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ケーガン、ギリシャ歴史、13アテネ帝国(2の3)


* アテネの二つの動き、反ペルシャ、プロペルシア
この同じ年にミルタイアディがかえってきた。ゲリポリ(Gelipoli)半島で問題を引きおこしアテネにもどってきた。この時点でのペルシアとの関係である。彼は反ペルシャである。ペルシャの王と問題を引きおこした。もしペルシアがヒピアス(Hippeis)を王位に回復すれば彼の立場は危険になる。だから反ペルシャである。次にアテネの政治状況である。ペルシアと戦争にはいることをよしとする。だがすべてがそうかんがえてるわけはない。正気の沙汰でないともいえる。ペルシアは当時、ギリシャ人がしってる世界のほとどすべてを征服した。彼らは小アジアのギリシャ人を簡単に打ちまかした。こんな相手を敵にするのか。そして彼らのような境遇になりたいか。それよりもペルシアとなんらかの妥協をはかる。私は彼らは間違いなくそのこともかんがえたとおもう。そしてヘロドタスそういってる。つまりヒピアスを専政主として受けいれペルシアの王の支配をみとめる。でなければ彼らはすべてころされる。

アテネはこの二つの集団にわかれた。プロ・ペルシアと反ペルシャである。実際の話しである。ミルタイアディは裁判にかけられた。彼はゲリポリ半島において専政主だった罪である。だが彼は無罪放免となった。これは陪審員たちがアテネの大衆の意見に影響をうけた。アテネ市民の多数がヒピアス、専政主の復活をのぞまなかった。そしてペルシアとの戦いの準備が必要とかんがえた、ということである。これももちろん、一つの仮説である。

* セミストクレスの登場
また別の興味ある出来事がある。紀元前四九三年、紀元前四三二年のことである。紀元前四九三年、セミストクレス(Themistocles)が大法官にえらばれた。彼は紀元前四八〇年のマラソンでの戦いに参加した。だが彼は海軍の偉大な将軍である。彼はアテネは従来以上におおきな海軍力をそなえるべきとかんがえた。彼はペルシアがやってくるとかんがえてる集団に参加、その集団はそれに準備し対抗すべきとかんがえてた。彼がやった一つのことは、海軍基地の移転だった。

ファラロン(Pharalon)湾、これは要塞の守りをもたないただの海岸だった。敵の攻撃に艦船はむきだしとなる。そのためアテネの艦船は砂浜に引きあげねばららなくなる。ファラロンの砂浜にあげる。このままの状況でペルシアがやってくると、こうなる。ではどうするかというと、五マイルはなれたパイリアス(Piraeus)にアテネの海軍基地をつくることだった。

そこは三つの港湾をもっことになる。もし壁でまもるなら、港湾は容易に保護することができる。要塞化したパイリアスは攻撃につよい港となる。そこから出撃するのに好都合の基地となる。セミストクレスはこのような自分の考えを後年に具体化していった。この大法官の選出はアテネの気分をしめすものであった。

* ペルシャの遠征、一回目
こうしてヒピアス受けいれ反対、ペルシア敵対の気分がたかまっていった。この頃、ペルシアの大王は報復することを決意してた。彼にさからった人々をとがめる。一番はアテネ、二番はちいさなエレットリアである。彼は強大な海軍とそれに付随する陸軍を編成した。最初、東のエーゲ海の沿岸から出発した。ヘルスポントをわたり、北の沿岸にそってすすんだ。これは彼でなく将軍、マドニアス(Mardonius)がやった。彼はスレイス、マセドンを征服していった。これはエーゲ海の北の海岸である。

紀元前四九二年、アトス山がある半島の沖で強烈な嵐がうまれた。まったく突然だった。ひどい被害を艦船にあたえた。あまりにひどかったので侵攻をあきらめざるをえなかった。ギリシャにたいする攻撃は最終、アテネにむいていた。これが紀元前四八〇年、攻撃の主目標だが、その経路とおなじだった。嵐のお陰で侵入は中止となった。ギリシャ人にとっては神の加護があったとおもってた。ペルシアが侵入の行動を実際にとったので、ギリシャ人たちはペルシアが本当にやっえてくるとおもった。では問題は何をするかである。たとえばアジャイナ(Aegina)島、彼らはアテネと非友好的。ペルシアがやってきたらアテネとともにほろぼばされるのは御免とおもってた。ペルシアに土と水をささげるつもりであった。彼らはペルシアにしたがう。

* スパルタとアテネが同盟関係へ
この時点でスパルタの王、クレイオメニズが心変わりした。彼はペルシアがやってきた場合、だまってすわってはいない。それで彼はアジャイナにいった。捕虜をとって彼らをアテネにおくった。これで両都市のあいだに良好な関係をつくった。今や両者は同盟関係にはいったのである。当面のあいだだがアテネもペロポネソス同盟にはいったということである。二人の王がスパルタにいる。二人のあいだに論爭がうまれた。デモレイダスは海外追放されクレイオメニズは非常にまずい状況になった。これはマラソンの戦いにおいて両者のあいだに不都合な関係がうまれるということである。では、ペルシアの侵入についてである。

その目的は明解である。ペルシアを侮辱した都市たちに罰をあたえる。アテネとエレットリアである。ヒピアスをアテネの専政主に復帰させ、彼がペルシアの州長官としてペルシアの支配をおこなうことである。それとともに全ギリシャを征服するための足がかりとすることである。そして何故、ギリシャを征服しようとするのか。

* ペルシアの目的は
ヘロドタスがいう。彼の親戚が彼に何故ギリシャを征服しようとするかきいたという。ギリシャにあるのは岩山ばかり、征服してなんの得があるのか。エジプトやバビロンは富裕である。多数の人々がいる。おおくの物資がある。それはすばらしい。だが、ギリシャはただ岩山があるだけ。何故征服しようとするのか。サー・エドモンド・ヒラリーの答を紹介する。

他人を支配するという考え、まず十九世紀以降はのぞく。キリスト教がやってくる以前の古代に限定してかんがえる。すると征服はよい事、つよい事、金持ちになる事、強大になる事はよい事である。もし誰かが自分の国境の向こうにいるならば彼らを征服する。そうすることによりかがやかしい栄光がえられる。だが我々、西欧人はどうか。そうかんがえることは自然なことでない。征服が栄光につながる。我々がキリスト教のどの宗派にぞくしていたとしても、そうかんがえない。そこでは山上の垂訓がある。まずしいものが地上を受けつぐ、さいわいなるかな貧しき者は。つよくない者、傲慢でない者はという。もし敵が頬をうつと、もうひとつの頬も差しだすという。もしギリシャ人がこれをきくと、この人々は狂人だ。もうかかわるなというだろ。ギリシャの道徳ではいう。友人には善良であれ。よきものをほどこせ。敵には害をあたえよ、という。次の点である。

最初とおなじぐらい重要であるが、それは我々の倫理感を校正する基盤、これが西欧の思想におおきな影響をあたえてるが、おおくの人々にとっては奇妙で狂気じみてるものである。もちろん、例外があるだろう東方の宗教はいれてない。古代の人々はけっしてこのようにかんがえない。だから隣人がいたら、彼らを征服する。これはおこりうる考えである。だから彼らはペルシアがやってくるとかんがえた。

* どれぐらがやってくるか
では、どれぐらいか。わからいないが、推定では二万から三万のあいだの歩兵、では二万五千歩兵とする。それから騎馬兵、戦いでほとんど役にたたなかったが何人かいる。これは戦場の選択に関係があった。ヘロドタスはこういう。戦いの場をマラソンにした理由に騎馬兵の存在があったといってる。騎馬兵が艦船にのってた。二人の将軍がいた。デイティ(Datis)とアルトファネス(Artaphernes)である。彼らはヒピアスを同行させてた。

* 同行したヒピアスの主張
ヒピアスは間違いなく大王に遠征をすすめてたろう。さらにマラソンを戦いの場所にすすめてたろう。これはすでにのべたがパイシスタラティスが専政主としてアテネに復活した時に上陸した場所である。そこには彼の支持者がおり、彼の武装集団がいた土地である。海外に亡命した者が常にいうが、ヒピアスも自分がやらねばならないこと、それはマラソンの砂浜に足を踏みいれること。そうすれば自分の支持者が一つになって立ちあがり自分の勢力にくわわる。ペルシアはたぶんたたかう必要がないでアテネにはいることができる。彼らは自分の帰還を大喜びし歓迎するからである。これはジェームズ王が英国にもどる時にルイ十四世にいったこととおなじだろう。

ここでマラソンの戦いの意義をかんがえるうえで重要なことがある。アテネには彼を熱狂的に受けいれようとする人々がいる。もし状況がゆるすなら、裏切りにつながる行為をする人々。民主主義を拒否しヒピアスの勢力に参加する人々がいる。この可能性が充分にあった。そしてこの可能性があることをすべての人がしってたことである。

私はペルシアの戦略にはこの裏切りを前提としていたものがあったろうとおもう。状況がうまくうごくとアテネは彼らの手におちるだろうとかんがえてたとおもう。

* 二度目の遠征
軍は出発したが、前の経路とはちがってる。沿岸の経路をとらず、エーゲ海を横断する、最短の経路をとった。島から島にうつっていった。ネクサス、これはアリスタゴラスの攻撃を撃退し大王をこまらせた島だが、彼らはこれをやぶった。次にデロス(Delos)にきた。エーゲ海の真んなかにあり、アポロとその姉妹のアルテミス(Artemis)の神聖な島である。ギリシャ人にとっては非常に神聖な場所である。ペルシアはどうしたか。彼らはデロスの人々と神官を非常な敬意をもってあつかった。なんの損害をあたえなかった。これは征服における典型的なペルシアの方法である。彼らの宗教とデロスのはちがってる。彼らはゾロアスター教である。太陽を崇拝してる。だが彼らは自分たちの宗教を押しつけない。ギリシャ人の宗教に干渉しない。彼らは旧約聖書を保持してた。彼らはヘブライを虐待しなかった。

彼らは他の侵入者がやるように、そこの宗教の慣行をやめるように強制しない。彼らはこう説明する。我々はギリシャの神々と戦争してない。さらにいえばギリシャ人とも戦争してない。我々は単純にこの二つの悪業の都市に罰をあたえるだけだ。彼らは我々を攻撃した。次にユビイアの南にあるカルキース(Chalcis)にいった。彼らはギリシャ人と戦争はしないという。だから彼らのやりかたにしたがい土と水を差しだすようにもとめた。彼らはこれを拒否したのでその都市を破壊し人々を奴隷におとした。さらに前進をつづけユビイア沿岸をすすんだ。北にあるエレットリアにきた。ここには四千人のアテネ人が定住してる。どうしたか。彼らは武器をとり立ちあがる。エレットリアの自由、アテネとエレットリアの友好のためにたたかおうとしたか。そうではない。四千人のアテネ人は母国、アティカにもどった。

* エレットリアからアテネ兵の帰還
何故か。彼らは当然の行動をしたというべきである。だがその決断はおおいなる躊躇のあとのことだろう。ヘロドタスについていう。彼は小アジア、ヘリカマサス(Helicarnassus) の出身である。彼はその歴史記述では非常にアテネに好意的だ った。また彼はアテネにすんだことがある。後年だがそこでペリクリースと友人関係にあった。彼は親切だった。小アジア出身だったがおおくの時間をアテネですごした。彼はプロ・アテネであったとおもう。さらに歴史の情報はおおくはアテネ人から入手した。ヘロドタスがいう。アテネ人は常にエレットリアのためたたかう用意はある。ところがエレットリア人はいう。それはまったく無意味だ。何故ここで命をすてるのか。ここはきみたちの都市でない。帰国したほうがよい。これをしんじるか、しんじないかは自由である。ここでたたかうことはアテネ人には災害である。もしアティカにかえると、母国に貢献できる。こうしてエレットリアからアテネ人はさった。

* マラソンの戦い、ペルシアの戦略
彼らは戦場をマラソンにした。まずエレットリアに非常にちかい。次にヘロドタスがいう。最適な場所である。長旅の疲れを回復する場所となる。すでにのべてるが、パイシスタラティスの帰還の縁がふかい土地である。軍が同行したヒピアスを専政主として復活させるのに好都合である。彼らの計画はこうである。もしアテネが戦いをいどむなら、これを崩壊させる。だが彼らはアテネはこれをおそれ戦いをいどまないとおもってた。そこでマラソンにとどまり、アテネからの知らせをまつ。革命がおこり、政権を彼らに移譲するというしらせがやってくる。それをまてばよいとおもってた。それが、すくなくともヒピアスが彼らに信じこませたかったものだったろう。もちろん、彼らはいつでもたたかう用意はできていた。だが彼らはそんな必要もないだろうとおもってた。紀元前四九〇年、八月四日、彼らはマラソンに上陸した。最近の日食の研究により正確な年月日があきらかになった。ネクサスの攻撃から艦船がアテネにやってくるとの事前情報をアテネはつかんでた。

* スパルタ救援の要請
彼らはスパルタに援軍をもとめる。ここにすばらしい話しがのこっている。ファイデピディ(Pheidippides)という偉大な走者が登場する。彼は全力で二日間を走りつづけてスパルタについた。そこで彼はペルシアがやってくる。我々をたすけてくれといった。スパルタがいう。我々は本当にたすけたいとおもってる。そうすることは我々のよろこびでもある。だがまことに不幸なことに我々は今まさに宗教行事の最中である。我々はここをはなれることができない。次の満月まではうごけない。これは八月十一日の夜になる。

それはペルシアが上陸してから一週間がたつ時期である。私はこれを態のよい言い訳とは思いたくない。最近の研究のなかにこれを口実だという皮肉な見方をする人もいる。だが彼らは宗教を非常に誠実にかんがえてた。私はこうかんがえる。アテネは次の二つのことをしった。スパルタは彼らをたすけるためやってくると約束した。しかんしそれはこれから一週間後のことである。ヘロドタスはいう。

* アテネの決断
アテネは町をでてマラソンにいった。そこで彼らはどうするか議論をした。私はこれは真相でないとおもう。議論はすでにおきてた。アテネ議会のなかで議論がかわされた。軍を派遣するか、しないか。もし派遣するなら、どれくらいの規模か。誰を司令官とするか。これらすべてが議会で議論されたろう。ある者は、アテネに立てこもる策を主張する。ではアテネの防御力はどれくらいか。もし壁がないか不十分。なら立てこもるのは不適。また立てこもることの損得。ペルシアがアティカを蹂躙することをゆるす。それを放置するのか。おそらく七十五から九十%のアテネ人は農業で都市の城外で生活してる。家屋も外にある。それらがペルシアの略奪にあう。これはあまり上策とはいえないだろう。ならばペルシアが上陸したらすみやかにその場所に軍を派遣する。彼らと対峙する。ここでミルタイアディが指導的人物とした登場した。

彼は将軍だが、かってペルシアにおり、その専門家であり軍の将軍でもっあた。これはしられてる。彼のいうことに耳をかたむけるのも当然である。彼は実績と能力のある人物である。それはマラソンの戦いであきらかとなった。これで彼はおおくいる将軍の一人にすぎなかったが事実上の司令官とみとめられた。彼の意見であるが、彼は都市をでてマラソンでペルシアを迎えうつと主張した。さらに彼らに余裕の時間をあたええスパルタがルシアと対峙することゆるしたくない。だが、それ以上の恐れがある。もし我々がとどまりペルシアのしたい放題をゆるす。この時間がながくなればなるほど、内部に裏切りの可能性がでてくる。それに内にとどまるのはギリシャの戦士の倫理観にまったくはんする。敵が略奪をほしいままにしてるのにそれを放置すること。これは重装歩兵にとっては特に痛切にひびくことである。それはアレテ(arete)というホーマーにみられる考えである。人は勇気をみせねばならない。敵が侵入してきたら立ちむかう勇気をもたねばならない。重装歩兵は外にでて敵を迎えうつ。彼らはでていった。彼らの戦略は城外にでて敵が上陸した場所で対峙し、そこから侵入することをゆるさない、ということである。

* ペルシアの上陸
彼らはマラソンに上陸した。歩兵は二万五千人、彼らは重装歩兵でない。この当時の姿をしめす資料があるがズボンをはき防備の装甲をしてない。盾は柳の木からつくったものである。装甲は重装歩兵とくらべてはるかにおとってた。さらにいうが、兵士はおおくの地方から召集された。ペルシア人でない民族もふくまれてた。ギリシャにくらべ統一性が不足してた。ミルタイアディの作戦は次のとおり。

* ミルタイアディの作戦
ほぼ一万人のギリシャ兵。うち九千人がアテネ人。千人がエレットリア人。これにたいするのは二万五千のペルシア。地図でみる。右が海で左が陸。上陸した海岸ちかくに沼沢が上部にひろがってる。ここの下部に左から川が流れこんでる。この川は蛇行しながら沼沢にそそぐ。この流れの下部に原がひろがる。ここの平原で戦いがあった。沼沢に流れこむところからやや上流に逆のぼるところ。その流れの下部にちいさな塚がある。ここにギリシャの戦死者が埋葬されてる。ここが戦いの中心とかんがえられてる。つまりここでマラソンの戦いがあった。

ギリシャは高地に陣をかまえ、ペルシアは低地に陣をかまえた。ギリシャの考えはこの状況をできるだけながくたもつ。もしペルシアが攻撃にうつろうとすると彼らは高地にむけ走りのぼる。これはのぞましくない。ギリシャ側は彼らにそうさせたい。自分からはうごきたくない。他方のペルシアである。裏切りがおきるのをまつ。一週間がすぎた。両方が互いをみつめ何もしなかった。ギリシャは相手にボールをわたし、それで相手が失敗するのをまった。これがミルタイアディの考えだったのだろう。

* ペルシア軍の作戦
そしてついにペルシアは水や食糧がなくなる。いつまでもまってはいられないと気づいた。もう一つの理由、大王が何をしてるのか、ききたがり、膠着状況にさわぎだした。ペルシアはこうかんがえたと私はおもう。一万の兵と騎馬兵を艦船にのせアティカを迂回してファラロン(Phaleron)湾におくる。そして残り、一万五千でアテネをそこにクギづけにする。アテネ城内には防護する兵がいない。それをしるとアテネはくるったようにペルシアにむかう。ペルシアはここでも多数の有利をたもってる。何も心配する必要がない。それでやったきた。

* 両軍の衝突
その日の指揮官はミルタイアディであった。彼は相手兵力が五千上まわってることをしってた。そこで両翼から圧倒されることを心配した。それで隊列の厚味をへらし、相手の戦列の長さに対抗することにした。これではペルシアが隊列を突破するおそれがある。それでも彼は両翼をあつくし、中央をうすくすることにした。彼は両翼でペルシアを圧倒し、それから中央に殺到することにより勝利することをねらった。そしてそれがまさしくおきたことである。ぎりぎりの状況にたえて、まさしく狙いどおりのことがおきた。ペルシアは中央を突破するのに成功した。だが両翼から殺到したアテネにより、彼らは逃走をはじめた。彼らは背後にあった沼沢にむけてはしった。その逃走は困難だった。多数がころされた。ついに戦いは終結した。

(2の3おわり)

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