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韓国の純愛映画


* はじめに
韓国の混乱は不思議なほど。レーダー照射は最初の否定、一転みとめ、今は問題を擦りかえ哨戒機の異常接近。専門家の間では完全に白黒ついているのにまだ誤魔化そうとする。いわゆる徴用工は司法を尊重すると基本条約の合意を反故にしてる。政府は何もできないというが経済協力で莫大な援助をもらった。政府が損害をうける日本企業に補償すればよい。三権分立など言い訳にならない。米国もはいった国際合意を慰安婦の財団の解散という形でくつがえした。いったいどうするつもりか。国内外ただ混乱。私はブログで韓国のことを記事にしてきた。それを自分のネットページ「窮作文庫」に転載し「不思議の韓国」としてまとめた。それを読みかえしてわかった。

* この混乱は過去にもあった
そこでセウォル号の沈没を取りあげる。三百人あまりの高校生が逃げおくれて死亡した。その悲惨な運命は船長を先頭に逃げだした船員たちと大違いだ。原因は利益優先、安全軽視だ。よくみると法律、規則はととのってるのにそれを遵守しない。監督官庁も見のがし、やすやすと違反状態の航行をゆるした。不安定となった船は横転し沈没した。

* セウォル号、実質オーナー
新興宗教の教祖が会社の実質オーナーだった。このこと自体も問題だが、それは後程のべる。彼は世間のきびしい指弾をうけるなか死体で発見された。まず遺体が本人かどうか問題となった。だがDNAと指紋で確認したという。その後の報道でDNAは検体と検体のDNAが同一であることを根拠にした。そもそも検体が本人のものか根拠が不明だった。指紋は白骨化した死体からはとれないが、どうしたのかわからない。もっとも基本的な証拠である。なのに韓国の人たちにはあまり熱がかんじられなかった。

* 死体は本当にオーナーか、事後立法で罰するのか
そもそもたしか事件後二ヶ月を経過しての発見だったはずだが、ずっと以前からあったホームレスのものとの報道もでた。死体の特定では寄生するウジの発生から死体の放置時間がわかるといった。これは日本の研究だそうだが過去に採用例があったのか。当時の朴槿恵大統領は本人と断定、教団の財産を没収し補償にあてる。そのために特別立法するといった。事件がおきた後に法律をさだめて罰する。適用の不遡及を禁止した法治主義の根幹をゆるがす。でも犯人が見つかったからこれで一件落着とのシナリオがのぞいてた。最後の話しである。

* 韓国の宗教人は納税しなくてよい
民間企業を宗教団体が経営。教祖が実質オーナーとはおかしい。韓国では宗教人は納税してないという。それをもとめると宗教弾圧とか、選挙で政治家をおとすかいって反対する。そのためおおくの宗教人が納税に賛同してるが実現してないという。これは韓国の新聞の寄稿を掲載した日本の雑誌の記事をネットで見つけたもの。憲法上も法律、規則上も納税義務があり、免税がみとめられてないのに、納税しないという。二〇一四年当時だ。現状もかわってないだろう。納税しない宗教人は脱税との関係がうたがわれる。政治家と不明朗な関係もうたがわれる。こんな社会で権力も金力も無縁な庶民はどう生きてるのか、心配になる。

* 韓国の庶民はどう生きてるのか
やっと本題にはいった。ここで話しがとぶ。「あなたその川を渡らないで」という韓国のドキュメンタリー映画がある。映画評論家の町山智浩氏が紹介してくれた。在米の彼はそれをレンタル・ビデオ店で見つけた。その発端はわかい店員、女の子がモニターをみてボロボロと涙をながしてた。彼女はこの映画を見てた。その内容はこうだ。

* 「あなたその川を渡らないで」の内容
韓国、過疎地寒村、その非常にうつくしい風景がでる。そこに民俗衣裳をきた老夫婦が登場。男が九十八歳、女が八十九歳歳。秋、女が落葉の掃除をしてる。男がちょっかいをだして落葉を女にかける。女がやめてと逃げる。喜々としてたわむれる夫婦の姿である。男はやさしい。韓国の農村ではトイレは家の外にある。

夜、トイレにゆく女に男はついてゆき、おわるまで外でまつ。雪がふった時にあそぶ。男はつめたくなった女の手をにぎり、あたためてやる。一ヶ月に一度くらい町におりて野菜うる。その仲のよさが評判となり映画監督の目にとまり、この作品ができたという。彼らの人生はけっして幸福だけでなかった。七六年間の夫婦生活で十二人の子どもがうまれたが、六人がしんだ。早逝した子どもたちのために着物をかって、先にしんだ方が天国にもってゆくという。女が十四歳の時に結婚、入り婿だった。男はまだはやいと三年まって本当の夫婦となった。うつくしい農村風景のなかに老婦の日常生活がつづく、この映画はたいへん評判になったそうだ。では私の感想である。

* 感想
韓国は自分の損を他人にまわす。損をわたしたと安心しても、ぐるぐるまわて自分にもどってくる。こうして国内が二分、三分と分裂、対立する。事件がおきたら犯人さがしに狂奔する。誰かを悪者にしたら安心する。真実は常に孤独でおわる。権力も金力も無縁の庶民はどう生きるのだろうか。

庶民は常に孤独である。幸せはどこにあるのか。すべてを運命として受けいれ、まるで風景の一部のように生きる。うつくしい過疎の村に生きてるようだ。冒頭の文章を思いだしてほしい。なんとか自分の損をほかにわたそうと悪あがきしてる。大量の金には脱税の影がある。不明朗な政治家との関係が浮かびあがる。死体がオーナーのものと、貴方はしんじるか。どこかで高笑いして生きてるのではないかとすら、おもってしまう。さて結論である。

* 結論
私は韓国にもうつくしい寒村で落葉とたわむれ生きてる庶民がたくさんいるとおもってる。そんな人々の姿がみえてくる頃には二つの国は仲よくなれるとおもう。


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