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ツィッターの刺激



* はじめに
最近ツィッターをはじめた。専門家の論爭を身じかにかんじられ、刺激的だ。そこで高橋洋一氏の発言に共感したので紹介する。彼は日本の財政は破綻してないと繰りかえし主張してる。だがあいかわらずの破綻論が横行。そこで、破綻の定義もせず破綻論を展開してるとか、破綻確率をしめせ、あるいは自分の予測を批判してみろとか舌鋒するどい。ところで彼が批判の対象にしたのは次のようである。

* 日経の記事
それは二〇一八年五月のもの。そこには慶応大学の小林慶一郎氏と土居丈朗氏が登場する。小林氏はオオカミ少年といわれようと毎年、破綻論の本をだすという。さらに欧米では金融緩和をやめる出口論がではじめてるのに日本では財政再建の国民的議論がでない。土光氏が財政再建に取りくんだ当時をなつかしむ。土居氏が政治家に根回しながら予算編成に必死に取りくむ財務省を紹介するとともに、この努力がかえって国民から日本の実体をかくす。むしろ米国流に議会の主導権で編成したほうがよいとまでいった。感想である。

* 感想
日本の将来をとざす悪の元凶、財務省とみえる私にとり立場がちがうとこれほどちがうかと、おどろくが違和感がのこる。出口論だが、マクロ経済政策は物価と雇用の目標値にもとづきおこなわれる。これが世界標準だ。日本は欧米とちがいいまだデフレ脱却がみえてない。そろそろインフレの心配をしてる欧米とちがうのだが、まったくデフレにふれてない。

財政破綻だが、IMFがやっと日本の財政が破綻状況にないことをみとめたと上念司氏がいってた。再建論がもりあがらない。メザシをたべて取りくんだ土光氏の姿は今の若者にはうったえないのかとなげいてた。だが若者のおおくは日銀の金融緩和により劇的に就職状況が改善したことをしってる。時代の流行とはちがうだろう。お二人の論に何がひそんでるのか、不思議だ。

土居氏だが、勤勉すぎる財務省がかえって国民の目をくもらす。ストでもおこして勝手にどうぞとやったほうが財政再建はすすむといわんばかりだ。財務省の勤勉を否定しないが、財政再建に命をかけてる姿とみるのはどうか。高橋氏の話しを思いだす。

* 面罵された高橋氏の話し
彼は大蔵省に採用され役人となった。たしか二十三人からなる初任者研修をうけ、そこで城山三郎の「男子の本懐」の感想文をかかされた。彼をのぞくすべては、自分の信じるところに命をかけたことは素晴しいといった。ここでは金解禁に取りくんだ浜口雄幸首相と井上準之助日銀総裁がついに暗殺された生涯をあつかったもの。ところが彼は金解禁がただしい政策だったかどうかわからない。そのために命をかけてよいかどうか、わからないとかいったらしい。彼はその時の講師(たしか後に次官となった)から「ほとんどの感想文は素晴しいがここに一人だけ大馬鹿者がいる」、「それは高橋だ」と面罵されたという。

私は不謹慎だがこの話しをきいてわらってしまった。浜口も井上も東大法科、いわばここの大先輩である。たしか歴史の本でこの金解禁は、とんでもない政策だったと評価がさだまってた。高橋さんの感想は充分に理解できるが、講師からいわせればとんでもない大馬鹿者というべきだ。

ところで最強官庁として大蔵(今なら財務)はぜったいに間違はないという無謬神話がある。これは先輩を否定しない。批判すらしないという彼らの不文律と不可分である。高橋氏が面罵されるのもむべなるかなというべき。さて本題にはいるが財務省がなぜ財政再建を叫びつづけるのか。

1) 先輩の方針だったから、と、
2) もしかえたら、もっとこわいことがまってるから。

解説だが世界標準の経済政策は上述の目標にもとづくもの。経済学はマルクス主義経済学と近代経済学にわかれてた時代でない。高橋教授があやつる数学、微分積分学が縦横に活躍する世界である。財政再建と掛け声ばかりの、内容にとぼしい精神論ではない。数字により予測され数字により検証される世界である。優秀な頭脳をうたがうものでないが、彼らの専門性がこれにたえられるか。さて結論である。

* 結論
土居氏のような考えがあるとはおもわなかった。財務省にストして、予算編成を国会にまかせたらとか、別の官庁にまかせたらとか提案してほしい。私は彼らがけっして受けいれないとおもうが、ここで議論が盛りあがれば国民にとり実に有益な事実がみえてくるとおもう。

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