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ペロポネソス戦争、その四(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の 紹介
アテネの新指導部がメガラ、ビオーシャンズにたいし攻勢にでるが成果なくおわる。このようなアテネ側の攻勢とスパルタ側の反撃をあつかう。
(Ancient Greek History - Part 4 of the Peloponnesian War - 20、Historyden)

* はじめに、すすむスパルタ包囲網
前回にスパルタのパイロスでの敗退、その海軍力の消失、二百九十二人の捕虜についてのべた。アテネはパイロスの勝利でクリオンとデモスタニイを将軍にえらんだ。またニキアスも将軍となった。紀元前四二四年である。ニキアスはアテネにおける穏健派を代表し、それと対照的にクリオンは好戦的な勢力を代表する。しかしニキアスにも好戦的なところもある。

* キセラの軍事拠点化
ペロポネソス半島の先端の南東にキセラという島がある。彼は支持する勢力とともに船でこの島にむかった。上陸して島民にいった。島民を殺害して服従をもとめないがアテネに味方しその恩恵にあずからないかたずねた。さらに彼に駐屯地を提供する。その代償に少額の貢納金を毎年アテネにおさめる。四タレントである。これらをたずねた。アテネと紛争をおそれ自分たちの都市の破壊もおそれるキセラの指導者はこれを受けいれた。スパルタはこれに衝撃をうけた。この島はエジプト、クレタとの交易で重要な経由の港である。穀物、食糧などがはこばれる。それをアテネがうばったのだ。

* アテネの拠点、同盟国の包囲網
前回にのべたパイロス、今回のキセラ、さらにジャイナなどアテネが確保した軍事拠点、同盟都市はペロポネソスを取りかこむネットワークを形成してる。スパルタにとってはゆゆしき事態である。さらに伝統的に軍事拠点があったシシリーにもアテネは干渉しだした。これはまちがいなくペロポネソス同盟の衰退につながる。さらに周囲の海に拠点をもつことはアテネの艦船が自由に停泊、修理、食糧を補給できること。ペロポネソス半島の周航は常に危険をともなう。嵐がおそう。このような拠点をつかいアテネはいつでも必要な時に軍事作戦を実行する。その最大限の自由度をえる。ここからさらにアテネは一歩をすすめる。

* 攻勢のアテネ、メガラの攻略
スパルタの主要同盟国、メガラとシーブスはアテネにはながいあいだ の仇敵である。これらをうばう。最初はメガラ、その次はビオーシャンズのシーブスである。これが成功したらスパルタにとっては万事休すという事態である。メガラはペロポネソス戦争による打撃でひどい窮状にあった。アテネがメガラ命令によりエーゲ海ルートの交易品の流通を遮断してた。これは充分な利益の見こめる商品である。アテネはまたつよい怒りをもってた。第一次ペロポネソス戦争でメガラはアテネに援助をもとめコリンスをやぶった。そしてもはやアテネは不要とばかりに裏ぎりアテネの守備兵をころしペロポネソス同盟に寝がえった。今回の作戦は二つの目的がある。一つはメガラへの復讐。次は極めて重要なイスミスの奪取。これによりスパルタのアティカ侵入をほぼ恒久的に遮断できる。デモスタニイとヒポクラティーズが指揮をとった。アテネのより好戦的な勢力が作戦を主導する。

* 古代の都市攻略、その四つ
古代の都市攻略には四つの方法がある。一つ目。ネキアスがやったように都市にゆき自分の側にくるようもとめる。魅力的な条件を提示。あるいは抵抗するならば罰をあたえると圧力をかける。二つ目。乱暴な直接攻撃である。前線の兵が都市の門を道具、機械で打ちやぶる。三つ目。アテネがメディタリニにおこなったように都市の周囲に壁をつくり港を封鎖する。四つ目。調略、だましうち。おどろくかもしれないが、このまれる方法である。まず内部の人間に近づき自分をひそかに内部に引きいれるよう仕むける。ながい時間をかければまったく武力をつかうことなく無血開城もある。

* デモスタニイのメガラ、ナサヤ攻略
デモスタニイはこの方法をとった。内分に民主主義に共感する同調者を見つける。ギリシャには常に民主主義アテネの同調者と 貴族政治スパルタへの同調者がたたかってる。第一段階はアテネはまずメガラの港の都市であるナサヤをせめる。次にメガラをせめる。この作戦である。ナサヤの内部同調者の手引きによりなんら抵抗なくはいれた。同調者は門番をころしてた。ところがこの動きをメガラが察知し警鐘をならした。メガラの門はとじた。さらにわるいことにコリンスに駐屯してたスパルタの軍が北にむかおうとしてた。

* メガラ、スパルタ、シーブスの反撃
彼らが近くにいた。メガラがここにつたえた。その指揮官はブラスタティスという。彼はこれからもおおく登場するだろうがアテネ軍に敵対する主役である。彼がただちにシーブスに伝令をおくり、できるだけおおくの援軍をもとめた。彼の軍隊はメガラにむかった。シーブスの援軍がやってきた。総勢六千となった。数でアテネより上まわった。シーブスが援軍をおくるのにためらいはない。彼らはアテネの次の目標である。こう予測してた。六千の兵がメガラにまつことをしりアテネは退却した。ナサヤの奪取に成功したものの結局メガラの作戦は失敗した。

* ビオーシャンズの攻略
ビオーシャンズの作戦である。これはメガラとほとんど同時期だった。そのやりかたはメガラとにてる。ビオーシャンズの同調者をさがす。ビオーシャンズの不安定化をはかる。ビオーシャンズは基本的に貴族政治である。政治の要職にある者を貴族政治から民主主義同調者に取りかえる。これをシーブスをのぞいたすべてのビオーシャンズの都市でおこなう。するとシーブスはこのような都市に取りかこまれる。こうなるとシーブスは降服せざるをえない。このような方針である。

* セファイと デリアンの二面作戦、齟齬
これはデモスタニイとヒポクラティーズが指揮をとった。作戦は二つにわかれる。より大規模な攻撃はデリアンである。ヒポクラティーズが指揮する陸戦である。ちいさなほうはビオーシャンズの港の都市、セファイである。この海戦はデモスタニイが指揮する。すぐにアテネに不運がおそった。ビオーシャンズはアテネの作戦の気配をしりセファイに部隊をおくった。このためヒポクラティーズがやってきた時にはセファイはまだビオーシャンズの支配下にあった。デモスタニイの作戦開始がはやすぎた。つまりヒポクラティーズのデリアン攻撃とデモスタニイのセファイ攻撃がうまくかみあわなかった。これで当初のねらいであったビオーシャンズの兵力分散ができなかった。

デモスタニイの兵はヒポクラティーズの兵と合流した。ヒポクラティーズの使命はデリアンに砦をきづくこと。ビオーシャンズとたたかうのはさけたかった。最終的には砦をきすいた彼はデリアンをさろとした。そこでビオーシャンズの軍に遭遇し戦いにはいった。これはデリアンの戦いう名前でしられてる。

* デリアンの戦い、アテネの敗北
両軍はあいだに丘をはさみ横一線で対峙した。ビオーシャンズの右翼は二十五もの隊列、厚味ををもちアテネの左翼に対峙した。その他は通常のギリシャの編成である。このような厚味のある右翼としたのはアテネに動揺をあたえる意図だった。両軍はほぼ同数の七千の重装歩兵。シーブスは騎馬隊と軽装歩兵をもってた。あいだの丘により両軍の姿は見ずらかった。戦いがはじまっった。最初、アテネが善戦し勝勢にかたむいた。巨大な厚味をもったシーブスの編隊にもアテネはよくたえてた。アテネの中央はビオーシャンズを退却させた。その右翼はビオーシャンズの左翼を完全に包囲した。この時点ではアテネの優勢はあきらかだった。ビオーシャンズはここでうごいた。右翼の騎馬隊が丘の後をまわり劣勢の左翼に突入した。アテネがたじろぎ左翼にいた騎馬隊とともにアテネの右翼を崩壊させた。アテネの編隊はいっせいに敗走しはじめた。結局、アテネは デリアンの砦を放棄しアティカに退却した。

かくしてビオーシャンズとメガラはその後もペロポネソス同盟にとどまった。

(おわり)




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