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第二次カルタゴ戦争、マサラスのシラキュース攻略(簡略ロ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
マサラスは二年間の城攻めをおわらせるべくシラキュースのあたらしい地域を占領に成功し頑強な抵抗をうけながらふるい地域の占領にも成功する。シラキュースの内通、抵抗、疫病の萬延などをあつかう。
(Second Punic War - Marcellus takes Syracuse - 47、Historyden)

* マサラス、二年間の城攻めを終了へ
すこし前の回にシラキュースの城攻めについてのべた。紀元前二一四年、シラキュース(シラクサ)にローマの指揮官、マサラスが攻勢をかけ最後に兵糧攻めで降服させようとした。だがこの状態が紀元前二一二年までつづいた。この頃にローマの執政官がイタリア、キャプアの包囲網を完了した。マサラスは城攻めをおわらせる準備をおえた。すでにのべたことだがシラキュースの王のハイローは忠実なローマの味方だった。その後をついだ孫のヒロノマスはカルタゴに味方した。彼が暗殺された。政変後、アプシティが軍には反乱をおこさせシラキュースを支配下におさめた。アプシティはシラキュースを統治するとともにその同僚であるヒポクラティーズは別の場所で軍事行動をおこなった。ではシラキュースの都市の状況である。

* シラキュースの都市、あたらしい地域、ふるい地域
シラキュースはシシリー島の東端にあり、そのかたちは楔形が突きささった姿である。楔の頭の部分にぶらさがるように島がある。この島と本土の沿岸にかこまれた海の領域がグレートハーバーとよばれる。シラキュースは歴史的にあたらしい地域とふるい地域がある。本土の海に突きでた部分、アクロディーナとその南にある島がふるい。本土に突きささった部分があたらしい。島はもっともふるい。二マイルのながさの二重の壁にかこまれてる。そこからアクロディーナにつながる。ここはもともとは要塞化されてないちいさな郊外の土地。後年になって商業や行政の中心となった。ここも要塞化され防御壁にかかまれてる。これがペロポネソス戦争当時のシラキュースの都市だった。この戦争の後にあたらしい地域が建設された。

三つ。タイキ、ニアポリス、エペポリイである。タイキは住宅地域、ニアポリスには娯楽を提供する円形演技場の施設がある。これはシシリーでは最大のもの。次が広大な高台の土地。そ の防御壁は順次建設され延長した。その西に砦がある。そこからシラキュースに近づく敵の動きが監視できる。マサラスはこの厳重に防御された要塞都市の城攻めをおこなう。ここにはアルキメデスがつくった構造物があり城の攻防戦に活躍した。このこともありマサラスは兵糧攻めで降服を目ざす選択をした。外部からの供給を遮断する作戦はおおむね成功した。都市に飢餓がひろまっていったが、なおも抵抗はやまない。

* マサラス、調略の城攻め
マサラスは城攻めを調略によりおわらせたいとおもった。すぐ都市内部にローマに内通する者がいることがわかった。だが都市の監視の目もきびしかった。彼らが漁船で外出。接触に成功した。マサラスは八十人とあった。降服への道筋が議論された。マサラスは降服後のシラキュースに自治をみとめると約束した。調略の情報が都市にはいった。彼らはこの 内通者を処刑した。これは不発におわったが、またあらたな機会がやってきた。

* マサラス、あたらしい地域に侵入へ
ローマはマセドニアの王、フィリップにむけおくられた伝令をとらえた。シラキュースは彼を取りもどそうとして身代金の支払いを申しでた。交渉が城門の近くでおこなわれた。ローマはそこで城壁の貴重な情報をえる。交渉は複数回つづいた。ローマがそこの石の数をかぞえる。その厚味、壁の高さ、梯子をつかって壁をのぼれるかを推測する。これらを執政官に報告した。もちろん、都市もこのことをしってる。警備を二倍にした。マサラスはじっくりと機会をまった。当面はこれで満足した。

* マサラス、アルテミス神の祭の夜に攻撃
しばらくするとシラキュースはギリシャの神、アルテミスの祭をひらくことがわかったこれはローマ人がまつるダイアナの神にあたる。だから内情も推測できる。それは三日つづく。乱痴気さわぎになる。秘密裏に攻撃をおこなう絶好の機会である。お祭りがはじまる前に市民にワインが配給された。これで都市はさらに攻撃に脆弱となった。

マサラスは部下と相談し精鋭部隊を編成した。攻撃開始は深夜。城壁をのぼる梯子を用意する。百の兵があつまった。マサラスは夜に攻撃をめいじた。彼らは沈黙のうちに城壁に近づいた。おどろくほどたくみに壁をのぼった。誰にも気づかれずに門の近くにやってきた。門を警護する兵たちは完全によっぱらってた。秘密の行動はおわった。彼らは門に攻撃を仕かけた。警備の兵たちはにげた。ローマはすぐ壁と門を完全にうばった。都市のおおくはこの悲劇をしらなかった。彼らはワインをのんでねむってた。翌日、マサラスはその門からすべてのレージョンを引きいてはいった。この地域の占領はまったくの不意打ちだった。アプシティは島をでて何がおきたかをみた。

* マサラス、砦をのぞくあたらしい地域を完全に占領
はじめは少数のローマ兵があたらしい都市部分に侵入しただけとおもった。だがすぐローマがここを占領したことをしった。ただちにアクロディーナに逃げこんだ。占領後、マサラスはシラキュースのもっともたかい地点にのぼった。当時のシラキュースはうつくしかった。マサラスは頂点にのぼって達成感から、あるいは過去の歴史をおもい涙をながした。さて彼は今や砦の攻撃に専念した。

* マサラス、二つの野営地、砦を征服
ローマが占領したあたらしい地域のうち惟一その支配にはいってない。これが砦である。指揮官、ファイロディーマスがままもる。マサラスは彼と交渉にはいろうとした。ファイロディーマスは言を左右にしてこたえない。彼はカルタゴがアグリゲンタムから救援をおくるのをまってた。これがあればローマが都市内に閉じこめられ無力化されると確信してた。マサラスはその危険性を充分に理解してる。まだ砦を占領できない。軍はおおくの市民のちかくにいる。そこで略奪がおきれば兵の規律がゆるむ。軍の脆弱性があらわれる。もし敵の反撃があればたえられるか。彼はここに野営地をつくることを最優先した。もっとも人がすんでない地域をえらぶ。タイキとニアポリスのあいだに野営地をつくった。

すぐに都市から伝令がやってきてマサラスにタイキとニアポリスに放火したり武力行使しないようもとめた。マサラスは合意して軍に市民に危害をくわえないよう命令した。これはどういう意味か。それ以外はみとめられる。つまり略奪がおきた。マサラスはなおも反撃があることをおそれた。都市内に柵でかこった食糧、資材の備蓄所をつくるかわりにちかくの住宅を占拠した。その周囲に監視の兵をおいた。占拠された住宅は野営地をまもる住宅としてつかった。こうして野営地がつくられて、命令がでた。略奪である。兵はあらゆる方向にむかった。住宅の扉をあけて侵入する。大騒ぎがおきる。すべてがパニックとなる。だが流血の惨事はさけた。その頃、ファイロディーマスは砦の将来を見きった。彼と守備隊に安全な退去をみとめるという条件で砦の引きわたしを申しでた。これでこのあたらしい地域を完全にローマが占領した。外部からの攻撃をおそれていたマサラスはこれで一安心した。マサラスはさらに都市の外に野営地をつくった。これでさらにローマの安全が向上した。彼は外に指令本部をおき都市内にクリピーナスをおいて指揮にあたらせた。

* カルタゴの支援艦隊が本国に逃走
その頃、バモカーがカルタゴから派遣された。資材補給のために派遣された艦船の指揮官だが、彼はグレートハーバーにおいてローマにより港に釘づけとなってた。このおなじ日の夜、封鎖をやぶって外にでた。そしてカルタゴ本国にもどった。五十五の船をアプシティのためにのこしてた。

この艦船が退却したことで市民の絶望はたかまった。だがまだアクロディーナと島はローマの支配下にはない。ここは二重の壁にまもられている。攻撃はけっして容易な仕事でない。さらにわるいこと。ヒポクラティーズがグレートハーバーにやってきて、そこに野営した。彼はアクロディーナの軍にマサラスへの攻撃をはじめるよう信号をおくった。市内の野営地の指揮官であるクリピーナスはヒポクラティーズを撃退した。マサラスもアプシティの攻撃を撃退した。それから城攻めの様相がかわっていった。

* マサラス、ふるい地域へ攻勢、疫病の萬延
疫病が都市をおそった。これが城攻めの状況をたえがく苦しいものとした。死と埋葬が毎日の行事となった。放置された死体が列をなした。疫病の猛威はカルタゴの野営地のほうがローマよりはげしかった。それはローマがよりながくシラキュースにかかわってきたので気候や水になれて耐性をもったのだろう。マサラスは病人が非常にふえたので市内に移送し日陰で休養させた。おおくのローマの兵が疫病にたおれた。数ヶ月がたっても戦況に変化がみられない。カルタゴがアクロディーナを支援するため救援の艦船をおくった。これでローマに不意打ちをかけようとしたのだろう。百三十をバモカーが指揮する。これはローマがシラキュースにおいてた艦船よりおおかった。さらにわるいことにシシリーの軍がシラキュースに進軍してきた。

マサラスはシラキュースの内部に閉じこめられる危険を覚悟した。もしカルタゴの艦船から兵が上陸しシシリーの軍がシラキュースにやってきたらである。しかし幸運がおとずれた。バモカーの艦船が風の影響で上陸をはばまれた。艦船はイタリアのトレンタムにむかわざるをえなかった。供給のための船はカルタゴにもどった。カルタゴが到着できなかったことをしってシラキュースの市民は孤立化をしった。この後に市民はアプシティの役人を処刑した。彼らはローマとの戦いはアプシティとヒロノマスがわるかったといった。だからシラキュースの市民がローマとまたあたらしい関係をつくる。それができない理由はないといった。食糧事情もわるくなってた。マサラスと妥協をはかる必要がうまれた。

* マサラス、内通者との密約によりふるい地域を占領
アプシティがいない時をねらって彼らは代表団をおくった。代表団はマサラスにすべての責任はアプシティとヒポクラティーズにあるとのべた。彼らがアクロディーナにもどるとただちにのこってた役人により処刑された。彼らは反逆者だといった。降服の可能性がなくなった。まだ悲惨な城攻めがつづく。

三人の指揮官がいた。彼らはアクロディーナを出発した。一人はスペイン人でモラカスという。彼は海陸から遮断されたこの状況をつづけても成果がないとかんがえた。彼は秘密にマサラスと交渉をはじめた。彼は自分が指揮する門をあけると約束した。そのかわり命の保証をもとめた。彼はメデューサの泉をふくむ地域を指揮する。ここはグレートハーバーに連絡する門をもつ。ローマ軍にここの門をあける。この泉は島の東沿岸にある。これは自然の泉が水を供給してる。この泉は伝説によれば超自然の力があるといわれる。ここはアルカディアからメデューサがにげてきた時に避難したところという。

さてマサラスは艦隊にグレートハーバーをよこぎり島の東から上陸、泉に集結するようめいじた。モラカスは当初の計画どおり門をあけた。最初は守備隊はローマにむかってきた。しかし状勢は不利、島とアクロディーナがローマにうばわれるとわかった時に逃走した。シラキュースの市民が慈悲をマサラスにねがった。彼はここ数年、ローマにたいしておこなった犯罪ははなはだしい。それは五十年間にわたるハイローの忠誠ではおぎなえないといった。こうしてアクロディーナは略奪された。

* マサラス、シラキュースを完全に占領、アルキメデスの死
ローマはながい城攻めでいかりが爆発した。おおくのシラキュース人をその場でころした。生きのこった者は奴隷にうられた。この時にアルキメデスもころされた。彼は砂のうえに図形をかいて数学の問題をかんがえていた。ローマ兵が邪魔をした。そこをどくようにめいじたのでローマ兵は彼をころした。彼の命をすくようにいってたマサラスはこのしらせにおどろいた。彼はこの偉大な数学者の死をいたみ盛大な葬儀をいとなんだ。シラキュースの奪取はローマにおいてマサラスの偉大な勝利とされた。マサラスはシラキュースのおおくの彫像、宝物をうばった。それはローマの寺院におさめられた。彼はシラキュースの勝利の後もとどまりカルタゴの反乱を攻撃しやぶった。アグリゲンタムはまだカルタゴの支配下にあったがシラキュースの降服からローマがシシリー全体の支配権をにぎるとい基調はかわらない。

(おわり)

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