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加計学園、文科省のつぶやき [バカにされないクスリ]


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* はじめに
我々は加計問題のような政治劇の観客。舞台にたつ役者でも脚本家、でも演出家でもない。はなやかな舞台をとおくからながめてる観客である。でも耳をすませばすっかり悪役となった文科省の本当のつぶやきがきこえてくる。それが聞きとれればこの政治劇の真相に近づく。だからその筋をおってみる。

* 基本的な姿勢
文科省は規制緩和に取りくむ安倍総理のつよい姿勢をしってる。獣医学部の新設を拒否するなんて無理。変更は不可避とおもってる。だがここが問題なのだが文科省、農水省、獣医師会、族議員によりつくられた政治的妥協はいまもいきてる。これがどのようにほぐれるか。そこで文科省だけが先ばしって孤立したくない。取りあえず申請の拒否はやめる。そして様子見にてっする。こんなところでこの波を乗りこえよう。

* 申請までの動き
二〇一五年六月の閣議決定で獣医師学部新設を国家戦略特区でみとめる。それを不服とするなら規制官庁、すなわち文科省がその正当性を説明する。その回答期限を二〇一六年三月とする。ここまで内閣府が文科省を追いんだ。筆者の解説である。

閣議決定の前にひらかれた諮問会議ワーキンググループ会合で五十二年間獣医師学部を新設しなかった。これを民間議員が批判した。しかし文科省は四十年新設をみとめなかった医学部を国家戦略特区でみとめた。これは二〇一七年四月に開設した。文科省はすでに規制緩和の流れにのった。問題は獣医学部についての政治的妥協である。これがどのようにほぐれるかまだ見極めがつかない。

文科省は期限までに回答しなかった。これは具体的には獣医師の需給見込みをしめせないことが理由だが、私は文科省がうごけば従来の認可行政の否定、政治的妥協の破壊、それによる予想外の反発の危険をまねく。担当課は何かにつけ批判にさらされる。ならば何もしない。期限をやりすごす。すると内閣府は文科省は異議をとなえず容認したとする。あえて文科省の遅延を問題とせず内閣府の方針を押しすすめる。これを大人の対応として採用したとみる。

* 加計学園からの申請の動き
元文科省の木曾氏が二〇一六年四月に加計学園の理事に就任。この時期は締切期限の三月をすぎ文科省の異議がないことが判明した時期。学園は従来拒否してた申請は受けつけるというふうに解釈する。他方この頃、文科省の担当課、専門教育課は申請、その事前段階の相談をうける。筆者の解説。

開設予定より二年の猶予をもったこの頃の申請はおかしくない。なお正式の申請でなく事前相談のようなかたちだったろう。なお木曾氏は千葉科学大学長。関東に拠点をもつ。おそらく岡山から上京してくる事務局長を支援、指導する役割だろう。学園が国家戦略特区に認定されるのはきたる十一月である。認定はまだだが申請はこれとは別にすすめられた。そもそも従来の告示で申請を制限してたのは違法のおそれがたかい。特区認定前に手続をすすめることは問題がない。専門教育課はこの申請には特に違和感はなかったろう。

* 前川氏の 次官就任、手続への義憤
二〇一六年六月に前川氏が次官に就任。彼はながく小中高の教育分野にたずさわった。大学の経験はなかった。九月上旬に官邸の和泉補佐官からよばれ学園の手続につき督促された。ここではじめてこの懸案をしった。もどって担当課から事情をきいた。そのうえで文科省として主張をするようにと指示した。筆者の解説。

前川氏は担当課から従来の経緯、獣医師学部の設置は農水省からの需給見込みにもとづきおこなう。獣医師がたりてたという説明をうけ五十二年間認可しなかった。さらに告示でもって申請を制限せざるをえなかった。これらの説明をうけた。おそらく、私がのべたような文科省と農水省、獣医師会、族議員の争いのなかでやぶれ、文科省が法律違反のおそれのたかい告示を制定、農水省ほかが文科省の陰にかくれる。世間の批判は文科省が一手に引きうける。そんな状況にいたった経緯の詳細はしらされなかったろう。前川氏はしらぬ分野であり何故文科省が不当な批判をうけねばならないのかと不審の念をつよめただろう。

* 学園をみとめた十一月の閣議決定までの動き
九月十六日、ワーキンググループ会合には専門教育課補佐が出席。前川氏の指示がある。すなおにおそれいるわけにはゆかない。従来の主張を繰りひろげ民間議員からつよい批判をあびる。規制緩和のながれにこうすべくもないとしってる。内輪の事情を正直に告白もできず課長補佐はつらい。もどって前川氏への説明は官邸、内閣府のつよい圧力を強調するしかなかった。九月二十六日、前川氏は内閣府の藤原審議官からよばれまた督促をうけた。

この後、十月二十一日に高等教育局が萩生田官房副長官によばれ、農水省はおりた。文科省ですすめるよう指示があった。農水省と獣医師会、族議員のあいだの了解ができたと推測できた。だから安心してやれとの指示ととった。不満をかくさない前川氏への説明だが誰がするかなとおもった。さらに十一月に閣議決定でついに公式に学園がみとめられた。担当課としては当然の流れであり申請の処理も粛々とすすめてる。怒りがおさまらない前川氏だが閣議決定となればもはや敗戦処理である。敗北感とともに、これでよいのかという気持がおさまらない。また開設の日程が二〇一八年四月と期限をきられてることをしった。屈辱的とおもった。そもそも大学の学部設置は法にもどづく文科省の権限である。設置を審査をする設置審がある。これは大学の拱教員による専門家の審査である。日程をきめられてもそのとおりに実現できるとはかぎらない。なのに一方的に強制してくる。前川氏には高等教育局は弱腰、官邸、内閣府は理不尽とうつった。十二月にはいった頃である。

* 天下りあっせんで辞任
前川氏は文科省の天下りあっせんを問題として再就職等監視委員会 が動きだしてることをしった。年明けの早々、辞職やむなしと覚悟した。結局、一月二十一日に辞職。法令違反を反省する気持はあったが、違法としってやってたとの気持はない。出会い系バーの立入りを注意されたこと。学園認可のごり押しは官邸が罠を仕かけておとしいれたのではという不愉快な感情がのこった。辞職後、文科省をみてると官邸の意向に唯唯諾諾としてる。もやもやとした気持がつづいたが、ついに決心して専門教育課課長補佐にたのんで関係文書をおくってもらった。組織人としてはのぞましいことでないがけっして秘密を漏洩したわけでない。このように自分を追いつめたのも官邸が不当に行政をゆがめたからとの思いがつよくのこった。次に専門教育課課長補佐の思いである。

* 課長補佐の思い
規制緩和を官邸主導ですすめるのは時代の流れである。前川氏がご自身の正義感でもって文科省を応援していただくのはありがたいことだが、かっての認可行政はほめられたものでない。五十二年も新設をみとめなかった。当初の政治的妥協は意味があったかもしれない。だがそれをここまで修正もせず引っはってきたのは怠惰な惰性でなかったか。その点で農水省も族議員も変わり身がはやい。せめて医学部設置のような文科省と厚労省の連携があったら。ワーキンググループ会合で農水省が需給見込みを盾に抵抗してた。それがあきらになってたら、これほど文科省が悪者にはならなかったろう。この八月には教員の資格審査結果がでる。大学の校地、建物の整備も問題ない。来春の開学は可能だろう。今後は安倍総理の掛け声もある。意欲ある構想をみとめる。獣医師学部の認可をすすめ国民の期待にこたえたい。と、このへん でおわる。これがどれほどただしいいか。十年後にたしかめたい。さて結論である。

* 結論
都議選が小池さんの都民ファーストの圧勝、自民の大敗という。これは自民党政治への不満のあらわれとおもう。国政レベルだが森友、加計の問題も自民党政治の国民の不信。ところで落ちついてみて豊洲移転に自民党が不正をはたらいたとの事実はでなかった。むしろ小池知事の意気込みにかかわらず時期をおくらせ都民に将来の負担をふやしただけとみえる。森友、加計にも安倍総理に不正はない。ところがである。

丸三証券の安達誠司氏のラジオでの発言が心にのこった。下村博文自民党都議連会長の政治献金問題にかんしてこういった。不正はなさそうだが都民は権力にちかい人はうまくやってるとおもう。自民党には打撃となる。どうやら根づよい庶民の不満があるようだ。そこには二〇一二年の安倍政権発足、三本の矢の掛け声にかかわらずデフレを脱却できない。不景気にたえてる庶民のくらい怨みがひそんでるとおもう。不景気にたえる庶民の気持をはらす政策がほしい。増税より政府の収入をふやす増収政策を打ちだしてほしい。

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