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ケーガンギ歴、ペロポネス戦争(18、3の3)


* ルケムニの戦い
彼らがアテネの同盟国に脅威をあたえようとした時に、アテネは自由にだれの干渉なしに自由に彼らを受けいれることができると理解してた。三十年和平協定をやぶることは重大な問題となりうる。では、もはや平和はない。両者は海軍を編成した。平和時にコリンスは常備のおおきな海軍をもってない。その整備に取りかかった。紀元前四三五年、ルケムニ(Leucimne)で両者の戦いがあった。

そこでコサイラは勝利した。コリンスはこれでへこたれなかった。軍の強化につとめ、九十艘の艦隊をつくった。アテネ以外では例がない。彼らは公式、非公式にペロポネス同盟に助けをもとめた。同盟国はこれにくわえ六十艘をおくった。これでコリンスは都合百五十艘の艦船をもつこととなった。コサイラの艦隊は百二十艘である。彼らはこれを常時保持してた。彼らこれで自国の軍事力に自信をもっていた。だが今やコリンスはこれを数で追いぬいた。コサイラは恐慌においちいった。彼らはコリンスが彼らより強大な海軍を引きいてやってくるとしってた。それで紀元前四三三年九月にアテネにやってきた。

* アテネに助けをもとめる
さて、ここで皆さん、アテネのピニックスの丘にすわってる自分を想像してください。四三三年九月である。コサイラの派遣団があなたの町にやってきた。彼らはあなたに同盟にはいるようもとめる。その目的はコリンスとコリンスの友人たちに恐れをあたえることである。これをきいたコリンスもアテネに代表団を覇権した。彼らもおなじ丘にあらわれた。彼らはアテネが要求に否というべきであると主張することになる。ツキジデスは両者の演説を収録してる。私は彼がこの演説を丘にすわって、そこの議会においてきいていたと確信してる。コサイラの演説の要点をこうである。

* コサイラの演説
コリンスは間違ってる。これは三十年和平協定の違反でない。アテネはコサイラを同盟に受けいれることができる。中立国はゆるされる。次に彼らはコリンスが悪人であるとか、道徳上あるいはその振る舞いに問題があるとか、法をまもらないとか、主張した。だがこれらは彼らが本当にいいたいことでなかった。彼らがいいたかったのは、勢力均衡において重大な影響がある。その重要性をアテネに認識させようとしたことである。特にギリシャの海軍力において重要なのである。コサイラは海軍力において重要な場所をしめてる。これはシシリー、イタリアへの航海に影響がある。この二つはアテネやその他が常にねがってるところである。

だからあなたは我々の側にたちたいはずである。というのはどの町も都も戦時をのぞき、その港をとじることはない。彼らはこのことを常に意識してる。コサイラと同盟をもつことの重要性さはこれからである。これがもっとも強力な論点である。戦争がはじまりそうな時にアテネもけっして軽視できない。もし戦争がおきた時に我々をおなじ側におきたいとおもうだろう。というのは我々は戦略的場所におり、そこから便宜がえられるからである。他方別の論点もある。より強力なものだが、我々がもってる百二十艘の艦船である。もし我々がまければ、あるいはあなた方が我々がやぶれるのを放置するならば我々の艦船はコリンスの手におちる。ならば彼らはもっと強力な海軍力をもつ。合体した海軍力はあなた方の海軍力、海の支配をはじめておびやかすこととなる。これは想像上の産物でない。事実となる。戦争がおきそうになった時に、たくさんの出来事がおきる。戦争は不可避なのか。抑制して平和が維持できるのか、深刻な問題がおきる。

* アテネが決断しない時の問題
これがアテネが直面する非常に興味ぶかい問題である。というのは戦争がまさにおきるかもしれない時に、人々がどう行動するか、反応するかをきめる問題であるからである。もし彼らが決断しなければどうなるか。残念ながらおきることがある。もし戦争はおきないとかんがえたら、行動をとらない。でもこのことが戦争を引きおこすかもしれない。

もし反対に戦争がおきるとかんがえたなら、自分がもってる勝利できる能力を発揮しないのは危険とかんじる。それで戦争がおきそうになる手段をとる可能性がます。これはギャンブルである。どちらがよいかわからない。あなたは予測しなければならない。わからない状況がそこにある。それはもしあなたが単純に攻撃をこのむ。あなたがのぞむのは征服、ただそれだけ、というのでなければである。

あなたは常にたたかうことがより安全か、たたかわないことがそうかかんがえる。妥協することがより安全か。それはより危険をますのか。これは常に問題だ。私がみつけた大馬鹿者(imbecilities)は、人々がことなる時点で戦争をおこすことをかんがえる。それは行動をおこすことは危険だ。抑制すること、行動をおこすことをやめることがより安全とかんがえる。これがしずかな仮定であるが、これを疑問視せず、検証せず、この仮定で戦争をかんがえることである。我々の経験、私の人生経験においても、しばしば間違ってたことがわかる。どれもはっきりいえることはないのだが、私はおもう。ヒトラーの問題を研究してる人々にとり、ヨーロッパの平和をすこしずつ侵略してゆくのに順次対抗してゆくことが極めて危険な手段である。彼は一九三六年にラインランド(Rhineland)を侵攻した。そこで彼に対抗したが、これより危険といえる。

* コリンスの演説
こんなことは惟一の出来事でない。簡単な原則はない。行動しないことが良策かも。時には行動することが良策かも。だがどちらが平和と安全を生みだすかあきらかでない。そしてそれをアテネの人々はその日に考えださねばならない。コリンスはコサイラの主張に反応した。そこでコサイラがみせた姿を否定した。あなた方がコサイラと署名したとしたら、あなた方は三十年和平協定に違反するだろう。コリンスのいったことを推測するが、彼らは協定の文言を気にするな。というのはそこにはあきらかに同盟をみとめてる。

違反というのはその精神にたいしである。彼らがいう。この協定をきめた時に誰も中立国があなた方に同盟をもとめてる事態を想定してなかった。また我々の一つと戦争状態にある時を想定してなかった。誰もかんがえてなかった。問題である。法的点からはアテネは有利な立場にいるとおもう。それは基本的法原則にもとづけば中立国があなた方に同盟をもとめたら、それをみとめることができるかもしれない。そこではその中立国が我々を攻撃した場合をのぞいて違反しないというべきである。他方、ただしい判断力でこれをかんがえる。そうすることはよいか。

このようにコリンスは違反しないという主張に問題点を指摘してる。また別のことをいってるが、法的な観点から私はコリンスの主張、三十年和平協定でさだめられた原則についてでは、よわかったとおもう。どちらもその側の同盟国を他の同盟の干渉なしで罰することができる。実際はここまではっきりといってない。だが、アテネは同盟であるセイモスを罰してる。それについてコリンスはそれはよい。そちらの問題として干渉をしないといってる。コサイラはコリンスの同盟ではない。それは従来からの敵である。コサイラを攻撃するコリンスの権利をみとめる部分は三十年和平協定にはない。

* 戦争をさけようとするコリンスの主張
コリンスの立場はよわい。だが彼らの主張の妥当性、真実を見おとしてはならない。コサイラは戦争は不可避というが、そうでない。コリンスはアテネが賢明な判断して我々と同盟をくめといってるだけだ。そして共同してコサイラをたたく。そうすれば問題はないといってる。かりにそうしないとしても、最低でも彼らと同盟にはいるな。その時は友人となれる。将来にも平和があるだろう。しかし間違はないでほしいが、もしあなた方がコサイラを同盟にいれたら戦争となるといってる。ここから戦争は不可避ではないといえる。

* 決断をせまられるアテネ人たち
しかしあなた方の行動で不可避となる。それでアテネは決断をせまられる。まさにその時がきた。これは極めて重要なところである。なのでよくしってもらいたいことをいう。彼らはそこにすわってる。私がかたったことすべては一日でおきたことである。で、アテネ人たちはどうするべきかを議論しはじめた。これは同じ日である。夜があければふだんのアテネがもどってくる。するとピニックスにすわってる人々には、アティカのむこう、北方にみえるものがある。そこにはスパルタとペロポネスの国の軍が三日の時間をつかえばやってこれる地域である。もしやってきたら、彼らは田畑を破壊することだろう。

戦争がはじまれば誰がたたかうのか。我々である。ピニックスにすわってる人々である。彼らが戦争するか、どうするかを投票する。私は常に彼らの決断の直截さ、重大さに感銘をうける。ある人が私にいった。これは民主主義でない。だが、紀元前四六一年にも彼らは直面した。メガラを同盟にいれるかどうか、決断しなければならなかった。再度であるが、おおきな違いがある。だが基本となる問題はおなじだ。もし目をそむけ同盟を拒否すれば、もしかすると問題はおわり、彼らはそれから幸せにくらす。こうなるかもしれない。

また、別の可能性もある。彼らは間違いをおかす。コリンスが彼らの艦船をうばい、突然、彼らは帝国をきづいてきてはじめて脆弱性に直面するかもしれない。私は常に説明のために比較をする。十九世紀末から二十世紀はじめの大英帝国である。彼らは十九世紀初頭から、中頃、それ以降の十九世紀に間違いなく世界最大の海軍をもってた。

それは世界最強だったがフランスとロシアに対抗してた。強大な帝国の支配力の維持、その脆弱性の防護から彼らがもっとも心配してた帝国の対抗国だった。彼らはこの二国の艦隊が共同したとして、その規模をふまえ彼らの艦隊の規模を決断した。戦争が勃発しても安全が保持できるように、そうした。それですべてがうまくいってた。だがそれは、ドイツの皇帝、カイザー・ウィリアム(Kaiser William)が登場するまでである。彼は十九世紀末にむかってドイツが強大な海軍をつくるときめた。それは世界帝国となる。大英帝国に挑戦する。彼らは軍事力をもつ艦隊をつくりはじめた。

その惟一の目的は英国の艦船の破壊である。それで英国に侵入するという。あるいはそれにより脅威をあたえ譲歩をえる。それでドイツがやりたいことをみとめさせる。ドイツが艦船の建造をはじめた頃は英国艦隊をやぶるほど強大ではなかった。そして英国は海軍の競争にはいった。ドイツが英国をおびやかすほど強大とならないように配慮してやっていった。しかしそれには莫大な経費がかかった。英国はこれをよろこばなかった。彼らは可能性をさぐり、思いきってを外交方針をかえた。それは彼らが百年も維持してたものだった。彼らはフランス、ロシアと同盟をむすんだ。これでドイツを牽制しようとした。

* 海上の支配を擁護するアテネ
英国がやろうとしてたことをさまたげてた。私はこれがアテネが、英国のように島国国家として、やろうとしてたことを理解するのに役にたつとおもう。アテネは食糧供給を輸入にたよってる。それを確保するのに海上の支配が必須である。そのため勢力の均衡をゆるがすことはとてもできない。戦争になれば重大な弱点となる。

* アテネの決断
ここで指摘しておきたいことである。英国はドイツが同等の海軍力をもつまでまたなかった。彼らは方針を変更し、さけようとしてた戦争にむかっていった。あるいはその時、私がおもうにはアテネがまさにおなじ場所にいた。それは彼らがある点ではやりたくないこと。だがさけることのできない問題だった。ながい議論があったという。決定がなされるまえにくらくなった。決定に持ちこまれるかもしれない。ツキジデスがいう。くらくなった頃には同盟に反対する意見がだされた。彼らは翌日にまた会合することにした。ここで彼らはコサイラがもとめてたもの、典型的な同盟とすこしちがうことを投票できめた。

ギリシャの軍事同盟の方式である。スマヒア(symamchia)、攻守同盟である。これではアテネは外にでてコリンスとたたかうこととなる。たとえコリンスがコサイラとたたかってなくてもである。これはアテネをコリンスにたいし全面攻撃の立場におくとおもう。アテネが採択したのはこれでない。翌日である。彼らはエピマヒア(epimachia)とよばれる提案を採択した。それはもっぱら防御同盟といえる。それは敵がコサイラを攻撃し、その地域に上陸しようとしたら、その時にだけ攻撃するものである。

* 防禦同盟
これが最終的にアテネが採択したものである。もう一度いうが、以前になかったものである。これはただちに軍事の結果をもとめるより、ほぼ外交行動の仕組みである。それは、ペリクリースが関係してるとおもう。プルターク(Plutarch)がそういってる。良策とおもう。またツキジデスはそれを提案したのはペリクリースだといってないのだが、それはあきらにペリクリースがのぞんでたことだ。彼がこれにこだわってた。二つの方向、制約の条件がアテネを制約する。何がおきても制約をあたえてる。

* その考えかた、ペリクリース
これをわかってほしいとおもう。ある枠組みのなかでやってゆくということである。これはペリクリースの政治であることはあきらかである。平和を維持する政策である。我々の時代において問題にむかう時に、もし平和を維持したいなら普通の人々がとる態度である。つまり好人物をえんじたいだろう。妥協をもとめる。潜在的な敵に恐怖をあたえない。敵に悪意はないとしめす。という態度である。その合理性が理解されれば、あなたは話し合をうまくすすめられる。お茶をともにすることができるだろう。これはもちろん、次のような方策でない。平和を維持しようとする国が戦争抑止めざすやりかたではない。これは幸福な合意を生みだす希望はまったくないにもかかわらず、とれれる方法である。

もしあなたが優位ではない立場にいたら、やるべきことは敵に彼がもとめてることが実現できないとしめすことである。もし彼が戦争をしかけてきたなら、まさにそうすべきである。だがあなたは非常につよい必要がある。軍事的に、あるいは交渉においても強硬である必要がある。もし戦争の抑止があなたの目標なら、あなたは彼を打ちまかそうとしてる。そうおそれさせることに非常に注意ぶかくならねばならない。もしあなたがなりたがってるほどに、つよくなるのをみとめてたら、あなたは彼の合理性をうしなわせるほどの行動をとることをさけるべきだろう。それは彼を非常におこらせること。成功か失敗の合理的判断をわすれさせること。彼はこういう。私はやりたいことをやる。そうならないことがペリクリースが追及してたことと私はおもう。

戦争抑止と穏健の試みを同時におこなうことは、抑止で相手をおそれさせ、その意図をくじくこと。アテネが戦争の危機をさけつつ彼らができることをやってるということである。だが、また彼の怒りを駆りたてるこをさけることである。ようするに、アテネはコサイラをたすけるために十艘だけ艦船をおくった。これは私の考えから説明がつかない。ただし私がいってた戦略的の観点をのぞけばである。彼がおくったのは軍でなく外交的メッセージである。彼はコリンスにこういってる。我々はこれにつき局外者でいることを期待してたがそうはできない。我々はあなたがコサイラの海軍をまかすことはゆるさない。というのは我々がそれをみとめることができず、危険だからである。我々はコサイラをたすけるためにこの戦力をおくるがそれは、あなたとたたかいたいためでなく、このことを深刻に受けとめてるからである。戦いをはじめないでほしい。

* シボータの戦い
コリンスはコサイラに艦船をおくった。そして戦いがおきた。シボータ(Sybota)の戦いという。ツキジデスがこの戦いをかたる。非常にきびしいものだった。ここで言いわすれてたことをのべる。アテネはコサイラの戦列の最後にいた。十艘。その艦船の指揮官は三人だった。十艘にはおおすぎる数である。そこに一人の重要人物がいた。ラサダイモニアス(Lacedaemonius)である。キーマンの息子である。

* キーマンの息子、ラサダイモニアス将軍
皆んながはっきりしってることだが、彼はペリクリース傘下の一人でない。彼の意のままにうごく人物でない。彼は独立してた、彼の名前は何を意味するか。スパルタの同調者である。もしアテネがこの戦いに巻きこまれ、たたかうとしたら、それはラサダイモニアスがおこなう。それはアテネが分裂したことを意味するのでない。アテネを分裂させるのはより困難とさせるのである。私はこれで、スパルタにもっとも友好的な人々であってもこれは必要の戦いだったといえる。

* ペリクリースの仕掛け
私がいってたことはコリンスをねらいにしてたものでない。もちろん、アテネの政治だが、それとスパルタのそれである。というのは、もしスパルタがコリンスに助けをもとめられたとして、これをみて、アテネに対抗してたすけにゆく。すると彼らはラサダイモニアスがこの戦いは必要だとかんがえてるという事実に向きあわねばならない。これはおなじようなゲームのやりかたである。これはペリクリースがしかけた慎重にかんがえられた計画である。彼は非常に複雑な、仕掛けのおおい、そんな戦略を追及してたのである。時間がすぎたので次回に話しをつづける。
(3の3おわり)

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