SSブログ

ケーガン、ギリシャ歴史、13アテネ帝国(3の3)



* アテネの勝利
おそらく戦いは二時間である。これはながい戦いであった。アテネはそこで食事と小休止をとり、アテネにもどるため出発した。アティカにペルシアの艦船がやってくる前につく。たぶんこんな様子だろう。ペルシアは最後の岬をまわってファラロン湾にやってきた。そこには誰もいない海岸がみえるはずだった。ところがそこにはアテネの軍が待ちうけてた。彼らは盾と槍を上にあげた、まぶしい太陽の光がペルシア兵の目をくらました。古代の軍はこの状況で上陸できない。彼らはもどって、大王にどう報告しようかとかんがえはじめた。

アテネは勝利した。犠牲である。多数のペルシアにたいしギリシャは 百九十二人だった。彼らはたたかった戦場に丁重に埋葬された。翌日、二千のスパルタがアティカにやってきた。彼らがいってたことに嘘などないことを証明した。彼らは戦いの説明をうけ、許しをえてペルシアの死者をしらべた。それまでまけたペルシアをみたギリシャ人はいなかった。アテネ人は偉大な栄光を勝ちえた。

* マラソンの戦いの意義
ではこの戦いの意義は。ギリシャ一万とペルシア一万五千の戦い、ささやかな、おろかな戦いである。数千年前の戦いの意義はなんであろうか。現代の人々はどうかんがえてるか。私は一九三九年のことを思いだす。平和主義者たちが英国で会合した。その演説者の主テーマが戦争は何を生みださない、だった。私がこれで面白いとおもったのは、この場所がヘイスティグス(Hastings)だったことである。

ギリシャの戦いのなかで、これは最初の重装歩兵による偉大な勝利とみられている。後年アテネでは海軍がずっと重要になったが、古風をよろこび保守的な集団の人々はマラソンが重要な戦いとかんがえ、重装歩兵であった農民がギリシャをすくったとみた。だが海軍の人々、貧民は紀元前四八〇年のサラミスの海戦がギリシャをすくったとかんがえたがった。それは民主主義の勝利のため、アテネの民主主義者のためにたたかわれたとみなされた。後でのべることとなるが、スパルタはそこにはいってないとおもう。彼ら自身のためと民主主義のためにたたかって勝ちとった彼ら自身の勝利が別にあるとおもう。

さて彼らははじめてペルシアを打ちまかした。ヘロドタスはいう。これまでペルシアの名前がでるだけでギリシャ人ほおそれをいだいた。アテネにとってこの勝利が甚大な国民的誇りと栄光の源泉となった。学者はこういう。アテネ人が自分たちをどんな人間かとかんがえる。その場合に重大な影響をあたえたのがマラソンの戦いである。それはスペインの無敵艦隊をエリザベスの英国艦隊が打ちやぶったことが栄光のエリザベス朝を生みだした。それとおなじ程度の影響があったという。それは自由の戦いだった。もしやぶれれば奴隷の世界がまってた。ギリシャ文明はまだ幼児期であった。それが成長することなく死滅しただろう。ところで学者のなかでは私のような評価はやりすぎという人たちがいることにふれたい。

英国の政治家、ネイヴィル・チェンバレンが戦争は無意味だ。何者をいやさず、何者も作りださないという。一九三六年、バートライド・ラッセルは軍備廃絶は完璧な平和主義であり、必然的に最良の政策であると宣言した。そして漸進的に英国の陸軍、海軍、空軍に軍縮をするようもとめた。ところがそれはヒトラーがライン地方に侵攻してきた時だった。戦争をやれば、よいか、わるいか。差がうまれるか。どうおもうか。私はそれを敗者にきけという。

犠牲者に、ホロコースト(Holocaust)の生存者に。アメリカ南部の奴隷の子孫にきけという。もしアテネがこの戦いにやぶれてたら。イースカレス(Aeschylus)は演劇の脚本をのこしたが彼はキャリアのほんのはじめにいた。ソフォクレス(Sophocles)は脚本をかかなかったろう。エウリピデス(Euripides)はもちろんも。アリストファネス(Aristophanes)もやってなかったろう。ソクラテス(Socrates)はうまれてなかった。プラトン(Plato)も。アリストートル(Aristotle)も、フィディアス(Phidius)もうまれてない。パルテノンもなかったろう。栄光にかがやく建築物のどれもがなかったろう。それは我々がギリシャを偉大とみるもの、ギリシャ人が作りあげたものである。

そしてどこにも民主主義はなかったろう。というのはここが惟一の場所、民主主義を生みみだした場所だからである。科学における革命、それはちょうど生まれかけてきたところだが、消しさられたろう。記憶にも記録にものこらなかったろう。ということは、西欧文明も政治の自由もうまれなかったろう。これらすべてが、ほかのどこにもおきなかった。この時代から後の歴史をみてもそうだった。これが私があなたたちにしっておいてほしいマラソンの戦いの意義である。というのは我々のすべて、今日の我々のすべてが、一万のマラソンの戦士たち(marathonmachoi)におおきなお陰をこうむってるのである。彼らはギリシャの自由と我々の自由のためにたたかったのである。

(3の3おわり)

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。