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加計学園、馬鹿にされる国民 [バカにされないクスリ]


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* はじめに
この七月十日に国会閉会中審査として衆参両院が加計問題を取りあげた。前川喜平氏、元愛媛県知事の加戸守行氏などを参考人によんで質疑応答があった。私はこの問題をかたってきたが自分がえがいたシナリオに手応えをかんじた。

* 文科省は開設の二年前から申請手続をすすめてた
文科省は安倍総理の規制改革へのつよい姿勢から獣医学部の認可はやむなしとし本来の手続、学部認可をすすめてた。ただし従来の政治的妥協がまだいきてる。それがどうころぶか見きわめられず先走りをさけ様子見にてっしてた。この私のシナリオのたしかさがだんだんみえてきた。繰りかえしだが一連の動きを振りかえる。

* 一連の動き
二〇一六年、四月に元文部省の木曾氏が学園の理事に就任、正式の申請ではないが事前相談のため事務局長とともに文科省に接触をはじめた。これは常盤局長が十月二十一日付けの文書の質疑応答で部下から学園の事務局長が担当課に事前相談にやってきた。それは二十一日の以前においても以後においてもあったといってた。十月であればおそらく申請書の相当くわしい部分まで相談にのってたろう。また同局長は省内で二〇一八年の開学についてシミュレーションをしてたともいった。

十一月の閣議決定から次の経緯をへて加計学園にしぼられたという。これは諮問会議の原氏による説明である。学園は福田内閣以来の申請の積み重ねがあった。新潟大は具体化がおくれた。京産大は二〇一六年十月に申請があった。最終段階の二か月をのぞけば学園だけが申請をおこなってた。感染症の拠点がないと深刻な事情を今治市が申したてた。山本担当相が十二月八日に獣医師会から陳情があり自分の判断で学園のみとした。

二〇一七年一月四日に告示で学園一校のみを認定した。

この一連の動きに不自然なところはなく自分のシナリオにたしからしさをかんじる。ただし私としては申請者(加計学園)の利益をそこなうとして申請状況を公開しないという文科省の姿勢に理解できるところがあるが国民の疑惑をのぞくためもうすこし具体的な事情を開示してほしかった。そうすると京産大の申請は内閣府にたいするものであり文科省への申請はなかったか充分でないものだったという事情がわかったとおもう。そうすると学園一校にしぼられた妥当性もよりあきらかになったとおもう。

* 青山繁晴議員が設置の必要性をあきらかにした
青山繁晴参議院議員が従来の行政のゆがみをあきらかにし、質問にこたえ加戸元愛媛県知事が新設の必要性や不足の深刻さをあきらかにした。

一、全国で九百三十名の入学定員だがたしか千二百名まで水増し入学させてる。この無理は学生が教室にあふれ外から授業を見学するという異様な状況を産みだした。
二、 動物による感染症が深刻な段階にはいった。米国は三つの獣医師の大学を新設し対応した。だが日本では対応がおくれ教育研究に問題がうまれてる。実際に愛媛県は宮崎県の口蹄疫にくるしんだ。愛媛県のうったえは十年ほど前は一顧だにされなかった。さて感想である。

* 感想
まず申請の手続は内閣府、文科省の二つに必要である。それが充分にあきらかとなったといえない。民進党の議員は十一月の閣議決定から翌年の一月にきゅうにきめたと非難する。だが学園はおそらく半年以上も文科省にかよい相談してた。京産大はそこまで充分な相談をしてなかったとおもう。これがあきらかになれば国民は一校にしぼられた経緯が妥当かどうか見当がつく。獣医学部の新設が必要かのソモソモ論だが水増し入学、教室外にあふれる学生、米国にくらべた深刻なおくれなど国民がしるべきことがやっとしらされた。一つは安心感だが何故ここまでかかったのかと不満がのこる。

マスコミの売らんかなの姿勢、なんらかの思惑、政局のみの野党の姿勢もある。これらはすでにのべた。だが与党の姿勢である。それはこの問題で当事者として文科省、農水省、獣医師会、族議員がいる。この族議員について今回は維新の丸山議員が石破氏を示唆した。私も麻生氏を示唆してる。いずれも国民の前にその役割があきらかでない。おそらく安倍さんの岩盤規制の言葉にこのことがふくまれてるのだろう。私は従来も政治的妥協、今回もそうといった。そこで大切なのは、いいものとわるいものがあるということである。それが国会、マスコミで議論され、国民が妥当かどうかを評価すべきである。なのに安倍とかいう独裁者が政治を蹂躙してる。あるいはお友だちというだけで依怙贔屓をする。そんな鉄面皮な政治家が日本にいるのか。読売や朝日で内閣支持率がまたおちた。それは偏向報道やこの国会の不徹底によるのでは。くどいようだが前川氏に一言。

彼はつよい個人的思いからこの問題にかかわった。それは時代の流れにカジをきった文科省には有難迷惑だったろう。安倍総理が行政をゆがめたとの思いもかっての職場である文科省の共感をえてないだろう。彼の思いに何がひそむのか。私にはわからない。では結論である。

* 結論
この国会であたらしい知見をえたが私の見解はかわらなかった。だがあらためてマスコミの偏向報道振り、国会の不徹底をかんじた。国民のみなさん馬鹿にされてますよ。マスコミは国民にはこの程度のドラマを提供すれば大喜び。政治家は国民に本当の政治をみせたら、ただ政治はきたないと毛嫌いされるだけ。口当たりのよい話しでお茶をにごせばよい。こんなに馬鹿にされてます。

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