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ケーガンギ歴、ペロポネソス戦争(18、1の3)



* はじめに
はじめにおことわりする。ケーガン教授の該博な知識、精密な論理についてゆけない。そのため説明がわからない。やむえず大勢をあやまらない。これで割りきった。一体こいつは何をいってるのかとかんじたら、それは私の無能ゆえである。
引用:18. The Peloponnesian War, Part I (cont.)、YaleCourses、2008/11/20 に公開

* 年表
449 キャリアスの和平
445 三十年和平協定
443 イタリアの植民都市建設
440 セイモスの反乱、スパルタで会議
435 ルケムニの戦い
433 シボータの戦い
431 第二次ペロポネソス戦争

* 和平から戦争までの話し
紀元前四四五年に三十年の和平がむすばれた。もちろん、彼らはしらなかったが、大ペロポネス戦争が十四年後にはじまる。二つの戦争のあいだにおきたことを我々はすこししってるが、それは興味ぶかい。我々がはなしてきた和平、その性格をしる証拠がある。これの解釈はなかなか容易ではないのだが、これからもつづく和平なのかを見きわめることが必要である。またそれが長期にわたる国際関係を制御してゆくものなのかも必要である。あるいはであるが、たんなる和平、不可避の戦いがやってくるあいだ、束の間の和平であるのか。これらはこれからの十四年間におきることでたしかめることができる。

* 和平、長期にわたるものか
問題とせざるをえない疑問がある。両方の意図だ。それは和平の客観的要素といえず、だがより重要なもの、たぶんそうだが、それをある程度たしかめることができる。ペリクリースはなおアテネの政界における指導者の地位にある。あきらかにアテネ側の和平の交渉者である。裁定者の条項が彼の発明という私の考えがだが、このとおりならば彼はこの和平の性格をきめるうえで、おおきな役割をはたしたとみる。すると当然の結論だが、彼は将来にわたる和平遵守を確固たる方針としてる。あるいは可能なかぎり、それを遵守するだろう。それは、和平がはじまる前の数年間にみることができる。それは戦争ははじまる前の数年間でもある。アテネはペルシアの王と和平をむすんだ。アテネの交渉者はキャリアス(Callias)という人物であり、歴史の本にはキャリアスの和平という。ここには古代のギリシャの歴史において議論される問題がある。つまり本当に和平なのかという点である。あるいは公式なのかそうでないのか。古代の歴史家においてもこれは史実といえるのかと疑問もある。これについての論爭であなた方をわずらわせるつもりはない。公式の和平だったというのが私の意見である。しかし、公式か否かはたいした問題でない。というのはアテネ側とペルシア側の両方がこれを事実上の和平だとしんじてる。それも長期間にわたりしんじてる。またこれは大ペロポネス戦争のなかでもやぶられなかった。紀元前四一二年にスパルタとペルシアのあいだに条約がむすばれたが、そこまでやぶられなかった。

* キャリアスの和平の性格
ここでペルシアはアテネにたいし戦争にはいった。だからペルシアとの和平は相当期間つづいたといえるのである。キャリアスの和平のはじまりは紀元前四四九年が、従来の見解である。プルタークが惟一指摘してる。これをうたがってる歴史家もいる。というのはペリクリースが全ギリシャの会議を呼びかけたが、そこの主題の一つがペルシア戦争の後に我々が約束をどのようにまもってゆくかであったからである。そうして戦争のなか、ペルシア人により破壊された神殿を再建するかの議論につづく。また、海上の自由をどのようにまもってゆくかであった。この戦争で破壊された神殿は、結局のところすべてアティカにあるものをさす。アテネはこの機会にあきらかにすべてのギリシャ人を巻きこみこれらの神殿の再建の費用を分担させようとしてた。そこでもっとも利益をえるのはアテネである。そして海上の自由の維持は艦船の提供を意味する。それらはペルシア戦争を遠さけ海賊を排除するものである。

* ペリクリースの再建計画
アテネがあきらかにこの艦船をもつ。 これにより、すべてのギリシャ人はこの艦船の活動に参加するならば、アテネ帝国とそれを偉大なものとする海軍の両方を正当化する方法となる。またさらにペリクリースがかんがえてる構想を正当化する方法ともなる。それがこのとおり最大限に実行されたとすると、神殿を再建し、さらにアティカの別の場所のアクロポリスのうえにも新築する。これらはアテネの偉大さと栄光の証しとして建築される。この建築計画は彼のこれからの生涯のなかで彼の国内の政策の中心となる。

* ペリクリースの考え
彼はすべてのギリシャ人をこれにさそった。だが、そこにはスパルタとその友邦が登場するべくえらばれてはなかった。何故か。アテネにとり魅力的だが、スパルタにとりそうでない理由がある。こんな主張がある。ペリクリースはスパルタが受けいれるとかんがえてなかった。あるいはスパルタと他のギリシャの人々はこれに参加しないとかんがえるから、アテネが一方的にやっていく。これを彼のやりかたでやったのだという主張である。一つの考えはこうである。スパルタがあらわれず、また、その同盟国もあらわれず、彼らが約束をまもるともいわない。なら、アテネがやるという。これは偉大な神殿をアクロポリスに最初に建築する正統な理由となる。この建物、パルテノン神殿はギリシャ世界でそれ以降、偉大な誇りとなったのだ。

* 建築計画と海軍整備の正当性
そして、莫大となる費用に彼は同盟の資金をつかうつもりである。これを正当化しなければならない。彼はそれが議論されることを希望してる。海上の自由の維持である。おおきな艦隊が存在することに正当性をあたえる。費用について同盟の資金がつかわれる。言いかえるとこれはアテネ帝国の正当性をあたえる。彼は間違いなくこの神殿の建築と海上の自由が必要とかんがえていた。というのは彼がペルシアと正式な和平を成立させたのはそうかんがえたからである。ペルシアにさらにおおくの攻撃をかけてゆく。ペルシアを追いだし、もはや脅威でなくする。こうなったらどうして同盟国は彼らの艦船を提供し資金を提供するだろうか。参考までにいうが、当時は彼らが提供するほとんどは資金でなかった。そしてアテネは艦船の乗員すべてを提供していた。

戦争がおわった。なら何故つづけるのか。ペリクリースはアテネは彼らの艦隊、帝国、これらをささえる貢納金を放棄することをかんがえたことがない。彼はこれを維持する理由を必要とする。私の見解はこうである。他のおおくの学者の見解もそうだが、この会議の宣言(decree)はその動機をふくんでた。彼は本気か。もしスパルタが我々もやると言いだしたら彼はどうしたか。私は彼らはそうしないと予測してたとする。だがそうなる事態にもそなえてた。というのは次の理由からである。スパルタが合意する。そうなら貢納金をはらう。また彼らはアテネに海軍の活動の正当性をみとめる。するとこれは両者のあいだのある種の統一が戦争をしにくくするのに役だつ。だから、これはすばらしい状況といえるのだ。

* ペリクリースの平和への見通し
ペリクリースの建築計画は平和を必要とする。というのはアテネが戦争するならば資金がつかえない。つまりこの理由から彼はやったといえる。これは私の推測だが、ほぼあたってた。だが別の展開もありえた。その場合の備えももってたとおもう。この推測をささえる証拠がある。ペリクリースは本気で三十年和平をつづけることを希望してた。あるいはこれが促進剤となって、恒久の平和、そうでなくとも数年間の将来にわたる平和につながるとおもってた。

* イタリアに植民都市建設
もう一つの証拠がある。これは議論があるが、これで事情があきらかとなる出来事である。紀元前四四三年だが、アテネはイタリアの南部、そこに植民都市をつくるのに協力した。シリアイ(Thrii)という名前である。ここに興味あることがある。それはギリシャ世界において前例がないことである。アポイキア(apoikia)、母都市だが、これは都市の植民地、その都市の母都市である。この両者の関係をしってるともうが、めずらしいが複数の都市が共同しその都市の母都市となることがある。

* 汎ギリシャの性格
これは汎ギリシャの植民都市として最初からつくられたもの。言いかえるとアテネの植民都市ではない。たとえアテネが主導したとしてもである。またアテネがその植民地をつくるのに重要な役割をえんじる人物を指名してもである。創設者(oikos)はアテネ人だった。ペリクリースは指導的人物を管理者におくった。宗教の指導者もおくった。彼らはこの都市の創設に役だつようにとおくったのである。

* アテネの協力
ヘロドタス(Herodotus)、彼はペリクリースの友人だったが、彼は歴史の父といわれてる。彼はこの都市の歴史家としておくられた。ヒポデイマス(Hippodamus)、紀元前五世紀の有名な都市設計者であるが、そんな大物がかかわるかとおもうかもしれない。だが、彼はこの都市の道路が直角に交差するよう設計した。ふるい都市の例である。アテネについていうと、牛のかよう道が発展して道となった。だからあちこちでうねってる。ということで、現代の格子状の道路はヒポデイマスのはじめたことである。これらの人々はペリクリースの友人とその仲間であり思想集団といえる。そしてこれらの人々がシリアイにゆきこれをつくった。

* ペリクリースの協力
これらがすべてが興味ぶかい。何故、汎ギリシャ植民都市なのか。それはペリクリースが主導したから。私はそうおもう。また、この都市の構成員はさまざまな都市からきた。だがアテネが単独で最大をしめる都市だった。この都市の他都市の出身者はアテネであった。この都市の構成の比率は、哲学者のプロタゴラス(Protagoras)が設計した。彼もまたペリクリースの友人だった。そこでは十の部族から構成されてる。アテネとおなじように民主主義だった。その政体(constitution)はアテネを模範とし、よくにてた。十の部族といったが、その数は均等になってた。それは陸軍の部隊の数がおなじになるようにそうしてる。これらの人々の十分の一がアテネである。全体でアテネ人が他の都市よりおおかった。他にいくつかの部族がいた。ペロポネソスの人々だった。

* アテネ、独裁をゆるさない体制
それは特定の都市からではない。すべてのペロポネソスからやってきた。私は市民の構成からアテネが支配権を独占することをゆるさない体制だと指摘しておく。これを私は汎ギリシャとよぶがその理由は次のとおりである。ペリクリースがこの性格が重要とみてた。この都市はイタリアからの要望にこたえて設立された。彼らは彼ら自身の都市で問題をかかえ、あたらしい都市をつくる必要があった。それがうまくゆくために、もっとおおくの市民を必要とした。

そこでスパルタにいった。興味がないとことわられた。で、アテネにいった。了解し我々はこれに協力するといった。さて、アテネの別の反応だが、否、あるいは普通のやりかたでは、了解といって、アテネの植民都市をつくることもできた。何故アテネが前例のないあたらしい都市の考えをだしてきたのか。それはペリクリースがアテネが今、そして将来にわたってしめしたいとおもってるものをしめす。そのよい機会だとおもったからとおもう。

* 帝国主義の否定
それは彼らが西に勢力を拡大するつもりはない。これをあきらかにしめすもっともよい方法だった。その気になればアテネの植民都市をつくれたはずである。他の学者はそうおもわない。これを帝国主義的意図の最初のあらわれとみてる。これはペリクリースとアテネ人がおかした、実質的条約違反のはじまりだ。条約の精神をおかしてるという。私は間違いである、それは容易にわかる。まず、都市内の状況、これはすでにのべたとおりである。次に、あなた方は、それは西への帝国主義的試行でないか、というかもしれない。だがそれはアテネの植民都市でない。そこのアテネ人は十分の一である。また他の証拠もしめすことができる。

都市設立の一年後だが、隣りの都市と戦争にはいった。タラス(Taras)という都市である。これはローマのタレンツム(Tarentum)地方の都市である。現代のタラント(Taranto)である。それはスパルタだけの植民都市である。ここにシリアイとたたかうスパルタの植民都市がいたのである。ここで想像してほしい。これはアテネの植民都市ともいえるが、多数の考えをもつ人々はどういうか。アテネはどうするか。これはもっとも重要とおもう。それへの答は無だった。タラスはシリアイをやぶった。それをはっきりさせるために彼らは勝利で獲得したものをオリンピアにかざった。そこでは競技会が開催されてる。そこにすべてのギリシャ人がやってきて、それをみる。そこで彼らはシリアイへの勝利をほこらしげにみせた。これにアテネはどうしたか。無である。これは帝国をシシリーに、あるいは他のイタリアの地に拡大してゆこうとするやりかたでない。

* シリアイの所属,デルファイの神託
これは帝国主義がそこで機能してたという主張にはおおいにこまる事実である。それから数年、紀元前四三四から四三三年のこと、危機がうまれた。そこではすでに大ペロポネス戦争がはじまってた。誰もがアテネとスパルタのあいだに戦争がはじまると予想してた。当時はシリアイではおおきな議論がおきてた。我々はどこの植民都市なのか。アテネであるといえない。論爭のなかでは、シリアイのアテネ人はアテネと主張した。というのは他のどこよりもおおくのアテネ人がいるからである。たしかにおおくのアテネ人がいる。だが都合すればアテネ人よりペロポネソスの人々がおおくいたのである。

そうなら、我々はペロポネソスの植民都市である。我々はスパルタの植民都市である。結局、合意ができなかった。そのため、デルファイのアポロ神の神託によりきめようとした。これは興味ぶかいことである。ではデルファイの神託は誰にかたむくか。我々はこれにつき明確な根拠をしめすことができる。紀元前四四〇年代においては、スパルタよりである。あらそいがありフォシス人に対抗し神官たちをまもったのはスパルタ人であった。アポロの神官の決定がスパルタよりとなるとの根拠である。実際はどうなったか。神官がいうのは、あなた方はアテネの植民都市でない。また、スパルタの植民都市でもない。あなた方は私の植民都市である。アポロのものである。非常にうまいやりかたである。しかしたしかなことは、あなた方はアテネの植民都市ではない。では帝国主義のアテネ人はどうするか。

無である。これは西をめざすアテネの帝国主義者たちがいたとして、その主張を完全に否定してる。ではかんがえる。何故、彼らは帝国主義をすすめなかったか。何故、彼はかってやったようなやりかたですすめなかったか。あるいは何故、彼は反応したか、あるいは反応しなかったか。私が示唆するところはこうである。歴史のうえに直接の証拠はない。だがそれは現代の用語をつかえば、外交上の象徴といえる。ペリクリースがアテネ以外の世界にたいし、特にスパルタとペロポネソス同盟国にたいして理解してもらいたいことである。アテネはその帝国をギリシャ本土、あるいは西に拡大しようとする野心はない。これである。これは三十年和平協定にしめされてる。アテネ帝国はエーゲ海とその沿岸地域、ペルシアにむかう東の方面である。これは現状だが、現代の用語でいうとアテネの影響がおよぶ領域である。

* コリンスへむけられたメッセージ
それより西にアテネは立ちいらない。関与しない。私の見解であるが、ペリクリースはシリアイの問題においてメッセージをだしてた。そうなることをしってた。西についてもっとも関係がふかいのはコリンスである。というのはコリンスの植民都市の連鎖は西にある。その商業の中心もイタリア、シシリーなどの西にあるからである。ということで彼がこのメッセージをもっとも受けとってほしかったのはコリンスとおうもう。これが役にたったか。我々はもうすこし後にしることとなる。これが成功、不成功のいずれにせよ、私がのべたこれらの出来事を説明できる惟一の考えととおもう。だが、すでにのべたが他の学者たちはこのように理解していない。

* セイモスの反乱
紀元前四四〇年となる。和平の成否にかかわる大事件がおきた。セイモス島(Samos)の体制は寡頭政治だった。これは帝国における有力国だった。自治体制をもってた。すなわち自分の艦隊、政府をもってた。アテネが征服した時にはその政府は寡頭政治であり、民主政治ではなかった。そこに反乱がおきた。それはまず二つの都市の紛争からはじまった。セイモスと、小アジアの沿岸にちかい島、その町であるマイリーダス(Miletus)。そこは哲学の都市として有名だった。セイモスから反対にあるところだった。この二つの町のあいだにあたるところで、本土のちいさな町。これはプライイニ(Preine)だが、これを両者がその領有権を主張した。これは都市国家間の領土についてで従来からよくおきる紛争である。だがアテネにとって特別な問題だった。一つはアテネは有力な島、セイモスとの戦いに巻きこまれたくない。彼らとは長期間にわたり関係をもってた。他方、同盟の覇権をにぎる勢力として同盟有力国が他の小国を侵食するのをゆるせるか。これがまさに今おきてる。もしあなたが自分がもつ覇権をただしく適用しようとするならこれはゆるすことができない。そこでアテネは可能な最善策として相違をちいさくしようとした。

* セイモスを鎮圧
彼らは裁定者としてこの争いにかかわろうとした。これにより戦争をさけようとしたのだ。セイモスはこれを聞きいれようとはしなかった。セイモスは当然、マイリーダスを打倒しようとした。そしてそれをやった。彼らは彼らがこれまでやってることをやってる 。それだけだった。それが過去にアテネが主張してた自治だった。しかし、アテネはそれをゆるすことができなかった。これは両方がその立場から主張できる権利であり、そこにおきる紛争だった。これは必然的に争いと問題を引きおこす、二つの正義の問題だった。で、アテネが最後に勝利したが、セイモスは裁定者をことわり、マイリーダスとたたかった。ペリクリースはただちに艦船をあつめ海をわたり、反乱を鎮圧した。力によりそうした。その次に反乱をおこした都市国家に十年来やってたことをやった。

* ペルシアの介入
従来の政権をおわらせ民主主義を樹立した。彼は貴族政治家あるいは寡頭政治家から人質をとった。彼らがただしく行動するよう彼らをちかくの島においた。その他のことは融和策だった。誰にも賠償をもとめず、誰も処刑せず、市民の土地を取りあげなかなった。彼はそれ以上の強権措置をとらなかった。それが彼の希望だったとおもう。今後、セイモスは、民主主義をつづけ、それをつうじ信頼を回復し、友好的に振るまい、これ以上の問題を引きおこさないと希望したのだ。人質はこれらを確保する手段だつた。しかしやぶれた寡頭政治家は敗北を受けいれなかった。彼らはペルシアの州長官のところにいった。イオニアの州長官であり、その名前はピサスニイス(Pissuthnes)という。彼は援軍をあたえた。まず、人質のいる島に軍をおくった。彼らを国にもどし、その友人たち、家族のもとにもどし、それでこれ以上問題をおこさないよう自由をあたえた。
(1の3おわり)

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