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隻眼視 [健康]

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若い頃、わたしは、極度の近視で乱視だった。大学で黒板のおおきな文字が眼鏡なしでは「読めない」といったら、「もう障害者じゃん」、と笑われれた。なるほどと、納得した。読めなければ覚えておけばよい、という記憶力頼みの生活だった。当然、眼のよい人なら気づく距離でもわからない。あいさつのできな奴だと思われたことだろう。まあ、それでやってきた。振りかえって特別な後悔はない。図々しいのだろう。ところが、六十を前に困ったことがおきてきた。

就寝前に寝床で本を読む。裸眼である。眼にわるいと思いつつ、これが何よりの楽しみだった。ところが、異変がおきた。右目のほうが老化がすすんだのだろう。どうもぼやけて見えるようになった。そうすると、文字が二重になる。左と右がアンバランスとなったからだろう。右目だけを本に近づけるとやっと見える。ところで職場では眼鏡をつけていた。それでパソコンの入力はできた。でも、右目がぼやけていることに気づいた。時々、二重に見える。でも、あまり気にならない。このままだと、眼鏡をかけていれば、それまでとかわらない生活ができたのだが、老眼がすすんできたのだろう。二、三年あとだったと思う。眼鏡で細かな文字が読みにくくなった。趣味で街歩きをする。その時もってゆく国土地理院の一万分の一の地図の情報は実に詳細である。街頭で読むのはむづかしくなった。携帯の拡大鏡を購入してつかったが、たいして役にたたなかった。このあたりから話しが深刻になってきた。

街歩きの前には下調べをる。眼鏡では眼がいたいので、裸眼でみる。すると眼を近づけるので、首がいたくなる。遠くからは見れない。全体を見わたすのはできない。ほんの一部だけを見るので、ある場所を見ていて、別の場所を見る。またもどって見ようとすると、それがむづかしい。俯瞰して、ちょっと細かいところを近づいて見る。また俯瞰からもとの場所にもどるというのではない。まるで蟻がはえずりまわってもとの場所にもどるようだ。まったく試行錯誤である。何度も探す場合は、街区の番地、町名をおぼえて、たどりつく。効率がわるい。つかれる。やむえずマーカーで印をつける。地図が赤や青でよごれた。細かな等高線がわからなくなった。困ったことがつづく。二重に見えるので、どこをたどっているのかわからなくなった。こんなことは、はじめてだった。あまりきちんと説明できないが、立体視ができない段階にはいった。

眼鏡をつけていても立体視ができてない。休みの日、自転車で散策をしていた。むこうから女性の自転車がやってきた。その距離はぶつからないはずだった。すりぬけようとした。気がついたら転倒していた。女性は心配そうに声をかけてくれたのだが、わたしは恥ずかしくて、あわててその場を逃げさった。こんなことも生まれてはじめてのことだった。現場をはなれて、落ちついて考えてみた。今までどおりの普通の感覚で通りすぎようとしたとき、相手のハンドルとわたしのハンドルがひっかかったのだった。予想もしてないことで、まったく、コントロールをうしなって、無様に転倒していた。もう自転車はあぶない。それから自転車はのっていない。実は、夜、自転車で街を通行していて、よく見えないなと思ったり、あぶないと思ったことがあった。さらに照明がやたらにあかるいとか、にじんでいるとかも思った。電車通勤の時の経験である。

階段がこわくなった。のぼりより、くだりだった。おりる一歩目の足をおろせない。すこし暗いとなおさらだった。ラジオで老人の心得というのをきいたことがあった。で、老人は階段の手すりがある、右か左に寄る。手をそこに軽くおいたまま、おりてゆく。これが暗黙のルールだということにして実行した。階段のくだりがおわる、最後の一段あたりである。あるつもりでいたり、ないつもりでいたりするが、予想とちがうと、たちまちつんのめる。これも恥ずかしい。何でもないように、その場をはなれる。照れわらいをするが、大体周囲は知らんぷりである。雑踏のなかでもたもたしている老人を、うるさそうな眼で見ていた、昔のわたしがいた。今の自分を見ていたのだなと思う。重心が後ろにのこる。のこしたまま足をだす。まったく軽快でない。雑踏のなかで、むこうからくる人がこわくなる。ぶつかってくるように感じる。最近の若者は、何て乱暴で礼儀しらずだと思ったこともあるが、これも立体視ができない影響がある。そのために突然ぶつかってくるように感じたのだった。まだ、つづく。

レジで女の子の手をさわる。最近の子は何てすべすべしてるのか、と思わず感じてしまう。それは距離感がつかめないので、ぶつかったりして、面倒だとなって、間違いなく受け取るため、手をにぎるようになっても、いいやと思うからだろう。また、別の時、だされたレシートにたいし、その上に手をだして、食いちがってしまった。相手の表情にも変化があった。ちょっと恥ずかしい。酒席で卓上のグラスをひっくりかえしたこともある。これも酔っぱらった、いきおいだけではない。と、いやになることばかりだが、ある時、コンビニの棚にならんだ商品を探すのがむづかしくなっているのに気がついた。

要するに、それまで瞬時に判断していた商品の認識ができなくなったということだと思う。ちらっとみただけで、それが何であるかわかっていたのに、立体視ができなくなったことで、その認識の判断回路がはたらかなくなった。でも、じっと見れば、勿論、判断できる。でも、コンビニの棚を前に顔を近づけてのぞきこむ。何やらあやしげである。これもいやだ。だから、「ざっと見」ができなくなった。ほんとうにぼんやりと見ているので、店員にきいて、ほんのちょっと先にある商品をきいていることがわかり、思わず赤面した。ドラッグストアで、トゥースブラシを探していて、同じ経験をした。年寄があまりしらない場所にゆきたくない、という。

これにはきっとこのような心理がある。わたしの場合は立体視だが、かすむ、ぼんやりする。これで判断がむづかしくなるから、未知の場所にいったら、いわば土地勘ができるまでは、しらみつぶしに探す。これはためらうだろう。年寄が広い店内をうろうろと彷徨する光景が目にうかぶ。わたしは知っている店の知っている場所で商品を探す。はじめてのコンビニなら、とにかく出あった棚の上のほうで、それらしいものを見つけたらそれ、といって買う。これで特に問題はない。年寄の購買行動だ。

若い頃から、他人とあうのは苦手だったが、好奇心だけは人一倍旺盛だった。気にいればどこにでも、でかけた。それがだんだんと億劫になり家に閉じこもるようになるのか。まだまだ足はうごくのに、 と思う。隻眼視の人となるか。ところで、ハリウッド俳優のジョニー・デップは幼年時代から左目が失明していたそうだ。女優の樹木希林さんは数年前にこれも同じく左目を失明したそうである。デップは美貌がある。希林さんは、華がある。ところで、わたしは何があるのか。



タグ: 視力 片目
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