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第二次カルタゴ戦争、ファビウスの専政官(簡略ロ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
トラズミンの敗戦という非常事態に専政官、ファビウスをたてたたかうがハンニバルの巧妙な作戦に翻弄される。ファビウスの慎重策、火牛の策、ミネシアスの敗北をあつかう。
(Second Punic War - Fabius takes over - 39、Historyden)

* トラズミンの敗北は非常事態、専政官の選任へ
トラズミンの敗戦の情報がローマにはいった。一方的な敗北なのでかくせない。市民は衝撃をうけた。元老院で会議がひらかれ善後策が議論される。この後にシビリアスがおくった援軍の騎馬隊の情報がつづいた。戦場についたら、すでにフロメニアスが敗北した後だった。ハンニバルがこれを攻撃しなお半数がうしなわれ、あその他は捕虜となった。これでローマは大混乱となった。執政官の制度は停止され専政官がえらばれた。非常時にとられる制度だったが今回がまさにそれだった。

* 専政官、ファビウス
巨大な権力をもつ専政官は元老院の承認をもとめず作戦の実行が可能である。執政官とちがう。市民を代表する人民議会の議員をのぞきすべての職を廃止できる。クウィンテス・ファビウス・マクシマスがえばれた。彼は評価のたかい人物である。彼にハンニバルとの戦いの職務があたえられた。マーカス・ミネシアス・ルーフレスが騎馬長にえあればれた。これは専政官につぐ職である。ファビウスはあたらしくつくられた四つのレージョンを指揮する。シビリアスを指揮官にえらびそのレージョンの指揮させた。

* ハンニバル、ローマからの離反をめざし南へ
トラズミンの勝利以降、ローマへの道がひらけたが、その城攻めはかんがえなかった。それは莫大な時間と費用を必要とする。きびしい反撃の危険もある。彼の当面の目標は戦利品の獲得とできるだけおおくの都市をローマから離反させることである。その意味で南部のプーリアを目ざす。カルタゴはおおくの戦利品をかかえ移動が困難となってる。そこでは兵に休養をあたえ、そこからカルタゴ本土への連絡が可能となる。最新の情報をカルタゴ元老院におくれる。ところでファビウスである。

* ファビウスの追尾作戦
彼はローマから出発した。ハンニバルをおった。ハンニバルはその能力をたしかめるためファビウスに戦いをいどんだ。しかしファビウスはあらわれなかった。ハンニバルは野営地にもどった。ファビウスはあらゆる手段をつくしてハンニバルとの直接対決をさけるという作戦をきめてた。おおくの市民は臆病とおもった。しかしハンニバルのような強力な敵にはこのような作戦が最善だとみとめざるをえなかった。

* 戦いをもとめるハンニバル、慎重なファビウス
ファビウスはハンニバルの動きを監視する。あくまでもその追尾に専念することにした。数週間この状態がつづいた。理由がなんであれ野営地からでることをゆるさないと厳命した。慎重な姿勢をくずさなかった。ローマ軍への供給は充分あるのでこれでやってゆける。ハンニバルには食糧の調達が必要だった。ファビウスはハンニバルを追尾し好機を我慢づよくまつ。そして相手の消耗をまつ。この戦法をファビウスの戦略とよぶようになった。

他方、ハンニバルは相手を戦いに誘いこむために策略をつくした。ファビウスは常に慎重な対応をみせた。ハンニバルはプーリアの市民に味方となるようさそったが無視された。都市政府と市民はローマに忠実だった。ローマは常に同盟国に寛容だった。おおくの人々にとりハンニバルは解放者でなく侵略者だった。そこでハンニバルはサムナイトにむかった。そこでいくつかの都市に侵入した。ローマの備蓄所を城攻めした。ファビウスは危険な行動にはでなかった。そこでハンニバルはコンパニアにむかった。

* ハンニバルはコンパニアに転戦
ここの目的の一つはローマを戦いに誘いだす。そしてもう一つは、拒否するなら略奪をつづけ、ローマの経済力の中心である都市、キャプアをうばう。コンパニアの沿岸には重要な港がおおくあった。ハンニバルはコンパニアの平野で略奪をはじめた。またたぶんキャプアをねらてたのだろう。ファビウスが攻撃の好機をねらてるなか、敵地で危険にみちた作戦だった。ミネシアスはハンニバルが罠におちた。ファビウスが高台をおり平野にでてハンニバルと対決する絶好の機会とみた。あ副官たちをなだめるためハンニバルに近づいた。しかしそれでも高台からはおりなかった。彼はなおもハンニバルの騎兵隊の攻撃を警戒してた。ハンニバルはこれにもかかわらず作戦をすすめてる。ファビウスを戦いに誘いだすことをねらってる。しかし彼はファビウスを有能と評価してたようだ。そしてそれがためされる機会がやってくる。

* 道で待ちうけるローマとの対決
ハンニバルはコンパニアをでることにした。それははいってきたとおなじ道をとおる。非常にせまい道だった。少数の兵でも阻止できる地形だった。彼は四千の兵を道においた。ハンニバルはこの道のちかくまできて、そこで野営地をもうけた。これで高台のローマと低地のカルタゴが対決する。ローマは攻撃の準備をはじめた。しかしハンニバルには対抗策があった。彼は牛二千をあつめるようめいじた。そして夜に牛の角に松明をむすびつけさせた。松明に火をつけその道の近くの斜面をくだらせた。少数の騎馬兵がこれを誘導した。

* 松明と牛の大軍、ハンニバルの脱出成功
するとローマの兵は斜面におおくのあかりとともにカルタゴの兵がおりてくるのをみた。これを攻撃するためむかった。近づくとおおくの牛の行列である。何事かと困惑した。ハンニバルである。ローマがまちかまえてた道に兵がいなくなったのでハンニバルが進軍をめいじた。作戦は成功した。ファビウスは野営地からこの不思議な光景をみてたが、これはハンニバルのいつもの罠だと警戒し野営地をでなかった。ところでローマは牛に同行してたカルタゴの兵と戦いがおきた。ハンニバルはこれに救援兵をおくり千のローマ兵をたおした。勝利したカルタゴの兵たちは本隊にもどってきた。これはファビウスとその作戦への信頼を低下させた。

* ハンニバルの食糧調達
しかしすぐにハンニバルがファビウスの実力を実感できる出来事がまってる。冬が近づいた。彼はイタリアの各地を転戦し勝利したにもかかわらず同盟をむすぶ都市を見つけることができなかった。ハンニバルは冬をこすための拠点を見つけねばならない。偵察隊がゲレニアムという都市を報告してきた。これはアプリアの近くにあった。ハンニバルは交渉で降服をもとめたが、拒否された。彼はそこの住民をころして都市をうばった。この町を一つのおおきな穀物の貯蔵所にした。町の前に野営地をもうけた。

そして収穫を押収する部隊をつくった。彼は備蓄した食糧がうしなわれてゆく事態をおそれてた。この食糧隊はできるだけおおくの穀物をあつめることだった。このため毎日、軍の三分の二が遠征した。もし充分な成果がでたら冬にそなえて備蓄した。ところでファビウスはローマにもどった。そのさい、ミネシアスにハンニバルとたたかいにはいることをきびしくきんじた。

* ミネシアスの逸脱、専政官への道
しかし誘惑はおおきかった。ミネシアスはかてなかった。彼は野営地をハンニバルの野営地に近づけた。食糧隊の作戦を妨害にはいった。数日の妨害でも食糧隊の遠征を中止せざるをえなかたのでハンニバルはもう一つの野営地をつくった。ミネシアスは彼の野営地にとどまったままだった。カルタゴはたとえ妨害が予想されても遠征をやめるわけにはゆかなかった。

やがてミネシアスはハンニバルの軍の大半が遠征にでることをしった。彼は大胆に軍を出陣させカルタゴの野営地に近づけた。重装歩兵を野営地におくり、他方、騎馬隊と軽装歩兵を食糧隊におくった。そのさいに捕虜をつかまえるなとめいじてた。めずらしいことだがハンニバルに充分な警護の兵がいない時におそわれた。ハンニバルはくるしい戦いのなか食糧隊がもどってくるまで持ちこたえた。これでローマは退却したが、その戦いでおおくのカルタゴ兵をたおした。このためハンニバルはその後、慎重になった。これで自信をつけたローマは慎重さがうすれた。ハンニバルは二つの野営地を維持することが問題とかんじ結局、もとの一つの野営地にもどした。

* 従来の複数に復帰、ミネシアスをねらうハンニバル
この情報はローマにつたえら歓喜でむかえられた。ミネシアスの大胆さを賞賛しファビウスとその消極策を非難した。そこで前代未聞のことだがミネシアスが専政官にえらばれた。ファビウスはこれについてミネシアスがハンニバルとの戦いに戦果をあげたわけでなく遠征の食糧隊との戦いに戦果があっただけとおもった。自分の従来の方針を変更しなかった。二人の専政官は常に作戦について論爭した。ファビウスが妥協案をだした。二人の執政官が指揮する従来の方式にもどす。一つの軍を交代で指揮する。あるいはその軍を二つにわけてそれぞれが指揮する。この方式のどちらかを選択するようもとめた。ミネシアスは二つに分割するほうをえらんだ。彼らはそれぞれにに野営地をつくった。ハンニバルはすぐにミネシアスを相手にえらんだ。

* ハンニバル、ミネシアスとの戦いに勝利
ミネシアスの野営地のちかくの丘のうえに野営地をつくった。夜の闇にかくれて五千の歩兵隊と五百の騎馬隊をおいた。ミネシアスはこのエサに跳びついて前哨戦をおこなう騎馬隊をおくった。ハンニバルも騎馬隊をおくったのでまた膠着状態にもどった。やがてカルタゴがミネシアスの騎馬隊を追いやった。他方、ミネシアスは四つのレージョンとともに丘のうえにむかった。ここに前哨戦からもどってきた騎馬隊がもどってきたので編隊がみだれた。この時かくれてたカルタゴの騎馬隊がローマに不意打ちを仕かけた。おおくのローマ兵が編隊をみだし逃走にはいった。その他の兵もかこまれて窮地におちた。ローマはまたもや敗北した。

* 救援のファビウスと対決をさけたハンニバル
ファビウスはこれを自分の野営地からみてた。そして彼の四つのレージョンとともに進軍した。ミネシアスと彼のレージョンはこれについた。するとハンニバルはこれ以上はおってこず野営地にもどった。ローマ軍はここで一つに統一された。敗北したミネシアスはファビウスに指揮権を返上した。ハンニバルはうばった丘の周囲に溝をほり、丘と野営地をつないで強固な柵をつくった。ライベリアのことである。

* ライベリアでローマが優勢
状況はローマにとって好調だった。ハズドアラブルとアナヤ・シピオはエボラル川のちかくで遭遇した。海軍と陸軍ともにたたかった。シピオはハズドアラブルの海軍をやぶり彼がエボラルより北を侵略するのを阻止した。この情報がローマの元老院にもたらされた。本土における敗北にくるしんでた元老院はハンニバルにおおきな圧力をくわえるためにもライベリアで勝利する決意をかためた。彼らはプブリアス・シピオをおくった。彼はもともとハンニバルのアルプス越え前まではその任務はスペインであった。彼は兄弟と協力して作戦をすすめた。彼らははじめてエボラル川の南にはいりセグンタムにむかうこととなった。そこで彼らはローマに味方するライベリアンズからカルタゴがセグンタムにライベリアンズの子どもを捕虜としてとらえてることをきかされた。これでライベリアンズの忠誠維持の鍵にしてるという。カルタゴの貿易商が子どもたちをセグンタムのちかくに野営してるローマにわたした。ローマはこの子どもたちをその両親のもとにかえした。

紀元前二一七年の冬季がはじまり戦争の季節がおわった。ローマでは専政官の任期がおわりファビウスが辞職した。ハンニバルは戦いに勝利したがイタリアの都市を引きこむことができなかった。彼はこのねらいをもってたたかう。

(おわり)

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