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ペロポネソス戦争、その五(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の 紹介
アテネの包囲網にスパルタが反撃する。捕虜をとられその攻勢は北にむく。アテネの反撃もつづき、ついに和平が実現する。これらをあつかう。
(Ancient Greek History - Part 5 of the Peloponnesian War - 21、Historyden)

* はじめに、手出しできないアテネとアティカ、海上
今やアテネ帝国のほとんどがスパルタにとり立入り禁止である。さらにパイロスとキセラはスパルタとの紛争地である。海はスパルタの海軍には立入禁止。アテネは東地中海をまるで自分の湖のようにつかってる。スパルタはアテネとアティカを攻撃できない。アテネには二百九十二人のスパルタ人捕虜がいる。その処刑がありえる。しかしスパルタはアテネの攻勢に反撃をはじめた。

* 北にむくスパルタ、王、ブラスディスの出陣
それでギリシャ北部に目をつけた。スパルタには二人の王がいる。そのうちの一人がブラスディスである。彼をえらんだ。もう一人はわかすぎた。彼は自信にみちた人物。パイロスの作戦に関与してた。アテネが裏切りによりメガラ攻略をねらった時にメガラをたすけた。これはすでにのべた。適切な人事である。本国からとおくはなれた北方にむかう。あらたな援軍をおくることはむずかしいだろう。王が死亡する可能性がたかい作戦である。このような危地に王をおくりたくなかった。

* 穀物供給ルートの支配
この北方作戦の主要な目標は都市国家のアンフィポリスである。アテネにとり戦略的に重要。そこは北方の主要な交易ルートを支配する。スパルタの戦略は北の関連都市の反乱をすすめアテネの経済に打撃をあたえることである。作戦は千の傭兵隊、これは実質的に重装歩兵。七百のヘロット、役目をはたすと彼らには自由があたえられる。さらに北上するあいだに軍にはあらたな兵が編入される。

* 進軍の経路
地理の説明である。彼の出発点はコリンスである。ビオーシャンズやメガラは依然としてペロポネソス同盟にいる。ここの進軍は容易である。その北のテッサリは危険。ここはアテネ帝国にぞくする。広大な平野をもつ。馬の飼育にてきする。ここには最優秀の騎馬兵がいる。ブラスディスにとりおそるべき敵地である。しかしひそかに通過することができた。そしてマセドニアの南である。

* マセドニアとの交渉
マセドニアはアテネに背反がさだまらなかった。ブラスディスに条件付でスパルタにつこことを約束した。ブラスディスはすぐマセドニアが彼の軍隊を地域の紛争の解消に利用しようとしてることに気づいた。具体的には西の敵の攻撃につかいたいらしい。もう一つ問題があった。それはギリシャの自由という概念がここでは通用しないこと。この国の政治は都市国家のそれでない。宮廷政治である。そこに存在するのは市民でなく臣民である。もしブラスディスがアテネ帝国から市民を解放しようと呼びかけても、マセドニアの王にはつうじない。自由をあたるのでなく臣民をふやすためである。話し合いにはいつも緊張がのこった。

* 目標はアンフィポリスの攻略
ブラスディスはチェルシテディスにむかおうとした。その時、マセドニアは約束の物資や兵の提供についてへらしたことがわかった。彼はその地域の不安定化をはかる。そしてアンフィポリスを降服に追いこむ。これが目標である。黒海までつづく穀物ルートに打撃をあたえることができる。ブラスディスはその一部の不安定化に成功した。トロニーのような都市国家である。

* アカンサスに軍事拠点
さらにブラスディスはアカンサスに軍事拠点をつくろうとした。軍がこの都市についた。すぐには攻撃をしない。市民をアテネ帝国からはなれるように説得した。古代の年代記によればスパルタ人に雄弁家がいないという。ブラスディスは例外のよようだ。したがわなければ葡萄園を破壊するともいった。交渉は成功だった。軍事拠点を確保した。十二月、アゴアスという都市に進軍した。吹雪のなかだった。

* 吹雪のなか進軍、アンフィポリスに橋頭堡を確保
この季節はアテネにとり行動がむずかしい。エーゲ海では冬は北から南に風がふく。このためブラスディスに対応する艦船をおくることができない。翌年の春までまつしかない。ブラスディスはアカンサスからアンフィポリスにむかった。市内につうじる橋頭堡をうばった。雪が軍の姿をかくしてくれた。

その頃、アンフィポリスはこの動きに気づいた。橋の防御をかためた。アテネの守備隊はその地域のすべての司令官に伝令をおくった。そのなかにたまたま後に偉大な歴史家とよばれるツキジデスがいた。ただ何故彼がフェイソスとい島に将軍としていたのか。事情はわかってない。彼はすぐ兵をあつめストライマン川の河口にある都市、イーオンにむかった。その港湾都市の防御をかためた。そしてアンフィポリスの救援にむかおうとしたがおそかった。降服してた。

* アンフィポリスを奪取
ブラスディスは寛容な条件を市民に提示。ととまることをのぞむ者に、すべての所持品を保持することをゆるす。それがうばわれることはない。またさりたい者はその所持品すべてをもってでることができる。そしてその退出の自由はみとめられる。これを市民は受けいれた。アテネはすべてイオンに退避した。これはアテネにとり甚大な損失であった。というのはストライマン川の支配をうしなう。さらにここから産出される金銀をうしなう。アテネの硬貨のもとである。

* 責任者として追放されたツキジデス
アテネにおいてこの喪失に人々は激怒した。クリオンは人々の怒りを代弁してこの地域の統括する立場のツキジデスを告訴した。北の損失は彼の罪であるから裁判にかける。裁判所は有罪とした。これは成功した将軍の場合に通例である追放にしょした。

* 反乱頻発のなかでみじかい和平が成立
この時点でのアテネの問題はスレイスとチェルシテディスの反乱であった。スパルタにも同様の問題であった。ブラスディスに援軍はなかった。そこで遣り繰りするしかなかった。翌年、紀元前四二三年の春、アテネとスパルタは和平に合意した。すぐに問題がおきた。ビオーシャンズがまっこうから反対した。そして独自行動をとることがおおくなった。もう一つはスキオニという都市である。和平協定に署名した二日後のこと、反乱がおきた。協定上は問題がない。アテネはすぐ反乱の鎮圧が可能である。協定の対象となってない。しかしブラスディスはこの混乱を利用した。反乱勢力に呼びかけた。アテネはこれをみとめない。結局スキオニはアテネ側にもどった。スパルタとブラスディスはおおいに面目をうしなった。これでは反乱がおさまらない。

* アテネが反乱への締め付け
アテネの議会、クリオンはそれまでに北で反乱が頻発した事例をしってる。きびしい法律で対処することにした。どの都市でもアテネ帝国にもどってきたなら市民はすべて反逆者として逮捕する。すべての戦闘可能な男子は死刑にする。女、子供は奴隷にうる。

紀元前四二三年の後半にアテネによいことがおきた。一つ目はマセドニアがアテネ側にもどった。それはブラスディスへの物資供給ルートの切断を意味する。二つ目である。ニキアスがメンディ、さらにその北も取りもどした。紀元前四二三年のおわりである。これは協定違反でない。この和平協定は一年間であった。その期限がきて失効した。紀元前四二二年の夏である。

* 協定の失効、アテネの反撃
その継続をはかる機会はなかった。ブラスディスのスキオニでの大騒ぎ、クリオンのアンフィポリス奪還の画策が邪魔した。この奪還をはかる。アテネに有利な点がある。彼らは北において完全な制海権をにぎってる。マセドニアとスレスの同盟により物資供給を可能。クリオンは北にむかう。三十の艦船、千二百の重装兵士と三百の騎馬兵。それと同盟国からの兵力がしたがう。まずトロニーの奪還に成功しイオンにうつり拠点をかまえた。ここはストライマン川の河口でアンフィポリスに非常にちかい。今回はアテネはほとんどの都市を奪還した。このためブラスディスはアンフィポリスに退避せざるをえなかった。

* 両者の衝突、主戦論者の戦死、平和の実現
クリオンは軍をうごかしアンフィポリスのちかくにきた。偵察をおくった。ブラスディスがひそかに攻撃してクリオンは退却を余儀なくされた。混乱のなかでブラスディスは大胆な攻撃を仕かけた。おおきな戦果をえた。クリオンは戦死。全隊もイオンに退却した。アテネの被害はおおきかった。六百にたいしスパルタは七であった。ただしそのうちの一人がブラスディスであった。彼は負傷が原因で死亡。だがその勝利を充分しることができた。クリオンとブラスディスの死亡により、ほんとうの和平が検討される。紀元前四二二年に協定が締結された。その翌年の紀元前四二一年に平和の協定がニキアスによりむすばれた。これを歴史書でニキアスの平和とよぶ。

(おわり)



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