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さようなら大阪都構想


* 大阪都構想を否決
大阪都構想が住民投票で否決された。たしか二百二十万の大阪市の総意である。その差は一万七千、投票率は62.35%だった。私は大阪に縁がある。大阪が発展する機会をのがし残念との感想だ。責任者の松井市長は任期満了後に政界を引退すると発表。凡庸の政治家がもっともきらう責任をとった。今後、このような責任をとる政治家が大阪にやってくるだろうか。大阪改革のためリスクをとる政治家がやってくるのか。二重行政解消のため今後もできることをやりましょうというが、そんなことを素朴にしんじるのか。

* 東京都民、高橋洋一氏の意見
東京都民である高橋洋一氏は東京の特別区につき、何か不便があったか。ない。以前の東京市とくらべ住民サービス低下をかんじたてたか。ない、とあっさり否定してる。大阪市を四分割すれば二百十八億の経費増はこの都構想に関係ない嘘情報、チャイナタウンができるとの情報はとっくに否定されてる。公共交通のバス代値上がりは根拠ないと解説し同氏は今回で誰がこまるのか。それは大阪市の職員、それにつながる政治家、こんな既得権の集団と指摘した。住民と関係のないところで問題とさわいでるとの指摘だった。

* こんな結果で大阪は大丈夫か
大変なな手間、暇かけて投票し僅差で否決したが、二重行政の問題が解消するわけでもない。無力感がただようなか、どの政治家が解決してくれるのか。この国にリスクをとり責任をとるとの政治家はさほど多くはない。また、やろうという政治家はでないだろう。生ぬるい改革でお茶をにごす政治、政治を親代々の家業とする政治家、格段に待遇のよい生活保護につかう政治家、これらが横行する場所になるだろう。チャンスをのがしたのだ。そんな人々にこんな言葉をおくりたい。「馬鹿な住民にあたえられるのは馬鹿な政治である」冒頭から言葉が乱暴になったが、革新の大阪についてのべる。
* 革新の大阪、その歴史
江戸時代、江戸が政治の中心、大阪が商業だった。米の値段を堂島の米相場がきめた。そこでは世界最先端の先物取引が成立してた。幕末、大阪には緒方洪庵の適塾があった。そこで福沢諭吉のような維新の人材を輩出した。都市計画の成果として南北を縦断する御堂筋は大阪の誇りだった。つねに経済で東京に対抗し存在感をしめした。子どもの頃、大阪は二大工業地帯の一つ、その中心と学校でおしえられた。江戸は八百八町。では、大阪はといえば。僕らはすぐに八百八橋とこたえた。上町台地の岩盤にたてられた大阪城を中心に淀川デルタで発展した。大阪人はつねに東京に対抗意識をもった。年に一度、太閤、秀吉をほめ、狸親父、家康の悪口をさんざんいう行事があった。今年、巨人が優勝したが阪神タイイガーズの応援にはつよい対抗意識があった。

* いつの間にか横浜が圧倒してる
近年、気がつくと横浜市が大阪市を圧倒し、東京とともに大東京圏を形成するようになった。今や横浜にはITなどの先進産業があつまっている。もはや大阪は二大中心の一つでなくなったのかもしれない。それを挽回しようとあつまり、自らの待遇をけずって改革につとめた維新の会の政治家たち。改革の意気込みを二度もくじかれて、どんな気持でいるのだろうか。結論である。

* 結論
私が愛した大阪に「さようなら」、大阪はこれから百年の停滞にはいる。私の寿命がつきるまで大阪の運命を見まもってゆく。

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Larryrhype

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by Larryrhype (2020-11-03 23:26) 

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