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コリンス戦争のあと(簡略ギ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
スパルタとペルシャが主導した和平がなった。スパルタは中部、北部へと勢力を拡大する。その姿をあつかう。
(Ancient Greek History - Events after the Corinthian War - 40、Historyden)

* 和平なって、また紛争の種
ペルシャとの戦い、ペロポネソス戦争、コリンス戦争、すべての戦いがおわった。それでギリシャに積みあがった怨みは。なくなってない。ギリシャではおおきな紛争が解決したといっても、またあらたな争いがおきる。歴史が繰りかえす。

コリンス戦争がおわり協定が成立した。当面の平和がつづいた。ギリシャの都市すべては平和をちかいスパルタは事実上の指導者として振るまった。スパルタは戦いの当初の目的を達成した。アーゴスとコリンスの同盟破棄。コリンスのペロポネソス同盟復帰。さらにビオーシャ同盟を解体。シーブスにいきどおりをのこたし。しかしシーブスはスパルタとの同盟にもどらざるをえなかった。

* スパルタ、マンテニイを攻撃
スパルタは問題を引きおこした都市をばっすることにした。最初に、過去におおくのスパルタの敵と同盟をむすんだマンテニイである。紀元前三八六年、スパルタはマンテニイに防御施設の破却をめいじた。そこには彼らがいつかスパルタの敵に味方するというおそれがあった。これを無視したマンテニイを攻撃する。

ここの作戦でアジェスレイアスがはずされてる。彼の父がマンテニイと仲がわるかったのが理由らしい。ジュシッポラスが遠征の指揮官となった。紀元前三八五年、スパルタが侵入した。その地域を破壊してまわった。しかし降服しない。スパルタは都市のまわりに城攻めの施設をつくり圧力をくわえた。溝をほり壁をたてた。だが問題があった。マンテニイはそのなかにコリンスからえた巨大な備蓄がある。

* マンテニイを水攻め
スパルタはさらに圧力をくわえる。都市に流れこむ川がある。その下流をせきとめた。すると都市の一部が洪水にひたった。マンテニイはおれて壁を取りはずすという。しかしスペアはみとめない。マンテニイの領域を細分するよう要求した。マンテニイはこれを受けいれざるをえなかった。壁はこわされ四つのちいさな都市となった。ゼネフォンはいう。要塞化してる都市に川を流れこますべきでない。

* 北の事件から突然にシーブスに
もう一つの事件である。紀元前三八三年にスパルタとシーブスが衝突するが、その前に事件がある。北にあるカルセディック半島から使節がやってきていう。最近、力をつけてきたオリンセスがカルセディック同盟にはいれという。はいらないと戦争だとおどす。このためスパルタに助けをもとめた。スパルタは力をつけてきたオリンセスを脅威とみなした。そして軍をおくることにした。またこれはあきらかなコリンス協定違反だとかんがえた。この協定ではギリシャの都市の独立を保証してる。一つの隊がただちに派遣された。もう一つはヒビデスを指揮官とした。

* スパルタ、シーブスの内紛につけこむ
彼はその途中でシーブスのなかに貴族政治と民主政治の対立があることをしった。隊はシーブスの外で野営した。そこに貴族政治の側から人がやってきた。彼らはひそかにヒビデスを砦にまで案内すると約束した。これを受けいれた。シーブスはその頃は祭だった。市民はそれにいそがしかった。通りには誰もいなかった。彼らはヒビデスを案内しアクロポリスにつれていった。ただちにヒビデスは占拠し門をとじた。スパルタがシーブスに守備隊をもったことになった。

* スパルタがシーブスに守備隊をおく
これがスパルタに同調する勢力の力をました。彼らはただちにイスメニアス、民主政治の指導者を逮捕した。彼は熱烈な反スパルタ主義者でもある。ただちに投獄する。これで反対勢力は国外に逃亡した。シーブスは主要な都市である。その主権を無視して占拠した。ギリシャ全土に衝撃がはしった。スパルタも激怒した。ヒビデスにあたえられた命令に違反する。それを無視した反逆罪にあたる。

これについてゼネフォンは無軌道なヒビデスの罪とする。しかしプルタークはアジェスレイアスの罪。ヒビデスに彼が秘密の命令をあたえたという。私はさらにアジェスレイアスがヒビデスを擁護すると約束してたとおもう。プルタークの指摘がより真実にちかい。またゼネフォンはアジェスレイアスの私的に極めてしたしい友人であった。それはともかくアジェスレイアスは彼を擁護した。彼はスパルタのためよいことをした。ヒビデスは無罪放免となった。アジェスレイアスはこの無法な占拠をつづけるようもとめた。それだけでなくイスメニアスを裁判にかけ処刑し た。

* スパルタ、北のオリンセスを攻撃
紀元前三八二年、スパルタはオリンセスを真剣に懸念した。最初の作戦は順調に成功した。そこをおさめる長官を指名するところまでいった。北方支配の強化に成功した。しかしギリシャ全般の評判はわるくなった。専制政治といわれた。この反発がコリンス戦争を引きおこしたものだった。それはともかくオリンセスに進軍した。スパルタが城門の前に駐屯した。そして田園地帯で木をきり収穫を略奪した。これが通常のギリシャでいう攻撃方法である。夏までこれがつづいた。オリンセスは復讐のためスパルタに味方した都市を攻撃し略奪した。巨大な敵スパルタにもなおも抵抗をやめなかった。スパルタはこれをたくみに待ち伏せして攻撃した。オリンセスはほうほうの態で逃げかえった。そこで裏切りがあったと不信感をもった。せっかくの同盟関係が弱体化した。スパルタの城攻めはなおもつづいた。

スパルタはまた田園地帯を略奪してオリンセスを城外にさそった。このねらいは成功したが指揮官、テロティアスがころさた。衝撃だった。生きのびた者がスパルタに忠誠をちかってた都市に逃げこんだ。このしらせをきいたスパルタはまた隊をおくった。ジュシッポラスが指揮するものだった。つくとただちに田園地帯の略奪をはじめた。収穫は破壊され木々が切りたおされた。また悲劇がおきた。ジュシッポラスが病気をえて死亡した。これをしったアジェスレイアスは公衆の前でないた。彼にとっては常に競争相手だった。戦いはつづく。スパルタはまた指揮官をおくった。紀元前三七九年になると城攻めの効果により住民から税をとるようになった。和平交渉がはじまりスパルタの同盟にはいった。これはスパルタのもとめにおうじて兵をおくることである。

* みえてきたスパルタ帝国の姿
ゼネフォンによればこれらによりスパルタはいっそう強力となりアテネは孤立をふかめた。スパルタの帝国が実現しそうになった。

(おわり)

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StevBike

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