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小アジアにおける事件(簡略ギ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
一万人の行進によりサイラスが戦死、イオニアのギリシャ都市が反乱、彼との友好関係の消滅によりスパルタが攻勢をつよめる。ついに自治獲得にいたる経過をあつかう。
(Ancient Greek History - Events in Asia Minor - 35、Historyden)

* はじめに、サイラスの死後、イオニアに反乱
前回は一万人の行進を説明した。ペルシャがこの騒動の処理に時間をとられてる時にイオニアのギリシャの都市に反乱の動きがでた。ペロポネソス戦争のあいだはこれらの都市はペルシャの州長官、サイラスの支配のもとにあった。彼はスパルタのよき理解者であった。スパルタは彼のやることに問題をかんじなかった。またゆるやかに支持してた。

* ペルシャ排除にむかうスパルタの姿勢
そのサイラスはしんだ。ペロポネソス戦争に勝利したスパルタはペルシャが支配する状況を黙認する理由がなくなった。しかしペルシャはイオニアのギリシャ都市を取りもどしたいとねがってる。スパルタがこのような都市にどうすべきか、もし都市に反乱。ペルシャがそれを取りもどそうとする。これを容認するか、あるいは乗りだして支援するか。これは多方面に影響がおよびむすかしい問題でありスパルタの将来にもおおきくかかわるものである。

* これまでの両者の関係、スパルタの立場
スパルタとペルシャとのあいだには、これまでのいきさつからおおくの合意がある。もしこれらの都市から援助をもとめられたら、この合意を持ちだし可否を判断する。このやりかたもある。しかしそれでよいのか。状況がおおきく変化してる時にそうなのか。その変化であるが、サイラスが死亡した。そしてスパルタは今や押しも押されもしない強国である。ペルシャの動きを容認したら臆病とおもわれる。さらにギリシャの都市はおおいにペルシャをきらってる。宥和的態度には非難の声も。するとスパルタの威信は地におちる。スパルタは惟一の強国である。臆病という言葉は受けいれがたい。

* ペルシャ無敵神話をこわした一万人の行進
さらにもう一つ付けくわえる。一万人の行進によりギリシャ世界でペルシャ無敵神話はこわれ、むしろよわいとおもわれだした。これはスパルタが再度ペルシャに侵入しようとする誘因となった。これはペルシャとの数々の合意を無視してこれらの都市を防衛する理由となった。これらがすべて紀元前四〇〇年におきた。

* スパルタの攻勢、防禦にまわるペルシャ
大王はティシファンズをおくりサイラスがかって支配してたイオニアの都市を再度征服することをめいじた。サイラスはすべての都市に大王に臣従するようめいじた。彼はあらたな権限をえた。それで複数の州長官を配下にもつ。イオニアにより強力な力をふるえる。ところがこれらの都市はこの命令を拒否し直接にスパルタに保護をもとめた。スパルタはこれを支持した。

* スパルタの最初の派遣、将軍、シブロン
そしてシブロンという人物を将軍とし四千人のペロポネソスの兵士とともにおくった。ここでスパルタでなくペロポネソスであることを注記する。スパルタ人の数は減少しており、このようになった。シブロンはアテネにゆき騎馬兵を募集した。このアテネも説明がいる。シブロンにスパルタがすきでないアテネ人をつけた。アテネ人が小アジアで戦死するかもしれない。それはスパルタは気にしない。これらの兵はかって悪名たかい 貴族政治の政府につかえてた。この政府はすぐ転覆された。アテネ人が非常にきらったものだった。シブロンは小アジアの沖についた。しかしすぐ攻撃にうつらなかった。あきらかにギリシャの都市の攻撃に時間をかけペルシャ側の都市にはそうでなかった。こんなことはあきらかに当初の計画になかった。同盟の都市を攻撃したシブロンの人気はわるくなった。特に進軍に抵抗をしめす弱小の都市の攻撃に集中してるようだった。

* 評価をさげたシブロン
最初の主要目標はマリサだった。生活に必要な水の供給を遮断するという戦略であった。本にかいてあるようなあらゆる手段をつかった。ゼネフォンによれば木製の亀をつくったという。この作戦は失敗におわった。スパルタは結果がでないことにいらつきはじめた。ティシファンズにたいして明白な勝利をおさめることをのぞんでた。彼らはシブロンにマリサへの攻撃の中止をめいじカリアにむかわせた。そちらがより重要とかんがえた。シブロンがまさに進軍しようとした時、彼は更迭されダシリダスがあたらしい指揮官となった。

* 次の派遣、ダシリダス
シブロンは評判をおとしてスパルタにもどった。彼はしかるべき処罰をうけ追放された。方針の転換がはかられた。昔からの分割し支配するという方針である。彼はティシファンズとファイナベイシスとの意見のちがいをしってた。二人のあいだにあるつよい対抗意識はすでにのべてる。これを利用することをかんがえた。ティシファンズとは和平をむすぶ。そしてファイナベイシスに集中した。ここにおもしろい逸話がある。ファイナベイシスのしたにジーナスという州長官がいた。彼はイオリアという地域を管轄した。彼はある時、病死した。

* イオリアでの逸話、病死の夫をついだ妻の活躍
ここでファイナベイシスはその妻、マニアを次の長官に任命した。その前にマニアのほうから彼に働きかけがあり任命にいたった。しかし彼女は実際に有能な行政官だった。なすべき貢納金をおさめ、おおくの贈り物もした。彼女の働きはみとめられファイナベイシスの補佐官として登用されることとなった。彼は軍事作戦にも彼女をつれていき恒常的に彼女の助言をもとめた。この逸話の最後は悲劇でおわる。ジーナスにはマイディアスという邪悪な兄弟がいた。彼は彼女が州長官となったことにいかり彼女を締めころし、またその息子もころした。ファイナベイシスが激怒しこれに復讐することをちかった。

* イオリアを攻略するダシリダス
ダシリダスはこのような事件による混乱がある時にイオリアにやってきた。すぐマリサとコロナイを説得して協力をさせることに成功した。さらにこれをふまえイオリアの周辺の都市にメッセージをおくった。ゼネフォンによれば彼は八日のあいだに九の都市を協力させることに成功したという。戦いはまったくなかった。ここまでのところペルシャとおおきな抗争をおこさずにすんだ。ファイナベイシスはイオリアへの支配喪失に衝撃をうけた。そこでダシリダスは平和か戦争かときいてきた。ファイナベイシスは和平を受けいれるほかなかった。これは紀元前三九九年のこと。

* 和平協定をむすび北進
だがスパルタはこれまでのところペルシャから勝利をえてない。ティシファンズもファイナベイシスも陸軍を維持してる。ダシリダスがシブロンより成果をあげたのはたしかだが、まだ未勝利である。彼は和平協定をむすびイオリアの都市に守備隊をおいた。そして北上しスレイスにむかった。彼はこの時に二年間任期の指揮官に任命された。紀元前三九八と三九七年のことである。ティシファンズとファイナベイシスはこの時点で数で優位にあるにもかかわらずペロポネソス軍と戦争にはいることをさけてた。ちいさな紛争があったが和平は維持された。

* ペルシャが艦船建造、元アテネ、コナンを指揮官に
紀元前三九七年、ファイナベイシスはスパルタの脅威は海軍によってのみ除去できると方針をかえた。これが彼の考えかか大王かわからないが、すすめることなった。しかしペルシャには海軍を指揮できる人物がいない。そこに幸運がおとづれた。彼らはコナンがサイプラスにいることをしった。彼はヘルスポントの戦いのいくつかでアテネの海軍を指揮した。彼はここにペロポネソス戦争の後に追放されていた。ちなみにサイプラスは五世紀のあいだペルシャが支配した。地中海地域でめずらしい例である。ペルシャはコナンに指揮官の職を提示し三百以上の艦船を約束した。それを彼が指揮する。これをよろこんで引きうけた。というのは、にくむべきペロポネソス同盟に復讐できるからである。コナンはもしスパルタを打ちまかすと最後にはこれらの艦船をアテネの艦隊にするという究極の目標をもってた。これは後にのべる。

* 対抗するスパルタ、積極派の台頭
この計画は秘密裏にすすめられたがスパルタにもペルシャが海において何かおおきな計画、ペルシャが艦船をつくり彼らの支配下の港に配備するという噂がながれた。戦争の作戦会議を招集した。和平はいつこわれるかわからない状況にある。この会議でライセンダはスパルタの王、アジェスレイアスにあたらしい作戦をはじめるよう説得した。

王が派遣される。その他の将軍はその配下にはいる。統一した作戦行動ができるようになった。なお彼は最近に王となった。スパルタには二つの勢力があることをのべた。それはペロポネソスにとどまるという保守的なもの、もう一つはスパルタ帝国を目ざすものである。アジェスレイアスは保守にぞくしてない。ライセンダとともに帝国を目ざす勢力にぞくしてた。それはもう一人の王、ポセニアスと非常にことなってた。彼は極めて保守的だった。この時からアジェスレイアスはスパルタにおける中心人物となる。これからの二十年間は非常に重要な人物となる。ルートラにおけるスパルタの敗北にいたるまでの期間である。

* 王、アジェスレイアスの派遣
この考えでスパルタの議会にのぞみ彼は三十人のスパルタの将校と二千のヘロットを要求した。なおこのヘロットは自由人である。議会がこれをみとめた。スパルタにとってはボーナスのような恩恵だった。スパルタは何をおいても軍の増強が必要だった。さらに四千の同盟国からの参加をもとめ、あわせて六千となった。議会はこれらすべてみとめ、さらに六ヶ月の期間をあたえた。これはアジェスレイアスが小アジアに作戦の基地をきづく充分な期間だった。ここで指摘するが彼はペルシャを攻撃するだけでなく征服するというつもりだった。

* ビオーシャでの珍事、王が激怒
彼は出発しビオーシャをすぎようとした。その時とんでもないことがおきた。両国の関係に重大な影響をあたえるものである。神に犠牲をささげる儀式をおこなった。自分たちの霊能者をつかおうとした。ところがそれがビオーシャのしきたりや法への侮辱とみなされた。場所はビオーシャであり彼らの霊能者をつかうことをもとめた。アジェスレイアスはこれを拒否した。ビオーシャはこの儀式を中止させることにした。これにわかいアジェスレイアスは激怒し儀式を中止させたばかりか犠牲を祭壇からほうりだし完全に台無しにした。この時から彼はビオーシャにふかい怨みをいだいた。それ以降、ビオーシャに好戦的となった。ところで古代において犠牲の儀式を中断させるのはもっともやってはならないことである。ギリシャ人一般にいえるが特にスパルタ人にはそうである。

* アジェスレイアスがエフェソスに到着、束の間の平和
とにかくアジェスレイアスはエフェソスに船でむかった。ティシファンズがアジェスレイアスにどのような理由でやってきたかをきいた。彼は小アジアにおけるギリシャの都市の独立をまもるためとこたえた。ともかく両方はいまの和平を維持することに同意した。これはまったくあやふい和平であった。

ここでライセンダとアジェスレイアスの関係についてのべる。ライセンダはアジェスレイアスに随行してた。ゼネフォンによればペルシャの招宴に出席したライセンダは注目の的となり、まるで王のようだったという。しかし彼は王でない。アジェスレイアスはこれを無視してた。ライセンダは王の怒りをさける賢明な行動をとった。彼はファイナベイシスを過度に賞賛するのをやめた。さらに自分に仕事をあたえるよう願いでてヘルスポントに旅だった。結局、王と彼は生涯の友となった。

* アジェスレイアスがティシファンズ、ファイナベイシスをゆさぶる
ところでその頃、ティシファンズはスパルタとの戦いにそなえ軍を訓練してた。アジェスレイアスはペルシャに先をこされるのをまつつもりはなかった。彼は船にのってイェップにむかった。そこはシブロンがとっくにおとしておくべき都市だった。ティシファンズはできるだけおおくの兵をおくって彼をおいつめようとした。するとアジェスレイアは方向をかえパジイアにむかった。そこはファイナベイシスが支配する地域である。彼はファイナベイシスと仲がわるいティシファンズをさわがせたくなかったのだろう。さらにファイナベイシスとの戦いにそなえて地形をさぐってたのだろう。小規模の戦いがあったが数で優位にあるペルシャをやぶった。アジェスレイアスはペルシャに決定的に勝利するにはそれにてきした騎馬隊が必要とさとった。スパルタが支配する周辺の都市にめいじておおくの馬と武器を拠出するようめいじた。かくして冬となったのでエフェソスにひいた。

* 強化した軍を引きいてティシファンズを撃破
アジェスレイアスはエフェソスで軍を増大させ装備をととのえ、さらに訓練につとめた。きたるべき戦いにそなえた。今回の目標はサルディスである。ここはペルシャの軍事力の中核であった。かくして増強された軍を引きいてエフェソスからサルディスにむかった。ティシファンズは軍をおくり両軍はパクトレス川で遭遇した。ペロポネソス軍が勝利したがゼネフォンによれば七十タレント以上の賠償金と莫大な戦利品を獲得した。ここにはラクダがふくまれてた。大王はティシファンズの敗北をせめ首をはねた。ペルシャはアジェスレイアスに和平をもとめた。これはあたらしく任命された州長官、ティスラウテスによりなされた。彼はティシファンズの後任である。彼はイオニアのギリシャの都市の自治をみとめた。これでスパルタは目的をたっした。

* 自治をみとめさせたスパルタの究極の目標は
しかしスパルタの真の目的はどこにあったのか。アジェスレイアスはペルシャ全土の征服をねらってたことはあきらかである。しかしゼネフォンの記述からはスパルタの真の目的はあきらかでない。ティスラウテスはペロポネソス軍がでてゆくようもとめ、それにたいする対策をしめした。これはアジェスレイアスにより拒否された。そしてファイナベイシスの支配地に移動した。これはよい考えである。ティスラウテスをすこし安心させファイナベイシスをこまらせる。ティスラウテスはティシファンズの例から自分の命があぶないことをかんじてただろう。彼はさらにアジェスレイアスに三十タレントをおくって地域をはなれるようもとめた。これは贈賄である。相手にかてないなら金をはらえということである。スパルタのいやがらせはつづいた。

* ペルシャの賄賂攻勢、スパルタへの反撃
これがペルシャにあたらしい考えを生みださせた。ペロポネソス軍がでてゆかない。ならギリシャ本土にゆく。そこで内紛をさそう。ペルシャはいくつかのギリシャの都市にお金をおくった。そこにはビオーシャもはいってた。これで都市に反乱を呼びおこそうというものである。こうしてペルシャには二つの対策がうまれた。一つは海でスパルタをまかせるだが、もう一つはギリシャ本土で内紛を誘導するである。 これはスパルタを本土に釘づけにする。そこでとにかくスパルタへの怒りを増大させ、それが爆発するよう誘導する。これがコリンス戦争への動きを醸成した。これを次回にのべる。

(おわり)

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