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アレクサンダー大王、その一、エリゴン峡谷の戦い [英語学習]

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* はじめに
アレクサンダー大王の事蹟をその戦いをとおしておう。今回は大王の父、フィリップの戦い、エリゴン峡谷での戦いである。
(The Battle of Erigon Valley 358 BC、BazBattles、2016/06/02 に公開)

* 大王の父フィリップの登場まで
アレクサンダー大王は二千年以上の昔、当時しられていた世界の半分を征服した指導者である。彼はおそらくその父、王、フィリップがいなかったら歴史にこれほど名をのこす人物にはならなかっただろう。父、フィリップはギリシャの北にあった弱小国マセドニアをヘレニズム時代の主要勢力にかえていった人物である。今回はフィリップの、隣国とのあいだでおきた最初の主要な戦いであるエリゴン峡谷の戦いを取りあげる。

* フィリップの先王、ペルディカス三世の死
話しは紀元前三五九年頃からはじまる。マセドニアの王、ペルディカス三世は北西にあるダルダニアンとの交渉にのぞみ軍を進軍させる準備をしてた。ダルダニアンはしばしばマセドニアの境界線に展開してたが、ペルディカスはこの地域でのダルダニアンの支配を克服しマセドニアの人々への脅威を緩和しようとしてた。その考えはただしかった。だがダルダニアンの兵たちはすぐれていた。彼らはマセドニアを打ちまかした。ペルディカスはころされ兵の半分もころされ、軍は無力化された。

* フィリップの王位の継承、国の建て直し
おおくの敵にかこまれ、やぶれたマセドニアは征服の危機にひんした。さてここで今回の主役の登場となる。ペルディカス三世のもっともわかい兄弟のフィリップである。ペルディカスの息子たちは王位をつぐにはおさなかった。これは彼にとり有利にはたらいた。また彼は高官たちの協力をえてた。ただちに彼はマセドニアの建て直しに取りかかった。外交と贈り物によってフィリップは一息をつくとともに再建への猶予をえた。次にやるべきことは軍の建て直しとうしなわれた信頼の回復であった。

きびしい訓練がはじまった。兵たちはサリッサという六メートルものながい槍をもつ歩兵隊の編隊でたたかうことをまなんだ。これは従来のドルーとよぶ槍よりはるかにながいものだった。あたらしい戦法と装備はすぐ非常にすぐれたものだとわかった。翌年、パイオニアンの王がしんだ。

* 隣国、ダルダニアンとの対決へ
次のとるべき道はダルダニアンと交渉にはいりペルディカスの時にうしなった領土を取りもどすことだった。フィリップはきたるべき戦いにそなえマセドニアの動員可能な男子をすべて動員した。一万の歩兵、六百の騎馬兵をあつめた。ダルダニアンの王、バディリスにマセドニアの脅威の情報がしらされた。彼は現状を維持するという協定案を提案した。これはフィリップにはまったく受けいれることのできないものだった。彼の目標はマセドニアの北西の支配を獲得することだった。戦いは必然となった。

* エリゴン峡谷での戦いへ、部隊の編成
両軍は現在の都市、ビトラのちかくのエリゴン峡谷でぶつかった。王、バディリスは一万の歩兵と五百の騎馬兵を編成した。これはマセドニアとほぼ同等の兵力だった。しかしフィリップの軍は実戦経験がないが訓練と装備においてはるかにすぐれていた。ダルダニアンの兵のなかには実戦経験のある古老の兵たちがいた。バディリス王は九十歳である。だがなお戦場を馬でかけることができた。彼は軍を横一線にならべ最強の部隊を中央においた。たぶんペルディカスとの戦いの時とおなじ編隊だった。彼はかんたんに勝利できるものとおもってた。たいしてフィリップのほうである。右翼に最強の兵をあつめた。それは盾持ち歩兵であった。密集歩兵(phalangite)を左翼と中央におき、騎馬兵を両翼においた。全体の編隊は右翼がやや敵に近づく斜めのかたちだった。まさにたたかいがはじまろうとしてる。

* 戦いのはじまり
両軍はたがいに敵にむかって前進していった。ダルダニアンはいそいで前進しマセドニアは編隊のえすら序をたもちゆっくりとすすんだ。フィリップは、サリッサをもった歩兵隊がどのような種類の部隊と遭遇しようとも充分にたたかえるとかんがえてた。それで彼はえらばれた盾持ち歩兵(hypaspist)からなる右翼で相手に突撃できるとみてた。バディリス王は予想外の事態にたいする用意がなかった。彼は経験豊富な軍で相手と充分にたたかえるとおもってた。ついに両軍はぶつかった。はげしい戦闘が戦場全体にひろがった。マセドニアの歩兵隊はバディリス王に指揮されたすぐれたダルダニアンの軍ですら破壊できるほど強力だった。サリッサのながい槍ときびしい訓練の効果があらわれる。

しばらくのあいだ、両軍とも相手を圧倒し編隊をやぶることができない。両軍の兵力はそれほど均衡してた。だんだんとダルダニアンの右翼がおされはじめた。フィリップと盾持ち歩兵はおおきな打撃を敵の兵たちにあたえた。敵の隊列を押しこんだ。左翼と中央の兵が崩壊しそうな右翼をささえるためにやってきた。こうして包囲をふせごうとした。しかし事態はバディリスの部隊にとってわるい方向にすすんだ。左翼のよわい部隊はマセドニアのながい槍で装備した部隊に対抗できない。彼らがもつ最善の兵力を投入したにもかかわらず圧倒されはじめた。次に右翼である。フィリップの部隊は騎兵隊の支援をうけてた。このため彼らはダルダニアンのつかれはてた兵たちの背後を襲撃することができた。これはダルダニアンの軍全体を混乱におとしいれた。まもなく戦死をおそれ逃げだすものがでた。マセドニアの散兵(skirmisher)と騎兵隊は逃走するダルダニアンをはげしく追撃した。そしておおくをころした。これで戦いはおわった。バディリス王はおそらく戦闘の最中でころされた。この戦いでダルダニアンの兵力の半分がころされた。そのほかの部隊も捕獲されたり、数百人が虐待された。マセドニアの犠牲はすくなかった。三百ないし五百の兵士がころされた。

* マセドニアの勝利
この戦いはフィリップが成しとげた最初の戦果である。彼は隣国にわすれられないきびしい教訓をのこした。北西領域の安全は確保された。フィリップはリンケスタ湖のところまでダルダニアンの領土を併合した。イリリアンの部族がながい期間、フィリップの領土を襲撃することはなかったのでマセドニアの国境を侵略するものはなくなった。

(おわり)

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