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コリンス戦争、その一(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
スパルタへの反感を背景にペルシャの金銭工作が成功。スパルタの苦境、反スパルタ同盟、コリンス戦争のはじまり。かくして戦いが小アジアからギリシャ本土にうつる。その状況をあつかう。
(Ancient Greek History - Part 1 Corinthian War - 36、Historyden)

* 小アジアからギリシャ本土に、コリンス戦争へ
前回は小アジアにおける事件をのべた。これらの動きが最後にコリンス戦争につながった。この戦いがコリンスでおきたからこうよぶ。しかしシーブスが主導した。その意味ではシーブス戦争ともいえる。あたらしくつくられたギリシャ同盟、反スパルタ同盟において主要な役割をになった。アーゴス、コリンス、アテネ、シーブスが同盟国である。既存のペロポネソス同盟はそれからコリンスがぬけたものとなった。コリンスはながく緊密な関係をスパルタとむすんでた。おどろくべきはやさで関係が悪化し今やもっとも敵対意識がつよい国となった。

* 金銭によるペルシャの離間工作
さて前回にアジェスレイアスについてのべた。彼はペルシャにたいし一定の成果をあげた。スパルタはペルシャから小アジアを取りもどそうと決心してた。ペルシャはアジェスレイアスにおさだまりの賄賂をもちかけたが、うまくゆかなかった。ギリシャのいくつかの都市にお金や贈り物をくばり反乱を引きおこすようしむけた。できるだけおおくの騒動をおこしスパルタの関心を小アジアでなくギリシャ本土にむけさせる。そのため五十タレントをくばった。おおきな効果をあげた。シーブス、コリンスのような主要な都市がスパルタと戦争にはいることを約束した。

* 反スパルタ同盟へ
この二つの都市がお金を受けとったことはスパルタに重大な影響をあたえる。従来ながく同盟関係を維持してたものだった。さらに今やおおくの都市がスパルタと名がつくとすべてきらいだした。アテネはペルシャのお金に関心をしめさなかったが、この反スパルタ同盟に理解をしめすようになった。

* シーブスの不安定工作、戦争への流れ
事態をさらにすすめる。シーブスは問題をかんじた。どのようにして戦争に誘いこむか。彼らは現行のスパルタとの合意をやぶる当事者に成りたくない。ゼネフォンがいう。シーブスがスパルタに働きかけても合意はやぶらない。でも方法があった。シーブスは弱小都市に騒動をおこすことにした。それによりギリシャ本土の主要国を巻きこむ戦争への流れをつくる。成功例はすでにのべた。僻地のエピデムニスの騒動が主要国を巻きこみペロポネソス戦争を引きおこした。

シーブスはロウクリエンズに税をとれと圧力をかけた。その地域はフォウシアンズと争いがある地域である。シーブスはフォウシアンズがロウクリエンズを攻撃することを確信してた。するとフォウシアンズは攻撃するばかりでなく自分でも税を取りはじめた。そしてシーブスがロウクリエンズをたすけたと非難した。シーブスはフォウシアンズがこの土地から税とる権利がないと主張した。ゼネフォンがこういってる。ただちにシーブスは略奪としてフォウシアンズを攻撃した。そして次におきること。それがフォウシアンズが使節をおくりスパルタに無法なシーブスをうったえ助けをもとめることだった。これでコリンス戦争がおきるが。さらに背景がある。スパルタの王、アジェスレイアスの激怒事件がシーブスであった。さらにコリンスが小アジアの作戦に参加しなかったのもシーブスの仕業としんじてた。たいしてシーブスのスパルタ打倒の意識は明確だった。

* コリンス戦争のはじまり、アテネ議会に呼びかけ
アジェスレイアスはまだ小アジアにいた。すぐライセンダをフォウシアンズにおくった。彼は防禦基地をつくり軍をそこにあつめた。それと同時にもう一人の王、ポセニアスが全体の指揮官としておくることとした。彼はスパルタとペロポネソスの軍をあつめはじめた。この状勢にシーブスがあたらしく同盟都市、アテネに使節をおくった。ゼネフォンはその使節が議会でおこなった演説の一部を 紹介してる。アテネの人々、帝国の人々、それはかってあなたがたがもってたものとよびかけ、スパルタの不法をなじり大国の横暴を看過すべきでないとスパルタとの戦いに賛同するようもとめた。そのさいギリシャ人がけっしてゆるさない言葉、臆病をたくみにふくめていた。アテネ議会は全員一致で賛成した。両者はさらにアテネ、ビオーシャが恒久的同盟関係にはいることも合意した。おどろくべき事態の展開である。ペロポネソス戦争の時ははげしく敵対してた。ここでスパルタはペロポネソス戦争の終結にさいして何故アテネを完全に崩壊させなかったのか後悔してるだろう。そうかんがえてもおかしくない。

* スパルタ、あせるライセンダの戦死
この頃、ポセニアスはおおくのペロポネソスの兵をあつめることができた。これらを引きいてビオーシャにはいった。コリンスはこれにくわわることを拒否した。これはコリンスが舞台裏で反スパルタの行動をとっていたから当然の動きである。ライセンダもまた兵を引きいてフェソスにいた。計画ではこの二つの軍が協調して攻撃するものだった。しかしライセンダはさきに攻撃することにした。野営地をでて進軍をめいじる。オーコミナスがギリシャ同盟に反抗することを約束した。次にビオーシャの都市、ヘリオタスの城壁のすぐちかくに進軍した。シーブスはただちに救援軍をおくりライセンダを攻撃した。この戦いは城壁のすぐちかくでおきた。ここでライセンダは戦死した。スパルタは指揮官の死により山に逃走した。これをはげしく追撃したシーブスにたいし高地についたスパルタが反撃した。軍を反転させ向かえうった。シーブスにおおくの犠牲者がでた。ここで賢明にも当面のあいだ攻撃を中止した。

何故ライセンダがこのような性急な行動をとったのか。かんがえてみる。防衛についてスパルタにはふるい考えとあたらしい考えあるが両者ははげしく対立してる。ライセンダはあたらしいものポセニアスはふるいもの。もしポセニアスがやってきたライセンダとともにビオーシャをたおす。するとその勝利の栄光は二人で分けあう。それに満足できなかったライセンダはその栄光を独占しようとした。この失敗はスパルタにとって戦いのはじまる前に勝利を決定的にする絶好の機会だった。あとからポセニアスがおおくのペロポネソス軍とともにやってきた。すると数日後にシーブスのところには強力なアテネの援軍がやってきた。戦いがはじまろうとしてる。

* スパルタ、ポセニアスの撤退
シーブスとアテネは準備にはいった。しかしポセニアスは停戦の提案をした。それはライセンダの死体を収容するためである。ポセニアスは戦闘状態で城壁ちかくの死体を収容する。その作業は多数の死者をだす困難なものと確信した。シーブスは条件をだした。それはスパルタが死体を収容したらただちにペロポネソス軍とポセニアスがビオーシャをはなることである。これを受けいれるほかなかった。これが最初のスパルタとシーブスとアテネの衝突であった。

* 小アジア、アジェスレイアスが軍を増強
小アジアのアジェスレイアスのことである。その作戦は成果をあげその西部の支配をつづけてた。さらにいくつかのペルシャの都市を嵐によりうばった。さらにほかのペルシャの都市と協定をむすび騎兵隊の増強をはかった。非常に重要な出来事だった。これはハンニバルがイタリーでとった作戦、できるだけおおくイタリーの都市と同盟をむすぶ。おおくの兵をあつめる。こうして増強された軍で攻勢をかける。これとおなじ方策である。ペルシャはアジェスレイアスがペルシャ全土の支配をねらってると確信してた。しかしそのアジェスレイアスがここをはなれるような状況はおとづれそうもなかった。

現在、ギリシャ本土でスパルタは苦境にある。だがアジェスレイアスは増大してゆく軍とともに進軍しダスリオンのちかくにいた。ところがファイナベイシスの軍がちかくにいた。アジェスレイアスはここに冬の駐屯地をつくった。軍は周囲の森林地帯から騎馬のよい飼料がえられた。ところで軍は飼料やりの時が一番攻撃によわくなる。ローマはカルタゴがこの状況になる時をねらった。ペロポネソス軍がこのため散開してた時、ファイナベイシスが四百の騎馬兵とともに不意打ちをかけた。ペロポネソス軍は一方的にやぶれた。しかし間一髪の瞬間にアジェスレイアスがかけつけその危機をすくった。これで隊列をととのえて退却できた。アジェスレイアスはファイナベイシスがどこにいるのかさがした。偵察をつうじて、十八マイルはなれたところにいた。ペロポネソス軍は攻撃をかけ、おおくの戦利品をえた。いくつかのペロポネソス軍はその戦利品を自分たちのものにした。これで小アジアのペルシャの有力都市の協力をうしなう理由となった。ゼネフォンによればアジェスレイアスはここの作戦でおおきな敗北をきっしたことがない。しかし戦利品の分配では常に悶着がおきたという。古代で、またすくなくとも同盟国のあいだのことである。

* アジェスレイアスがペルシャ、ファイナベイシス支配地から撤退
ファイナベイシスとアジェスレイアスとの会合が設定された。そこでアジェスレイアスが彼となんらかの合意にたっしようとした。ファイナベイシスが最初すぐペロポネソス戦争でスパルタをたすけたこと、またアテネに対抗してたたかうスパルタをたすけたことを指摘した。たしかに彼はヘルスポントの戦いにおいて積極的に協力した。これがアジェスレイアスに効果があったとおもう。アジェスレイアスはファイナベイシスの州において攻撃することは考えなおすこととした。そこでこの土地からはなれる決心をした。しかしそうすする前にファイナベイシスの州長官としての忠誠心をかえようとした。

* ペルシャ本土へのアジェスレイアスの野望
アジェスレイアスはスパルタ人としてギリシャ人はどのような人でも主人とよばないといった。この主人はペルシャの大王のことである。ファイナベイシスがこたえる。もしほかの州長官が自分をかえるなら、よろこんで誰に味方するかをかえる。しかし大王が自分を惟一の指揮官としたならスパルタとたたかう以外にない。アジェスレイアスはここで彼と友人になろうと希望したのだろう。アジェスレイアスはファイナベイシスに彼の州をはなれると約束し、たたちにでていった。しかしこれは彼のファイナベイシスにたいする好意であった。彼は今や軍の増強をはたし、あたらしい計画をすすめた。彼はペルシャ帝国の中心ふかくに進出しようとするものであった。

* 苦境のスパルタがアジェスレイアスを召喚
話しをスパルタにもどす。スパルタは今やペルシャのお金がギリシャのいろんな都市にばらまかれてることを承知してた。スパルタの存在が危機にひんしてることをさとった。スパルタはアジェスレイアスを呼びもどすことにした。小アジアにいるアジェスレイアスにとっては予想外の指令であったろう。彼はペルシャ全土を征服しようと夢みてたのではなはだしい衝撃となった。

* コリンス、スパルタ直接攻撃の計画、ヌメアの戦い
コリンスにおいて今やあたらしい計画がねられてた。最善の戦略は直接にスパルタに戦いをいどむことである。コリンスはスパルタを蜂の巣の攻撃にたとえてこ ういった。同盟軍は同意してスパルタにむかうこととした。まだコリンスの領内にあるヌメアについた。その頃スパルタからも軍が派遣されそこに到着してた。両方はそこからすすめなくなった。スパルタの陸軍は一万八千の重装歩兵。ギリシャ同盟軍は二万四千の重装歩兵。これで伝統的な密集隊の戦闘がおきることとなる。

* スパルタの勝利
スパルタは伝統のとおり右翼、同盟軍が左翼。これは通常の編隊である。これにたいして相手は意見がわかれた。アテネは右翼をもとめたがビオーシャがもとめるので左翼となった。これでスパルタに直面することとなる。ビオーシャの左翼はスパルタの同盟国と対面する有利な位置である。たがいに近より戦闘にはいった。両方の右翼が優勢で両方の左翼は劣勢となった。アテネを敗退させてスパルタは相手の右翼にむかった。彼らはスパルタの同盟軍を追いちらしもどってきたところだった。スパルタは最初にアーゴス、次にコリンスをたおしビオーシャまでも敗退させた。彼らは不利な状況におとされた。横から攻撃された。これは密集隊のよわぃ部分である。さらに精強なスパルタの攻撃だった。彼ら三者は甚大な被害をだした。彼らはコリンスにむかって逃走した。コリンス人は門をひらかないことをきめとじたままにした。やむえずもとあった野営地にもどった。スパルタはここで戦いをやめ戦場に勝利の印のトロフィーをおいた。二千八百の犠牲者にたいしスパルタ側は千百。そのうちスパルタは八だった。スパルタは戦場を占拠したがコリンスを通りすぎ中部地域にぬけることができなかった。これが恒常的にスパルタをくるしめた問題であった。

* 海上の対決、クナイデスの戦い
次の戦いは海上においてである。スパルタの海軍はパイセンダの指揮のもとクナイデスの港からでた。秘密裏につくられてたアテネの艦船はコナンが指揮した。もう一つはファイナベイシスだった。スパルタと対決することとした。その戦いの詳細はわかってない。最初スパルタはたくみにコナンの編隊に攻勢をかけた。しかしある時点にファイナベイシスがやってきてスパルタを追いおとした。おおくの艦船が海岸に追いやられた。スパルタはすべての艦船をうしなった。ほかにも五十の艦船がペルシャにうばわれた。これはスパルタにとり壊滅的な敗北だった。これでスパルタが海の帝国をつくろうという野望は完全になくなった。これ以降スパルタは海軍を編成しようとしなかった。

* スパルタ海軍の消滅、アテネの復権
他方、コナンは艦船を引きいてアテネにもどった。数年後にアテネは復活し巨大な海軍力を誇示するようになった。これは皮肉にもペルシャの資金提供によるものである。コナンはさらにアテネをまもるながい壁をまた建設しはじめた。さらにかってもってた海外拠点のいくつかを取りもどした。この期間をアテネの第二帝国の時代という。スパルタにとりもっとわるいことがおきた。ペルシャはイオニアとエーゲ海の領域の支配を取りもどした。アテネとペルシャの二者がコリンス戦争で利益をえた。

(おわり)


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