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トロイ戦争はあったのか(六の三) [英語学習]

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* 内容の紹介
詩人ホーマーがかたるトロイ戦争がはたして実在するのか。ホーマーは伝説が口誦の時代から記録の時代にかわる時に登場した。口誦がどのように伝承され記録となったのか、ホーマーの物語りに史実があるのかを検討する。

* はじめに
トロイ戦争の探求でわれわれは常にホーマーにふれた。その叙事詩イリアドはこの戦争をえがいてる。これはヨーロッパ文学の起源であり、かつ、いまもなおも広範な読者をもつ偉大な作品。古典として重要であるが、作品は魅力にとみ生き生きとした青銅時代の英雄たちの姿をえがいてる。そこには歴史的事実があるのだろうか。

* ホーマーの叙事詩と先史の歌謡の関係は
ホーマーは西欧文化における最初の詩人。かつ、もっとも偉大な詩人であるとみられてる。紀元前八世紀に成立したとするその作品と紀元前十三世紀のマイシーニアの歌謡との間にどのような関係があるのか。十三世紀にトロイ戦争があったとされる。この物語りは二千五百年間、語りつがれてきた。伝承によればギリシャ全土から千艘もの船団がトロイの王子、パリスの虜となった同族の女王ヘレンを取りもどそうとした。分遣隊は中部ギリシャに集結。その指導者、アガメムノンは神に戦いの許しをえるため、自分の娘を犠牲にした。十年間の戦いの後にトロイはほろびた。

* ホーマーの物語りは真実を反映してるか
ホーマーの英雄は青銅の武器でたたかった。勝者や敗者の苦しみをえがく彼の姿勢は普遍的である。サー・ジョン・ハケット将軍にきく。これは自分がしってる人々の物語りである。国、地域の違いをこえた共通するもの。彼らはたたかう人々である。彼らと共通する特徴をかんじる。ではホーマーの物語りは、たんなる物語りをこえた真実があるとおもうか。然り。あるとおもう。

* ホーマーの書物の歴史
まずトロイからはじめる。考古学者は発見した砦がホーマーの物語りにいう場所、それと正確に符合することを証明した。それはダーダネルスの入口にある。王が支配する要塞、門、塔をもつ。数々の壺が発見されアガメムノンのマイシーニアとの交易関係を示唆する。だがそれがホーマーの物語りが真実であることを証明するわけでない。

ホーマーの文章の中に五百年もさかのぼるものがあるか。ところで、これは現在、印刷された書物。これは一四八八年、フローレンスで出版されたものにさかのぼる。ギリシャ人の学者たちは中世の書物から構成したもの。これらの書物の背後にはローマの資料があり。さらにエジプトまでさかのぼる。これら書きしるされた資料はたかだか紀元前五五〇年までしかさかのぼれない。これはトロイ戦争が七百年前にあったこと。あるいはホーマーの時代から二百年の後にあたる。

* 伝承は記録か口誦か
問題がある。ホーマーが本当にこの詩をかいたのか。ローマ時代の意見ではかいてない。記録となる前、詩はながく口誦で伝承されてた。もしそうだったら現在の書物は二千五百年間の口誦の記録というべき。ではその証拠は。

ホーマーの本文には、もし記録されたものをまとめたとしたら理解しがたい特徴がある。その一つは繰りかえし。文節、あるいは複数行の繰りかえしが登場する。その一つにわれわれが常套句とよぶもの。英雄たちにつかわれる。早駆けのヘラクレス、かがやく兜のヘクター、英知にあふれたオッデセウス、さらにもっと興味ぶかいのが、トロイについてつかわれるもの。「たくみに構築された」、「うつくしい塔のある」、「風のつよい」など。ではホーマーがこれらの常套句をつくったのか。あるいはよりふるい時代にさかのぼるものか。たぶん青銅時代晩期にさかのぼる。これにこたえるためホーマーについてもっとしる必要がる。

* 口誦時代のホーマー
ホーマーがどのような存在だったかか。謎である。一人の人物か複数か、女性か。古代の人々は一人の男としてる。彼の名前の意味は捕虜だ。盲目で紀元前七〇〇年、トルコの西部海岸沿いにあるアイオニアに誕生。マイシーニアが衰亡、ギリシャの暗黒時代がおとづれる。その頃にマイシーニアから移住してきた。そこは科学、医学、哲学がうまれた新世界だった。もし彼が実在したとして、彼は職業としての歌い手である。宮廷、貴族社会においてはたらいた。口誦から記録の時代に移りかわる頃に生存した。古代の人々は彼が原典を作成したという。現代の学者は彼の死の約百年後に記録として作成された。彼自身は口誦の時代の人間だとしてる。それはどんな姿だったろうか。

* 叙事詩の歌い手
キル・ガリガン。アイルランドの大西洋岸沿いのメイ地方の町、ここには口誦の伝統がまだのこってる。イリアドの最後の歌い手は四十年前に死亡した。しかし英雄たたいの姿を歌いあげる歌い手がいた。その歌はホーマーのとにてる。常套句がおおく、高度に形式化されてる。ジョン・ヘンリックは読み書きができない。ゲイル語でうたうだけである。ダブリン大学、シェイマス・アルコホイ博士は10年間にわたり録音した。彼の持ち歌はまだまだのこってる。私は彼に文章に書きおこせないかきいた。独特の表現、特に意味がない表現、気分をつたえるような表現などがあり、むずかしいという。今やキル・ガリガンでジョンからまなぼうとする者はいない。彼の聴衆はテープレコーダーだけとなった。この伝統はついに最後をむかえようとしている。だがもはやこのような伝統の守護神を必要としない。コンピュータがその役割をになってくれそうだ。

* 今に生きる叙事詩の歌い手
ここはトルコのアルメニア、風景は荒涼としてる。むこうにソビエトの国境。ホーマーのいうアルカディアから千マイルの距離。トルコ族が十一世紀に中央アジアから移住してきた。その際、伝統もともに持ちこまれた。カスという町にはなおもそれらが生きのびてる。

ホーマーのようにここの男たちも職業としての歌い手である。彼らは結婚式、宴会、葬式で演奏しうたう。彼らは子どもの頃から指導者の教えをうける。この男、タシェリ・オーファは七歳の時に才能をみとめられて弟子入りし、今や指導書となった。彼の演目は百をこえる。これはトルコの中世の叙事詩である。演奏は三時間もつづく。聴衆は演奏に感動し哀調をおびた演奏によう。関係はとおいとおもわれるが同様の演奏がホーマーによってなされた。

オッデセイの中でオッデセウス王が歌い手、モディカのトロイの歌を賞賛した。まるでそこにいて隣りの人にかたってるようだといった。歌がどのような環境でうたわれてたかをトルコの町で実感できた。またジョンがうたったように、常套句の使用が記憶の仕組みと連動して次世代に確実に引きつがれてゆくことをしめしている。

トロイ戦争を実見した人の話しが伝承となったという考えはあり得るが、たとえばバイキングの王が戦争に職業歌人をつれてゆき、昔の歌をうたわせ、自分の功績をのこすためあたらしい歌をつくらせた。もしこれがあったとするならば、ホーマーにいたる経過の時代においてどのような変遷があるのか、かんがえる必要がある。

* 伝承の変容
この疑問をケンブリッジ、ジョン・チャドウィックにきいた。世代から世代に語りつがれるうちに変遷する。それぞれ の世代にはこの話しを習得する人々がいる。しかしそれをそのまま正確に引きつぐとはかぎらない。それを改善する。単純にわすれる。あるは意識的にちがった別の話しとつなぎあわせ一つの話しとする。ホーマーはこのようにして傑作をつくりあげた。それはかって別の独立した詩であったもの。その元となった詩は口誦によりこのように語りつがれたものである。あなたはトロイの略奪という話しがあったとおもうか。然り、それは充分にあり得る。いくつかの略奪の話しがあり、またトロイとマイシーニアをむすびつける何かがあっただろう。

* ホーマーは青銅時代のトロイを伝承してるのか
それは何なのか。何故、このようなちいさな場所にギリシャ各地から千もの船があつまったのか。ホーマーの文章の中にそれがないだろうか。トロイの描写は歌い手たちが当時の都市がどうだったかをしってたことを示唆してる。ホーマーはトロイの一般的な状況についていくつかの興味深い事実をかたってる。「非常に風がつよい」といってる。実際ここは年中、強風がふく。「そびえたつ」といってる。これは大袈裟すぎるようにみえるが、発掘作業の地形の変化をのぞくと、もっとコンパクトになり、このような形容もおかしくない。ホーマーは生存当時のトロイの姿はしってた。だが青銅時代はどうか。ここで地質学上の発見があった。かってトロイはおおきな湾にのぞんでいた。それが古典時代に湾が砂でうまってしまった。これはホーマーの描写では、軍船がイリオスの内側まではいっきたという。これに整合する。しかしこれはホーマーの時代もそうだった。青銅時代のトロイを反映するものはないか。三つありそうだ。

その一つ。表門のそばのおおきな塔、聖なる塔をもつとえがいてる。ここからヘクターの妻が走りでた。彼女はトロイがまさに落城しようとしてることをしった。表門に塔があった。そこにはトロイの守護神がまつられてた。ホーマーは偉大な塔をもつ聖なるイリオスといってる。

二つ。英雄ペトロクラスが城壁を三度はいのぼった。三度落城の危機におとしいれた。歴史時代はするどい角度をもった城壁であったから、簡単にのぼれない。だが、当時はただ石を積みあげただけのものだった。

最後。ホーマーはうつくしい城壁は神の助けによりつくられたという。彼は非常にこまかな説明をしてる。しかし西の周郭の一部はこのうつくしい壁と取りかえられなかった。そこが攻城の弱点としてアテナ神がギリシャ人におしえた。ウィルヘルム・ドップヘルトが一八九四年に発掘した時に取りかえられてない壁の一部を発見した。これはホーマーの時代にはうまっていた。彼はこれをしらない。このことは青銅時代から伝承された歌を取りこんだこと。だがこのことはさらにホーマーが本当のトロイ戦争をつたえてるかという疑問がうまれる。

* 武器の復元
ホーマーはマイシーニアの兜を正確にえがいている。それは野生の猪の牙でバラの形にあみあげられたヘルメットである。ホーマーは鉄の時代の人間だが、イリアドの英雄たちの武装は青銅によるものとしてる。剣について銀の鋲がついた剣という。たぶんその記憶、あるいはその表現はマイシーニアに固有なもの。ここに当時の戦士たちの真正の姿があるかもしれない。歴史考証家のピータ・コムリーがいう。古代の武器を専門とするが、彼がトロイの英雄たちにマイシーニアの武具をつけて復元した。それらはホーマーの記述にあるようなものである。彼は鎧、長剣、短剣をみせてくれた。

* 船団リストが当時の記録か
イリアドの物語りはおおくの層からなる。あるものはトロイ戦争よりもふるい。あるものはマイシーニアの戦力の具体的状況をしめすものがある。そこである詩が特定の戦いにかかわってるかどうかを判定することができるかも。ダーダネルスにおいては先史から現代にいたるまで戦いがあった。

一九一五年、トロイの対岸に位置するこの場所で戦いがあった。ケープ・ヘラスである。ここに三万六千人の戰死者をいたむ碑がたってる。各地域からあつめられた英帝国軍の戦死者である。ゲリポリの戦いである。もし伝承だけで記録がのこってなければ、本当にあったのかしんじられるか。では口誦の先史時代におきたら、どのように後世につたわるか。百六十四の場所のリストがある。ホーマーはこれは千艘の船団をトロイに派遣した土地という。これは真正の戦争の記録が詩としてつたわったものか、あるいは作り話しか。

ジェフリ・カーク、ケンブリッジ大学がいう。これらはマイシーニアを代表するものとおもわれる。アーゴス、マイシーニア、など。ここにはよりあたらしい暗黒時代のものもはいってるとおもわれる。それを見わけるのが課題か。然り。

* マイシーニアの遺跡
私はアガメムノンの首都、マイシーニにいった。 そこにはあらい石積みの壁がある。そこは後世には完全にわすれられた。そこはもはや人跡未踏の場所となってる。おおくの鳩がいるフィスビアスという。五十艘の黒船を派遣した。地名と鳩を手掛かりとして地元の人にきく。丘の頂上に典型的なあらい石積みの壁とマイシーニアの壺の破片を見つけた。ホーマーを見くびるなというのが私の感想だった。

* スパルタのヘロス
メネレアス、スパルタ王国の首都、その南の海岸線のどこかにある。海草の都市、ヘロス、六十艘の船を派遣した。平野は今もヘロスとよぶ。しかしかっての海が沼沢となり海岸線が変化した。葦のしげったでこぼこ道を車でさがしてると前方に七十、八十フィートの高さの石灰岩の崖がみえた。マイシーニア時代の構造物を見つけた。ちいさな都市だった。何故ここに存在するのか。マイシーニア時代の石切場があった。そこからここにしかない緑色のモータルが出土する。これがこの港から輸出されたのである。ここがホーマーのいうヘロスである。

* カタログにふくまれる青銅時代の地名
カタログにはギリシャ本土だけでなくクレタもふくむ島々がふくまれる。八十艘の船にクレタのリチアという土地から人々が派遣されたという。この場合は名前以外の手掛かりはない。これはたぶロトーシと関係があると推測した。アクロポリスの遺跡らしい丘と先史時代の壺が見つかった。このカタログをたよりに私は四十以上の土地をおとづれた。百六十四の半分は比定することができた。このすべてにマイシーニアとの関係がみとめられた。マイシーニアの時代がおわり放棄された土地はホーマーの時代の後になってもふたたび、人々がすむことはなかった。結論である。カタログには青銅時代にさかのぼる地名があることが確認できた。

* 船団出発の地、犠牲の儀式
何故カタログが作成されたのかよくわからない。しかし実際におきた出来事に関連する。この可能性がある。これが私をカタログの第一行目にある岩だらけのアリスにみちびいた。伝説がいう。ここはトロイにむかうギリシャの船団が集結し、アガメムノンが娘、エフィジニアを犠牲にした場所。それは航海にてきした風をえるための儀式であった。その遺跡は今は巨大なセメント工場の陰にかくれるようにあった。

鉄道をわたりほとんど人がはいらない、まるで禁忌の土地のような丘がある。ここから潮流がぶつかる海峡がみえる。ちいさな湾をのぞむアクロポリス。ここにもマイシーニアの壺の破片が発見される。ここの状況はカタログにも考古学にも整合する。ここに各船団の長たちがあつまり、船団が出発する前夜に宴会をひらいた。その下にある聖域で犠牲の儀式をおこなった。

* おわりに
結論である。ホーマーは口誦が伝統であった時代の最後に登場した。口誦の伝統により物語りをはるかな昔にさかのぼることができる。彼が物語をかたり、その言葉をさらに洗練させた。ここに歌謡という形式がうまれた。国民的叙事詩であるトロイ戦争の物語がうまれた。この偉大な叙事詩の背後に歴史的事実がないとは私はしんじない。

(おわり)

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