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第一次ペロポネソス戦争(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の 紹介
ペルシャに勝利、その後に表面化する対立、アテネの興隆を不安視するスパルタ、大ペロポネス戦争に先だつペロポネソス戦争をあつかう。英語学習で字幕のスゴ技を 紹介する。
(Ancient Greek History - The First Peloponnesian War - 16、Historyden)

* はじめに、内部対立の表面化
最初のペロポネス戦争。これはおよそ紀元前四六〇年から四四五年までのもの。たびたびおきるが大ペロポネス戦争、紀元前四三一年におきたが、これと混同してはいけない。先のほうは小規模だが将来につながる重要な意味がある。

これはギリシャの各地で戦いが連続しておきた期間である。ペルシャとの戦いに勝利をおさめた。外敵の脅威から解放されると積年の怨み、内部の軋轢が表面化してきた。はげしい競争のなかで第一位を主張してやまない伝統的精神が復活してきた。

* 帝国にむかうアテネ
小アジアをみてみるとペルシャ支配の頃ははるかにうまく統治できてた。諸都市は比較的に平和だった。しかしいったんペルシャ帝国が崩壊したとなると、それまでかくれてた争いがいっせいに顔をだした。皆が一線にならんで競争をはじめた。この戦いの後にアテネが躍進した。ギリシャ人が帝国とかんがえる国をつくりはじめた。エーゲ海周辺の諸都市を糾合して同盟、デリアン同盟をつくった。これは前回にのべたが、そこでアテネ一国が帝国をつくりはじめた。

* スパルタをおびやかすアテネ
この時点がペロポネス戦争を語りはじめる起点だろう。それまではスパルタが第一人者として諸都市間の紛争を差配してきた。皆が相談にいった。ところがアテネが登場した。あたらしい相談先ができた。かならずしもスパルタにゆく必要がない。たとえいったとして相談が不調におわったらアテネにゆける。これはギリシャの他の都市との関係にさまざまな影響をあたえる。

紀元前四六〇年、事態は深刻な様相を見せはじめた。アテネとその同盟都市あるいはペロポネソス同盟を形成してる諸都市とのあいだに数々の紛争がおきた。歴史家、ツキジデスによれば、それはどんどんと力をつけてゆくアテネにスパルタがおそれをいだいたということである。ここでまず四五七年のエジプトについてべる。アテネは自分の帝国にくわえることを決心した。エジプトは極めて富裕な国であり、当時はペルシャに支配されてた。

* スパルタへの攻勢
エジプトはペルシャにおおくの富を供給してた。その併合はアテネ帝国の形成におおきく貢献する。しかしペルシャを追いだすのは簡単なことではない。これは後述する。また紀元前四五七年にもどりギリシャのことをのべる。紀元前四五〇年代においてスパルタはアテネの攻勢の高まりをみた。

* コリン湾の封鎖
その最初はスパルタにおきた地震からはじまる。これがペロポネソスにおけるヘロット反乱の誘因となった。スパルタはもちろんその鎮圧に乗りだした。通常のように彼らはイトミ山に退避し山頂からの下山を拒否した。スパルタは山頂をおそい彼らを下山させる姿勢をしめした。そして協定をむすびペロポネソスからでてゆくのを邪魔しないと約束した。そして彼らはでていった。

ナウパクタス、この都市をアテネが支配してた。それはコリン湾を見はらす要衝の地にあった。大胆なことだがアテネはこの植民都市をヘロットにあたえた。スパルタの仇敵といえるヘロットがコリン湾をを支配する港をもつこととなった。もしスパルタがこの湾を航行するならはアテネの海軍のみならずヘロットの海軍にも干渉される。これで両国の関係が悪化した。

* メガラの取りこみ
おなじ頃、メガラとコリンのあいだに戦いがおきた。彼らはペロポネソス同盟の構成員である。メガラの敗色がこくなった頃に彼らはスパルタに助けをもとめた。しかしスパルタは重要な構成員であるコリンに配慮し局外者の立場をとった。メガラはそこでアテネにゆき、援軍をもとめることをきめた。これはアテネにとり絶好の機会。イスミスに防衛線をひきスパルタのアティカの進軍を阻止できる。アテネは提案を受けいれ、イスミスとその周辺に防衛の措置をとった。これでスパルタとアテネのあいだの緊張が一気にたかまった。またもう一つの点も付記しなければならない。これでそれまで敵対関係になかったコリンとアテネの関係がわるくなった。メガラに味方したことで拭いがたい怨みの感情をもたせた。これがまさしく四三一年の大ペロポネス戦争の引き金をコリンがひくこととなった由縁である。

* ジャイナ海軍を敗退、無敵アテネ艦隊
ジャイナとの争いである。ジャイナはかなりの海軍力をそなえてた。それはアテネに脅威をあたえるものだった。アテネと戦いにはいったがたちまち敗北した。ジャイナは貢納金をおさめる都市となった。アテネは海上ではほぼ無敵とみとめらるようになった。軍事力を封じこまれたスパルタに次の手はあるのか。しかし好機がおとづれた。中部ギリシャにドレスという小国がある。これはスパルタもそうだがドーリア人の母国である。彼らがその地域でおこした戦いについて助けをもとめてきた。スパルタは支援をきめた。これはおそらくアテネ進軍のための口実であろう。

* スパルタの反撃、ビオーシャンズと同盟
しかし問題があった。中部ギリシャにどう進軍するのか。海上もイスミスは封鎖されてる。スパルタはコリン湾を渡航する危険をおかした。それは成功した。アテネ海軍の油断をついた。これはアテネにはわるいこと。スパルタの陸軍がギリシャ本土に上陸した。それを彼らがまさにふせごうとしてきてたことだった。まずドレスをたすけ、さらにアティカの北に進軍した。そこで攻勢の準備をととのえた。中部ギリシャにあるビオーシャンズを説得して軍に参加させた。これで相当の勢力となった。アテネは軍をあつめ防衛にまわらねばならない。それは彼らによる田園地帯の略奪をふせぐためであった。

* スパルタの勝利も撤退、アテネの実質勝利
これはタナグラという町の近くで戦闘となった。スパルタの勝利となったがその程度は期待にとどかなかった。決定的敗北をあたえ、アテネに進軍するという目論見は実現しなかった。両軍の被害は甚大だった。いすわることはできない。スパルタは帰国した。実質的にアテネの勝利だった。アテネは海軍を整備しスパルタのコリン湾渡航にそなえた。さらに陸軍をととのえビオーシャンズをせめ勝利した。その地域のおおくの都市にたかい水準の民主主義が導入された。それはアテネの側にたったことである。

* 港湾を壁で防御、アテネの防衛体制が完成
この頃にアテネは港湾都市パイリアスまでの防御壁を完成させた。これは長期にわたりすすめてたもの。これで防衛能力がずいぶん向上した。アテネを取りまく状況が極めて良好となった。北方にはビオーシャンズがある。コリン湾での封鎖で海のまもりはできる。イスミスによる封鎖もある。スパルタはペロポネソスにある意味で押しこまれている。これはまさにアテネが究極の目標としてた。これをずっと維持したいとおもう状態だった。この時点で事件がおきた。

* 内部崩壊するアテネとその同盟、キーマンの復活と戦死
エジプトのことは前述したところ。アテネはここでの戦いにやぶれ、ペルシャは守りきった。これはアテネと同盟国とのあいだにある内部対立の表面化、その切っかけとなる。危機をかんじたアテネはスパルタと停戦交渉にはいることをきめた。その適任者としてキーマンが呼びもどされた。彼の追放については前回にのべたところ。紀元前四五五年である。彼はスパルタを説得して五年間の停戦を実現した。さらに長期間の停戦も視野にいれてた。これで彼はアテネにおける以前の力を回復した。さて彼は皆がもとめることをやる。軍事作戦を実施することにした。ペルシャに攻勢をかける。サイプラスにむかった。成功した。しかし彼は戦死した。そのためペリクリースが惟一の担当者となった。彼はキーマンがスパルタとやったようなぶれはない。それが後年に深遠な影響をあたえた。大ペロポネソス戦争につながる。

* ビオーシャンズがアテネ人を追放
キーマンの出来事があった後に、アーネストにおいて反乱騒ぎがおきた。エジプトの大失敗がそれまでの無敵神話を崩壊してた。最初の反乱がビオーシャンズでおきた。彼らは体制をととのえ中部ギリシャにいるアテネ人を追いだした。紀元前四四七年のことである。次はユバウア島である。彼らはデリアン同盟の構成員であったから深刻な懸念がアテネにながれた。放置はできない。鎮圧された。この状況がつづいてるあいだに、メガラも反乱にはいった。これが成功した。これでスパルタへの守りの備えがすべてなくなった。

* スパルタの侵攻、両軍対峙も決戦をさける、みじかい平和
スパルタがこの機会をのがすはずもない。イスミスに進軍した。今やメガラは友邦である。その後、ペリクリースのユバウアでの作戦でデリアン同盟に安定をもたらした。スパルタがアティカの近くにまで進軍してきた。ペリクリースは軍をアティカにもどしスパルタに対峙した。ここで一大決戦が予想されるところだが、スパルタは軍をもどした。何故か。それは両軍ともにこの前の甚大な被害の再現をのぞまなかったということ。両国にとり利益がない。アテネはは反乱の誘発をおそれスパルタもヘロットの反乱をおそれた。また伝統的に無駄にたたかわないとの考えもあった。四四五年、三十年間の和平協定が締結された。この平和はながくつづかなった。この事情は次回にのべることとなる。

* 英語学習、字幕のスゴ技
悪口もいってきたが字幕にしめされる単語に畏れいることがある。戦争がはじまる前に、アテネがみせた攻撃姿勢についてのべてる。

grass of numerous -> aggresive manuevers

これをみて感心した。発音は微妙である。これは本当にコンピュータで作成したのか。どんなプログラムなのかとおもう。よくみればなるほどとおもう。次のとおり子音だでを取りだし両者を比較する。

grass of、agressive
g_r_s_f -> g_r_s_v

これは語尾だけがちがが、はやい発音ではおなじにきこえる。次である。

numerous、manuevers
n_m_r_s -> m_n_v_r_s

まず左の語頭の「n」の前に右のとおり「m」がある。しかしアクセントのある子音「n」の前の子音、母音はよくひびかない。だから聞きとりにくい。その次の「m」だが、これもはやい発音では「v」につうじる。

要するに私も近くまでいったが字幕はみごとにあてたとおもう。

(おわり)



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