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アレクサンダー大王、その七、ペルシアンゲイトの戦い [英語学習]

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* はじめに
アレクサンダー大王の事蹟をその戦いをとおしておう。今回はペルシアの軍事力を崩壊させペルシアの王となろうとするアレクサンダーに最後の抵抗をこころみるペルシアとの戦いをのべる。
(Alexander the Great: Battle of the Persian Gate 330 BC、BazBattles、2017/04/30 に公開)

* 軍事的勝利からペルシアの王への道
マセドニアがペルシアにガウガメラにおいて勝利をしてから三ヶ月がすぎた。アレクサンダーは次にペルシャ帝国の象徴の中心部に進軍する。彼は軍を引きつれて山岳地帯をすすんでいった。それは彼とペルシャの中心部のあいだにある最後の障害であった。マセドニアは戦争がここまですすんでこれほどおおきな抵抗があるとは予想してなかった。だがダリウスに忠誠をしめす州長官の一人が彼の前進を阻止しようと攻撃してきた。ダリウスはアレクサンダーの侵略に対抗する兵をあつめてた。予想外の反撃がザグロス山脈のこおった山頂をとおりぬけようとした時におきようとしてる。

* おおくの州長官の服属
紀元前三三一年十月おそくである。ダリウスがガウガメラで壊滅的敗北をきっした知らせは帝国全土にすぐひろまった。ダリウスの威信がすっかりおちた。ペルシャの州長官はペルシャ帝国への忠誠をつづけるのか、あるいはアレクサンダーにしたがうのかをきめていった。無敵をしらしめたマセドニア軍がペルシアの富裕な都市、バビロンやスーサに到着しようとしてる時である。アレクサンダーがペルシアの既存の支配階級をどうあつかったかという噂は間違いなくメソポタミアの州長官たちにとどいていた。

権力と地位を継続させるため彼らは手のひらをかえしアレクサンダーに降服した。これらの都市をしたがえアレクサンダーは莫大な財宝を手にいれた。それを彼はきびしい戦いにしたがった軍に分けあたえた。きびしい戦いにたえ忠誠をつらぬいた報酬であった。また相当額の金がギリシャにおくられた。それはアレクサンダー遠征中の留守をあずかってたアンティパータをたすけるためだった。彼はヘレニック同盟の盟主をつとめスパルタの反乱を鎮圧してた。

* バビロンとスーサの降服、守備隊、東進へ
バビロンとスーサはマセドニアの支配を受けいれ略奪をまぬがれた。従来の行政はほとんど変化しなかった。あのガウガメラの戦いでペルシアの左翼を指揮しバビロンの知事であったマザイアスがその職を維持した。あたらしく服属した者の忠誠をたしかなものにするためアレクサンダーはギリシャ人の守備隊を配置した。そして東方に進軍していった。それはペルシアの中心地域である。マセドニアは三度の勝利をとおしてペルシア軍の軍事力を壊滅させた。しかし彼は東部の州長官の何人かがなおもダリウスに忠誠をちかってることをしってた。噂ではダリウスはなおも侵略者に対抗するため兵をあつめてるという。

アレクサンダーが前方にみてるけわしいザグロス山脈はペルシアの中心地域の入口をまもってるようである。彼は軍を二分しリスクを低減した。おおきく、ゆっくりとはこぶ物資の車列と野営の工兵たちは山脈を迂回し南にすすんだ。それはパーメニオンが 指揮した。アレクサンダーはより俊敏にうごき、より数がすくない部隊を引きつれた。彼はザグロスの山岳地帯でせまく警戒を必要とする道をぬけペルシアに直行する。

* アレクサンダーのザグロス山脈越え
部隊はユキシアの人々がすむ地域にはいった。彼らは山岳民族でありペルシアの支配に服従してない。彼らはその地域をぬけるペルシアの部隊に貢ぎ物を差しだすよう要求してた。アレクサンダー は従来の慣習をみとめず、あたらしい支配を打ちたてたいとおもってた。彼はユキシアの人々を策略にかけ彼らの村をかこんだ。幾人かの村人をころし毎年貢ぎ物をするようめいじた。この反抗した部族の話しはひろまった。これでマセドニアに反抗する人々はいなくなった。

それから数日、アレクサンダーの部隊は何事もなく東進していった。まったく何事もなかったのでアレクサンダーは事前に斥候をおくるのをやめた。二キロメートルの幅の平原にでたが休養をとらなかった。そしてペルシアンゲイトにそのままはいっていった。道がせまくなり山には人々がいるのに気づいた。だが彼らはたぶん避難民だろうとおもった。そしてマセドニアは前進をつづけた。道が南東にまかった。まだ早朝であったので太陽の光がその先をてらしてなかった。その道をすすんでマセドニアの先駆け部隊がするどくまがってる地点にやってきた。その前方に土と岩でできた壁が立ちふさがってた。

* アリオバルザネスの待ち伏せに敗走
アレクサンダーはたぶんここで自分がおおきな間違いをしたことに気づいた。だが手遅れであった。数千のペルシアの軍が山の上から攻撃してきた。彼らは立ち往生してたマセドニア軍に雨、霰と投石攻撃をした。それは、なおも忠誠をちかうペルシアの州長官、アリオバルザネスがおこなった不意打ちだった。彼はアレクサンダーの進軍を妨害しペルシアの中核地域の抵抗を準備するための時間をかせごうとしたのだった。マセドニア軍はいそぎ防御態勢をととのえたが、おおくの兵が滑落していった。彼らは敵を切りぬけて平原にもどるか谷にとどまって全滅するか選択しかないことがあきらかとなった。アレクサンダーは損害をすこしでもへらすため全軍に退却をめいじた。それはばらばらにさせられたマセドニアの軍が優勢にあるペルシア軍に圧倒されている。この状態よりよい選択であった。これはアレクサンダーがペルシアの将軍に出しぬかれたはじめての敗北だった。アリオバルダネスはもっともよい場所をええらび待ち伏せし作戦を見事に成功させた。マセドニアは平原にもどり野営し負傷兵の手当をした。このアレクサンダーの状況は危機だった。

* アレクサンダー、平原において軍を立てなおす
彼は敵地において冬の最中、山岳の高地に足止めされた。この先にはおおくの敵が待ちかまえている。この周辺で軍がとおりぬけられる惟一の道はペルシアンゲイトであった。マセドニアの指揮官たちは数日どのようにこの封鎖を突破するか議論した。その土地の羊飼いがアレクサンダーを案内して山岳をとおりペルシア軍の後方にみちびいたという話しがある。これは百五十年も昔だがテルモピレの戦いでエフィアルテスがペルシアに裏道をおしえギリシャ軍の後方に案内した話しと奇妙なほどおなじである。これが事実かどうかはともかく、マセドニアはペルシアの攻撃を警戒しながらすすむことになった。彼らはどんどんと兵糧がへってゆくなかで、いそぎ攻撃態勢をつくっていった。夜がきた。アレクサンダーは相当数の部隊を引きいてひそかに北東の抜け道にすすんでいった。クラテラスに指揮された残りの部隊は敵の注意を引きつけるためおおくの明かりをともしつづけた。

* 反撃、ペルシアの象徴の首都への道をひらく
クラテラスは夜があけるすこし前に残りの部隊を引きいて山にはいっていった。これは偽りの攻撃であった。アリオバルザネスはまた攻撃をする態勢をととのえ、まさに攻撃にうつろうとした時である。マセドニアのトランペットがペルシアの野営地の後方でなりひびいた。アレクサンダーの分遣隊が攻撃してきた。ペルシア軍には完全な不意打ちだった。またヒロタスに引きいられたもう一つの部隊が山の上にいるペルシア軍を攻撃した。はげしい戦いがはじまった。だが今度はペルシアが不利な状況であった。こうなると勇敢で戦いになれたマセドニアの敵ではなかった。マセドニアの兵士はその優秀さをしめしアリオバルザネスの軍を圧倒した。アリオバルザネスはこの包囲をやぶり退却しようとした。しかし部隊はかこまれ彼は降服をいさぎよしとしなかったので最後の一人になるまでたたかった。アレクサンダーは最初の敗北でおおくのすぐれた兵をうしなったが最後にはペルシアの阻止作戦を突破することができた。このアリオバルザネスの抵抗がペルシア軍による組織的な最後の抵抗であった。最後の目標のペルセポリス、ペルシア帝国の象徴の首都といえるがこれが水平線のかなたにみえてきた。次は補注のようなものである。

アリオバルザネスはヨウタブ、ペルシアの女戦士でかつ貴族であるが彼女と彼自身の姉妹も同行させてた。彼女は勇敢にたたかったが最後の戦闘でたおされた。

ガウガメラの戦いの直後にダリウスはペルシアにもどったが、そこではあらたな軍のための兵をあつめることができなかった。そこでエクバタナで兵をあつめるのが彼の目標となった。

アリオバルザネスはダリウスのしたしい友人であったとおもわれる。ダリウスは彼のために特別に州長官の職をあたえた。それは紀元前三三五年であった。

(おわり)
お知らせ
次の簡略ギリシャの歴史シリーズを窮作文庫に収録しました。ブログ掲載分を修正し転載したものです。みやすくなったとおもいます。一度のぞいてみてください。

序論など)
序論
ミノア文明
マイシニ文明の一
マイシニ文明の二
ホーマーと暗黒時代
古代ギリシャと都市国家
密集隊戦法
スパルタ
アテネ
ペルシア
(ギリシャとペルシアの戦いなど)
マラソンの戦い
テルモピレの戦い
サラミスの戦い
プラティアの戦い
マイカリの戦いとデリアン同盟
アテネ帝国
ペリクリースの時代
(ペロポネソス戦争)
第一次ペロポネソス戦争
ペロポネソス戦争の一
ペロポネソス戦争の二
ペロポネソス戦争の三
ペロポネソス戦争の四
ペロポネソス戦争の五
ペロポネソス戦争の六
ペロポネソス戦争の七
ペロポネソス戦争の八
ペロポネソス戦争の九
ペロポネソス戦争の十
ペロポネソス戦争の十一
ペロポネソス戦争の十二
ペロポネソス戦争の十三
ペロポネソス戦争の十四
ペロポネソス戦争の十五
(スパルタの覇権など)
スパルタの覇権
一万人の行進の一
一万人の行進の二
小アジアの騒乱
(コリンス戦争)
コリンス戦争の一
コリンス戦争の二
コリンス戦争の三
コリンス戦争の四
(スパルタの崩壊など)
コリンス戦争のあと
平和なし
ルトラの戦い
アルカディアとマシーニアの反乱
マンテニイの戦い、最終のゲーム
ウルブルンの難破船

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