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半人半獣ミノタウロスの迷宮 [英語学習]

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* はじめに
ギリシャ神話の半人半獣の怪物、ミノタウロスの迷宮。その発掘に取りくんだ男がいる。これはその話し。次に仮訳をしめす。
(The Quest for the Minotaur's Labyrinth)

* 半人半獣の神話
もっとも有名な神話のひとつに半人半獣の怪物ミノタウロスがある。それは人肉をたべる。非常に危険なので迷宮の中にとじこめられている。そこに英雄が登場する。テーシアスが怪物退治を志願。これは、ただの伝説としんじられてた。しかしこれが事実にもとづくものであることを証明しようとした英国の考古学者がいた。彼はこの伝説に取りつかれて、ついにうしなわれた文明の発見にいたった。これはこのアーサー・エヴァンスの物語である。

* 考古学者、アーサー・エヴァンス
1851年生れ。ロンドン20マイル北の工業都市ナッシュヴィルが生地。父親ジョン・エヴァンスは製紙工場のオーナー。ただしもっとも熱心に取りくんだのが地質学。すぐれた学者とみとめられてた。

わかいころの彼は科学の分野に才能をしめさなかった。父の聡明さを受けつぐような志をしめさなかった。母が早逝し彼は想像の世界に引きこもる。彼は古代ギリシャの物語に取りつかれた。その中で英雄テーシアスにあこがれた。彼は怪物ミノタウロスを退治した。もともとはミノス王の子ども。ミノス王はアテネの王とたたかい勝利。その賠償にこの怪物への生け贄を要求。男女がさしだされた。

王子テーシアスはこの約束をやめさせようと決意。ミノタウロスをころし父の愛をえようとした。ミノタウロスはミノス王の宮殿、その迷宮にひそんでた。そこに人々ははいっていく。しかし二度と地上にもどらなかった。テーシアスは迷宮でミノタウロスを発見。怪物を攻撃した。怪物はしんだ。テーシアスは地上にもどった。わかいエヴァンスはこれが彼の大発見につながるとは、かんがえてなかった。充分に冒険物語をよんだ。24歳。彼は歴史に彼自身の印をのこしたいとおもった。

彼の父、ジョン・エヴァンスは英国で石器時代の遺跡を発見した。これはエヴァンスにはこえるべきたかい壁となった。偉大な人間からうまれ、その父の庇護のもとにそだつ葛藤。これが彼にもおそってきた。彼はかわいいエヴァンスからのがれようとした。これはむずかしいことだった。彼はできることを実証しようとした。彼にはもともと冒険心があった。それが冒険にみちびく。もっともあやうい道にさそった。そしてその危険な道を選択した。

* 最初の挫折、博物館の管理係り
東欧は動乱の時代。オットマン帝国の支配が崩壊にむかってた。さて物事は予定どおりでない。当時彼はギリシャにいた。そこでロシアのスパイに間違がわれ逮捕。釈放され、また逮捕。反乱扇動の理由で国外追放となった。

冒険をした。成果はなかったが真の目的の準備となった。英国にもどり職さがしに奔走。1884年、家族のコネでやすい給料の職をみつけた。アシモリアム博物館。そこで放置された遺物の管理の職だった。これは彼の生来の熱情を追及する理想の場所だった。

* 父への対抗心
彼は 有名人である父の業績に見あう研究をしたい。そう希望した。英国は植民地を東南アジア、ブルネイにまで拡大。蒸気機関、電話、建築物、鉄道のパディントン駅、世界初の地下鉄、世界最大の船、世界中の科学論文が新聞の話題をにぎわした。あたらしい元素を発見が毎年のように発見され化学者は周期律表の空欄をうめていった。ダーウィンは人類の起源をといかけた。この西欧の文明がどこからきたのか。

当時、西欧文明の起源はギリシャに発生という。紀元前500年ころ、建築、彫像、芸術作品、文学、数学、科学、世界の姿、民主主義、罪と罰などにつき偉大な考えがうまれた。しかしそれ以前の文明をかんがえる人々もいた。

* トロイ遺跡の発見
考古学者があたらしい文明 を掘りだした。彼はハインリッヒ・シュリーマン。その新発見にエヴァンスは興奮した。伝説のトロイの遺跡を小アジアの丘陵に発見した。誰もが神話とかんがえてたもの。伝記作家ホーマーがかたる。トロイの王子パリスがスパルタの妃ヘレンを誘拐。それがきっかけでトロイとギリシャの間で戦争が勃発。

神話にすぎないとおもわれたが。そこに史実がかくれてる。そうかんがえるようになった。これは一大センセーションを引きおこした。さらにシュリーマンはギリシャ本土のマシーナイ。そこで伝説の王アガメムノンの黄金の仮面を発掘したと発表した。城内の墳墓の中からだった。それは古典ギリシャより1000年もふるかった。これで西欧文明の起源がさらにさかのぼった。

* 文字をもつ新文明の発見へ
彼はシュリーマンの発見では歴史書を書きかえるにいたってないとかんがえた。1883年、有名な史跡をみた。高度な文明があった。だが文献資料がない。問題とした。過去の出来事が記録され文献資料にのこる。それがなければ伝承。トロイやマシーナイの発掘は先史文明の存在をしめすものといえない。

そこに自分の可能性をかんじた。もし文献資料を発見することができたら、歴史の教科書を書きかえられる。するともはやかわいいエヴァンスでない。すでに有名な父のそばに自分の場所を確保してたが、あたらしい高度文明の発見に取りかかった。

それは彼が愛好した物語への旅。トロイ、マシーナイ、アガメムノンは史実だった。ところがミノタウロスは伝説である。1888、英国のオックスフォード、アシモリアム博物館。彼の考えはこうだった。巻物のような資料がなければ、すぐ行きづまる。ところが意外にも最初の手掛かりが彼の机にあった。

* 封印石の発見
牧師、グラベル・チェスターがその蒐集品を寄付した。それは中東において購入したもの。古代の封印石だった。それがマシーナイあるいはクレタから出土したものだった。クレタはミノタウロスの母地だった。それはちいさな宝石である。緑色、ジャスパー、アマジスト、コーネリア。署名のように粘土、蝋で手紙を封印してそこに印字する時につかってた。

あらためてしらべると、それらは微小な印し象形だった。それははじめてみたもの。これは高名な好事家や旅行家によって蒐集されたもの。これが彼が捜しもとめてたものかもしれない。そうおもった。特に彼の興味をひいたのはプリズムのような形をして、長方向を直角に切断した面の両面にほられたものだった。

* あたらしい文字か
彼はこれをじっくりとしらべた。そしてこれはある言語の文字とかんがえるようになった。封印石は興味ぶかいもの。先史の言語かもしれない。しかしそれが文字資料でギリシャ文字に先だつものというなら、もっと資料が必要だ。

ローマへの旅行が次の突破口となった。リコ・ヘルベルト、考古学分野における開拓者のひとり。クレタの専門家だった。彼によれば土地の百姓たちは定期的に封印石を掘りだすという。そこには不思議な文字のようなものがほられてる。それはつないでネックレスとして身につけられる。それが集中する場所がクノッソスだとおしえてくれた。

* クノッソスへの旅
そこはかってミノス王の宮殿があったところ。そこにミノタウロスを幽閉してた迷宮があった。もっともふるい文字の起源とミノタウロスの神話が相互に関係をもつものか。そうかんがえるようになった。

それはクノッソスの秘密をときあかすかもしれない。封印石の文字らしきものを解読し、それが先史文明のものと実証する。かれはもっと資料を必要とした。アテネへの旅は有益だった。アクロポリスちかくのフリーマーケットで封印石をみつけた。商人はそれがクノッソスから出土したものと言いはった。

彼はこれにかんがえこんだ。動物や人間の絵文字、抽象的な象形文字、エジプトのハイログリフか、きわめて独自のものである。どちらからよむのかも、わからない。それはギリシャ文字に先だつものなのか。

* アテネの収穫、クノッソスでの最初の発掘
これは探求にあたいする。成果がえられると自信をもった。彼の探求をもう一歩すすめた。クレタにでかけた。彼はギリシャ語を充分にかけた。封印石を6年の調査の後にミノス王が宮殿をかまえてたというクノッソスの丘にのぼって遺跡をみた。

彼はひとつの溝に飛びおりた。その底に壁を見つけた。すぐあたらしい発見があった。そこに象形文字がほられてた。これは彼が捜しもとめてたものだった。二重の刃をもつ斧、ラブリスであり一説にばゼウスの象徴でもある。これはミノスとゼウスの関連をしめすものだった。

* あたらしい文字を発見
彼はこれはミノス王の宮殿の跡と確信した。彼はラブリス(二重刃の斧)という言葉が迷宮ラブリンスとちかい。これが最初の発見であった。彼は科学者だったが、西欧文明の起源をもとめることに魅惑されてしまった。この土地をいつでも調査できるように自分の所有物にしたいとおもった。その土地の業者と下交渉してオックスフォードにもどって、次のことをあきらかにした。

彼はクレタを調査旅行して、封印石を購入し分析をかさねた。80以上の文字種があること、これは2つの系列にわかれること。これが欧州で最初の文字。絵文字、動物、物の封印石の印影。そこには線による抽象的な文字のようなものがきざまれてた。線形文字である。

* アルファベットの起源、文明の定義
彼はこれがアルファベットの誕生をしめすのでないかと、かんがえた。1894年における欧州の学者にとっては画期的なことだった。このことがあたらし文明の定義の方法を提供した。

古典ギリシャをさかのぼる文字を見つけたのかもしれない。クレタのマシーナイ文明は欧州文明の揺籃かもしれない。それを実証するには。文字、封印石にあるような証拠が必用。もし高度な文明が存在するなら政府、帝国を統治するにつかわれた大量の文学、文献資料、後世にのこるような粘土板が必要だ。

* クレタの土地購入
彼は土地の売買成立をまってた。クレタとオットマン帝国との間で戦争がすすでたが1896年5月6日に成約した。代価は235ポンドだった。クレタの4分の1にあたる、現在の価値で22000ポンド。誰からも文句のでない所有者となった。

クレタとオットマン帝国の紛争は2年間つづいたが1898年9月オットマンはさった。だが自由に発掘するにはさらに障害があった。彼は5000ポンドを用意しなければならなかった。父に援助をもとめた。よろこんで援助したが彼の心情は複雑だったが障害が解消した。現在の価格で50万ポンドだった。発掘準備のためピカデリーサーカスで豪華な買い物をした。56ポンド1シリグだった。当時の労働者の一年間の給料だった。

* 本格的調査のはじまり、ダンカン・マケンジーの協力
1900年、彼はまたクレタにやってきた。彼は発掘の専門家でない。それをおぎなう人間を必要とした。地元の言葉をしゃべり発掘作業をおこない人々を指示し発見物を管理する人間である。ダンカン・マケンジーに電報で依頼した。すぐやってきた。二人は好対照だった。どちらもすぐれた人物だった。

彼は小柄で茶褐色の髮で貴族的。ダンカンは大柄、赤毛の頭髪、スコットランド系、地元民と酒をのむのをこのんだ。ダンカンは発掘の専門家であり、ギリシャで考古学者として数年間をすごし、言葉を流暢にはなした。現代歴史の学位をもつ。哲学と考古学を大学で専攻した。

ダンカンは発掘人をやとった。その集団はクノッソスにむけ出発した。発掘の第1日目午前11時、本部のテントを設営し英国陸軍からかりた国旗をたて責任の所在をあきらかにした。

* 発掘作業本部の設営、最初の成果、粘土板
正午前に土塊がショベルでほられ、はじめてミノス王の宮殿の全面的発掘作業が開始した。最初に建物の外郭線をしらべた。彼の内心に不安があったろうが、第2週目に見事にあてた。

その場所の最高地点で粘土板、そこに文字がきざまれたもの。これまで発見されたことのない。彼は数百の粘土板を。おおくは破砕されて、文字がきざまれて、封印石にあるのとおなじようなもの。それよりさらに価値があるもの。彼はこれを線文字Bとよんだ。これは日常につかうもの。壺がでた。これは粘土板の年代の特定を可能とするもの。

* 線文字B、ギリシャより900年さかのぼる
壺はマイシーニアの壺とおなじ。それはほぼ紀元前1400年である。線文字Bはすくなくとも古典ギリシャより900年もふるい。

彼はタイムスに電報するとこの発見を記事にした。それとともに父親にも電報した。父はよろこび500ポンドをおくった。彼は感謝しながら父の支援をもとめつづけた。彼は父に感謝してたが、これは自分の業績であると手紙でのべてる。

* 継続する父の援助
父の援助はさらなる発掘に役だった。ふかく掘りすすみ、おおくの粘土板が出土した。それは線文字Bとちがってた。もっと単純でふるかった。線文字Aとよんだ。これは封印石の象形文字と線文字Bをつなぐものだった。彼はこれで三段階の文字を発見したとしんじた。これはすばらしい成果であり、革新だった。これで父親の業績と同等のものを達成した。彼はさらにその先にすすもうとした。迷宮とミノタウロスの謎に挑戦した。

* 迷宮とミノタウロスへの探求
発掘作業が3週間つづいた。小石が一杯になった部屋にぶつかった。壁画の破片を発見した。牛のひずめだった。彼はこれをミノタウロスとかんがえた。テーシアスがたたかった。これが明白な証拠とした。これが彼がはじめてマイシーニアをのぞいた気になる瞬間だった。では神話の王はどこに。おなじ部屋の反対側に作り付けで石造りの椅子があった。

彼は石の最初の軛(くびき)を発見したといった。これはきわめて重要な証拠となる。彼はその証拠の明白な所有者である。これでミノタウロス、ミノス王、テーシアスの三者が関連づけられた。だが迷宮はどこにあるのか。彼はさらに発掘をつづけた。すると瓦礫の中におりてゆく階段、ふかい小部屋、ながい通路があらわれてきた。これが迷宮であるという考えがうまれた。

* ミノス王の宮殿と確信
彼はミノス王の宮殿としんじたが。さらなる証拠をもとめた。第55日目に破砕を整理してる時、悲鳴をあげた。彼は浮き彫り、頭、たれた舌のフラスコ絵、ミノタウロス、怪物の像をえがいたフラスコ絵があらわれた。等身大の牛の絵だった。半身をおこし攻撃にうつろうとする姿である。さらにミノス王の絵もあった。そこで彼は神話は実在したといってしまった。

建物の全容をあきらかにするのに31年をかけた。2万平方メーター。3つのフットボール競技場の広さ。さらにあたらし事実をあきらかにした。クノッソスは工学技術の精華であった。ひろい中央広場。壮大な階段。欧州最古な整備された道路。複雑の仕組みをもった上下水道。廃棄物処理の設備、世界最初の水洗便所。欧州の歴史上もっとも高度に発達した文明といえる。

よりふるい文明社会が存在してたようだった。彼はクノッソスの人々をミノアンとよぶことにした。彼らは非常に洗練された人々。紀元前2700年ころ、マイシーニアが実在し、独自の文字をもつ。

* 父の業績をこえナイトの称号の授与
この考古学上の業績で彼はナイトの称号をさずけられた。もはやかわいいエヴァンスでない。彼はあたらしい文明を発見したがミノス王、迷宮、ミノタウロスの神話にとりつかれた。後世の歴史家は発掘された建物は宮殿でない寺院であるとしてる。

(おわり)
* 感想
ここの説明はナレーションとコメントがある。ナレーションは聞きとりやすいが、コメントはその人による。ここでは女性の研究者がききずらい。私はほとんど聞きとれなかった。

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