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愉快な男たち [これって何]

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近頃、加齢臭が気になってきた。で、JR御徒町駅の近くの香水の店にいって相談した。そこは二人の中年以上の女性が切りもりしていた。より中年以上の女性に、はじめて香水をつかうことになると思うが、男性用の香水はあるか、たずねた。あるといい、早速、吸い取り紙のような材質の細長い紙に、香水を染みこませて、それを三つしめした。自分で気にいったものを、きめろという。

最初のは昔わたしがつかっていたポマードの香料のような匂いだった。次は香水らしい匂いがした。最後は柑橘系のやや強い香りだった。外国の男性がすきそうな匂いだと思った。そこで二番目がいいといったら、はじめての男性はほとんど、二番目にするといったので、安心し、それにした。外出の時、シュシュと三度ほどお腹の回りに吹きつけるのがよい、といわれた。

JRの列車はちょうどよい読書室である。よく散歩のついでに乗ってかえる。コンパートメントの四人掛けに坐ることにしている。横掛けのほうより揺れがおだやかで、適度の揺れが心地よい。四人掛けは集団で旅行の客に人気があるようだ。わたしは、いつも端のほうまでいって坐る。最近は、線路のつなぎ目がなくなったというか、滑かになったので、ガタンゴトンという昔風の揺れはほとんどない。速度をおとしてはいってくる電車はまったく無音である。気をつけないと危いほどである。だから、進行方向をむいて、流れる景色をみていると、本を読むことを忘れてしまうことがある。

ぼんやり、流れてゆく景色をみて、まるで飛行機にでも乗っているような気分となる。このつなぎ目を滑らかにする技術は。新幹線が導入された時に、その高速を支える技術として導入されたものである。従来は短かいレールを、隙間をあけてつないでいった。これが、あのガタンゴトという音がする原因だった。それを溶接で接続させる。この長いレールの端を斜めに切断し、他方は曲げて、接続させる。こうして隙間をなくした。さらに、枕木をコンクリート製にして固定する。たしかこのことにより、従来、夏冬の寒暖による伸縮を無視できるようになったはずである。新幹線により開発された新技術である。これが昭和三四年だったと思う。この技術は長く在来線には導入されなかったと思う。ある時、それに気がついて感動したことを思い出す。これで走行音、揺れの低減、高速化が可能となったと思う。自動車との競争に勝利するのには、たしか平均時速が80km以上が必要だという新聞記事を読んだ。気持のよい走行にうっとりというか、ぼんやりしていた。わたしは、コンパートメントの座席の窓側に座っていた。

そこに、突然軽い衝撃を感じた。隣席に人が坐った。チラっとみた。短身、中年、短髪の男だった。何だろうか、わざわざ隣に坐る必要があるまいに、と思った。四人掛けに一人が先客としている場合は、それが窓際なら、斜め向いに坐る。たしかに、わたしの横を荷物で占有してはわるいと思って、あけておいたが、あいている向いをやめて、隣りに坐ることはないのにと、不愉快な気分となった。しかし、文句をいうようなことではない。黙って本を読みはじめた。へんに思われないため、もう、隣りをみることはせず、ひたすら本に没頭した。といより、その気配が気になってしようがなかったが、素知らぬふりをしていた。すると、隣りの男は足を投げ出して、向いの席にのせた。まるでその足で通せん棒をしたようなものだった。

ちょっと気持がわるくなった。何だろう。わたしにいちゃもんでもつけようというのか。すこし身構えた。いざとなれば、その足をおろしてくださいとでも、いわねばならない。そう思うとだんだん腹がたってきた。この野郎という気分だった。いわゆる「やくざ」か。こんなわたしに、ちょっかいをだして、金にするつもりか。心の中ではいろいろと考えた。すると、鼻歌を歌いだした。揺れにかこつけて、こちらに体をよせてくるようだ。その程度がすぎると、きって我慢できなくなるだろう。その時は何といってやろうか、と考えながら、とにかく、ひたすら無視をきめこんでいた。どうやらそれ以上の嫌がらせはなかった。いづれにしても、気分がわるいので、あと二、三駅でおりようと決心した。次の駅である。男は下車した。すこし拍子抜けしたが、短身、中年、短髪にやや 小太りりがくわわって、嫌な野郎だったなあ。という印象だった。

一ヶ月くらい後のこと。また四人掛けの席に一人坐っていた。もうこりたので、自分の隣りの席には荷物をおいていた。勿論、坐る人がふえれば、荷物は自分のところにおいて、隣席はあけるつもりだった。本を読んでいたら、斜め前の席に坐ったのがいる。大柄、長身、ダンディーな男だった。派手だ。昔みた高峰秀子の「カルメン故郷に帰る」を思い出す。あの映画は、戦後、日本初の総天然色映画だったが、やたらに高峰秀子の白い洋服が目立った。いつも「白」が風に舞っていた印象がある。余計なことをいうようだが、江戸時代は「茶」色の時代だという。これは古びた建物、室内、調度品、そこに暮す人々の衣服、すべてが茶色系統だった。照明不足がくわわって、さらに汚れが目立たない経済性から、このようになったという。わたしの衣服も同様に茶系統で統一されている。まあ車内は昔のくすんだ茶色ではなかったが、その対比からとっても派手だった。本当は明るいベージェだったかもしれないが、真っ白にみえた。

その男が斜め前に坐り、今度は足をくんで、こちらを威圧するかのように坐っている。何か語りかけたいことがあるようだ。まさか、こんな田舎に映画俳優はいないだろう。その流れでもあるまい。そう思ったが、ズボンにも綺麗に折り目がついている。でも、季節は秋、冬に近い。真夏に似合いそうな白のジャケット、ズボンだった。やっぱり異様だと思った。この正体不明の男が開放的に、ごくくつろいだ態でこちらをみている。へんな野郎だなあ。とにかく無視。そうきめて、読書に専念した。いざとなれば途中で下車しようと思っていた。すると、男は突然、席をかえた。コンパートメントをはなれ、出口ドアの近くの席に移動した。あいかわらず、洒落のめした態はかわらなかったが、すこしがっかりしたような雰囲気があった。こちらは一件落着。読書というわけだった。次の駅に停車した。こちらは予定どおりその先の下車だったので、あまり注目しなかったが、席があいていたので、下車したのだろう。そこで考えた。

一体何なのか。どうして、わたしの平穏な読書を乱す野郎がでてくるのだ。馬鹿野郎め。一応、安堵しつつ、前の男のことも考えてみた。と、共通する事がある。思いついた。どちらも香水の匂いがした。えっ、それて「おかま」か。わたしも「おかま」と思われていたのか。自分では香水といっても、eaux de toilette。匂いは強くない。だいたい、一時間もすれば、匂いを感じなくなる。これでは他人には気がつかれてない。折角の加齢臭対策も意味ないと思っていたが、本当は他人には、プンプンと匂っていたのか。自分はブルガリの何とかいう、eaux de toilette を振りまいてたのか。と思うと恥かしくなってきた。そういえば、あの小男は、こっちらの無関心にすこし落胆して、鼻歌や、揺れにまぎらわせた親近感を表現してたのかもしれない。あの通せん棒も親しみの空間表現だったのかと思う。そうすれば、わたしが立腹してたとわかったら、泣いちゃうかもしれない。あのカルメン風、場違いな白もわたしへの親近感だったのか。ああ、嫌だね。加齢臭対策にこんな副作用があったのか。と、思うと、匂いが弱いから、また、御徒町の店にいって、本格的香水にしようかと思っていたのは、断念した。

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