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第二次カルタゴ戦争、カナイの戦い以降(簡略ロ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
カナイの敗北にかかわらずローマの姿勢はかわらない。内部分裂もない。ハンニバルは南部での勢力拡大をねらう。ノラの攻略、ローマ将軍マサラスの奇襲、カサリイナムの兵糧攻めをあつかう。
(Second Punic War - Events after the Battle of Cannae - 41、Historyden)

* ローマ進軍をえらばなかったハンニバル
カルタゴの将軍、マハーブルがハンニバルにローマの城攻めをすすめた。カナイの大勝利によりローマへの道がひらかれてたからありえる。ところがハンニバルは拒否した。それは自軍増援の心配からだった。彼はそれをスペインにたよろうとしたが、そこには問題があった。ライベリア(リベリア)だがローマのシピオが勝利をおさめてた。その影響を無視できなかった。ライベリアにいるカルタゴはハンニバルが何度も勝利をおさめてる事実をしりながらも充分な支援ができなかった。もしカルタゴからの支援がもっとあったなら事態はもっとちがった方向に進展してたろう。

* 同盟都市獲得の努力
このためハンニバルは現在いるその周辺に同盟都市をもとめた。したがって彼らをローマからカルタゴの味方にかえることに専念した。いくつか成果があった。ローマの南、コンパニア地方の沿岸の強大都市、キャプアである。非常に重要な成果だった。マセドニアの王、フィリップと協定をむすんだ。

彼はその軍をイタリアに上陸させローマと戦争はじめるといった。シラキュースのあたらしい王がカルタゴに味方するといった。このようにギリシャとシシリーの強力な都市と同盟をむすんだが、おおくのイタリアの都市はなおもローマに親近感をしめしてた。ローマ人やラティアンズからカルタゴに味方する者はでなかった。このことがローマの崩壊がおきるのをふせいでいた。

* 強固なローマの姿勢、新レージョンの創設
ローマの戦いへの姿勢に変化はない。あたらしい専政官がえらばれた。非常事態に対応し四つのあたらしいレージョンがつくられた。そのうち二つはローマの守備の任務にあたる。カナイから逃げかえったローマの兵たちもカヌージアムにおけるレージョンに再編成された。

ローマを城攻めしないというハンニバルの判断はローマの元老院をすこし安心させローマの軍の士気を回復させた。ローマはハンニバルが壊滅させた軍をまたあたらしくつくった。ローマの驚異的な復元力はハンニバルにとり圧力である。ローマの元老院がもっとも心配したのはシラキュースの離反であった。シシリーをうしなうことにつながれば最悪である。そこでその沿岸をカルタゴからまもるため海軍をおくった。カルタゴでやぶれたバレルが帰国した。彼は敗戦の責任をみとめた。彼は寛容にあつかわれた。またローマの軍に復帰した。

* ハンニバルの足を引っはる本国の政治対立
ハンニバルであるが、南イタリアのサムニアム、ブルティアム、ルカニアにある都市。これらに攻撃をして補給を確保した。ハンニバルはカンパニアをもっとも重視した。キャプアは供給支援を約束してたがその他の地域も確保した。ニアポリスは有力な都市である。もしこれをうばえたらおおきな港を確保できる。だがその防衛は厳重である。さらにそこにはローマの守備隊がいた。このような主要都市の城攻めは危険がある。城攻めのようなながい時間をかける戦いは単純にできなかった。彼の戦いは平原における戦いである。

* 新将軍のマサラス、有能、沈着
ローマであるがあたらしい将軍が登場した。マサラスである。彼はゴールズとの戦いで勝利をおさめてる。有能な将軍であり前任の執政官の幾人かのような無謀さはなかった。むしろ慎重なファビウスににてた。彼は軍を再編した。それはハンニバルの軍よりおおきかった。ハンニバルは副官のマゴをカルタゴ本土におくり援軍を要請した。ところがカルタゴの元老院はこれを拒否し援軍をスペインにおくった。元老院のこの決定には政治の対立がある。政敵であるハノがうごいた。国内政治の対立がローマとの戦いの足を引っぱった。他方、ローマにはこのような不毛な対立はなかった。

* ハンニバル、南部のノラの攻略へ
キャプアはカナイ後にカルタゴの味方となったがその東にあるノラはそうでない。その政府はローマに忠誠をしめしてるが市民のおおくはちがう。ハンニバルに都市の支配をまかそうとしてる。ハンニバルがその周囲の田園をあらすのにたえられない。ハンニバルはこれを利用しようとしてその近くに野営地をつくった。カサリイナムの近くに野営してたマサラスに救援をもとめた。彼は軍とともにノラにやってきてその防衛にはいった。ハンニバルはこの到着をしりニアポリスに移動した。しかしここもおおくのローマ軍がやってきた。彼はこの周辺を略奪しノラにもどった。戦利品をえたのだがマサラスはこのあいだにノラ周辺の防衛体制をととのえた。ところが都市内には市民の不穏な動きという問題があった。

マサラスは都市住民の指導者にはたらきかけ反乱への動きをとめようとしたが状況は流動的であった。ハンニバルはノラの門の外に野営地をさだめた。都市内にいるローマ軍にとり脅威である。マサラスは軍を三つにわけ軍に外にでることをきんじた。それを三つの門に配備した。都市の主門には最強の部隊と騎馬隊をおいた。彼は市民に門に近づくことを禁止し特別部隊をつくった。それが市民の妨害を監視した。そのうえで彼らは沈黙したまま待機した。ハンニバルもまたきたるべき戦いを予測して近づいた。だがローマは外にでてこなかった。ハンニバルは一日編隊をととのえてまった。そしてついに主門を攻撃した。それは都市内部の市民の蜂起を期待してのことだった。

* マサラスの奇襲、ノラ攻略の挫折
ハンニバルと軽装騎馬隊は主門にむかった。その他の門には小規模な部隊がむかった。マサラスは突然主門を開門した。不意打ちである。可能な兵をすべて動員し攻撃した。カルタゴはこれにより犠牲をだした。すぐハンニバルは隊を立てなおし退却していった。ハンニバルはローマの通常の将軍とちがう姿をマサラスにみた。マサラスは詐術にたけたハンニバルに策略を仕かけた。これでマサラスはノラをまもった。さらに都市内の反乱の芽をつんだ。取り調べをおこない七十の市民を反逆罪でばっした。ハンニバルはノラの攻撃をあきらめ別の都市や町を攻撃することとなる。マサラスはこの後もハンニバルに警戒をおこたらなかった。いくつかの都市が攻撃されることは放置するが、それようりも規模のおおきなニアポリスやノラのような都市への攻撃はゆるさないとの姿勢だった。彼はソイサラの近くの丘に司令部をおいた。ここでハンニバルのコンパニアでの動きを監視した。

* カサリイナムにローマ軍の増援の動き
ハンニバルはローマからもう一つの軍がはけんされ、カサリイナムにむかってることをしった。これはキャプアにちかく、それとローマをつなぐ道路を支配する重要地点である。場合によれば友好的あるいは力によりカサリイナムを支配下におく必要がある。だがここにはすでにローマの守備隊がいる。ハンニバルには抵抗するようだ。ここはボルタナス川の北岸にある。これが自然の防御線をつくってた。ハンニバルの攻撃は壁の一カ所にかぎられる。防御がそこに集中できるという地形だった。彼はその南岸に軍をうつし兵糧攻めにすることにした。

* カサリイナムの兵糧攻め、ローマ守備隊の退去
そ紀元前二一五年の一月、余剰の軍とともにキャプアにもどった。カナイの戦いの五ヶ月後のことである。その頃カサリイナムは飢えにくるしみはじめた。ローマは都市の供給に最大の努力をしカルタゴはこの阻止に最大の努力をした。守備隊はついに抵抗をやめた。ハンニバルはおおくの補償金と交換に守備隊の都市からの退去をみとめた。この都市をキャプアに引きついだ。またそこに守備隊をおいた。

(おわり)

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