美味しんぼ、その2 [脱原発]
原発、風評被害の問題は複雑である。おおくの人が発言してる。そこでいいたい。世の中に発言すると大なり小なり責任がうまれる。世の中のためになるという気持をもつ。それが大切である。下の表をつくった。簡明を優先したので、舌足らずの表現があることをお断りする。
実際の石原大臣の発言はもっと複雑である。「住民の被ばくと鼻血の因果関係はないという評価が既に出ている」という。これをわたしは、医学的、おそらく疫学的調査をおこなった結果、両者に有意な関係があるとはいえない、という結果だった、ということと思う。放射線に絶対安全はないといった。だからこのような結果でも放射線に不安をだき、被害を主張する人がでても理解できるところがある。
ここで「世の中のために」といことを補足する。双葉町長、福島県が風評被害に神経質になるのは理解できるが、注目があつまったこの機会に支援してくれた人々に頑張っていると前向きのメッセージもおくってほしい。いたずらに被害者の立場だけを強調するのは一方的である。
前の町長の発言には政治的思惑があるとの印象がぬぐえない。どれだけの人々が被害をうけているのか具体的状況を明らかにするとともに、賠償請求の具体的動きをみせてほしい。事実を明らかにすることが一般の人の利益につながる。これまでおおくの助けがあったことをわすれないでほしい。努力を期待したい。
大学の先生、研究所長さんについて、学問として議論を深めてほしい。それが一般の人の利益となることをわすれないでほしい。
橋本市長が5月19日発売の掲載誌をみて、一般の批判もふくむ特集記事を掲載した対応を評価した。また美味しんぼが休載となったことも妥当とした。
今回の動きについて、放射線の被害のあるなしは、さておいて、その掲載、表現方法について詳細に分析した記事をみつけた。そこで、1) 被害が放射線によるという、主張が掲載号をまたいで微妙に変化していること、2) フィクションでありながら、現実の人間が登場し発言する。その両者の区分があいまいであること、3) 充分な取材でなかったこと、を指摘している。株式会社サイゾーが提供し浜田六郎氏による。参考になった。さて結論である。
結論
このような問題では、多様の意見がかわされることが重要である。この国では静謐がふりまわされがちである。騒がしい議論が不毛な結果になりがちである。そこで、世の中のためにするという気持をもつことを指摘したい。いたずらに不安をあおったり、苦しんでいる人々をさらに傷つけてよいわけない。声高に自分の主張をするだけでは不十分である。事実を提供し、学問的議論や、裁判において多様な主張をあらそうことで、おおくの人への利益につながる。こした実りをもたらすように発言すべき、と思う。
要望 | 対象 | 発言、評価 | |
---|---|---|---|
世の中のために | 政治家 | 小泉自民党議員 | 何度も福島へ。むしろ元気に 不安をもつ国民へのメッセージとして評価する |
石原環境大臣 | 鼻血とは関係ないと否定 担当者として当然の発言 |
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安倍総理 | 国として風評被害に全力 総理として当然の発言 |
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伊達双葉町長、福島県 | 風評被害を訴え もうすこし明るく |
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井戸川前双葉町長 | 自分も鼻血被害。損害賠償をもとめたい人も 真意を疑う。もっと具体的事実、行動を |
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橋本大阪市長 | 被災地のガレキ処理により、処理場周辺の住民が鼻血の被害をうけたという。小学館に抗議、情報開示を 事実と異なると指摘、情報開示をもとめて当然 |
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有識者 | 福島大学教員 | 漫画に登場し福島にすんでいけないと主張 真意を疑う。もっと具体的根拠を、学問としての議論を |
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岐阜県環境医学研究所長 | 放射線被爆と鼻血は関係あり もっと具体的根拠を、学問としての議論を |
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ふくしま集団疎開裁判の会 | 風評被害を訴える県を批判。真実でないという 裁判という具体的行動は評価できる |
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お笑い、松本人志 | 漫画家は神と擁護 創作者としての気持はわかるが、実際に影響がしょうじる現実に理解を |
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しずかに | まよってる一般人 | みて考えて自分できめる これが妥当 |
実際の石原大臣の発言はもっと複雑である。「住民の被ばくと鼻血の因果関係はないという評価が既に出ている」という。これをわたしは、医学的、おそらく疫学的調査をおこなった結果、両者に有意な関係があるとはいえない、という結果だった、ということと思う。放射線に絶対安全はないといった。だからこのような結果でも放射線に不安をだき、被害を主張する人がでても理解できるところがある。
ここで「世の中のために」といことを補足する。双葉町長、福島県が風評被害に神経質になるのは理解できるが、注目があつまったこの機会に支援してくれた人々に頑張っていると前向きのメッセージもおくってほしい。いたずらに被害者の立場だけを強調するのは一方的である。
前の町長の発言には政治的思惑があるとの印象がぬぐえない。どれだけの人々が被害をうけているのか具体的状況を明らかにするとともに、賠償請求の具体的動きをみせてほしい。事実を明らかにすることが一般の人の利益につながる。これまでおおくの助けがあったことをわすれないでほしい。努力を期待したい。
大学の先生、研究所長さんについて、学問として議論を深めてほしい。それが一般の人の利益となることをわすれないでほしい。
橋本市長が5月19日発売の掲載誌をみて、一般の批判もふくむ特集記事を掲載した対応を評価した。また美味しんぼが休載となったことも妥当とした。
今回の動きについて、放射線の被害のあるなしは、さておいて、その掲載、表現方法について詳細に分析した記事をみつけた。そこで、1) 被害が放射線によるという、主張が掲載号をまたいで微妙に変化していること、2) フィクションでありながら、現実の人間が登場し発言する。その両者の区分があいまいであること、3) 充分な取材でなかったこと、を指摘している。株式会社サイゾーが提供し浜田六郎氏による。参考になった。さて結論である。
結論
このような問題では、多様の意見がかわされることが重要である。この国では静謐がふりまわされがちである。騒がしい議論が不毛な結果になりがちである。そこで、世の中のためにするという気持をもつことを指摘したい。いたずらに不安をあおったり、苦しんでいる人々をさらに傷つけてよいわけない。声高に自分の主張をするだけでは不十分である。事実を提供し、学問的議論や、裁判において多様な主張をあらそうことで、おおくの人への利益につながる。こした実りをもたらすように発言すべき、と思う。
2014-05-20 05:18
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