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ペロポネソス戦争、その十五、最終回(簡略ギ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
アテネ八将軍の断罪の後にライセンダの再登場、スパルタの反撃がはじまる。終末がちかい。アテネ海軍が崩壊、アテネが降服、ペロポネソス戦争が終結する。このあっけない終幕をあつかう。
(Ancient Greek History - Part 15 of the Peloponnesian War - 31、Historyden)

* はじめに、八将軍の断罪、政治的裁判
やっとペロポネソス戦争がおわる。全部で十五回である。前回はアルジヌサの戦いまでのべた。勝利をおさめた将軍が生存者救出をおこたっと有罪となった。これは極めて政治的なものだった。最初の判決では無罪。しかしもう一つの判決で有罪となった。六人が処刑され二人が逃亡した。裁判がおわり二人の指揮官が選出された。コナンとスラシビュウラス。コナンは当時メディタリニの守備隊にいた。スラシビュウラスはアルジヌサの戦いに参加し救出活動にもたずさわった。しかし裁判で取りあげられなかった。この二人はペロポネソス戦争の後に活躍した。

* ライセンダの再登場、ペルシャの資金の確保
スパルタである。ライセンダは任期を満了し将軍をやめた。それは法の定めのとおりである。アルジヌサの敗戦に状況がかわった。彼が必要となった。彼を艦隊の副官とした。これは法をすこし柔軟に適用したもの。彼は実質上は指揮官である。すぐ重要な決定をした。海軍の拠点をもともとあったエフェソスにもどした。そこでペルシャは彼を実質的な州長官としてあつかった。これは同盟に充分な資金が提供される。そしてライセンダが崩壊したスパルタ海軍を再建できるということである。ペルシャの資金は極めて重要な役割をはたした。

* ライセンダの反撃
ライセンダは艦船の能力を見きわめエーゲ海のアテネの拠点をつぎつぎと襲撃しはじめた。重要領域にヘルスポントがまた浮上した。ここ十年の重要な戦いの場であった。ヘルスポントのライセンダはアテネの交易の脅威である。セイモスのアテネの艦船が見つけて艦船を破壊した。ヘルスポントにおいてはペロポネソス同盟は拠点をアビドースにおいてるる。ライセンダはランプサカス、戦略的に重要な都市をうばった。アビドースの北東にある。これはボスポラス海峡の航行に脅威をあたえる。アテネは通常はセストスを拠点とする。しかしイーゴスポトマイに移動した。こちらのほうがライセンダの監視に好都合である。その後はアテネの艦船が毎日のようにランプサカスにやってきた。

* 好機をまつライセンダ、アルソバイアデスの登場
港外に誘いだそうとした。しかしライセンダはでない。時間がたてばそれだけ有利となるとしって港外にでない。彼は潤沢な資金をもつがアテネは資金不足にくるしんでる。そのため貴重な神像を何体もとかした。これが艦船の運転資金となる。そこにおどろいたことにアルソバイアデスが登場した。

彼は島を所有する。その一つから観察してたのだろう。彼はアテネの将軍にセストスに移動するよう助言した。というのはセストスの港は防禦にてきしてる。ライセンダの秘密攻撃にたえるという。また編隊の一つを指揮することを申しでた。これはいい考えかもしれないが彼は議会から譴責をうけた身分である。申しではすみやかに却下され野営地からの退出をもとめられた。

* 罠を仕かけるライセンダ
ライセンダが港外にでた。アテネの艦船をおって攻撃をしかける。猫と鼠の追いかけっこのような争いがつづいた。アテネはライセンダがもうでてこないとおもうようになった。これはライセンダが相手の油断を見こして仕かけた罠だった。これがイーゴスポトマイの戦いにつながる。

* イーゴスポトマイの戦い、アテネ海軍の消滅
この戦いについては二つの説明がある。まず歴史家、ダイオドロスである。アテネはまず分遣隊を港におくった。これが敗北し、沿岸にのこってた艦船は破壊され無力化された。これはセストスの港とちがい秘密攻撃に脆弱であった。アルソバイアデスの警告が的中した。歴史家のクセノフォンである。

アテネが全艦隊でやってきた。ライセンダが港からでなかった。そこでアテネは沿岸にもどってきた。ライセンダは秘密攻撃を仕かけた。これでアテネの沿岸にあるほとんどの艦船が拿捕された。その記述の差はともあれアテネはその艦船のほとんどをうしなった。

これでアテネにはもはや船を建造する資金がない。つまりもう戦争を継続できなくなった。このイーゴスポトマイの勝利により同盟はエーゲ海のすべての都市で略奪をほしいままにした。アテネはこれを阻止することができなかった。つぎつぎと都市がスパルタの手におちた。それでもセイモスはながく抵抗をつづけたが最後には降服した。これでスパルタは最後の目標としてアテネに狙いをさだめた。

* アテネの降服、ながい壁の破壊
スパルタはアテネのながい壁の外に二つの野営地をかまえてた。アテネの勝利の可能性はない。にもかかわらずアテネは降服を拒否した。もし降服すればアテネの都市は完全に破壊される。それをおそれてた。同盟側にはげしい論爭がおきた。コリンスとシーブスはともに破壊をのぞんだ。スパルタは穏健な案をだした。ながい壁だけを破壊する。アテネの都市はのこすというものだった。

これはアテネはアティカの支配を維持する。しかし海とそこにあった島、都市の支配はうしなうというものだった。アテネにおだやかな案に理由があった。それはスパルタのおそれ。力を増強してきたシーブスをおそれた。すでに何度かのべたがシーブスはペロポネソス戦争で利益をえた数すくない都市である。もしアテネを崩壊させればこれにかわってシーブスがアティカの支配者になる。スパルタがギリシャ全土を支配する。そこでもっとも強力な競争相手が登場する。かくしてアテネをすくう案が採用された。アテネ議会も受けいれた。ながい壁がなくなった。

* ペロポネソス戦争の終結、帝国にとってかわったスパルタ
ここでペロポネソス戦争について総括する。これはしばしばギリシャの歴史上で最大の戦争といわれ、それと同時に最悪の戦争ともいわれる。そのとおりとおもう。さらに戦争のくらい部分にふれる。女性と子どもたちが奴隷としてうられた。それどころか時には海にほうりこまれた。残虐な行為が捕虜にくわえれられたという。このようなことがそれまでになかったわけでない。しかしこの戦争では普通におこった。それはギリシャ人の戦争の振る舞いをかえたといえる。

スパルタ自身もかわったという。伝説上の賢人、ライカーガスの時代からスパルタは船をもってはならないとされてた。ところが今や艦隊を保有してる。また都市をうばい貢納金をもとめる。それではペルシャやアテネとおなじこと。これは今後つよい憎悪のまととなる。これについてはあらたな章の次回にのべる。

(おわり)

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