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スパルタ、国の成り立ち [英語学習]

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* はじめに
スパルタは軍事最優先の国だった。ギリシャ人先住民を征服し支配を手にした。それを維持することが彼らの究極の目標となった。少数による多数の支配である。そのために社会の仕組みがうまれ維持された。宗教を主宰し軍を指揮する二人の王、五人のエフォースによる立法、監視の仕組み、二十八人の長老による拒否権をもった監視の仕組みが軍事大国スパルタをささえた。これらについてのべる。
(The Constitution of the Spartans、Historia Civilis、2017/09/11 に公開)

* 軍事大国の秘密
私はこんなことをおもった。スパルタは都市国家でもっとも人口がすくない。にもかかわらず、ギリシャでもっとも強力でもっとも尊敬されている都市である。私はスパルタの制度をかんがえた時、なるほどとおもった。それで「スパルタの成り立ち」という標題の本資料をつくった。さてゼネフォンという人がいる。紀元前四世紀の人物である。彼はアテネにうまれだがスパルタで数年間くらすことがゆるされた。彼はスパルタ人の生き方の説明をのこした。それは同様のもののうち最良のものである。彼がいなければこのスパルタという奇妙な生きかたをする人々を我々はほとんどしることができなかったろう。

ではどんな生き方か。古代スパルタ人は基本的に軍事最優先の社会を作りあげた。しんじられないほど厳格な規律とたかい能力。それを男子すべてにこの能力を発揮させる。これで人口寡少の都市をギリシャを支配できる有力国にすることができた。当時のギリシャ人はおなじ言葉をしゃべりおなじ神々を信仰してた。だが他のギリシャ人はスパルタ人をまるで異星の住民のようにみてた。ではスパルタの制度はどんなものか。また何故ゼネフォンがそれらをスパルタの強さの秘密とみてたか。

* 先住のギリシャ人を征服したスパルタ
スパルタは二頭政治の都市であった。二人の王がいた。彼らは二つの王家からでた。両者の力は同等であった。スパルタの誕生神話によればヘレクレスが海をわたってやってきた。彼は追随する人々といっしょだった。そこが後にスパルタとなった。そこに前からいた人々を奴隷とした。ヘレクレスはこれを双子の二人の子孫にあたえた。ユーリスティンズ(eurysthenes)とプロクレス(procles)である。この二人はアジアッド(agiad)とユロポンティド(eurypontid)という王朝をつくった。この二つがいっしょとなり、その後の七百年以上のあいだ都市をおさめた。スパルタ人は自分たちを異国からきた征服者であると説明する。これが他のギリシャ人とのちがいでありその中核である。そのため彼らは非スパルタ人を潜在的に敵とみなした。

彼らが支配した奴隷もまたそのような敵であった。先住民であったギリシャ人だがヘロットとよばれた。彼らはスパルタ人より多数いた。三対一。あるいは七対一。実はよくわからない。どにかく多数である。このためにスパルタは奴隷たちがいつか自分たちに反乱をおこす。その不安のなかでくらしてた。スパルタ人はそれはきっとおきるとおもってた。もしスパルタがたおれる。ならばそれはヘロットの反乱だろうとおもってた。それほど多数の ヘロットの潜在的恐怖はおおきかったがスパルタが存続できたのか。

* 少数支配をささえる強大な富
それはこの強大な軍事優先の社会が巨大な富をもたらしたからである。男子が成人にたっするとスパルタの国家は彼らに国家所有の農地をあたえる。その時、同時にそこではたらくヘロットの人々がつけられた。その農地からあがってくる富はスパルタ人すべてが土地持ち貴族となるのに充分なものだった。言いかえると彼らは生活のためにはたらく必要がない。それほど豊かだった。このように国が無償であたえる農地があるが、そのうえに私有財産があった。ここにスパルタ独特の相続の法がある。それは他のギリシャ人があきれるほど独特だった。スパルタの男子がしんだ時である。

* 相続により富が少数の女性に集中
国があたえた農地は国にもどされる。だが彼に私有の財産がある。するとそれは彼の妻にわたる。彼の息子ではない。これはささいな違いのようにみえるが、わかくして夫がなくなる。これはスパルタのような軍事優先の国では充分にありふれた出来事である。おおくのわかくして夫をなくした寡婦は夫の財産を相続する。それから自分たちがもってた小規模な財産を生涯をかけおおきなものにする。このような富裕な婦人がしんだ。するとその土地はその息子と娘たちに平等に配分される。これが極めて独特なところである。さて遺産相続で富裕となったわかい女がおなじようにわかい富裕な男と結婚する。するとこのわかい男がわかくして戦いでなくなる。よくあることである。すると彼のすべての財産はその妻にゆく。すると富裕な 者かさらに富裕となる。そして彼女はその生涯をかけて財産をふやす。そしてそれを彼女の息子と娘に引きつがせる。これは言いかえれば富裕な婦人はさらに富裕な婦人を生みだすということである。この富裕な婦人がまた富裕な男子と結婚する。おおくの夫はわかくしてしぬ。これはまた富裕化を促進する。

* 少数の女性の富が政治権力に
この極大となった富裕な婦人は時にはスパルタの相続の女主人といわれる。アリストートルはその当時で、ほぼ四十パーセントのスパルタの国土が少数の極大の富裕な婦人の所有、管理にあったという。その富が他のスパルタ人を矮小化させる。その程度はともかく二人の王にも影響がおよんでた。彼女たちは重要な政治的勢力であった。こんなことがある。スパルタの有力者、王ですらスパルタの女相続人たちからの借金にたよってた。その影響力はおおきかった。スパルタでは定期的に政治家から土地制度の改革のはなしがでた。するとそのたびにスパルタの女相続人たちは金を各所にばらまいてこの動きを阻止した。他のギリシャ人はほんのすこし の女性がそんななにつよい政治的影響力をスパルタでもってることに恐怖した。アリストートルは富裕なスパルタの女性が彼女のより富裕でない夫を支配し、スパルタの女性がわがままで贅沢であり害悪をふりまいてるとながながと文句をいってる。だがこれが彼女たちの惟一の楽しみであったということとおもう。このようにスパルタ人はおどろくほど富裕だったが数百年後においてすら彼らは自分たちは異国からの征服者であるという引け目をかんじてた。

* あつい信仰心、宗教の主宰者としての王
彼らの心のなかでは、いつも一歩間違えるとその文明がこわれる。そういうおもいがあった。このため彼らは極端なほど神のお告げや占いを重要視した。一連の神のお告げ、それは時にはたがいに矛盾する内容もあった。その管理を専門にする人がいた。王にはこのような二人の専門の補助者がいた。彼らがこれらのお告げを整理し処理してた。もし王の一人が領土内の神託の一つ、たとえばデルファイにお伺いをたてるとする。その補助者の一人をおくりお伺いをたてさせる。王たちはスパルタの神官のなかの長であった。王がいることでスパルタが永遠につづく。その宗教的正当性をしめしていた。これがスパルタの宗教の中核となる目的だった。

* 軍事力を行使する王
実際の話しである。スパルタが存続できたのはその強大な軍事力のおかげであった。厳密な意味では二人の王だけがスパルタ軍を引きいることができた。王が軍事作戦に従事してるあいだは、彼は基本的には絶対君主に変身した。彼の言葉は法であった。スパルタのすべての市民にたいし生殺与奪の権をもった。それがもし戦争の遂行に必要とみとめられれば財産を没収することもできた。王は戦いで戦利品に 取り分をもった。これで王がとても富裕であることを意味しない。

すでにのべたように王は定期的に、時には強制的に神託という行事をおこなう。この時、王は王にふさわしい量の捧げ物を寺院におこなう。これをやめたり寺院をかえたりするのは容易でない。かえるのはその寺院にまつられた神にたいする冒涜である。極めて信仰心のあついスパルタ人にできないことだった。見のがされがちだが王にはもう一つ費用がかかることがある。軍事作戦の時に王は自分私有の家畜をもってゆかねばならなかった。重要な決断をする時はいつも動物の犠牲をささげる。このために必要だった。犠牲の儀式がありお告げがある。それが彼らにとりよくないなら、さらに犠牲の儀式をおこなう。お告げがかわるまでつづく。おおくの動物の犠牲が軍事作戦には必要である。その費用もおおきい。動物の犠牲があまりにおおくなった。そのため王が破産しないようこんな法がつくれられた。一匹の母豚からうまれた子豚の一匹を王のものとする。王は携行する家畜にくわえるとの法がとおったほどである。しんじられないほどの子豚の数となったろう。法をとおしたといったがこのことに王は関係してない。王の仕事は宗教と軍事だけである。行政は他の人々にまかせられてる。

* 立法や監視をおこなうエフォース
法律を実際に作成する人々はエフォースとよばれた。その意味は監視する人という。何故スパルタではそうよばれたのか。すぐわかる。スパルタには五人のエフォースがいる。年齢が四十五歳以上、一年が任期である。一度任期をつとめると再任はみとめられない。この選任の手続の実態は複雑であるがその詳細はよくわからない。だがいえることはスパルタは一般から候補者を複数、その数はわからないが、えらぶ。そこから五人を選びだす。これは無作為の抽出である。ところで無作為抽出の対象がどの程度のおおきさかわからない。十なのか百なのか、まったくわからない。アリストートルがいう。この仕事は比較的まずしいスパルタ人にゆく。それが事実ならば抽出対象はおおきいだろう。

スパルタの新年のはじめ、その時にエフォースは職につく。そしてただちに儀式にのぞむ。それはヘロットへの戦いの象徴である。この儀式のすべてがスパルタ人は先住民でない。自分たちは先住民である奴隷たちとずっと戦争状態にある。これらをわすれないようにするものである。実際にスパルタ人が奴隷、ヘロットにやってることは残虐である。それを正当なものとしておこなってる。ヘロットにはまったくそんなことをされる理由がない。ひどいものとおもう。

* エフォース、王を監視
それでエフォースは仕事の最初の日にヘロットを政治の対象からはずす。で、残りの一年に何をするか。何を監視するのか。王を監視する。毎月、二人の王と五人のエフォースがあつまる。次の誓いを交換する。王からエフォースに自分はさだめられた法、スパルタの法にもとづき統治する。エフォースがこれにこたえる。その誓いをまもるあいだ我々は王の支配をゆるがすことなく受けいれる。これはどんな意味があるのか。エフォースはしんじられないほど強大な権力をもって監視する。もし王のやることに満足できないなら彼らは投票にかける。もし三対二の過半数できまれば公式に王を罪にとうこともできる。もしこれがおきれば、王は裁判にかけられる。エフォースは証拠をあつめ提出する責任がある。そうしたらグルウジアとよばれる組織とともに陪審員をつとめる。これについては後でのべる。もし有罪となれば、さまざまなことがおきる。一つは彼に罰金がかされる。また王位を剥奪されスパルタからの追放もある。追放の場合であるが王位はたんに次の王位継承権をもつ者にうつる。スパルタ人によればヘレクレスはスパルタの王たちにスパルタを支配する権利をあたえたということを思いだしてほしい。このように王を追放するが王位継承の順番をかえたり制度をかえたりしない。しかし王の追放はめったにおきない。たとえ王がある年のエフォースたちと仲違いしたとしても彼らの任期は一年間である。王たちは彼らの職がいつおわるかを充分に承知し低姿勢をつづける。

しかし戦争は事情がかわる。王は軍を引きいて外にでる。その時、二人のエフォースが随行する。王が作戦に従事してる時はこの二人は王に干渉できない。王を罪にとうことも戦争をおこなうこと、その方法に干渉することはできない。だが記録をつけることはできる。そしてそれを報告することができる。彼らがみたことを本国にのこってるエフォースに報告することができる。戦争がおわるとただちに、彼らは王が枠は踏みはずしたかどうかを判断する。では普通の、戦争でない状態である。

* エフォース、立法、政策づくり
エフォースは時間のおおくを政策立案にあてる。成案の決定は投票である。五人のエフォースが投票する。単純多数の三で採択がきまる。彼らの思いがまちまちであっても投票する。そのため彼らのあいだに波風がたつことはない。というのはエフォースが承認したことが法が成立したということを意味しないからである。どのように法が 成立するかは後にのべる。税と支出について彼らはおおくの時間をさく。また道徳についてふるくなった基本的なきまりやスパルタの生活習慣についてのきまりについても時間がさかれる。エフォースのあいだで立法について合意ができると、それはスパルタのすべての男子により構成される議会に提出される。立法案が説明されるとスパルタ人は然り(やあ)または否(ねい)という言葉で賛否をあらわす。修正案がだされることはなく、また議論も展開されない。ただ言葉で賛否をあらわすだけである。ここまでのべてきたことを要約すると、スパルタの王はスパルタの宗教行事をおこなう主宰者であり軍の指揮者である。他方、五人のエフォースは監視の役をはたし立法を立案する。それを議会の承認により成立させる。

* エフォース、出入国管理
この他にエフォースがこまかな事項を規制する。彼らはスパルタへの入国あるいは出国を希望する人間について可否を決定する。これには商人、外交官、書き物をする好奇心にとむ人物、ゼネフォンのような人物がはいってる。彼がかいたことがこの 文書をつくるのに重要だった。ゼネフォンはスパルタに数年間すむことをゆるされた。彼は王の一人としたしい友人だった。だがゼネフォンのような人間にとってもいつまでスパルタにいられるかわからない。毎年、あたらしいエフォースがやってきて彼らにつきその滞在、出入国を審査する。エフォースは常にスパルタ人を外国におくるのは消極的だった。相当な理由があってもである。これはスパルタ人は外国にでるとその振る舞いが粗暴になることで有名であったからである。大量の飲酒、博打、売春婦をかうこと、喧嘩、これらがスパルタ人がやることの典型である。スパルタ人は地域においてきびしい行動基準のもとに生活してる。その時は善良である。しかしいったん国外にでると何がおきるかわからない。この他にエフォース は何をするか。

* エフォース、教育
彼らは子どもたちの教育に積極的である。子どもたちの集団がそこから卒業し大人になる時、彼らは三人の卒業生をえらぶ。エフォースは他の同輩とくらべすぐれスパルタ人の手本となる者かどうかを判断する。この三人はそれぞれ百人の同輩をえらぶ。そのさいエフォースもその調査、質問、選択に参加する。これがすべて終了したらこの三人は役職につく。その配下にはそれぞれの百人がしたがう。それとともに王の一人の警護官となる。エフォースの一年の任期がおわると監査をうける。次のエフォースが引きつぐまえに任期中におこなったすべてのことを説明する。もし誰かが権限を乱用したとみとめられたら次のエフォースが彼を必要とみとめる方法で罰をあたえることができる。

* エフォース、任期終了時に自己監査
エフォースの無作為抽出による選出や一年の任期は制度を不安定にしうる。しかしこの監視の仕組みがエフォースの極端な措置を抑制するのに役だつ。エフォースについて現在のこってる記録のほかにもっと重要なものがあったかもしれない。立法において業績とみなされるようなものはのこってない。奇妙におもえるが次のような理由があるのかもしれない。任期のおわりにあるこのきびしい監視の仕組みをおそれ行動を抑制したのかもしれない。あるいは業績があったのかもしれないが記録にのこってないのかも。ゼネフォンがたまたま王の友人だったからこれだけのこったのかもしれない。我々は半分しかしらないのかも。あるいはエフォースは外部の機関から制約をうけてたのかもしれない。それがグルウジアを説明すべき理由となる。

* グルウジア、拒否権をもつ長老の監視機関
グルウジアはエフォースを監査する権限をもつ。その詳細である。グルウジアは年長者の審議機関である。二十八人の構成員がいる。二人の王は名誉構成員となる。すなわち全体で三十人の構成員がいる。王をのぞく他の構成員は六十歳をこえる男子である。なんらかのすぐれた業績をあげた男子であることが期待されている。実際をみると彼らは富裕な層や、それと関係のふかい極めてちいさな集団からやってくるようだ。この職には選出されてつく。任期は終年である。もし構成員がしぬと職があく。それにたいしきびしい競争がうまれる。その実情はさだかでないが、ある学者によれば政治勢力が二つの王宮のまわりにあつまり自分たちの候補者がえらばれるようあらそう。この機関が何をするか。

それはスパルタの議会が承認した決定を棚上げすることができる。別言すると彼らは拒否権をもつ。エフォースは立法として法をつくる。スパルタ人の市民はそれを承認するがグルウジアが最後に拒否権を発動できる。さらにこんなことができる。グルウジアは立法の審議日程を作成できる。彼らはここにのせないという方法で審議を拒否できる。一年しか任期がないエフォースの立法案を阻止することは終身任期のグルウジアには極めて簡単である。これでわかるようにグルウジアはスパルタの政治にたいし保守傾向をもたらすつよい圧力となる。改革はグルウジアがその気にならなければおこなわれない。

議会が投票する時にグルウジアは奇妙なことができる。その構成員が別の建物にはいる。そこは投票してる場所からとおくない。エフォースは会議に出席し立法案を提出する。そして議会が投票する。そこで投票は言葉でおこなわれる。グルウジアはちかい場所にいる。そこから何がおきてるかをみることはできない。しかし投票の様子をきくことができる。投票の後にグルウジアがやってくる。賛否のどちらの側の声がおおきかったかを発表する。そしておおきなほうが投票が勝利する。こんなことをするのはグルウジアを公平にたもつためという。どうだろうか。彼らはもし立法案をのぞまないのなら、それを拒否できる。

* エフォース、グルウジア、王が陪審員となる裁判
すでにのべたが、王、市民が裁判にかけられる。それは殺人のような深刻な罪である。エフォースとグルウジアが合同して三十五人の陪審員団をつくる。王はグルウジアの名誉構成員であるから彼ら自身の裁判においても陪審員となる。奇妙でないか。さて単純多数で結果がでる。そして二十八の陪審員の席につきエフォース五人とえらばれたグルウジアが参加する。彼らはいつも力の均衡をたもつ役割をもつ。もし事案が裁判にかけらる。すると決定がなされる前に王は非公式にグルウジアに相談することをこのむ。年長者は自分が尊重されてるとかんじるからである。もしエフォースが王の後にグルウジアにゆくとしたら彼らがグルウジアの同意にそって行動をしてたことがわかってることが常によいことだった。

* スパルタの保守性をささえるグルウジア
スパルタは極端なほど慎重で保守的な都市国家である。それをもたらす制度的な仕組みの主要部がグルウジアである。スパルタが衰退した頃かかれた書物であるが、シセロ(cicero)、ローマの政治家がスパルタの仕組みを非常にほめてる。彼は王は自分が職責からかんたんにはずされることを充分に自覚してたことを評価した。エフォースが任期のおわりに後継者に自分たちの行為の正当性を説明しなければならないということを評価した。グルウジアが極めて強力であることを評価しこの年長者たちが競合する利益の均衡をとってることを評価した。またもし事態が限度をこえたならその立法案を阻止したことを評価した。彼はこれはすぐれた制度をつくるたしかな方法であるとかんがえた。シセロは保守派として安定をあいした。ゼネフォン も賛意をあらわしてる。スパルタの制度と安定性が彼らの力の源泉であるという。しかし最後のところでその安定がたぶんすぎたのだろう。

* 保守性がもたらしたスパルタの衰退
その力の頂点にある時にスパルタはすべての男の市民を動員しすくなくとも二万人の軍をつくった。たぶんもっとだったろう。百五十年の後、アレクサンダー大王の時代に、この数は千人に縮小した。その理由はわかってない。これがアレクサンダー大王の父、フィリップ王がスパルタを脅威とかんじないですんだ理由だろう。これから百五十年の後に、ローマがギリシャに干渉してきた時にスパルタはもはやなんの存在感もない村落であった。おもしろいことだが、なおも王をいただく生活、エフォース、グルウジアがある生活、なおもきびしい古代からの習慣をまもっていた。このような急激な衰退の原因はわかってない。しかしたぶん三百年をこえる時間のなかでもし改革が取りいれられてたら回復をもたらしたかもしれない。たぶんゼロだった外国からの移民が回復をたすけたかもしれない。もしかしたらヘロット、奴隷に市民権をあたえることかもしれない。あるいは彼らのきびしい結婚の法をゆるめることであったかもしれない。改革、あたらしい発想が問題を解決する。これが政府がなすべきことである。彼らがもっともそおそれてたこと、スパルタの征服者である自分たちがヘロットの反乱によりたおされることはなかった。あるいはいかったギリシャの同盟によりたおされることもなかった。

そのかわりに彼らは彼ら自身の事情により衰退した。自ら萎縮していった。それは別の侵略者たちの征服をゆるしただけだった。この征服者たちは彼らを古代の習慣に固執したもの、かがやかしい時代がすぎて取りのこされて今にいたってる人々とみなしただけだった。

(おわり)
お知らせ
次の簡略ギリシャの歴史シリーズを窮作文庫に収録しました。ブログ掲載分を修正し転載したものです。みやすくなったとおもいます。一度のぞいてみてください。

序論など)
序論
ミノア文明
マイシニ文明の一
マイシニ文明の二
ホーマーと暗黒時代
古代ギリシャと都市国家
密集隊戦法
スパルタ
アテネ
ペルシア
(ギリシャとペルシアの戦いなど)
マラソンの戦い
テルモピレの戦い
サラミスの戦い
プラティアの戦い
マイカリの戦いとデリアン同盟
アテネ帝国
ペリクリースの時代
(ペロポネソス戦争)
第一次ペロポネソス戦争
ペロポネソス戦争の一
ペロポネソス戦争の二
ペロポネソス戦争の三
ペロポネソス戦争の四
ペロポネソス戦争の五
ペロポネソス戦争の六
ペロポネソス戦争の七
ペロポネソス戦争の八
ペロポネソス戦争の九
ペロポネソス戦争の十
ペロポネソス戦争の十一
ペロポネソス戦争の十二
ペロポネソス戦争の十三
ペロポネソス戦争の十四
ペロポネソス戦争の十五
(スパルタの覇権など)
スパルタの覇権
一万人の行進の一
一万人の行進の二
小アジアの騒乱
(コリンス戦争)
コリンス戦争の一
コリンス戦争の二
コリンス戦争の三
コリンス戦争の四
(スパルタの崩壊など)
コリンス戦争のあと
平和なし
ルトラの戦い
アルカディアとマシーニアの反乱
マンテニイの戦い、最終のゲーム
ウルブルンの難破船

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