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第二次カルタゴ戦争、ローマの新戦略(簡略ロ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
ローマのハンニバル戦略がすすむ。持久戦に持ちこみ各種対策でハンニバルの消耗をまつ。キュマイの戦い、ノラの戦いをあつかう。
(Second Punic War - A new kind of war - 42、Historyden)

* ローマ、ハンニバル戦略の転換がすすむ
カナイの戦いの後にイタリアにおける第二次カルタゴ戦争はかわったといわれる。それはまずローマはハンニバルと決戦をさける。特にひらかれた地形においての戦いである。そのかわり長期戦に持ちこみハンニバルの消耗をまつ。防衛の面ではおおくの都市を要塞化するというものである。両者は戦略的優位な領域の獲得に専念することとなった。すでにのべたがハンニバルがカサリイナムを奪取したことがその一つである。

* ローマ、長期戦でハンニバルの消耗をまつ
紀元前二一五年、ハンニバルが冬の休戦にはいってキャプアにもどった。ローマの元老院はハンニバルとの対決をさけ、その他の領域への攻撃をきめた。ローマはルーシアス・ポスパイナス・アルバイナスの指揮により二つのレージョンをゴールズにおくった。その進軍の途中、紀元前二一五年に彼は執政官となった。ところが悲報がとどいた。ローマ軍がシスアルパインのゴールズの森を進軍してた。ゴールズが待ちうけてた。彼らは道の両側の百以上の木をきってた。それは一見すれば通常どおりたってる。ところがローマ軍がとおりかかるやいなや木がたおれてきた。彼らがちょっとおせばたおれるように細工してあった。

ローマにとってはまったくの不意打ちだった。ほとんど全員が倒木の犠牲になったりゴールズにころされた。アルバイナスとわずかに生きのこった兵は近くの村にむかった。だが彼らもゴールズによりころされた。アルバイナスは首をきられその頭蓋骨が黄金にぬられて犠牲の儀式の器となった。初期のローマ軍は不注意なところがあった。事前に充分な偵察をおこなっておけばさけられたかもしれない。これをからまなんでこれ以降、ローマは偵察活動を重視するようになった。
この情報はローマにとどいた時、ローマ市民の悲しみはおおきく店がしめられた。ローマの当局はすぐ乗りだして店をひらかせた。またタイベリアス・シンプロニアス・グロカスはすぐ元老院を招集し演説した。

* ゴールズへの敗北にかかわらずハンニバルに集中
カナイの大敗北を経験した我々は、このささやかな不幸に意気消沈すべきでない。もし我々がハンニバルとその軍との戦いを成功裏にすすめられるならゴールズとの戦いは当面は放置しておくことができる。神とローマの人々はゴールズのこの裏切りに罰をくだす力をけっしてうしなわないだろう。ここでもっともかんがえるべきは今まさにおきているカルタゴとの戦いにおいてどのようにたたかうかを議論し何をすべきかをきめることである。

* ローマ、三人の有能な指揮官を選出
ローマ人らしさにあふれた立派な演説である。まずあたらし
い執政官をえらんだ。アルバイナスの後任としてマサラスをえらんだ。ところがこの不吉な出来事から彼はこれをことわった。マサラスもアルバイナスもプレビアンズ階級だった。そのうえの階級であるパトリシアンズたちは神がプレビアンズをえらんだことを不快におもったとかんがえた。この結果、慎重策でハンニバルに対抗したファビウスがその後任となった。だがマサラスは副執政官として指揮することとなった。これで三人の有能な指揮官がローマ軍を引きいることとなった。ゴールズへの敗北があって後に元老院はシシリーにいた軍を本国にもどし、そのかわりにカナイからきた軍をこれにかえた。これはその敗戦の責任をとらせたことである。彼らの給料は減額された。

* ローマ、慎重で丁寧なハンニバル対策
さらにきびしい対策がでる。農民にすみやかに収穫し要塞化された都市にはこぶよう命令した。これはハンニバルによる食糧調達を困難にしローマ軍の食糧調達をたすけるものである。これに違反するとその土地を没収し、さらに逮捕、奴隷におとすものだった。各指揮官とその軍である。

ファビウスが二つのレージョン、
グロカスが二万五千の同盟軍と奴隷の志願兵、
マサラスがスイサラの軍を指揮する、

というものだった。

マサラスは昨年にスイサラに拠点ををつくってた。全体としての戦略は十万のローマの兵士によりハンニバルをかこみ監視するというものである。また両方の沿岸をまもるために海軍を派遣する。さらにローマ海軍がシシリー沖を監視する。この努力が効果をあらわした。海軍は不審船を追跡しとらえ船からギリシャの代表を発見し、さらにカルタゴの代表も発見した。捜索により両国間がむすぼうとしてる協定案を発見した。

* まもりにはいったハンニバルに執拗な対抗策
紀元前二一五年、夏の作戦行動にむけハンニバルは ティファダ山に防衛拠点をつくった。ここはハンニバルと同盟してるキャプアを支配する高地である。ここでは食糧調達に問題がなくローマの行動を監視できる。また彼はローマを決戦に追いこもうと希望してた。ローマもまたつよい防衛の拠点をつくり戦いにそなえた。ローマはハンニバルと決戦をさける。ハンニバルの食糧調達を邪魔しその動きを監視する。この戦略である。執政官、ブロカスの軍はついにボルタナス川をわたり沿岸のリアリタナに塹壕をほった。そこで志願兵の訓練を継続しておこなった。その究極の目的はローマの強固な軍に仕たてることだった。ちかくのキュマイからブロカスに伝令がおくられた。

* ローマ、キャプアの野望をくじく
それによるとキャプアがキュマイにローマへの反乱をうながしてるという。キャプアは近くで祭をおこなった。この時、キュマイの市民を招待した。これでキュマイの防御が手薄になる。そこを攻撃するという。キュマイとブロカスは祭りへの招待に警戒をとかなかった。ブロカスは資材、武器を積みあげ壁の後に待機するようめいじた。彼はまた野営地をキュマイの近くに移動した。そこでキュマイの野営地が近くにあることを発見した。

ブロカスは真夜中にそこに先制攻撃をかける。祭に人をとられてたようで野営地の警備は手薄だった。ブロカスはただちに総攻撃をめいじた。二千のキャプアがころされた。そこには指揮官の将軍もふくまれてた。ハンニバルも近くにいた。ブロカスはただちにキュマイの城内で臨戦体制をととのえた。ハンニバルはブロカスを外に誘いだすべくキュマイに近づいた。するとまずキャプアの野営地でおおくの死体を発見した。すぐにキュマイにやってきた。そこで決戦に持ちこみ沿岸都市を確保する。この思惑があったのだろう。だがブロカスは外にでなかった。

ファビウスもボルタナス川をわたり塹壕のあたりにいた。彼もやってこなかった。ハンニバルはキュマイで木造の塔をつくった。ブロカスもこれに対抗してさらにたかい木造の塔をつくった。両者は火の玉と投石の交換をおこなった。カルタゴは千三百の犠牲者をだしたがハンニバルはこの勝利がブロカスを外に誘いだすとかんがえた。だがでてこなかった。ハンニバルはティファダ山の野営地にもどった。

* ローマ、ノラの反乱をおさえハンニバルを阻止
ファビウスは野営地をでてスイサラのマサラスの野営地に合流した。このように三つのローマ軍はハンニバルに対抗できる体制をつくった。ハンニバルはもっとも重要な同盟のキャプアをたすけるために攻勢にでるのがむずかしい。困難な立場に追いこまれた。この頃である。

ノラの市民がまたハンニバルに味方すると動きだした。ファビウスはマサラスをノラに派遣し騒乱が全市にひろがるのをふせがせた。ハンニバルは最終的にノラをうばうことを念頭にやってきた。すべての方向から攻撃を仕かけた。それは前回の攻撃とにてた。マサラスは門をあけハンニバルの部隊とたたかいにはいった。はげしい戦いが繰りひろげられたがどちらが優勢かわからなかった。

はげしい雨がふってきた。ローマはノラの城内にもどりハンニバルも野営地にもどった。その数日後である。マサラスが突然に城外にでて戦いをいどんできた。ハンニバルもこれをうけた。はげしい戦いがはじまった。数時間つづいた。最終的にローマの規律がハンニバルの兵を消耗させた。カルタゴは五千をうしない。ローマは千をうしなった。ハンニバルは編隊をみだすことなく退却し野営地にもどった。マサラスもノラにもどった。再度マサラスはハンニバルからノラをまもった。翌日、両者は非公式の停戦をみとめ死体をそれぞれ回収した。

* ローマ、ハンニバルの包囲網をつくる
ハンニバルは冬の拠点をアプリアにつくることとした。彼らは移動していった。ファビウスはコンパニアにおける彼らの防衛をかためることとした。彼はスイサラに冬の拠点をつくることにし食糧をノラとニアポリスからえた。またキャプア周辺から略奪をおこなった。それにたいしキャプアの軍は常に妨害行動にでた。ファビウスはスイサラにのこることとした。またノラの守備隊を強化した。残りの軍はローマに送りかえした。冬には首都のほうが食糧調達が容易である。他方、ブロカスであるが、彼はアプリアにむかったハンニバルをおう任務があたえられた。攻撃はゆるされず安全な距離をたもって追尾した。

* ローマ、ハンニバルのいない領域で優勢
第二次カルタゴ戦争におけるハンニバルのアキレスの弱点は何かというと他の将軍の活動である。彼のいない場所はすべてカルタゴにとっては問題だったようだ。スペインであるがそこに六万の兵力、ローマが一万六千の兵をもつ。ローマのシピオにたいして数のうえでも供給の面でも数段まさってた。だがハズドアラブルはまけつづけた。その一つである。ローマは三千のカルタゴを捕虜にし千の馬、七の戦闘用象をうばい、さらにハズドアラブルの主力の野営地をうばった。サルディニアであるがローマをきらってカルタゴの元老院に助けをもとめた。彼らは数千人のカルタゴ軍をおくった。ローマは二度の戦いで五千のカルタゴをころし、あるいは捕虜にした。ローマはサルディニアの支配をたしかなものにした。

これはカルタゴ元老院がやった無意味な兵力の消耗、ハンニバルのイタリアにおける努力をそこなうものであった。ハンニバルの熱意、目標をささえる援軍をおくらず放置した。さらにわるいことにマセドニアの上陸をローマ海軍が阻止してた。シラキュースにおいてローマ軍は反乱への動きを抑止することに成功した。このような状勢がハンニバルをして守備に力点をおいた方向にむかわせた。

* 二一五年、ローマの優勢のうちにおわる
こうして紀元前二一五年の軍事行動はローマの勝利でおわった。ローマはハンニバルとの戦いかたに習熟してきた。他方ハンニバルがいない所での戦いはローマが勝利してる。ローマはおおくのすぐれた将軍がいる。カルタゴはただ一人の偉大な将軍がいた。

(おわり)

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