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第二次カルタゴ戦争、トレビアの戦い(簡略ロ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
シピオとの戦いを勝利したハンニバルがもう一人の将軍のセンプロニアスにもかつ。しかしローマの戦意はおとろえない。トレビアのみごとな勝利をあつかう。
(Second Punic War - The Battle of the Trebia - 37、Historyden)

* ローマからの離反をはかるハンニバル
シピオに勝利してハンニバルはクレステディアムをうばった。これはローマにとり供給の拠点であった。彼はそこのすべての穀物を軍のために押収した。その時の捕虜を傷つけなかった。都市の住民にたいし無慈悲な姿はみせなかった。彼は持ち前の雄弁で住民と兵士にうったえた。彼はローマをやぶるには戦いにかつだけでは不十分である。イタリア全土にむけ自分の考えをうったえる。それによりローマから自分の味方に引きいれることが必要とかんがえていた。状況により住民に苛酷な仕打ちをした。だがそれもきびしい姿勢をしめし味方をふやすために必要とかんがえてのことだった。

* もう一人の将軍、センプロニアスの到着
さてもう一人の将軍、センプロニアスは本土にもどってきた。これでシピオと連携がはかれる。シピオは彼に説明し現状を理解させた。センプロニアスはまずハンニバルと小規模な戦いをおこした。それで次第に本格的な戦いにうつれると確信するようになった。シピオは慎重な行動を助言した。兵力が不足してる。新兵をあつめる必要がある。ゴールズが戦いをいやがってるのをしってた。とはいえこれは彼らがあたらしくはいったハンニバル陣営でもおなじように問題となった。センプロニアスはこの助言をきかなかった。個人的野心が顔をだし論理的思考が引っこんだ。この助言は危険のほうにはたらいたたかもしれない。センプロニアスの任期は一年、その期限がせまってる。結果をもとめた。ハンニバルも戦いをのぞんでた。

* 戦いをのぞむ両者、トレビアの戦いへ
ゴールズがローマにいっそう敵対することをのぞんだ。ハンニバルはセンプロニアスの性格をよくしってた。またシピオはまだ傷から回復してないが、彼をより有能な指揮官と評価してたようだ。両軍はポー川に流れこむ支流の一つのトレビア川にやってきた。ハンニバルはここで罠を仕かけるのに理想的な場所を見つけた。そこは本流が東西にながれそこに支流のトレビア川が合流する場所だった。そこに沼にはえる背のたかい草がはえてる場所があった。ここに分遣隊をかくすことができる。彼がもっとも信頼をおいた副官のマゴを千の歩兵、千の騎馬をあたえてむかわせた。次にセンプロニアスを誘いだす手段である。

* ハンニバルの罠、誘いだすヌメディアンズの騎馬兵
そのまえに両軍の陣営である。本流がほぼ東西にながれ、そこに南からトレビア川が流れこむ。この川をはさんで西にハンニバル、東にセンプロニアスが野営してる。

ヌメディアンズの騎馬隊がさそう。夜明け前に彼らをむかわせた。センプロニアスは騎馬隊をおくる。前哨戦をいどませさらに外に追いやるようめいじた。騎馬隊は朝食をとってない。そのまま雪がふってる厳寒の支流をわたっていった。十二月である。兵たちはこおった川に体力をうばわれながらわたった。ローマはヌメディアンズのおこなう退却をしながらの攻撃になれてなかった。その攻撃にくるしめられた。センプロニアスは最後に退却をめいじた。もどった騎馬隊もふくめ全軍の戦闘態勢をととのえる。騎馬隊は両翼におく。同盟の歩兵隊を翼に、ローマのレージョンネアを中央におく。およそ四万二千の兵力である。ところがカルタゴである。

彼らはまだキャンプファイヤーをかこんで朝食中である。ハンニバルの軍は元気一杯。たいしてローマは疲れてた。ローマがトレビアをわたってからハンニバルは兵をあつめた。彼は八千の軽装歩兵を前線にだした。主力の歩兵隊は二万である。彼らはアフリカンズ、ライベリアンズ、ゴールズからなる。一万の騎馬隊は戦闘用象とともに両翼にいる。三万八千の兵力である。戦いがはじまった。

* 戦いの開始、伏兵によりローマの編隊が崩壊
まず軽装の軍がたたかいにはいった。ローマはヌメディアンズの追撃で投げ槍をつかったのが弱味となったが両者の戦いは退却にうつり両翼にもどった。重装の兵たちの接近戦にはいった。この頃にハンニバルは騎馬隊に攻撃をめいじた。すぐにローマの騎馬隊の疲れにじょうじて追いこんでいった。それからカルタゴの騎馬隊は両翼の歩兵に攻撃を仕かけた。この時である。かくれていたマゴの軍が登場した。ローマの背後を不意打ちにした。くるしい戦いにいたローマは完全に包囲された。ローマと同盟の両者の隊列は崩壊した。さらにあれくるう象が被害を拡大した。大虐殺だった。川ににげたローマの両翼はころされたり溺死した。これはほとんどが同盟の軍だった。ハンニバルに翻弄されたセンプロニアスであったが、この時点に彼は冷静な判断力を取りもどした。

* センプロニアス、中央突破しプラセンティアに逃走
彼は中央のレージョンネアを前進させた。この攻撃がカルタゴの中央におおきな打撃をあたえた。これは完全に包囲されたという危機状況における決断だった。この成果はカルタゴがローマの両翼の攻撃を優先させたという事情にたすけられたところもあった。ローマは前進を強行した。しかし彼らの野営地までの退却の道筋をつけることができなかった。すでに騎馬隊はいなくなり、野営地とのあいだには川が立ちふさがってる。このため彼らはプラセンティアに退却せざるをえなかった。ここはシピオがすぐ指揮にはいることとなってた。古来ここの記述には疑問がある。プラセンティアは当初の野営地の東北にある。ここにいたるにはやはり川をわたる。川が障害となるのはおなじである。何故ここに退却したのか説明がむずかしい。厳寒にくるしめられたがハンニバルは勝利した。しかし問題がのこった。中央部が無力化された。戦闘用象の損害がおおきかった。厳寒がローマの攻撃よりおおきな影響をあたえた。とはいえハンニバルがおもうままにローマをあやつりおさめたみごとな勝利だった。

プラセンティアでのシピオである。彼はそこでローマから遮断されてるとおもった。ハンニバルはポー平原の田園地帯を支配してた。すでに冬季にはいってるから都市への城攻めはおこなわない。都市との戦いは若干あったかもしれないがその詳細は不明である。

* 戦争を継続するローマ、あたらしい将軍の選任
ローマにもどったセンプロニアスは敗戦を冬の寒さのせいと説明した。敗戦にもかかわらずローマの戦争続行の意志はかわらない。あたらしいレージョンがつくられ守備隊も復旧させた。これにくわえて紀元前二一七年、二人の執政官がえらばれる。ナイアス・シビリアスとガイアス・フロメニアスだった。ライベリアのことである。

* シピオがライベリア北部に拠点をつくる
シピオの兄弟の一人がポリアンというところに上陸した。さらに力か協定によりいくつかの都市を支配下においた。さらにエボラル川の北を支配してたカルタゴのハノとたたかい勝利した。これはカルタゴに重大な問題をのこした。というのはエボラル川の北のすべての部族がローマと同盟関係にはいったからである。ローマにむかう前にライベリアの平定に注意をはらってたハンニバルにとってもこまった問題であった。ここでハンニバルの兄弟であるハズドアラブルがハノの救援にやってきた。ローマにとっては不意打ちであった。八千の歩兵と千の騎馬だった。これでおおくのローマをその艦船にまで追いやった。

これにもかかわらずシピオはエボラル川の北に拠点をきすことに成功した。冬になりハズドアラブルはニューカルタゴにひいた。紀元前二一七年の春である。


* 南を将軍、フロメニアス、北を将軍、シビリアス、戦いへ
あたらしい二人の執政官がうごきだした。フロメニアスは軍とともにラティアンズにゆきそこに駐屯した。これはローマから南下する道路ををまもるものである。シビリアスはアラミノンに防衛線をつくった。これは東のながい沿岸をまもるものである。二つの兵力は通常の規模である。ハンニバルはローマの捕虜を非常にきびしくあつかったという。しかし同盟の捕虜には寛大であった。彼がやってきたのはイタリアをローマの支配から解放するためという姿勢からくる。まもなく彼は同盟のすべての捕虜を無条件で解放した。ゴールズであるが彼らのあいだには不満がたかまってた。彼らはさらなる戦利品の獲得をのぞんでいた。

(おわり)


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