SSブログ

習近平さんを好きという人がいる


* はじめに
ちょっと面白い話しをしたい。長谷川幸洋氏が高橋洋一氏と協力して配信するyoutubeに中国専門家、近藤大介氏が登場し米中対立をろんじた。そこでの話しである。長谷川氏が最近、亡命した共産党有力者の言葉から、共産党の七割が習近平をきらってるといった。それに近藤氏はこうこたえた

* 習近平を嫌う人はいるが好きな人もいる
きらいなのは、まず富裕層、次にインテリ。上海人と広東人である。好きな人は庶民、貧しい人である。この好みはで毛沢東と完全に一致する。つまりどちらも庶民に人気。ところでインテリだが、毛沢東は彼らに農村にゆき豚をかえと下放した。つまり大嫌い。習さんも同じで、インテリを周囲においてない。。これは意外で、ちょっと面白い。成程、虎も蠅もたたくと汚職官僚を血祭りにあげた習近平に庶民は喝采したときいてる。本当だろう。では何故か。ここからが私の解説である。

* 何故、庶民は習近平が好きなのか
彼らは公園でゆるやかに太極拳をたのしむ。そんな人々である。心やさしい。他人の不幸などのぞんだことがない。だが彼らは三千年の歴史を生きぬいた末裔である。その知恵で、今の幸福が永遠にみえても、あっという間にきえる。常に死が隣りにすわってることをしってる。ところで彼らはコロナ災害でまた習さんが好きになった。武漢ではたしか五百万の市民が軍隊により封鎖された。そこから脱出した日本人の感染から、中国政府の死者の数は信じられない。ケタがちがうと高橋氏がいってた。大量の骨壺があったとyoutubeの動画がでた。だが中華圏の人々はこれで習さんを評価したときく。

* 武漢封鎖を庶民は支持した
おそらく民主主義の指導者でありえない果断な決断をした。英断と評価したのだ。さて心やさしい貧しい人々の気持である。まず自分が武漢にいないことを確認し、習さんの決断で自分たちはたすかったと感謝した。けっして言葉にださないが、五百万を犠牲にし、その何割かの死者を見すてた。その決断で自分たちがたすかったのだろうとおもってる。だからその決断をした指導者に感謝した。彼らは今の今の幸せをたのしむことが得意で将来をけっして高望みせず過去の不幸をすこしも引きずらない知恵をもってるのだ。

* 習さんが偉大だから好きである
ついでにいうが、少数とはいえ多数の前であっさり損切りする決断は心やさしい彼らにできないので、そんな指導者は偉大とおもってる。また間違ったら自分が少数にいた。その少数の苦しみからためらう決断を指導者が肩代わりしてくれたと感謝してる。さらにいうが、そのことを中国の偉大さとむすびつけ、うつくしい言葉でかたってくれる。新規感染者がゼロと大胆に発表したり、欧米が感染にくるしむなかで、いち早く経済を再開したと広言したり、感染防止を実績にしてマスク外交を展開した。もうこれ以上例示しないが、中国の偉大さをかたってくれる指導書に感謝し、彼をあおぎみる。つまるところ要するに庶民は習さんが好きなのだ。ところで習さんは第二の毛沢東を目ざしてる。毛さんの話しをする。

* 毛沢東になれるか
毛さんは政治家だが天性の詩人でもっあった。大躍進、文化大革命で四、五千万をころした(詩人ならこの簡潔な表現をゆるしてくれるだろう)。だが庶民は彼が好きだった。この人気は彼の天性の詩心とかかわりがある。林彪の国外逃亡にさいし四文字熟語のように「娘はいずれ嫁に行く」とかいって動揺を見事におさえた。今年の夏、大問題となった三峡ダムの建設も「峡に平なる湖 を作れ」云々という詩が発端だった。この詩人の心こそが人気をささえた。では、習近平はどうか。

彼はコロナ以降、戦狼外交を展開した。各国の批判に強硬に反発した。ここには自己主張のむきだしの粗暴さが目だち、詩人の優美さがない。武漢でころした数は数十万か。これで傷ついた心やさしい人をいやすだろうか。結論である。

* 結論
習近平は四、五千万ころしても今なお人気のある毛沢東にはおよばない。腐敗官僚をやっつけて人気を維持してきた習さんだが今後がどうなるか、じっくり見てみたい。そう思いませんか、国民の皆さん。

もどる

nice!(0)  コメント(144) 

菅総理の拒否、学術会議



* はじめに
学術会議が提出した候補者につき政府が六人を任命拒否した。政府の任命権を適法に行使したものだが、早速、学問の自由がおかされたと大騒ぎらしい。だが同時につよい反論もでてる。ここに私の立ちいるすき間はない。たが、政治家、菅総理の力量をかんじたので記事をまとめた。

* 学術会議の悪業とは
もともと戦後まもなく科学者の国会を期待し設立された。たが、国民の批判をうけない独立性にあまえ、たちまち政府の期待を裏ぎった。政府は別の会議をつくったが、この会議は年度十億円の国費をつかい、現在にいたる。彼ら一人にはおそらく、二、三百万がわたってるだろう。そんな彼らが何をしてたか。

高橋洋一氏がつよく批判する。 東北大震災の復興増税を支持した。経済学の常識にはんする。軍事研究といって禁止をもとめた。その裏で中国の科学技術の協会と覚え書きを締結、これは解放軍の軍事研究の千人計画支持につながる。youtubeではもっと声があがってる。研究生活をはなれた年寄の茶飲み話を国費でまかなってる。日本の研究者は約百万、そのうち、たったの二百人、彼らは特権階級だ。左翼がおおいから必然、そんな傾向の研究者がえらばれる。独立性を隠れ蓑に政府非難にはしる。こうして国益をそこなう。ならどうして廃止しないのかだ。

* でも廃止しないのか
根づよい批判があり小泉政権でも問題となった。だが微温的改革にとどまった。何故か。面倒くさかったからである。本格的に手をつけると強烈な反発をよぶ。百万単位のおこ遣いがふっとぶかもとおそれてる。野党と関係もふかい、国会にでる。当然マスコミも騒ぎだす。学術会議は総理の所管。事務方は常に躊躇する。総理にすれば高々、十億円の仕事、これで国会がとまれば面倒、おかしいとおもっても、ほかにもっと重要で面倒な案件がある。だから、まあ、いいかとなる。ここである。菅さんは見てた、のだろう。

ここで菅さんはが手をうった。見事といいたい。従来見のがされてたことも、状勢がかわれば国民の前にぶちまける。国民の支持があればできる。だが候補者百人のうち六人の拒否である。廃止までゆくなら全員拒否だがたった六人。どうせ拒否などあるまいとみてる相手をゆさぶる。さらにゴタゴタいうなら廃止もとの姿勢をかくしてる。ここでの決断だ。見事な政治勘といいたい。今後だが説明をとせまる相手にどう対処するだろうか。個別人事の説明はできないと、突っぱるのはどこまでやるのだろうか。

政府の機関であり年間数百万を受けとる。自分勝手な政府批判をおこない、自分たちの人事に政府は文句をいうなという、思いあがった組織である。おかしいとおもいながら、総理を忖度しおおくの政治家、役人はだまってた。菅さんは時勢をよみこの不満を勘定し国民の支持も見こして今回の決断となったのだろう。総理の腹一つでこれくらいはできる。では、結論である。

* 結論
学術会議に総理に文句をいうより国民の支持をもとめなさいと申しあげる。十分な支持があれば、拒否の撤回も。またかりに学術会議の廃止に展開しても国民の寄付をつのって独立の法人として生きのこる道もひらける。これまで無視してきた批判が各所に湧きあがってる。それを謙虚に受けとめ、国民の支持をうったえてはどうか。どうですか国民の皆さん、そうおもいませんか。







nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。