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コリンス戦争、その四(簡略ギ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
コリンス戦争は終期にはいった。陸ではスパルタが周辺の安定化をすすめ海ではスパルタとアテネがたがいに覇をきそった。ペルシャの州長官、ティラベイシスの登場、スパルタとの急接近によりついに和平が成立する。このようなコリンス戦争のおわりをあつかう。
(Ancient Greek History - Part 4 Corinthian War - 39、Historyden)

* 戦いの焦点が陸から海へ、コリンスとアーゴスの合併
コリンス戦争の五年目と六年目、紀元前三九〇年と三八九年のあいだでフィクラテスがコリンのちかくで勝利をおさめた。その以降は陸上でおおきな軍事作戦はない。さてまたアーゴスがコリンスにはいりアクロポリスを占拠した。このことがコリンスとアーゴスの合併をもたらした。国境をしめす石碑がたおされ都市が合体した。これは古代ギリシャの歴史で先例のないことでない。フィクラテスはこの合併のあとに傭兵隊とともにコリンスをさりアテネにもどった。

* アテネ、ビオーシャの圧力、スパルタにたよるアキーアのカリドン
コリンスには停滞状況がうまれ、戦いは北方のイトリアにうつった。そこにカリドンという都市がある。そこはアキーア人が支配してた。隣接地域のアーカディア人はアテネとビオーシャの助けをえてカリドンをおびやかした。カリドンがうばわれるとおそれスパルタに助けをもとめた。そのさい彼らはペロポネソス同盟を離脱するかもしれないとスパルタに圧力をかけ、さらにアテネと和平協定をむすぶかもしれないといった。

スパルタは小規模な戦いを覚悟してた。もしアキーアの願いを拒否し問題がおきる。すでにコリンス北方の支配をうしなってる現状にくわえアキーアの支持をうしなうなら、この海上覇権はますます危機にひんする。この覇権は最近回復したばかりでもある。他方、スパルタはもうこれ以上の戦いはのぞまない。とるべき方針はアーカディアにギリシャ同盟と同盟を破棄させることである。アジェスレイアスはアーカディアに最後通牒をだした。

* スパルタがアーカディアに最後通牒
同盟を破棄しなければスパルタが侵攻する。彼はアーカディアにはいり樹木を切りたおし家畜をころした。しかし満足のゆく回答がなかった。さらに大量の家畜をころし市民も奴隷にした。その翌日、山のちかくで戦利品を売りだした。アーカディアの軽装兵士が押しかけけ山陰から投石などの攻撃をした。だが夜になると退却した。翌日また攻撃をはじめた。スパルタは山側を自分の右に足元から谷を左にみて前進したが常に上からの攻撃になやまされた。スパルタが攻撃するとアーカディアは山に逃げこんだ。彼らは山を利用しスパルタとの正面衝突をさけた。重装兵士が山道をのぼるのは困難である。結局、追跡はその道の最高点までつづきそこでアーカディアを追いつめ。両者は対決することとなった。軽装兵士はそれでもなお抵抗したがスパルタが距離をつめ攻撃にうつった。三百のアーカディアをたおした。のこりは逃亡した。これが最後の抵抗だった。

* スパルタがアーカディアを圧迫
アジェスレイアスは勝利のトロフィーをおいて田園地帯の攻撃をつづけた。彼は都市を攻撃しなかった。その理由である。まず城攻めは人、金がかかる。またアーカディアを同盟にとどめたい。その都市をすべて破壊したら弱体化した同盟国しかのこらない。スパルタはすこしでもおおくの同盟国を必要としてた。

アジェスレイアスはアーカディアをでようとした時、アキーアがアーカディアの来年の収穫を破壊するようもとめた。彼はこれに反対し敵の収穫をゆるす。そしてその稔りを来年にうばいにゆくといった。このことはこれ以上の破壊をのぞまない。スパルタは平和をのぞんでる。この意志をしめしたことである。彼はスパルタにもどった。冬がすぎて翌年の紀元前三九〇年となった。

* スパルタとアーカディアの同盟の成立
その春のはじめアジェスレイアスはまたアーカディアに侵攻した。アーカディアはただちに使節をスパルタにおくった。アジェスレイアスが予測したように和平をもとめた。スパルタとの同盟が成立した。スパルタの次の手である。ビオーシャやアテネを追いつめる。しかしこれはアーゴスというスパルタに敵対する勢力が国境をはさみちかくにいる。まずアーゴスを目標とした。

* スパルタ、ジュシッポラスがアーゴスを席巻
スパルタの軍をジュシッポラスが引きいることとなった。彼はその年に成年となった。最初にデルファイをおとづれ神託をうかがった。ゆるしをえた彼と軍はアーゴスにすすんだ。アーゴスはすぐに宗教的休戦をもとめた。神の意志にそうといって進軍した。すると地震がおきた。副官がここは退却すべきといったがジュシッポラスはこれは神のゆるしの印とまた進軍した。そしてそれをたしかなものにするといって翌日に犠牲の儀式をおこなった。そしてさらに進軍した。しかしアーゴスの軍は対決を拒否した。やむえず田園地帯を略奪してスパルタにもどった。コリンス戦争が終結にむかってるが、これが最後の陸での戦いであった。

* 海の戦いへ 、スパルタがペルシャを圧迫
紀元前三九〇年と三八七年、これが最後の期間である。戦いは海でおきた。小アジアに話しがうつる。ティラベイシスにかわったストルーサスが反スパルタだった。これにシブロンをおくり対抗したがほどなく戦死した。スパルタのあたらしい指揮官、デッフラデスは艦船とシブロンの軍を引きついだ。さらにスパルタに忠誠をちかう都市から兵をつのった。こうしてストルーサスに戦いをいどんだ。戦果があがった。なかでもめざましいのはストルーサスの義理の息子の娘を捕虜にした。彼は多額の身代金をえて大量の傭兵をやとうことができた。その頃、ロウズから貴族政治の勢力がやってきた。彼はアテネがロウズにやってくる。海軍による大国の再興をねらってると警告した。

* ロウズ島、スパルタがアテネを牽制
スパルタはイーチカスをおくりロウズの状況をよくしようとした。そこでイーチカスは状況が極めて不利である。そこの民主政治の勢力が数で二倍の艦船をもってるのを発見した。彼は何もしないことにした。スパルタは彼にかえてテロティアスをおくった。増強した艦船でロウズにむかった。その途中でであったアテネの一隊をやぶった。その一隊はペルシャに反乱をおこしてる都市をたすけるものだった。不可解なことである。スパルタもアテネもペルシャとたたかってる。なのにここではぶつかってたたかう。ともかくテロティアスはロウズにいってそこの貴族勢力をたすけた。アテネがやっと海軍を再建しようとしてる。なのにスパルタがまたエーゲ海で海軍力をきづこうとしてるとおそれた。

* ロウズにスラシビュウラスの登場
アテネは有名なスラシビュウラスを四十の艦船とともにおくった。彼はロウズはすでにスパルタと貴族勢力が優勢。この地域におけるアテネの優位は維持できてる。ロウズは当面はあわてずそのままにしておく。そうかんがえた。そこで彼はヘルスポントにむかった。そこでアテネと同盟してくれるあたらしい都市をつのった。これは成功した。ビザンチウムは民主政治になった。おおくの都市もおなじようになった。これらが第二帝国の時代をきづく基盤となるだろう。これで収入や税収の増加となった。

* ヘルスポントからロウズに、スラシビュウラスの死
次にレスボスにむかった。そこでスパルタがきづいた権益を攻撃した。スパルタとたたかいその将軍が戦死した。スラシビュウラスはやっとロウズに焦点をさだめた。その途中でとまって貢納金をあつめようとした。アテネの兵がそれでは充分でないとちかくの村をおそった。地域の住民が反乱をおこしスラシビュウラスのテントをおそい彼をころした。英雄のあっけない死だった。しかし彼の行動はアテネのエーゲ海制覇の期待をたかめた。アテネは後任の指揮官をおくった。

* ヘルスポント、スパルタに対抗してフィクラテスの登場
他方、スパルタである。彼らはスラシビュウラスがヘルスポントにきづいた権益を取りもどそうとした。紀元前三八九年、あたらしい指揮官をおくった。彼はアテネがヘルスポントにもっていたものをいくつかうばいかえした。またアテネの艦船の航海の邪魔をした。権益がうばわれることをおそれアテネはフィクラテスと八の艦船、千二百の傭兵隊をおくった。彼とスパルタはおたがいにゲリラ戦をたがいに仕かけた。フィクラテスはスパルタが小アジアを南下してるとの情報をえた。待ち伏せすることにした。スパルタは情報をえてたがしんじなかった。フィクラテスはスパルタの兵をころした。おおくが逃走した。それを追撃しさらにころした。これで当面はヘルスポントにおけるスパルタの攻勢はやんだ。フィクラテスはヘルスポントの基地にもどった。そこでアテネの権益の確保につとめた。

* ペルシャ、ティラベイシスの復権、スパルタに急接近
紀元前三八七年、ペルシャの州長官にティラベイシスが復権した。歴史の分岐点となった。あいまいな状況ですすんでるこの戦いにけりをつけることとなった。ティラベイシスはスパルタに協調的である。スパルタからあらたにやってきた将軍、アントロシーダスとともに和平を押しすすめた。彼はペルシャの資金提供がやむことによりギリシャ内部での反スパルタの動きがおさまることも見とおしてた。彼はティラベイシスの協力をえてアーティゼクシから協定の認可をうけることに成功した。ペルシャがアテネの復活に危機感をつよくだくようになった。このことは疑いがない。

* 追いこまれるアテネと同盟側、包括的和平協定の成立
アテネとそれまでのギリシャ都市との関係がかわり、従来の資金の流れがかわった。スパルタにあらたに資金が流れこんだ。ヘルスポントにおいてあたらしい艦船を建造した。この地域の脅威となった。さらにアティカのいくつかの地域においても脅威となった。これによりアテネとギリシャ同盟を交渉のテーブルにつかせることに成功した。紀元前三八七年に包括的な和平協定がついに締結された。

アテネは三つをのぞいてそれまでに奪いとった都市を放棄せざるをえなかった。そのためアテネはエーゲ海の島々と防衛協定を締結し問題にそなえた。協定には独立条項、ギリシャの都市を自治をし独立するという条項があった。独立である。理想の実現を目ざすのか。実際の姿である。シーブスが支配するビオーシャ同盟、これは対象でない。この脅威がなくなったのでスパルタはおおきな利益をえた。

シーブスは従来の支配者の地位をうしなった。コリンスとアーゴスの統合は破棄されもとの二国となった。スパルタはこの平和協定の守護者とみなされるようになった。他のギリシャの都市に問題がおきると、それに関与できる。シーブス、アーゴス、コリンスには同盟がなくなり、今や孤立してしまった。スパルタはこの独立条項によりおおくの目的をたっした。

* 勝利者のスパルタ
ペロポネソス同盟はこの独立条項により影響をうけなかった。
スパルタは従来どおりペロポネソス同盟を支配した。これによりスパルタは事実上のギリシャの指導者にかわりなかった。

* 最大の利益をえたペルシャ
この協定によりもっとも利益をえたのはペルシャであった。ペルシャはシーブスや他の都市に資金を提供して戦いをはじめさせた。その目的はスパルタとアテネを小アジアから切りはなすことである。この協定の条項によればすべての小アジアの都市はペルシャのものである。その後五十年間にわたり両者は小アジアから排除された。これはアレクサンダー大王の有名な遠征の時期までかわらない。次回にはこのコリンス戦争の後のことをのべる。

(おわり)

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