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戦い前のペルシャ帝国、簡略ギリシャ歴史 [英語学習]


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* 内容の 紹介
ギリシャとペルシャがたたかう。その当時、ペルシャがどのような国だったかを説明する。米語の特徴がよくでた語りである。参考になった。
(Ancient Greek History - Rise of the Persians - 08、Historyden)

* 当時のペルシャ帝国とは
ギリシャとペルシャの戦いにはいる前にペルシャの興隆についてかたる。紀元前六百年頃の状況である。四つの帝国があった。メディア王国、バビロン王国、南から興隆した。リディア王国、もっとも関係がある。現在のトルコを占拠してる。いくつかのイオニアの都市がエーゲ海沿岸に所在してる。西にエジプト王国がある。そこでみるギリシャは、まことに卑小な存在。この当時、ペルシャはメディア王国の一部。ペルシャ湾の東に存在。メディア王国がペルシャをふくむイラン半島のすべての部族を支配してた。メディア人とペルシャ人は関係がふかい。そこでペルシャ人が メディア王国をうばった。サイロス大王である。

* 帝国の樹立
紀元前六世紀に急激に王国を拡大した。五五〇年、彼はアーカイミニ王国をうばい王となった。十年後にメディアを征服した。メディア人にはきわめて寛容であった。両者の文化を融合させた。政府の高官に両者を任命。彼は西にすすみアルメニア、カパドシア、リディア、バビロニアをうばった。五三九年頃だった。バビロニアの制覇は小アジアの覇権を意味する。これでインドからエーゲ海にいたる広大な領域を支配する帝国を樹立した。

* 領土の拡大
リディアは、たぶん紀元前七世紀に退潮にあったが、当時、沿岸にあるギリシャの都市をうばい、ペルシャも攻撃した。ペルシャはただちに反撃しリディア王国はほろび、沿岸のギリシャの都市もうばわれた。紀元前五三九年までのことである。帝国がイオニアの沿岸まで進出した。紀元前五三〇年、死亡。息子、キャンバイシが王位をついだ。彼は帝国の拡大をつづけ紀元前五二二年、エジプトを征服した。北はダヌーブ川まで拡大した。放牧を主とするシディアンとぶつかった。彼らは国を形成しない部族の集まりである。戦いはヒットエンドランのゲリラ戦である。賢明にもこの征服を取りやめた。

* ペルシャの支配とは
これがギリシャ、ペルシャ戦争前の状況である。ではペルシャ帝国に服従するとは。まず王に土地と水の象徴をささげることである。これは王への絶対服従を意味する。それが具体的には二つのこと。

まず、税金をはらう。一般の人々にとって大した変化でない。以前も誰か高位者にはらってた。それがペルシャにはらうだけ。次は王の命令におうじて兵役の義務をはたすこと。これさえはたせば、彼らは極めて寛容な支配者であった。サイロス大王は臣民を慰撫した。イスラエルにユダヤ教徒の寺院を建設するよう命令した。ユダヤ人は彼を自分たち の神のようにいった。このように臣民にあいされた。しかしギリシャ人はちがう。はじめてぶつかった。

土と水の象徴をささげることをギリシャ人は奴隷化とみなす。その戦いは次回に取りあげる。

* その行政組織
サイロス大王のペルシャは二十の州にわかれる。そこに州長官がおかれた。彼らは帝国を守護する存在である。州の行政と軍事をつかさどった。巨大な駐屯部隊と護衛兵をもってた。その勢力をほこってた。州長官の権力が過大にならないよう駐屯部隊の指揮官は大王が任命し指揮官は大王に直接報告した。この州長官は貴族層を形成する。これはギリシャの僭主とおなじである。

* その軍隊の組織、戦術、傭兵
ペルシャの軍隊はすぐれた組織とすぐれた指揮命令系統をもってた。組織の単位は十を基本とした。十、それよりおおきいのは百、さらにおおきいのが千となる。軍は一年中うごかせる常備軍。職業軍人と専門の兵で構成。ほとんどの部隊は都市の駐屯部隊に所属。大規模な紛争では少数が駐屯部隊にのこるが大部分が敵にむかう。騎兵隊は最強であった。歩兵隊は多種類の規模をもってたが、おおむねよい規律をもちギリシャの重装歩兵と同程度に訓練されてた。

ペルシャ人は常にひらかれた平原での戦いをこのむ。そこでは多数が戦いを制するからである。大王は戦いの期間に兵を徴募する。これにより帝国の部隊の規模を大規模に拡大できる。時間の経過とともにペルシャは富裕となり内乱がなくなり、軍隊に規律がうしなわれた。後には兵の士気低下がおとろえ傭兵部隊にたよるようになった。このことはギリシャとの戦いで特にいえることである。

* 王の警護部隊
王の護衛にあたるのは一万人の部隊である。職業軍人が構成する。通常はメディアとペルシャから選抜。その戦力は常に百パーセントにたもたれる。戦闘が近くでおこり負傷者がでると補充される。警護部隊は、はなやかな色の衣服を着用する。充分な装備があたえられ進軍に際して車、さらに召使もあたえられる。勿論、食糧の配給もめぐまれてる。ペルシャには王の部隊不敗信仰がある。これがギリシャの重装歩兵との戦いで真実がためされることとなる。

警護部隊は弓とみじかい鉄製の刃をもつ槍をもつ。また短剣をもつ。体の防護は木の枝編みでできてる。真鍮の防護板は金属の小片からできてる。それを上衣でおおう。警護部隊員は金属製の兜をつけない。やわらかな布のティアラをつける。ギリシャの重装歩兵にくらべると防護機能は弱体である。重要な体の部分もただ衣服で防護するだけである。

* ペルシャの海軍
ペルシャの軍は戦艦もその技術も、もたない。軍は陸を目的として創設された。彼らの戦艦はすぐれた海の民であるエジプトやフェニキアによりつくられた。戦艦のほとんどを彼が提供した。皮肉なことにペルシャはイオニアのギリシャ人にもつくらせた。千二百艘をもってたという。

(おわり)

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