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ペロポネソス戦争、その九(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
アルソバイアデスが亡命の後ニキアスが指揮をとる。慎重な作戦が混迷をましついにスパルタの介入にいたる。これをあつかう。
(Ancient Greek History - Part 9 of the Peloponnesian War - 25、Historyden)

* はじめに、ニキアスが指揮
前回はアルソバイアデスが議会を説得してシシリー侵攻をきめた。四一五年、艦隊がシシリー沖にやってきた。北のカタナに拠点をかまえた。アルソバイアデスに帰国命令がでた。それで亡命した。このためニキアスとラマカスの二将軍が のこった。ニキアスが事実上の指導者となった。

* まようニキアス
作戦が問題である。彼はもっとも慎重な将軍。かてるとわかってる作戦以外はたたかわない。危険のおおい作戦をさける。彼はこの作戦には適切でない。アルソバイアデスのほうが適切である。もともと彼の作戦であった。しかし職をとかれ死刑判決がくだった。

ニキアスはすぐにも帰国したかった。しかし議会にとにかく勝利の報告をしなければゆるされないことをしってた。空手でかえると彼もアルソバイアデスとおなじように裁判にかけられるとおもってた。それでシシリーのまわりを船で巡航しはじめた。そしてどうしたものか、この難局をどう乗りきるかをかんがえた。自分の最初の案にもどることにした。それはセジェスタから金をあつめセジェスタとセリーナスの妥協をはかるというもの。

実行した。しかし三十タレントしかあつまらない。まったく不十分である。この作戦は二千タレントが必要だろう。これではアテネ側も納得させられない。またかんがえた。アルソバイアデスの案によることとした。それはシシリーのどこかの都市を説得し同盟関係をむすぶ。これに失敗。というのはほとんどのシシリーの都市はアテネがシシリーを征服するとしんじてた。アテネは次々と都市を征服してゆく、それをたすける意味はない。またアテネは外国である。シラキュウースは自分たちの島にある国であるとかんがえた。

* 偉大な将軍とよい将軍の違い
このような迷いは相手に時間をあたえる。これは貴重である。シラキュウースに余裕をあたえ自国の防衛をととのえることができた。このような行動はニキアスのもつ弱点といえる。彼は常に慎重にかまえる。かとうとするより、まけまいとする。これでよりおおきな困難を抱えこむ。こんな時、私はアレクサンダー大王やハンニバルがどうするかかんがえる。

おそらく彼らはラマカスの案を採用したとおもう。ただちに攻撃する。敵を不意打ちする。この恐怖がすみやかな降服をもたらす。ニキアスはそうしなかった。それはまさに偉大な将軍とよい将軍の違いである。彼を非難してるわけでない。彼はよい将軍である。すでにのべたことだが彼はキセラという島を奪取したことがある。これはずっと簡単な作戦だった。戦いに勝利することをしってた。しかしシシリーの作戦は危険のともなうもの。この場合はもっと大胆な人物が必要となる。それでまたカタナの拠点にもどった。

* ニキアスの陽動作戦、シラキュウースに上陸
ここで彼は極めて巧妙な戦略をたてた。彼はシラキュウースの陸軍を外に誘いだそうとした。策略によりシラキュウースをカタナの攻撃にむかわせた。カタナに進軍した。彼はその夜に船でシラキュウースにむかった。港から上陸し防禦にてきした場所をえらんだ。沼沢と二本の川が防御となってくれれる。さらに必要ならば船にもどりカタナに退却できる。そこに野営した。シラキュウースはこの動きを察知した。すぐにもどってきて川の向こうに、これもまた野営した。両者の戦いの状況がうまれた。

翌日、アテネはナプールス川をわたりシラキュウースと対峙する。アーゴスとマンテニイは右翼。中央がアテネ。のこりは左翼。アテネの軍は八列の編隊。これにたいしシラキュウースはその倍の十六だった。また千二百の騎兵をもってた。アテネには騎兵がいない。私にいわせれば変であるがこのとおりである。ナプールス川はシラキュウースが後方から攻撃するのをふせいいでた。

* 戦いのはじまり、アテネの勝利
戦いがはじまる前である。歴史家のツキジデスがいう。彼は編隊が整列してるところをいきつもどりつして励ましの言葉をかけた。戦いがはじまった。ながい戦いだった。その最中に雷をともなう嵐がおそった。これでますます混迷がました。アーゴスはくるしい戦闘の後にとうとう相手の左翼を押しこみ退却させた。またアテネは数ではおとっていたが相手の中央を追いこみはじめた。それでシラキュウースは逃走をはじめた。その瞬間にシラキュウースの騎兵が攻勢にでた。これで退却する歩兵は都市にかえることができた。アテネは勝利のトロフィーをおき死者をあつめた。冬の寒さがおそってきた。アテネはカタナにもとった。

* シラキュウースの依頼、スパルタが介入へ
カタナのニキアスがアテネにまた資金をもとめた。これはシシリーの他の都市におくる賄賂になる。ながい議論よりお金が力を発揮する。

シラキュウースは冬のあいだに必要な改革をおこなった。十五人いた将軍を三人にし、より統制のとれた指揮系統にした。さらにスパルタに救援をもとめた。そこにはアルソバイアデスがいた。彼がやったことはアテネには大災難である。スパルタにシラキュウースのためにたたかえといった。もしシシリーをアテネがうばったら今度はペロポネソス全体を攻撃にかかる。ひいてはこれはアテネの全ギリシャの征服につながるという。そこでアルソバイアデスは重大な秘密を暴露した。もしスパルタがアティカのデッセリアを占領するとアテネの銀鉱山をうばうこと、アテネの経済に重大な影響をあたえるといった。スパルタは少数の艦隊をシラキュウースの救援でおくった。

(おわり)

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