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デルファイの謎 [英語学習]

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* はじめに
デルファイの神託をご存知ですか。古代ギリシャの政治でおおきな役割をはたした。それが、どのようなものかを次にまとめた。すこし長めだが、よんでいただければ、さいわいである。

ギリシャ世界全体の芸術、宗教、経済を象徴する場所がある。デルファイである。スイスバンク、バチカン、各種の博物館ともいえる。アポロ神の神託をもとめて、おおくの人びと、各国の王、使節がやってくる。神託をうけると、そこで汝自身を知れという格言の意味をあらためて受けとめなければ、ならなくなる。

現在、世界各国から観光客がやってくる。それは最近のこと。以前はずっとわすれられた土地だった。しかし歴史学者はその重要性を認識していた。そこは欧米文化の発祥の地である。1890年、フランス、ドイツ、米国がギリシャ政府と交渉し、フランスが発掘の許可を獲得した。発掘がはじまったが、そこには住民がいた。その問題を乗りこえて、着々と成果がもたらされた。

* 神託は巫女がかたる
古代における神域、当時の各国があつまり交流する国際化の場所だった。そこは100エーカー以上の領域をもち、建物、宝物殿、記念碑などがあった。それは感謝の念をしめそうとする参拝者がのこしたものだった。とおい地域からもやってくる。8世紀のミダスの王、ローマ帝国の皇帝もいた。彼らの疑問をアポロ神にぶつける。

それはどんなものか。さいわい実情がわかる。プルタークという神官がいた。彼によれば、毎年9日、神託の神事が取りおこなわれる。この時期に人びとが参集した。リディアの王が他国に侵攻することの可否、ペルシャの侵略に立ちむかおうとすることの可否。どのように神託の神事がおこなわれるのか。

アポロ神殿の中のもっとも神聖な場所、四角の場所で、おこなわれる。この詳細は不明のところがおおいが、神託は巫女によってもたらされる。巫女が三脚の上にすわる。下から蒸気が立ちのぼる。巫女に神が憑依する。そこで神託がもたらされる。答がもたらされたら、神託をうかがう者が内容を解釈する。この蒸気は何か。

それは地面から立ちのぼるガスである。調査の結果、エセリンとわかった。何故、ここにこのような宗教行事がうまれたのか。

* 起源は地元の信仰のなかにあった
デルファイのあるペモサス山のさらに奧にはいる。古代のギリシャ人は山、樹木、叢林、建物、都市、すべてに神がやどるとしんじてた。神はあがめるものであり、自分たちにちかしい存在であるようねがった。そのもっとも原始的な姿をしめす場所があった。1969年に洞窟が発見された。

そこに、香油の瓶、指輪、首輪などが発見された。デルファイと比較すると、ありふれた、日常的な品々である。ちかくにすむ人びとが神様にささげ物をしていたことがわかる。そこで注目すべきものが発見された。多数の手指の骨、さらに骰子である。これは神の神意をうかがう、ためのものである。デルファイの神託より簡易な神託をうかがう行為の証拠である。デルファイのことである。

* 所在地は交通の要衝だった
それは典型的な高地に所在する集落といえる。宗教の中心というより、人びとがすみ交易の品々がゆききする繁栄した村、共同体だった。南北には山地の陸運、東西には海運の要衝の地だった。BC8世紀、地域の交流の地であったものがギリシャ全域の交流の地となった。そこでおこなわれてた神託の神事が一躍、注目をあつめるものとなった。経済的な影響は莫大だった。神にささげられる供物としての犠牲の牛、収穫物などである。神託のことである。

* 神託はあいまい、解釈するのは自分の責任
あいまいさで有名だ。それはたんに神意をうかがう者にこたえを完成させる基盤を提供するだけである。それから何を読みとるか。自分自身が何をもとめてるか、それこそが、汝自身を知れとの格言の意義がいきる瞬間でもある。自分の木製の壁を信頼せよとの答をえた。これはペルシャ侵略に海戦を決意したときのものである。神託がただしくなかっとと文句をいった王様がいた。それは自分の解釈が間違っている。自分の責任だという。神託の神事が世にでると、デルファイが世界にしられるようになった。

* 神域に多数の人びと、おおくの情報が発信
おおくの人びとがあつまってくる。いろいろな行事、催事が盛行した。例えば、スタジアムに4万人の人びとがあつまり、篝火がたかれ、おおくの犠牲の供物がはこびこまれる。臭いが充満し人びとの声があふれる。もっとも有名なのは、スポーツの競技会が4年に1度開催された。ボクシング、レスリング、各種競技が裸の選手によりきそわれた。劇場、体育館があった。勝利者は勝利を記念して記念碑を奉呈した。もっとも有名なものに、戦車競技の6フィートの高さのブロンズ製の豪華な記念碑がある。運動と宗教の関わりである。

競技場におおくの人びとがあつまる。ワインはそこでのむことがもとめられた。外でのむことはゆるされなかった。競争は競技においてのみでない。デルファイにおける都市国家の競争である。

たくさんの都市からやってきた。競技がおこなわれ、宝物、記念碑が奉呈される。氏名、出来事の由来がしるされる。さらに人びとが情報をもたらす。そこにあつまった情報は、そこにゆくことで、しることができる。デルファイはギリシャの告知板の役割をはたす。古代の放送局のようなものだった。

奉呈物はおおくの都市からやってくる。フランスのマルセイユもあった。いろいろの品物、産物がやってきた。プルタークがいう。友人にエジプトのロードペスからやってきた。裕福な売笑婦のささげ物のことをはなした。彼はそれをきいて、いかった。さて、ここからまなぶものがある。

* デルファイは古代の歴史をかたる
そこでは汝自身を、よくしらせよ。キプロスのある小島で金、銀の鉱山が発見さた。BC550年のころである。宝物殿を建築し豪華な奉呈物をもたらした。今となっては廃虚となった遺跡は当時はおおくの人びとからの奉呈物、建物、記念碑などで、うつくしく、かがやいていた。ブロンズの立像はいきてるようにみえた。各時代、時代の奉呈物が集積してる。デルファイは歴史の流れを記録したログブックである。

* 各都市国家が覇をきそった
デルファイは勝利を記念するトロフィーを蓄積してる。もっともはなやかなのはアテネのペルシャにたいする勝利のそれである。これはギリシャ世界全体がもつ統一の願望をあらわしてた。それまでは個人による、あるいは1つの都市による奉呈物であったが、複数の主体による奉呈物が発見された。ペルシャとのサラミスの海戦の記念碑は統一の勝利の象徴である。

* 勝利を記念碑などにとどめる
ペルシャとのプラチアの勝利はさらに奉呈物を豪華にした。それが巨大な柱、それにまきつく3匹の蛇の記念碑だった。それは9メーターの高さにたっする。現在、規模を縮小した複製物がのこってる。こうして統一の気運がたかまるが、伝統的な対抗意識があらわになってくる。この争いの先頭をきったのがアテネである。現在のアテネのことである。

ペルシャに勝利した日をいわって盛大な行事がもようされてる。ペルシャの戦いで中心となったアテネは勝利によりおおくの建築物をたて、都市を豪華にかざった。ここに重要な場所がある。はじめて民主主義を生みだした場所。市民があつまり集会を開催した場所、丘の上の広場である。ここで投票がおこなわれ、政治が決定された。大学の博物館にゆく。そこには投票の集計にもちいられた宝くじの抽選につかうような機械や陶片追放の陶片、戦争でなくなった名前のリストなどがのこってる。

アテネが民主主義をはじめたが、その限界をしらねばならない。そこには女性、奴隷、外国人は参加できなかった。さらに他の都市国家への覇権の拡大がふくまれていた。

* もっともかがやいたアテネ
デルファイにマラソンの英雄、フィシアスの記念碑がたてられた。神域への入口にアテネの英雄たちの立像がたてられた。ギリシャ全体への覇権拡大の意図を露骨にしめした。それにたいする対抗意識がたかまる。その先頭をきったのがスパルタである。戦争がはじまった。シシリーから黒海の各所で戦いがくりひろげられた。スパルタが最後に勝利した。はじめてデルファイに記念碑をたてた。その時、アテネの立像を破壊することはゆるされなかった。対抗するようにその向かい、山側にたてた。戦いが継続する中で両者は記念碑をきそった。それは景観をそこねるものとなった。

* 対抗するスパルタ、アレキサンダー大王がとどめる
争いの場となった。しかしアレキサンダー大王が登場し、秩序と平和の復元をめいじた。都市国家の間のあらそいがなくなったあとに、個人が記念碑をたてる。契約をしめしたものである。奴隷身分の者を解放し自由身分にするという内容である。デルファイには歴代の記念碑などがのこってる。そこをあるくことは、ギリシャの歴史をあるくことである。

* ローマが登場、東ローマ帝国で終焉する
さらに新勢力が登場。ローマである。彼らはデルファイの利用価値をみとめ、遺跡を保存し、スタジアムや体育館を拡張もした。しかしかってとちがう。デルファイはもはや政治の主要な場所でなくなった。プルタークがそうみとめた。

さらに時代が変遷する。AD4世紀の舞台はイスタンブールにうつる。コンスタンチン皇帝がキリスト教に改宗し、ここをあたらしい首都とさだめた。そしてデルファイの宗教性を否定した。アギアソフィアとよばれる教会がある。皇帝はここを宗教の中心と宣言した。完全なデルファイの終焉である。そのちかくに遺物がある。それはかってデルファイにかざられてたという巨大な柱に3匹の蛇がまきついた記念碑である。その一部が破壊され、のこされている。

地域の神殿であったものが、政治が躍動する場所となり、ギリシャ全体の統一の象徴となり、さらに都市国家間の争いの場となったデルファイ。それは今も汝自身をしれという格言とともに生きつづけている。
(訳文おわり)

* どう思うか
どうだろうか。すこしながい。がしかし、個々の文の内容は充実してない。そうかんじるのでは。これは私の語学力では、これ以上詳細に記述することがむずかしかったことによる。だいぶ音がとれるので我慢づよくたしかめれば、もっと、こまかく書きとめられそうだ。しかし全体を概観する。それが私のすきな歴史をたのしむ方法。これを優先したことでもある。

ユーチューブにある、Delphi: The Bellybutton of the Ancient Worldからまとめたものである。時間は1時間弱。ありがたい時代になったとおもう。日本にいて、このような歴史を手軽にしることができる。といっても英語ができればという条件がつくが。ここで苦労してることは事実だが、充分自分の好奇心を満足させることができた。これからまた別のトピックに挑戦するつもりである。

さて、英語の勉強として2つのことに気づいた。それは、

1) 日本語にくらべ、子音は半分ぐらいの発音ですます。それで、らくにはやく発音できる。
2) 一息で発音する単語は音圧がゼロから最大になり、最後にゼロでおわる。だから子音の発音の冒頭部分は日本語にくらべ、明瞭でない。そのように発音する。

* 子音は半分くらい
帝国の意味の「empire」である。ここの「mp」を日本語のように発音すると2倍になる。単純化するが「m」の前半部と「p」の後半部を発音すれば、ちょうど1音の子音の発音となる。日本語のように発音したら2倍に時間がかかる。だからどちらも中途半端な、落ち着きのない発音で我慢する。これが自然な英語の発音とおもう。

* ぼんやりと立ちあがる
デルファイの「delphi」である。この「d」を発音する時、音圧ゼロの近くからはじまり、上昇するが最大となる前におわる。最大の音圧はつづく母音の発音の時である。それがおわり「phi」をすぎ、ゼロとなる。したがって「d」の冒頭はぼんやりとひびき、全部発音しきらないまま母音にうつる。ものたりない気がするが、これも自然な英語の発音とおもう。

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