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スパルタ(簡略ギ歴) [英語学習]


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* 内容の 紹介
ギリシャの都市国家の代表としてアテネとならぶスパルタについて、その歴史、軍事中心の特徴などを 紹介する。、
(Ancient Greek History - The Spartans - 06、Historyden)

* スパルタがもっとも尊敬されてた
古代ギリシャにおいてもっとも偉大な都市はどこか。当時はスパルタである。アテネでない。多数の哲学者、民主主義の発祥の地などからアテネでないのは不思議かもしれない。しかしスパルタが都市国家の理想を体現したと尊敬されてた。

* スパルタはどのように生まれたか
マイシーニアンのギリシャの崩壊から暗黒時代にうつる。当時、アキーアンという言語がはなされてた。暗黒時代にドーリアンとよばれる人々がペロポネソスに流入した。彼らはちがった別のギリシャ語をはなした。文化的にもちがってた。ペロポネソス半島では最終的にドーリアンが支配的となった。

彼らは特徴ある壺を製作した。詩作においても特徴があった。他の都市の状況とかわりなかった。ところが、ある時期からそれらはきえ、すべてが軍事にむかった。古代のギリシャ人はこの原因をライカーガスという人物のせいにしてる。彼は、ある意味、伝説上のスパルタ創設の父である。たぶんこれは紀元前九世紀のこと。この名前の人物がいてスパルタの特徴のいくつかの形成にかかわったのだろう。

* スパルタの所在地は
スパルタの地政学的特徴である。二つの山地。東はポネント山地、西はタイジテス山地である。この山地は西への進出の障害となる。もしかりにスパルタがマイシーニアンを攻撃しようとすると、まず北上しこの山地の迂回が必要。南にゲッティア。主要な港。その上にアーゴス。それはスパルタの強力なライバルである。このような山地にかこまれたスパルタはけっして自然にめぐまれていない。困難のおおい土地。冬季はきびしい寒さがおとずれる。

* 二回のマイシーニアン戦争
紀元前七二五年から七〇〇年の間に隣接のマイシーニアンとたたかった。第一期のマイシーニアン戦争という。彼らは固有の文化をもち強力な都市国家を形成してた。スパルタは彼らを征服し食糧を供給する農奴とした。ヘロットである。二十年をこえる困難な戦いだった。抵抗は根づよかった。イソミ山にこもり抵抗した。征服の後もけっしてスパルタをゆるさなかった。彼らの存在は常にスパルタ人の重荷であった。その征服地域は重要な食糧供給地である。紀元前六五〇年から六二五年の間に第二次マイシーニアン戦争がおきた。アーゴスとスパルタの北のケイビアがヘロットの支援にまわった。さらに困難な戦いとなった。スパルタは困難を克服し勝利。ヘロットはまた農奴にもどった。彼らは食糧生産の地位にあまんじた。これでスパルタはもっとも多数の奴隷をかかえる都市となった。ペルシャ戦争がその後におきた。この戦いの大義はペルシャに服従。この拒否であった。しかし内部に奴隷をかかえるスパルタが問題とはならなかった。この二つの戦いをとおしてスパルタはギリシャ最強の軍をもつ都市となった。

* 軍事国家のスパルタ、兵士の養成
最強の軍をつくったスパルタについてみる。スパルタの男子は誕生から成人まで、すべての段階において訓練をうける。国がそれを管理した。段階ごとに判断がくだされる。スパルタ人となれるかを判断する。誕生したら強健か判断する。もし不合格なら赤子は放棄され死にいたる。この判断を家族でなく国がする。おそらく年長者が判断する。合格すると家族のもとにもどされ六年間、養育される。七歳の時にアゴゲという軍事教練をほどこすキャンプにゆく。これは年長の子どもたちが指導する。新入生にとってきわめてきびしい訓練である。

年長者が新入生にきびしく指導することがみとめられてる。このキャンプの試練にたえたら、きわめて強健な人間がうまれる。彼らには棒一本があたえられる。それ以外にパンツ、靴、帽子も何もない。キャンプ場所は厳寒の地である。わたされる食糧はわずかである。狩をして自力で食糧を確保する必要がある。このアゴゲに合格しなければスパルタ人とみなされない。

* 夫婦生活より軍隊を優先
これにたえて二十歳となると軍隊にはいる。その任務は六十歳までつづく。ところでスパルタ人は新奇をきらい従来どおりをよろこぶ。軍隊ではまったく同じ食事を毎日とる。まったく同じ顔ぶれの人たちと共食する。まったくおなじ集団の中にいる。これらの男たちが戦場でともにたたかうのである。これが兵士の間に特有の連帯感をうみだす。この訓練をおえるとちがうことがおきる。結婚する。しかし彼らは妻とともにくらすことがゆるされない。奇妙なことである。妻のもとをぬけだし、おなじ男たちの集団にもどってゆく。その理由は。一方で子どもをつくる機会を確保し他方で戦場の仲間との連帯を維持するためである。

* きびしい平時の訓練
平時においての訓練はきわめてきびしかった。そのため戦場でたたかうほうが楽だといわれた。スパルタの兵士には次のような特徴があった。まず規律。兵士は死をおそれずたたかう。戦死にはたかい栄誉があたえられた。彼らは自己犠牲を国にちかってた。この結果彼らの軍は不敗とみなされた。他の都市はスパルタとの戦いをもっともおそれた。他方、スパルタは不必要な戦いをさけ、それを最後の手段とかんがえた。これによって人口寡少の不利をおぎなった。

* スパルタ兵の特質、密集体戦法
次に上位者への服従である。さらに画一性の尊重である。すでにのべたように他の仲間とおなじことをする。国への忠誠も重要である。ところでこれらにはんする側面がある。戦いにおいて協力するとともに他ときそいたかい評価をもとめる。年長者が尊重されるが戦いの中で若者がたかい評価をうけることがある。彼らは戦いでおくれをとることをもっともおそれる。それを恥とかんじる。時には市民権の剥奪につながる。それが姉妹の結婚に悪影響をもたらすこともあった。戦闘方法の密集隊についてである。

スパルタは完全な密集隊をつくりあげた。一般に弱点とされる左側の密集隊だが中央や右側の密集隊とおなじようにつよっかった。彼らは戦いを効率的に短時間でおわらせた。みじかい槍はそのために最適な武器だった。

* 政府の組織、二人の王
スパルタの政府についてである。その憲法はギリシャのなかで独特であった。政治形態は民主政治、寡頭政治、さらには独裁政治の混合した形態だが寡頭政治というのがふさわしい。奇妙なことに二人の王がいた。両者はたがいに拒否権をもってた。この意味からも寡頭政治にちかい。王はまた軍の将軍となった。裁判の判事にもなった。戦功にたいする叙勲もおこなった。

王は普通の兵士のようにきびしい訓練にゆかなかった。つまりアゴゲの訓練をうけなかった。きびしい訓練で死亡する可能性はなかった。平時にその権限はすくなかったが戦時にはほとんどその権限の制限をうけなかった。これがもっとも重要な特徴であった。意見のちがいから内部分裂の危険をおさえ戦時における迅速な決断を容易にする。これが一番に重要視されてた。その他の政府の組織である。

* 長老会議、弾劾会議
ゲロシーア、年長者による会議体である。助言機関である。二十八人、六十歳以上である。ここに二人の王が出席する。彼らの任期は終身である。スパルタの政府でもっとも重要な機関である。エフォース。これは五人の市民からなり王を弾劾することができる。互いに政治的に関係がなく任期は一年で再任はできない。王が告発されるとゲロシーアで審議される。王が一般市民に弾劾されるところが独特である。

* 議会
スパルタの議会である。すべての成人男子から構成される。戦争に参加する年齢層である。和戦の両方を決議する。これが主要な機能である。すべての市民が軍事の報告の会議に出席できる。王が出席する議会にはすべてが出席した。会議の最後に投票することができた。このように各組織は牽制しあう。では何がきめられるか。むずかしい。それはスパルタが新奇をきらい従来どおりの保守をこのむことからきてる。憲法の最大の関心事は最強の兵士をそだてることであった。

* 階層社会、スパルティエト、ヘロット、ペリオコイ
社会における階層についてみる。上層はスパルティエトである。唯一の市民である。たぶんドーリア人である。その義務は訓練をうけ戦争にゆくことである。これだけだからスパルタの経済には何の貢献もしない。きわめて特異な社会である。日常の必要な仕事は奴隷にたよってる。ヘロットである。中間層としてペリオコイがいる。彼らは奴隷でも市民でもない。彼らはスパルタの市民がすむところにすめない。周辺にいる。貿易、工業に従事しスパルタの兵士の必要にこたえる。剣、楯など戦闘に必要なものすべてである。ヘロットのことである。

かれらはちいさな耕地をもつ。それぞれにスパルタの主人がいる。その生産物の五十パーセントを主人に供給する。スパルタのためというより、その主人につかえる。政府や階層の仕組みが軍事目的をはたすためにつくられてる。スパルティエトは戦争に専念しヘロット、ペリオコイがそのために奉仕する。スパルタ人は貨幣、金銀は必要ないとかんがえてた。それらは市民を堕落させるものとかんじてた。

* ペロポネソス同盟の創設、スパルタの役割
ペロポネソス同盟についてのべる。スパルタの人口構成である。ヘロットとペリオコイは七十万人、スパル人は一万人。完全にスパルタ人を上まわってる。彼らははやくから同盟の必要に気づいてた。これはタジアンとの戦争の後にはじまった。タジアンをたおしたことは重要だった。タジアンはスパルタの道路を支配できた。スパルタは守備同盟を提案した。タジアンには外交権の移譲をもとめたが、その他は干渉しない内容だった。ペロポネソスの中部のおおくの都市がこの同盟に参加した。これにより従来おきてきた戦争がなくなった。これによりスパルタは自国の安全をより強固にした。これ以降、コリンとアーケディアの有力な都市をふくむ都市間の紛争にたいし強力な調停者としての地位を確保した。この同盟には有力都市のアーゴスは参加しなかった。これがギリシャの最強の軍事連合であった。

スパルタはかならずしも好戦的でなくなった。その理由は自国内のヘロットの存在である。戦争は彼らの反乱を誘発する。特に遠征をさけた。それに同盟不参加のアーゴスの存在もあった。次回はアテネについてかたる。

(おわり)

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