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ペロポネソス戦争、その八(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
国内の騒乱はスパルタの勝利におわり、いちおうの安定をえた。ここで注目が国外にうつる。スパルタとアテネを巻きこみおきたあらたな展開をあつかう。そのはじめである。
(Ancient Greek History - Part 8 of the Peloponnesian War - 24、Historyden)

* はじめに、スパルタの勝利、いちおうの安定、海外にてんじる目
前回はマンテニイの戦いでおわった。スパルタの勝利であった。反乱がペロポネソスにおき混乱を克服し、うしなわれたた威信を取りもどした。貴族政治の復権がおきた。タジアを実質的にすくった。このスパルタの勝利の後にスパルタとアテネの戦いはなかった。平和協定は名ばかりとしても存在しつづけた。注目がシシリーにうつった。

シシリーはもっともおおくの国に征服された地域である。数千年にわたり戦いがおきた。それは海軍による支配をつうじ西の地中海の支配を意味するからである。これまでの数十年間にわたりアテネは遠征軍をおくってた。そのためこの地域をよくしってた。

* シシリーの紛争への介入、アテネの野心
そこで事件がおきた。シシリーの西部のセジェスタという都市とセリーナスという都市が戦争にはいった。すると東部のシラキュウーズはセリーナスを支援した。戦いはセジェスタに不利になった。古代の常識として彼らは当時の有力都市に目をむける。アテネであった。紀元前四一五年に救援をもとめた。シラキュウーズはアテネが干渉すべきでないとの意向をあきらかにした。ここを彼らの支配領域とかんがえてた。

セジェスタはこの作戦行動に必要なすべての費用を自分たちで負担するとの好条件をアテネに提示した。まことに魅力的である。シシリーを支配下におくことはアテネの長期的利益に貢献する。地中海すべての支配につながる。たぶん海軍の覇権ではカルタゴをおびやかすこととなるだろう。

* シシリー侵攻の考えかた
アテネは受けいれ六十の艦船を用意した。だがニキアスは別の考えだった。

* ニキアスの慎重論
議会でこう説明した。アテネの艦船を長期におくることは極めて危険。アティカの近くの敵、スパルタやビオーシャが陰謀をたくらむ。もう一つはアテネの国力の消耗につながる。それを契機にスパルタがふたたび戦争に突入する。アテネがこの時点でもっともおそれたことである。ようするにニキアスはこの作戦に反対した。そのためにできることはなんでもした。さらに彼は議会でアルソバイアデスの信用をおとそうとした。彼がこの作戦の主要な推進者であったからである。ここでわかるようにニキアスは慎重派、アルソバイアデスは細事にこだわらない、よりリスクのあるほうにゆきたがる人柄。クリーンやデモスタニイのような人柄であった。

* アルソバイアデスの積極論
次にアルソバイアデスがたって説明する。彼によればシシリーは分裂してる。アテネはシラキュウーズに対抗する同盟をつくることができる。そうすればシシリーは自分たちのものとなる。さらにもしセジェスタをたすけないなら、それはアテネがこまってる同盟国を必要な時にたすけないという先例をつくる。またつけくわえれば、もしこの作戦が成功するならばアテネは有力な資産を手にする。そして、もしうまくゆけば戦争を無期限に継続し全ギリシャを支配するかもしれない。彼はすぐれた雄弁家である。議会はだんだんと彼の考えにかたむいてきた。

* ニキアスの反論、積極論の勝利
そこにニキアスがあらたな方向から反論する。それは危険性の強調である。この作戦は簡単でない。大規模な海軍力をつかう。用意された六十ではたりない。ささらにアルソバイアデスがいったようにシシリーは分裂してはいない。シシリーもシラキュウーズもどんな戦争を継続するのに必要な富をそなえてる。と、これが逆効果となった。議会はこの説明をたんなるおどしとみた。そして艦船の派遣の拡大、倍増に同意した。それは失敗した時のリスクの拡大でもあったのだが。たぶんニキアスがシシリーの富に言及したことを後悔したろう。それは貪欲なアテネの議会を刺激しただけである。貪欲は作戦検討の目をくもらす。彼はしらずしらずのうちにアルソバイアデスの意見を支援してしまった。

* 渡航前日の怪事件
さて実行。すぐ直面する問題である。シラキュウーズは強力な都市。軍事力ではアテネやスパルタにちかく、すこしおとるだけ。アルソバイアデスは神話の英雄のようにこの仕事に取りくむ。しかし何かうまくゆかない。するとアテネの艦隊は供給がとだえる。そこで艦船は立ち往生する。さて艦船が出発するという日の直前の前夜、おどろくべきことがおきた。

アテネの周囲にあるエルメスの彫像が破壊された。アルソバイアデスの反対勢力はこれを彼のしたこと、神への冒涜として告訴した。これはいいがかりとしてアルソバイアデスはほうっておけない。というのはアテネ人、おおくのギリシャ人も同様に非常に迷信ぶかい。彼らはこれをわるい前兆とみなす。エルメスは神の伝令だけでなく、旅行の神である。これは実に不吉なことである。アルソバイアデスは裁判の成行き予測した。たたちに裁判するようもとめた。ところが反対者はこれを拒否した。彼がアテネにいないあいだに裁判をすすめる。これが好都合だった。自国にいる将軍は強力である。しかし国外にでた将軍はそうでない。国外なら自分自身で反論できないからである。この問題が解決されないままにアルソバイアデスはシ艦隊とともにシシリーにむかった。

* 不安をかかえて艦隊が出発
これがこの作戦全体をくるわす障害となる。派遣艦隊は五千百の重装兵士、千三百の軽装兵士、三十の騎馬兵、百三十四の三段櫂船。それとあらたに同盟にくわわったマンテニイとアーゴスの兵である。すぐ問題が発生した。艦船の停泊、補給の拠点提供を約束してたいくつかの鍵となる都市が考えをかえて拒否してきた。これは大変な問題である。さらにセジェスタが戦争の全経費を負担するだけの資金がないことを示唆した。これでは議会をだましたことになりかねない。

* 三人の将軍の作戦
三人の将軍はそれぞれちがう作戦をもってた。まずニキアスがこの作戦に参加した理由である。彼はこの作戦に反対した。しかし議会から参加をもとめられた。これを拒否することはできたろうが、それは臆病とのそしりをうける。彼の名声に傷がつくと懸念したのだろう。しかし事実上、指導者はアルソバイアデスだった。

ニキアスはもっとも慎重な作戦である。セジェスタとセリーナスの和平を目ざす。セジェスタはアテネに遠征の費用をはらう。そして帰国する。ここでシラキュウースにたいする作戦はない。もう問題が解決したからというもの。

アルソバイアデスは最初にシシリーに同盟の都市を確保する。次にセリーナスとシラキュウースを全面攻撃する。

ラマカス、彼はもっとも年上の将軍だった。ただちにシラキュウースを攻撃する。

* アルソバイアデスの作戦が採用
三人の作戦は独自で共通するところがない。議論がまとまらない。ラマカスがアルソバイアデスのほうに近づいた。最後に彼の案が採用された。歴史家のあいだで誰の案が最善か議論となった。不意打ちでシラキュウースに防御準備の猶予をあたえない。ただちに降服する。戦いが早期に終了。ラマカスが最善となった。

シラキュウースはアテネ侵攻の噂をきき、ただちに準備にはいった。 シラキュウースの海軍が海上で向かえうつ。これはその能力差から無理。そこでシラキュウースは主要同盟国のスパルタに救援をもとめた。しかしアテネはシシリーの近くにきてた。ネクサス、こことシラキュウースは長年の仇敵である。アテネはここに停泊し艦船の補充ができた。

* 作戦の開始、カタナの調略
次はカタナにむかった。ここはシラキュウースの主要同盟国だった。アテネ側につくことを拒否した。そこで少数の三段櫂船をシラキュウースの港にむかわせた。彼らはからになった港を見つけた。シラキュウースはまさに戦争状態となってた。アテネは二度目の攻勢をカタナにかけた。ついにアテネ側にはいった。重要な拠点として機能する。ちょうど真北にある。

* 帰国命令、アルソバイアデスのスパルタ亡命
そこに三段櫂船がやってきた。アルソバイアデスに帰国命令をとどけた。彼は自分の三段櫂船でもどることを条件にしたがった。帰路の途中で極めて深刻な事実をしった。すでに彼に死刑宣告がくだされた。その財産は没収である。うしなうものはない。スパルタに亡命した。

アルソバイアデスが離脱してニキアスが実質的な指導者となった。これはこの遠征の性格をおおきく変更することとなった。

(おわり)

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