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ペロポネソス戦争、その七(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
あたらしくアテネにアルソバイアデスが登場する。彼がペロポネソスに攻勢にでる。スパルタの反撃がその勝利につながる。この攻防をあつかう。
(Ancient Greek History - Part 7 of the Peloponnesian War - 23、Historyden)

* はじめに、平和協定への不満の高まり
現状につてのべる。平和協定には問題がある。コリンスはそれを崩壊させようとしてる。スパルタはアンフィポリスをアテネに適切な状態で返還することができない。反発したアテネがパイロスの返還を拒否した。これは懸念すべきこと。これはマシーニアにある。スパルタの下層民であるヘロットがここを避難場所にするかもしれない。ビオーシャとスパルタがむすんだ協定はアテネ議会を激怒させた。アーゴスは同盟を拡大しようとして問題を引きおこしてる。これはペロポネソス同盟を半分にへらしかねない。こんな状況にニキアスは平和をもたらすあらゆることをやってる。対外の懸念にくわえ彼には対内に懸念をかんじてた。

* アテネにあたらしい指導者、アルソバイアデスの登場
それはアルソバイアデスという人物。今や強力な対抗者にのしあがってきた彼は戦争をすすめる勢力を代表し、それを活発にしてる。クリオンの死後に指導者としての地位をかためてきた。

* アルソバイアデスの出自、もえるような野心
アルソバイアデスはギリシャの歴史上でおおくの議論をよぶ。彼がどのような人物であるかが問題となり今日でもまだ議論されてる。彼は強烈な個性をもつ。紀元前四二〇年に将軍にえらばれた。その時、三十歳。彼の出自である。父方は有力者を輩出した名門。祖先おとらない。その母はペリクリースをだした家系で。父の死後からペリクリースによりそだてられた。文字どおりペリクリースの家でそだった。非常にあまやかされて成長。これが彼におおきな影響をあたえたことは間違いない。

別の言葉でいうとこのような家系をもち、それにふさわしい人生をおくる運命にあるということである。もえるような野心、これが私が彼を形容する言葉。美男子で雄弁家であった。それはおおくの人をうごかした。友人もおおかったが敵もおおかった。

* アーゴスへの外交攻勢、アルソバイアデスとニキアスの対立
アーゴスが反スパルタの都市を糾合し同盟をつくってる。アルソバイアデスはアーゴスと友好関係をもった。ニキアスはちがう。彼のねらいはこう。アーゴスはスパルタをほろぼす。アテネは何もしない。という考えである。でもスパルタがだまってない。うごく。そうなれば戦争が再開される。すでに二百九十二人の捕虜がスパルタに返還された。ためらう理由がない。

アーゴスがスパルタに協定をむすぶ動きがでた。おどろくべき内容である。おたがいに戦いを仕かけない。ただし国境にあるただ一つの都市をのぞいてる。締結直前までいった。アルソバイアデスはアーゴスをさそいアテネと同盟をむすぶ。スパルタをはずすよう仕むけた。スパルタへのいやがらせでもある。

対抗者のニキアスには二つの不都合があった。一つ。スパルタがビオーシャと協定をむすんだ。アテネの議会の多数が激怒した。アルソバイアデスはこれを利用しスパルタに攻勢をかけることができる。もう一つ。アーゴスは民主主義でありマンテニイ、エリスもそうだがアーゴスとの同盟を拒否した。これはペロポネソスにおける民主勢力の台頭をさまたげる。これはアテネがかかげる民主主義にはんする。アルソバイアデスとニキアスは議会にゆき彼らの考えを説明することにした。

* 議会の決定、スパルタの拒否
議会はアーゴスとの同盟交渉は保留にしてスパルタから譲歩を引きだすようきめた。これはビオーシャとの協定を撤回しアンフィポリスは最初にもどり適切な状態でアテネに返還することであった。スパルタはこれを拒否しついで奇妙なことをした。ニキアスの協定にたいする神聖な誓いを再度おこなうことをきめた。

* アテネとアーゴスが新同盟、複雑な同盟関係
アテネの怒りはおさまらずあたらしい同盟国としてアーゴスをむかえた。この後にコリンスはアーゴスの同盟を脱退しスパルタの同盟に復帰した。コリンスはアテネといっしょの同盟にはいることができなかった。状況がさらに複雑になった。スパルタやアテネの衛星国が紛争をおこす。するとどこに味方するのか敵対するのかわかりにくくなった。これはアルソバイアデスの外交上の勝利といえる。

* 不調におわったコリンスへの融和策
紀元前四一九年、アルソバイアデスはコリンスに再加盟の勧誘をこころみた。アーゴスの同盟国、あるいは最低でも中立の立場になる。そのためペロポネソスを訪問した。これもスパルタへのいやがらせ。彼はコリンスにはいかない。その周辺の都市にいった。これによりコリンスに圧力をかける。これはコリンスの植民都市を攻撃しあるいはペロポネソス同盟からの離脱をうながすことでもある。これでコリンスをスパルタから遠ざけようとした。

とはいえその効果はなかった。それだけコリンスはアテネをきらってた。さらにスパルタがよわればアテネが優位にたつ。彼らの究極の目標、アテネの崩壊を目撃する。これの実現が遠ざかることをしってた。スパルタもこの事情はしってた。そのためコリンスの植民都市の支援に乗りだした。戦争への動きをつよめるアルソバイアデスの努力にもかかわらず、平和条約はなお存在しつづけた。

* スパルタのアーゴスへの攻勢、王、エイジアスの動き
スパルタにはアーゴスとの戦争をふせぐ気持があった。自分からうごきだすことにした。スパルタの王、エイジアスが引きいる部隊がアーゴスに攻撃を仕かけた。しかし最後の瞬間にどちらの側からも戦いを仕かけなかった。四ヶ月の停戦協定がむすばれた。エイジアスがスパルタにもどってくると、この締結をはげしく非難。議会は承認しなかった。さらに怒りがおさまらず罰としてずエイジアスの邸宅を破壊した。ところがおかしなことがおきた。戦争審議会が設置され王の行動を監視することとなった。こ彼が軍をひきいて国外にゆく時には、この審議会の監督をうけることとなった。これはスパルタの歴史に先例のないことである。

* アーゴスの同盟の攻勢
重要な都市であるオコミネスをアーゴスがせめた時スパルタが激怒した。これは山岳地域における重要な通路。コリンスや北部の同盟国がスパルタの陸軍をもとめる時に必要となる。いくつかの軍がマンテニイの周辺にむかってる。アーゴスの同盟軍によりタジアが脅威にさらされてる。スパルタにはタジアの安定がおびやかされると反乱がおきるかもしれないという情報がはいってきた。これはスパルタにとり重大な事態。ここはスパルタの防衛戦略の重要地点。スパルタへの交通を支配してる。エイジアスの指揮する部隊がおくられタジアを安定させた。そしてスパルタは二つの重要な同盟国、コリンスとビオーシャさらにペロポネソスの同盟国にも救援をもとめた。この二つは北にある。そこにつうじる安全なルートがない。アーゴスの同盟国のおおくが阻止できる。マンテニイ、アーゴス、オコミネスが立ちふさがるだろう。

* マンテニイでの戦い
エイジアスはタジアにとどまらず打ってでた。マンテニイにアーゴスの同盟軍がいた。彼らは高地に陣どってた。エイジアスは攻撃をめいじた。高地の敵への攻撃は自殺行為である。最後の瞬間に副官が退却をめいじた。エイジアスは今度は田園地帯の略奪をはじめた。高地にいる敵をおびきよせようとした。マンテニイの平野に水をあふれさせた。アーゴスの兵のなかにはスパルタが退却してるのに攻撃命令をださない。司令官にいらつだつ者がでた。ついに追跡をはじめた。スパルタが不意をつかれ、隊列の立てなおしに充分な時間がなかった。

ここで古典的戦闘体制による戦いがはじまる。密集隊による戦いである。右翼の隊がよわい相手の左翼を圧倒する戦法である。スパルタは九千。アーゴスは八千である。アーゴスの側である。マンテニイは右翼を受けもつ。これは名誉ある位置。彼らが自国のためにたたかう。もしまければうしなうものがもっともおおい。彼らは重装兵士の戦いに熟達。スパルタにつぐ精強さである。この右翼にはさらに千のアーゴスがふくまれてた。中央にアーゴスの主力部隊。アテネは左翼。彼らは隊列を維持することを期待されてた。かつことは期待されてなかった。

スパルタの側であるる。スパルタは中央。タジアが名誉の右翼。彼らは自国のためにたたかう。彼らの国もここからとおくない。ここにはスパルタがまじってた。左翼は同盟国の兵である。そこにはかってブラスディスの指揮でたたかった古参兵がふくまれてた。彼らもアテネとおなじく編隊を維持することが期待されてた。

* スパルタ副官の命令拒否
スパルタがうごきだした時にエイジアスが奇妙な命令をだした。左翼の強化であるが、そのために編隊の戦列に穴があく。二人の副官が命令を拒否した。何故エイジアスがこのような命令をだしたか議論がある。いったん前進をはじめたらそのまますすむ。べつの方向にむかわない。これが通常の戦法である。戦いがおわってから二人の副官は追放の刑。スパルタから追放された。指揮官の命令は絶対である。それにしたがうことがもとめられる。戦いがはじまった。

* 戦闘の状況、スパルタの勝利、 貴族政治の復権
両方の左翼は包囲されるというきびしい事態に直面した。しかし中央のスパルタはアーゴスを圧倒した。アテネの左翼はタジアとスパルタに圧倒されて逃走にはいった。アテネを追いかけるかわりにエイジアスは右翼がマンテニイの攻撃で窮地にある左翼をたすけるようめいじた。アテネは逃走し、マンテニイとアーゴスは数に圧倒された。とうとう逃走にはいった。スパルタがかった。ほとんどのアテネとアーゴスが戦場から逃走できた。その軍はほぼ無傷だった。そのため決定的な敗北ではなかった。しかしスパルタの勝利は次のような意味がある。

スパルタへの直接の脅威がなくなったこと。ペロポネソスに 貴族政治がもどってきたこと。また民主主義勢力が直接の脅威にさらされる。これがおおくの都市でおきた。アーゴスでは貴族政治にもってしまった。

(おわり)

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