次を厳禁する。するといかに面白くない議事がつづくか。思い切り味わってみてはどうか。そこから活発な議論への気運がたかまることを望む。


ネットの鬼女 [ネット]

また、ネットのあたらしい風をかんじた。鬼女という言葉である。前回のblogで「ネットのぐぅ正論」をしらべてる時にみつけた。

2013年10月に、札幌にある衣料販売のチェーン店、しまむらで店員に土下座を強要し、それをツィッターにのせた女性がいる。警察に逮捕された。逮捕にいたった理由について、大学教授で弁護士の人が「ネットで事が大きくなり、警察としても、立件せざるを得なかった」と分析、さらに「強要罪、威力業務妨害罪など、いずれも微罪といえる。土下座強要の問題では、義憤に燃えたネットユーザーによる犯人捜しが始まり、行きすぎた追及があった。処罰によって、国民の応報感情を抑え、事態を沈静化する狙いもあった」との見解であった。

この行きすぎた追及だが、これは掲示板サイト・2ちゃんねる上にある既婚女性板の住人、通称「鬼女」(既婚女性から「既女」、さらに「鬼女」らしい)という。結婚して子供もいて、ある程度の社会常識もわきまえている。2000年代初めのころから、鬼女は不倫告白をしたOLのブログや、犯罪自慢をする非常識な人物の書き込みを見つけては、さらし者にしてきた、という。この女性について、実名、住所、顔写真をネット上に暴露した。さらに、過去のツィッター、その写真などから徹底的に調査をおこなう。写真の一部を手掛かりに場所を特定するなど、すさまじい能力があると、おそれられてるそうだ。真偽はさだかでないが、あの大津のいじめ自殺問題で転校していった首謀者の実名、学校を探知したという。その正義感をみとめるものの、いきすぎを危惧する声がある。さて、どう考えるか。

この国の警察はおおくの人びとの正義感にもとづくべきである。無視して警察行政はあり得ない。いきすぎを危惧するというが、逮捕したのだから犯罪である。2000年ころから、このような動きがあったというのだから、警察は放置してたことになる。騒ぎがおおおきくなったから逮捕したとは、奇怪な理由である。

1) 放置していた警察と義憤をつのらせて過酷な追求をした鬼女のどちらも批判すべきところがある。
2) 男にくらべて非力な女性が微罪とはいえ、犯罪に敏感なのは当然である。この面からも理解する必要がある。
3) 他方、警察にも言い分があるだろう。すべての犯罪を取りしまることは、事実上不可能である。

おおくの人びとの正義感をわすれないでほしい。土下座を強要した女性は自己の犯罪を世の中に誇示した。すべては無理でも、これまで放置すべきではない。微罪といえども犯罪が横行する事態に不安をつのらせる女性がいることをわすれるべきでない。ここからは、提案である。このような女性の能力を警察の取締りに活用することを考えたらどうか。米国では市民による逮捕をみとめてるそうだ。逮捕権限は無理だとしても捜査に活用することはできないか。近年、地域社会のつながりがうすれ、市民から情報提供がないとなげいていたではないか。あたらしい方法で情報入手することも必要だろう。馬鹿にしないで真剣に考えてほしい。で、結論めいたことをいう。

この国でネットの存在がますます、おおきくなっている。かっての地域社会がになっていた機能をネットが代替することもおきる。旧来の目にとらわれず、ネットのあたらしい風をかんじてほしい。

ネットのぐぅ正論 [ネット]

PC遠隔操作による脅迫で起訴、一貫して否認していた片山祐輔被告が、5月20日の公判で一転して起訴事実を全面的に認めた。これは他人のPCを遠隔操作して脅迫メールをおくりつけた。警察は4人を誤認逮捕したあげく、2013年2月に片山容疑者を逮捕したものだった。一貫して否認し、2014年には、いったん釈放され、5月16日の公判となった。この時、マスコミに真犯人としょうする人物からメールがおくりつけられた。これでまた騒ぎになったが、警察は片山がスマートフォンを予約により自動送信させたものと断定、そのスマートフォンを物証として、ついに自白においこんだという。

一貫して無罪を主張していた片山にたいし、警察の冤罪説をとなえる人がいた。マスコミの一般的風潮でもあったようだ。テレビのモーニングショーにも顔をだす著名な評論家もこの説をとなえていた。これに「ぐぅ正論」(ぐうの音もでない正論、という意味のよう)なるものがネットにとびだした。つまり、事実を直視せず安易な警察悪者論にのって冤罪説をとなえる。その人間の批判精神の貧しさを強く批判した、という。わたしはネットのあたらしい風がふいたと思った。いままでのテレビでは、警察批判をとなえる評論家に席は用意されるが、こんなぐぅ正論をとなえる人には席をあたえる余裕がない。経費のかからなず、視聴率も気にしないネットがあればこそと思う。政府のやることは半分以上はただしい。

片山被告は過去にも逮捕歴がある。今回も有罪の可能性が充分あるわけだが、マスコミはそれではこまる。もっと面白いことをいう人をさがす。すると不思議なことにいる。マスコミは目立たぬようにそれとは違う意見もはさんでおくが、目立たない。これはおおくの人の実感にはんすることがある。でも、これがテレビには反映されない。それがネットにはでる。まさにネットおそるべし、である。

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