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ペロポネソス戦争、その十一(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
シシリーの大敗からアテネ帝国の崩壊がみえてくる。キオスの反乱、スパルタの北エーゲ海への進出、ペルシャの関与。その背後にアルソバイアデスの暗躍がある。これらがもたらす戦況の変化をあつかう。
(Ancient Greek History - Part 11 of the Peloponnesian War - 27、Historyden)

* はじめに、シシリーでの大敗、帝国内の反乱へ
前回はシシリーにおけるアテネ軍の大敗をのべた。なお前回にかんし質問があったのでこたえる。スパルタが小規模の船隊をシシリーにおくった。アテネほこれを事前に把握してた。ニキアスも間違いなくしってた。したがって容易にこれを阻止できた。なのに放置した。スパルタのグリッパスが乗りこんで戦況を激変させた。これはアテネがシシリーでおかした大失敗である。さて本題にもどる。

* アテネ帝国へのつよい反感
シシリーの遠征は完全な失敗だった。ニキアスとデモスタニイが処刑された。この情報はアテネにはすぐとどかなかった。紀元前四一三年秋、はじめしんじられなかったが真実とわかってアテネ中が騒然となった。ペロポネソスの人々が船でパイリアスとアテネを襲撃、征服するとおもった。これで戦争がすぐ終結する。その可能性があった。ツキジデスがいう。ほとんどのギリシャ人はアテネがシシリーで大敗したことをよろこんだ。彼らはスパルタを応援してた。というのはアテネがペルシャのように帝国をつくろうとしてる。だからスパルタを応援する。シシリーでの大敗にすぐアテネを攻撃する。すると戦争がすぐおわるとかんがえた。しかしそうはならなかった。その事情である。

* 戦争継続の事情
アテネは百の三段櫂船と千タレントを万一にそなえ備蓄してた。この艦船を実戦に配備し千タレントも投入し艦船の建造にかかった。またシシリーの勝利によりスパルタは戦争の拡大をのぞんだ。これはニキアスが以前に指摘してた。シシリーでの失敗。それはスパルタの好機、戦争を拡大すると指摘した。またおおくの都市が、シシリーを征服、次は自分たちの順番とおそれてたからアテネを攻撃しようとした。さらにアテネがもっとも警戒したのが内部の反乱である。いくつかの都市にその動きがある。こうして戦争はまだつづく。反乱である。

* 反乱と帝国崩壊
アテネ帝国の主要都市にキオスがある。レスボスとセイモスのあいだ にある島である。小アジアの沿岸沖にある。常に莫大な富をアテネにもたらす。したがってそこでの反乱は鎮圧しなければならない。

* キオス反乱を支持するスパルタ
キオスが秘密のうちにスパルタに使節をおくった。反乱をおこした時の救援をもとめた。ここでの反乱は隣接するイオニアの反乱、その拡大を引きおこす。繰りかえすがこれは秘密のやりとりだった。さらに彼らは艦船をペロポネソス同盟に提供するという。アテネとの戦いに決着をつけたいスパルタには魅力的な提案である。キオスはアテネ帝国のなかで戦艦を保持できた数すくない都市だった。さらに状況をかえること、ペルシャがスパルタに接触してきた。アテネがひそかにおそれてたこと。なんらかの合意ができるとアテネをなやますことになる。

* アテネの抑圧策による不発
とうとうスパルタがキオスの提案を受けいれた。やはり船の提供がおおきった。彼らの反乱がイオニアに波及する。弱体化したアテネの時に戦争が終結する。これがスパルタの予想だろう。しかしアテネはすぐこの策謀に気づいた。その動きのうしろにいる貴族主義者たちをおさえる。そのためアテネはキオスに十の船を忠誠のあかしとして差しだすよう要求した。ペロポネソス同盟の艦船はまだコリンスのイスミスに、あるいはシシリーにとどまってる。キオスはこの要求にしたがった。反乱はまだはじまらなかった。こうしてアテネはペロポネソス同盟とキオスの連携をふせぎ反乱をおさえた。

* アテネ海軍がスパルタ側に反撃
とうとうペロポネソス同盟の艦船が出発した。しかし二十一のアテネの艦船が湾外にでるのを阻止した。さらに湾内にはいりアテネが攻撃、いくつかの艦船に損害をあたえた。このようにおとろえたとはいえ海でのアテネはつよかった。スパルタはなおもアテネ海軍をおそれた。ひらかれた海上でアテネにいどむことはさけた。キオスの反乱の気運がすこしおとろえた。スパルタはまだこない。当面は反乱はおきない状況となった。

* アルソバイアデスの活躍、反感、キオスへ入国
スパルタでの話し。そこでアルソバイアデスはアテネ人でなくスパルタ人として振るまった。生活、食事もスパルタという。でも彼は問題をおこした。彼の熱情のすべてを自制することはむずかしかった。王の妻と問題をおこした。スパルタ人がこれをきいていい気分のはずがない。彼に敵意をもった人々がどんどんふえてゆく。その前に国外にでることが必要となった。彼はスパルタで彼に同情をよせる人物のところにゆきキオスにゆく許可がおりるよう相談した。そこでキオスの人々にスパルタの艦船がやってくると説得するといった。おどろくべきことだが、彼はスパルタを説得し、さらにキオスも説得。反乱がおきた。それだけでない。アテネがおそれてた他の都市での反乱にも成功した。

* アテネ海軍の反撃、スパルタとペルシャの提携
海におけるアテネの優位はかわらなかった。アテネはペロポネソス同盟の十六の艦船がシシリーからもどるところを阻止しコリンスの湾外に排除した。だがアテネ帝国の反乱は大問題となってきた。四一二年、ペルシャは十年以上、ギリシャにかかわらなかったのに、とうとうスパルタとアテネがおそれてた協定をむすんだ。でもこの協定は当初から問題がおおかった。ペロポネソス同盟に救援の軍、資金を約束したがまもらなかった。

* ひろがる反乱の動き、マイリーダスとスパルタの提携
アテネは反乱がひろがるのを放置しなかった。彼らはのこってる海軍を再編成しキオスを封鎖した。キオスはアテネ帝国における有力都市であったから放置できなかった。アテネはおおくの船をあつめ、さらにキオスから没収したのもふくめ投入した。小規模の艦船がキオスに派遣された。当面二週間の封鎖をはじめた。この頃、アルソバイアデスがマイリーダスに反乱をおこさせた。彼は追放されてもアテネの災難の種である。マイリーダスはスパルタと協定をむすんだ。これによりマイリーダスはペルシャ帝国の後ろ盾をえた。

* アテネ、セイモスへ軍事拠点、スパルタがキオスに入国
アテネは相当規模の艦船をセイモスにおくった。彼らはそこに軍事拠点をきづいた。セイモスはまだアテネがきちんと掌握してた。ペロポネソス同盟はサラニック湾で彼らを阻止しようとしたアテネからちいさな勝利をえた。さらにアテネの艦船を拿捕した。その時の指揮官はアステヤカスである。彼については後にふれる。この勝利により彼はキオスにゆくことができた。今までペロポネソス同盟の艦船が北エーゲ海を航海することはかんがえられなかった。シシリーの大敗の影響である。

* アテネ、キオスを城攻め、レスボスも
アテネはもう一度、セイモスに軍事施設をつくった。そこに部隊を集中することにした。アテネがキオスにやってくる前にアステヤカスはレスボスにゆき反乱をすすめた。アテネには非常にこまった状況となった。充分な艦船を引きつれて再度アテネはキオスに攻撃をかけた。キオスの港で艦船を破壊した。これでキオスにたいし城攻めの体勢にはいれた。アテネはまたレスボスにむかった。

* レスボスの反乱の鎮圧、マイリーダス鎮圧に失敗
ここでも城攻めの体勢にはいることができた。これによりレスボスはアテネ帝国にもどった。ところがキオスとは全面対決となり城攻めがつづいた。またアテネはマイリーダスに攻撃をかけた。まさに陥落寸前となった時にスパルタがあらわれ、アテネはセイモスに退却した。もしマイリーダスをうばうことができたらすべての反乱を鎮圧することができたろう。この失敗はおおきかった。マイリーダスがスパルタの指令本部となった。そこでしばらくのあいだ事態は膠着状態となった。スパルタはここに艦船をあつめた。アテネはセイモスで待機した。キオス城攻めの状況はかわらなかった。

セイモスのアテネ軍が援軍と艦船の補充をうけた。ここでキオスを監視しマイリーダスの反乱を注視することとした。ツキジデスはいう。七十四の艦船がセイモスにある。ここにキオスを封鎖してる艦船はふくまない。ここで興味ぶかいことを指摘する。スパルタ海軍は規模ではほとんど同等だがなおもアテネをおそれた。しかしアテネがシシリー大敗後に完全なエーゲ海の制海権はうしなった。このことはあきらかである。

* 拮抗するアテネとスパルタの海軍力
アテネは常にマイリーダスのスパルタに妨害してきた。しかしスパルタはうごかない。キオスはスパルタに城攻めの救援をもとめた。絶望的状態だった。しかしスパルタ海軍はうごくことを拒否した。アテネはデルフィニウムに砦をきづく。これはキオスに非常にちかい。海からの圧力にくわえて陸からの圧力となった。またキオスが救援をもとめた。ふたたびアステヤカスがうごくことを拒否した。アテネから二十七の艦船がマイリーダスにおくられる。アステヤカスはこれに同盟の艦船を連動させて攻勢にでることにした。クナイデスという場所でたたかいちいさな勝利をえた。

* ロウズ島の反乱
四一一年のはじめに大問題がアテネ帝国におきた。ロウズが反乱をおこし、ユバウアも反乱の動きがあらわれた。ロウズはスパルタにすすめられて反乱をおこした。アテネはセイモスに部隊をおくった。それはロウズの城攻めをするためである。ロウズが助けをスパルタにもとめた。スパルタは何もしなかった。

* アルソバイアデスの亡命、ペルシャから反スパルタ工作
ところでアステヤカスは本国からアルソバイアデスを処刑するよう命令をうけた。彼はアテネばかりでなくスパルタからも死刑の宣告をうけた。おいつめられた彼はどこにゆくのか。ペルシャである。彼は州長官、ティシファンズの庇護をもとめた。しんじられないことだが彼の行動は完全に反スパルタとなった。ペルシャを説得した。その結果、ペロポネソス同盟とマイリーダスへの補給が中止となった。さらにキオスへの補給もおなじであった。また反乱をすすめていた他の都市についてもそうだった。これから彼の行動原理は自分が中心であることがわかる。さらにである。アテネに復帰することをも画策した。

* アルソバイアデスがアテネ復帰を画策
まずペルシャにアテネのほうがスパルタより信頼できると吹きこんだ。理由である。もしスパルタがマイリーダスに拠点をきづいたなら、それはペルシャにとり陸の脅威である。ところがアテネにはそれがない。ペルシャは小アジア内陸部の都市は掌握してる。アテネは沿岸にある都市だけである。それも現在反乱をおこしてるところがある。彼はこのようなあやうい説得力でアテネへの復帰をはたそうとした。これは次回にのべる。

(おわり)

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