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第二次カルタゴ戦争、ボルタナス川の南(簡略ロ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
二十万の兵力でハンニバル包囲網をつくったローマは直接対決をさけながら着実に勢力を回復してゆく。カサリイナムとノラの勝利、トレンタム入城の阻止、マセドニア、フィリップのイタリア上陸阻止をあつかう。
(Second Punic War - South of the Volturnus River - 43、Historyden)

* 二十万の兵力によるハンニバル包囲網の構築
奇妙な出来事が各地からローマにもたらされた。ヤシの木が突然にもえだした。シシリーで牡牛がしゃべった。軍神、マルスの槍がうごいた。これは神がかたりかけたもの。元老院で議論し神の言葉があらわれる。占い師によりその意味がとかれる。神が元老院の議論をよろこび、あたらしい年の将軍が指名される。

ファビウスが執政官。マサラスが執政官。今回は前回のような政治的軋轢がなく指名された。執政官と元老院はグロカスの任期を延長して指揮官に再任した。彼は実績のある将軍であり現在、アプリアでハンニバルを監視してる。バレリアスの任期も延長した。彼は南部イタリアのブルンドゥデアムに駐屯してる。任務はエイドリア(アドリア)海の沿岸の防衛と調整である。またマセドニアのフィリップがイタリアに上陸するのを阻止する。クィンタス・ファビウス・マクシマスはプライアタ。ファビアスの息子。アプリアのレージョンに参加。プライアタの称号はかって執政官にのみにあたえらた。ラテンの意味は有力な指揮官というもの。その職務はカルタゴ戦争の前は法律、市民生活の分野だったが戦争以降、おおくの将軍を必要とする。そこで軍事の分野にもつかわれることとなった。

二つのレージョンが、それぞれゴールズ、シシリー、サルディニアにおかれた。さらに一つのレージョンがパイシーナに。二つのレージョンがローマの防衛におかれた。シピオ兄弟がスペインにいてハズドアラブルの軍に対抗してる。海軍の船は百五十まで強化された。紀元前二一四年、ローマはあたらしい六つのレージョンをふくむ十八のレージョンをもった。その兵力は二十万にたっする。この巨大な軍がハンニバルにむけられたことはおどろくべきことである。

他方、ハンニバルである。彼は冬の拠点としてローマの南東、東の沿岸にあるアプリアにいる。彼の副官、ハノが長靴の爪先のあたりブルティアムにいる。あたらしくあつめられた二万の兵をもつ。

* ハンニバル、キャプアのためティファダ山にはいる
ローマがどんどんと兵力をましてゆく。それをみたキャプアに不安がたかまった。この夏の作戦においてここに攻勢をかけると確信した。ただちにハンニバルの軍をコンパニアにもどすようもとめた。すかさずハンニバルは野営地をでた。そして彼を監視してたグロカスの野営地のそばをとおった。しかしグロカスはうごかなかった。攻撃をひかえる指令がゆきとどいていた。つづいてサムニアムのベネヴェンタムをとおった。さらにコンパニアにはいりティファダ山に野営地を再度つくった。このことはローマには衝撃とみえるがローマの将軍たちがハンニバルをそれだけ警戒してたということである。ハンニバルはそこで状勢をうかがったがキャプアがいうほど状況がわるくないとみた。あまりながく無為にすごせないと彼はライベリアンズをのこしまた出発した。彼らにはティファダ山のまもりをめいじた。さらにもしキャプアに問題がおきた時のまもりもめいじた。

* プトリにむかうハンニバルにファビウスが対抗
コンパニアの平原におりて沿岸を目ざす。都市、プトリをうばうつもりだった。ここはニアポリスの西にあった。この情報にせっしてファビウスはただちにローマをでた。軍の連携をはかろうとした。グロカスはベネヴェンタムの近くにやってきた。若いファビウスはグロカスがいたアプリアにはいった。

この頃ハンニバルはトレンタムの貴族の接触があった。もし彼らの都市にハンニバルがやってくるならば味方すると約束した。ハンニバルもこれに関心をしめし、ゆくと約束した。さらに海軍の兵力が提供されることを確認した。ハンニバルがマセドニアやカルタゴ本土と連携することをねらってたのだろう。そしてプトリにやってきた。そこを不意打ちでうばおうとした。ところがそこにはすでにローマが要塞化してた。ながい城攻めはむずかしい。彼はニアポリスの周辺を略奪してまわった。そしてノラのちかくまでやってきた。

* ハンニバル、またノラへ、マサラスが対抗
これに市民が動揺した。その代表団がやってきた。彼らはハンニバルを都市にむかえると約束した。このことをしったマサラスはすぐノラにむかった。ノラをうばうとのハンニバルの決意はかたかった。彼はハノに連携をめいじてノラによんだ。グロカスと長老のファビウスはベネヴェンタムのちかくにいた。そこにハノがノラにむかうべくやってきた。彼は三マイルはなれたところに野営地をさだめた。彼らはハンニバルの副官たちとたたかうのはいつでも希望してた。それでグロカスはそこから一マイルはなれたところに野営地をさだめた。

* グロカス、ノラにむかうハノを撃破
彼の軍のほとんどが奴隷の志願兵である。彼は奴隷たちが勇敢にたたかうなら奴隷から解放する。このことを元老院から承認されてた。さらに敵の首をもってきた者には即座の解放を約束した。また編隊をやぶった者は死刑と警告してた。このグロカスの演説は歓呼をもってむかえられレージョンの抗戦気分がおおいにたかまった。その効果は翌朝にでた。戦いは激烈で数時間つづいた。彼らは戦いを継続することより首あつめに専念した。剣を右手にもつより首をもった。編隊にみだれがでた。この状況をみたグロカスは首を下においてたたかうことをめじた。

グロカスは勇敢な戦闘だけで解放があたえられる。首は必要ないといった。これでまた戦いが再開した。ローマの騎馬隊が投入された。さらに激烈な戦いが数時間つづいた。ハノも騎馬隊を投入した。ヌメディアンズも得意の方法で反撃にでた。両者の騎馬隊のあいだにもはげしい戦いがつづいた。勝利の帰趨はあきらかでなかった。グロカスがまたいった。戦いがあきらかに勝利におわらなければ解放はないといった。これで奴隷兵の攻撃はまたはげしくなった。軍旗をもってる部隊の編隊がみだれた。混乱状態となった。おされて戦闘がカルタゴの野営地にきた。そこでまたはげしい戦闘がおきた。奴隷兵たちが突入し最後の打撃をあたえた。そして彼らはついに解放を勝ちとった。だが四千の奴隷兵たちはこの攻撃に参加しなかった。彼らは戦利品の獲得にさまたげられたのだ。

グロカスは彼らにも解放をみとめたが食事の権利を制限した彼らの名誉をすこし制限した。グロカスはベネヴェンタムにもどった。市民はおおによろこび祭をひらいた。グロカスはこれに感動し後年その喜びを自由寺院に記録した。その寺院は彼の父がたてたものだった。

* ハンニバル、マサラスをさけノラをはなれる
マサラスはハンニバルと三度たたかい、すべてに勝利した将軍となる。実は彼は十年前にゴールズの将軍と開戦前に一対一の戦いで相手をたおした。このことで彼は最高の称号をえた。歴史上三人しかいないなかの一人であった。

この戦いの翌日、彼はハンニバルにたたかいをいどんだ。だがハンニバルはそれを拒否した。ハンニバルがノラの市民たちにいらついてた。当初はローマに反乱をおこすとのことだったが実際には戦いがおきたのに何もしてなかった。ハンニバルはノラをはなれ南にむかった。ファビウスはハンニバルの動きをみてカサリイナムの奪取にうごきだした。これは都市としては小規模で価値がない。だがその地点が戦略的に重要である。そこには二千のキャプアと七百のハンニバルの守備隊がいた。キャプアはファビウスの注意をそらすためその野営地に攻撃を仕かけた。ファビウスはマサラスに援軍をもとめた。彼は二千をハンニバルの再来にそなえてノラにのこしカサリイナムにやってきた。二つのローマの軍がカサリイナムを取りかこんだ。

* ファビウス、カサリイナムの城攻めに成功
マサラスの援軍がありキャプアの攻撃はすぐ撃退した。しかし城攻めは危険である。おおくの兵が傷ついてる。二人は協議した。当面は攻撃を中止するというファビウスにたいしマサラスはもうすこしの忍耐をもとめた。もし攻撃をつづけカサリイナムをうばうならローマ軍の士気はおおいにあがる。最終的にマサラスの意見がとおり城攻めはつづいた。ローマは城攻めの構造物をもってきた。これをみてカサリイナムのなかのキャプアがキャプアにもどるとして退去を申しでた。それは安全な退去の保証が条件だった。ファビウスはこれをみとめたがマサラスは反対だったようだ。

キャプアが都市の主門をでるときに命令にしたがわずマサラスの兵が攻撃しキャプアをころした。ローマの兵はこの機会を利用して都市への攻撃もはじめた。おおくのキャプアがファビウスに助けをもとめた。ファビウスは争いをおさめキャプアの安全な退去をみとめた。捕虜となったカルタゴはローマにおくられた。のこりの市民はローマに忠誠をちかう別の都市におくられそこで勾留された。これはおおきな打撃であった。これでキャプアの攻撃が容易となった。マサラスはこの後にノラにむかい、さらにシシリーにむかうが、そのことは次回にのべる。

* ファビウス、カルタゴに味方したサムニアに懲罰
ファビウスはカルタゴへの攻勢にでた。サムニアにあるカルタゴの権益を攻撃した。略奪をおこない次から次へと町をうばった。これはローマへの反乱がゆるされないことをしめす行動だった。彼は二万五千の捕虜をつかまえた。すべてローマにおくられた。彼らは監獄にはいらなかった。さらに苛酷な条件の場所に抑留された。ハンニバルのことである。

* ハンニバル、ローマの対抗措置でトレンタム入城を断念
彼は五百年前にスパルタがつくったトレンタムにむかってる。彼はここをあたらしい軍事行動の拠点にしようとした。トレンタムの領域にはいった時、彼は通常ならやってた略奪や食糧調達をやめさせた。彼は力でなく市民の信頼をえて都市にはいりたかった。またこの領域には友人もおおかった。トレンタムは彼の軍がくれば歓迎するといっていた。ところがおどろいたことに都市の門がしまってた。ほとんど市民の活動がないことに気づいた。ハンニバルは一マイルはなれたところに野営地をつくった。都市で何がおこったのかみようとした。ローマはすでにハンニバルの動きを察知して彼の阻止にでたようだ。このための門の封鎖のようだ。作戦行動の夏はおわりに近づいてる。ハンニバルは城攻めはないとかんがえた。ブルンドゥデアムのちかくにいたバレリアスが分遣隊をおくって都市を閉鎖したようだ。ハンニバルは城攻めをあきらめ、その近くのサラピアに冬の拠点をつくることにした。そこで物資の供給と兵に休養をあたえることにした。

そこにハノからグロカスをやぶったとの情報がはいった。その前にグロカスがベネヴェンタムでハノにあたえたとおなじ規模の犠牲をあたえたという。マセドニアのことである。

* バレリアス、フィリップのイタリア上陸を阻止
紀元前二一四年、マセドニアのフィリップとの最初の戦いがはじまる。カルタゴとマセドニアは協定をむすんでた。バレリアスはブルンドゥデアムにいてフィリップの動きを監視してた。彼はフィリップが百二十の艦船の艦隊を編成したことをしった。エイドリア海をはさむイタリア半島、対岸の都市、オリコンに陸軍をむかわせたという情報もはいった。オリコンはローマの同盟都市である。彼はただちにできるだけおおくの船をあつめて兵とともにむかった。そのために荷物をはこぶ船まで動員し、二日をかけてオリコンにやってきた。すぐにオリコンをうばいかえした。マセドニアはアパロニア、これもローマの同盟都市だったが、ここをうばった。バレリアスは艦船をのこしアパロリニアに二千の兵をおくった。真夜中、アパロリニアに近づくとマセドニアの警戒が手薄であった。千のローマが野営地に不意打ちを仕かけた。就寝中をおそわれ恐怖にかられ逃走した。ある者はアイオアス川に停泊してた船に逃げこんだ。そうでない者はばらばらに逃走した。千をころしたり捕虜にした。

バレリアスは河口に艦船をおくってエイドリア海に逃げだそうとしたフィリップをとらえようとした。彼はローマが艦船を焼討ちにするのを放置し陸路で退却していった。これでフィリップが船でイタリアに上陸する機会をうしなった。スペインのマゴとハズドアラブルのことである。

* スペインの状勢、一進一退
彼らは兵団をつくってエボラル川のちかくのローマの同盟に攻撃を仕かける。パブリアス・コネリアス・シピオは野営地をでてカルタゴの攻撃に対抗しようとした。これば待ち伏せにあい二千の犠牲がでた。まもなくパブリアスがカルタゴの二つの軍とひらかれた平原で遭遇した。このような場所でカルタゴの騎馬隊をむかえると危険である。兄弟のナイアス・コネリアス・シピオが一日をかけてやってきてパブリアスと連携した。二つのカルタゴの軍はローマの同盟都市、エタージアスを攻撃した。ここはエボラル川の北にある。パブリアスはその攻撃からのがれた。カルタゴはこの戦いで四千をうしなった。次にカルタゴはローマの同盟都市、テムンダにむかった。

シピオ兄弟はカルタゴを追いかけた。また戦いがおき数時間つづいた。パブリアスが槍で足を負傷するなど深刻な被害をこうむった。またもう一つ、カルタゴ本土から軍がやってきた。これで三つの軍とシピオ兄弟の対決となった。これら五つの軍の戦いがつづいた。カルタゴは昨年にローマがうばった領域を回復しようとした。はげしい戦いだったがローマはスペインにおける領域は確保できた。ローマは都市、カスツゥロをカルタゴからうばった。この都市はハンニバルが成長したというふかいい関係のあるところだった。

(おわり)

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