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ケーガンギ歴、アテネの民主主義(15、3の3)


* 対象の限定
アテネ人は投票の権利を制限した。公職につくこと、陪審員になる権利を成人、男子である市民に制限した。奴隷、居住する外国人、女性、男子で二十歳以下にはあたえなかった。現代の評論家はペリクリース時代の民主主義を批判する。ペリクリース時代の民主主義に疑問をていする。彼らは奴隷が存在し、女性の権利を制限してるという。このような権利の排除だが、文明がはじまった紀元前三〇〇〇年頃から他の文明にも同様にあったものでありアテネが特例でない。これは最近までつづいた。この批判のような近視眼的視点があることは興味をひくものでも、おどろくべきことでもない。

アテネ人がやった排除より重要なことがある。例をみないほどの大規模な人々をふくめたことと、その人々の参加の意義の重大さと、参加がもたらす成果の偉大さである。ここで有用なこととして指摘しておく。それは米国のジャクソン民主主義とよばれるものであるが、その最盛期には奴隷制度と共存した。二十世紀にいたるまで女性の選挙参加への権利は否定されてた。また年齢にかんしては、なおも制限がつづいてる。

おおくを排除してるとしてペリクリースの民主主義を否定することは、偏狭な価値観と時代錯誤の立場にとらわれてる。それは思いもよらぬ不幸な結果を産みだす。すくなくとも現代のギリシャ人は誰もアテネの民主主義を否定してない。ならば後にのこるのはそれがよいか、わるいかだろうが、現代の我々がかんがえることではない。ちがった立場からみてみよう。米国や英国が民主主義だというのをきいて、当時のアテネ人はおどろくだろう。

* 現代とちがう民主主義
彼らにとっては、民主主義の中核には、直接で完全な主権(sovereingty)がある。それは市民の過半数が代表するものである。とおれおが現代の特徴をみると、政府はその代表がおこなうこと。それの点検と均衡。権力の分離。重要な職の任命、選挙でえらばれない官僚組織、裁判官の終身任期。一年以上の任期をもった役職の規定。これらはすべてあきらかに合理的精神をもった市民が民主主義と理解するところに敵対するものである。古代と現代の考えかたに違いがある、その理解にはアテネの民主主義がどのように機能したかを簡単に検証することが必要となる。それはもし我々が偏見をすて世界の歴史でまったくまれな政府のありかたの特徴を把握しようとするなら、必要になってくるとおもう。そしてアテネの自治がおわった後に、どのようなかたちでも存在したことはないだろう。

* テネの行政、立法、司法
では時代を無視した分類だが、政府の機能は三つの機能、立法、行政、司法にわかれ、これをもとにかんがえてみたい。アテネの民主主義で立法とよぶものは議会、エクレシア(ecclesia)とよぶものだろう。これはペリクリースの時代においてはアテネの成人男子が参加するものである。これは四万から五万人のおおきさである。彼らのおおくは都市からはなれてすんでる。ほとんどは馬をもたない。だから議会出席には長時間の徒歩が必要となる。だから、実際の出席は五千から六千人だったろう。

* 議会の定足数、場所
ある活動についての定足数がさだめれれてる。それにはすくなくとも六千人の投票者が必要となる。これはそれ以上かもしれないが、そう以下であったかもしれない。会議はピニックス(Pnyx)とよばれる丘のうえでひらかれる。アクロポリスからそうとおくないところで、市場(アゴラ、agora)を見おろすところにある。市民は傾斜のつよい丘の土のうえにすわる。発言者はひくい場所にある舞台のうえにたつ。その声がきこえるようにするのは困難である。ここは戸外で、拡声器などない。紀元前四世紀の偉大な演説者、たとえばデモステネス(Demosthenes)は波がくだける音がひびく海岸において演説の練習をする。その練習をつうじてピニックスで声が充分にきこえるようきたえたという。おおきな声はアテネの政治家には貴重な資産だった。

* 議会開会の様子
議会開会の様子を今にのこってるアリストファネス(Aristophanes)の喜劇から想像することができる。紀元前四二五年にえんじられ題名はアカニアンズ(Achanias)である。そこに典型的な彼の喜劇の主人公が登場する。田舎からでてきた古風な老農夫が戦争に文句をつける。彼はそのため田舎の農場からアテネにまでやってこなければいけなかったからである。年齢は六十歳である。

* 喜劇がおしえるもの
一文を引用するが、その日は議会がひらかれる日である。彼はピニックスの土のうえにすわってる。まだ誰もきてない。彼がいう。

「もう議会が開会する日がはじまってる。誰もこの丘にきてない。あいつらはまだ市場(いちば)でお喋りをしてる。あかい液につけた縄をもってウロウロしてる」

アテネ人はいつも都市のセンターや市場からでてこない。おくれるとされてる。そのため役人がいて、彼らはお喋りに夢中になってる人々を追いだすため、あかい染物の液体につけた縄をもって彼らを追いだす。そして市場には誰もいなくなる。彼らはあかい液がつくのをいやがる。縄が近づくとにげる。それで彼らを追いだし、誰もいなくなるわけである。彼がいう。

「議会の議長もまだきてない」

そして議長があらわれ、やってきた。彼らは前列の席をあらそって大騒ぎをする。誰もしずかにと注意する者がいない。

「なんて奴等だ。いつも私が一番最初にここにくる。 席をとる。私は一人だから、うめく。あくび、足をのばし、屁をする。何をしようか。書きものか。髮を櫛でなでる。家計簿をつけるか。私の農場のほうをみるか」

「平和が一番。町はいやだ。村にかえりたい。ここで炭をかう、油も、名前がわからないがただのも。それでここにきた。思い切りさけぶ用意ができてる。発言の邪魔をする。もし平和以外のことをいったら、発言者に悪口をいう。でも、もう昼だ。議長、どうする。」

誰もが前列の席にやってくる。議会の役人がやってきていう。

「ここは駄目、さだめられた場所に」

そして議会の開会を声たからかに宣言する。次にいうのは簡単なものである。

「発言をもとめる者は誰か」

誰かが手をあげる。そして会議はすすむ。では喜劇の話しはおわり。ピニックスでの実際の会議はこんな喜劇でない。彼らは深刻な問題をあつかう。さだめられた会合がある。一年を十にわけた会期がある。必要なら特別な会合ももつ。

* 会議の詳細
その議題である。条約の承認また不承認。戦争の宣言。ある作戦への将軍の任命。派遣する軍の決定、それにあたえられる兵員、装備の決定。ある役職につく人物の承認、それの罷免。陶片追放をするかどうかの決定。宗教にかんする問題。遺産の問題。議会に持ちだされるもの、なんでもである

* 直接民主主義の姿
現代の代表制民主主義の市民にとって、このような大都市の会合のやりかたはおどろくことばかりである。そこで議論してる出席者たちの生死やその都市全体にかかわる外交政策の問題を直接にあつかってるのである。古代と現代の民主主義の違いをみるのに非常時の対応をみてみよう。

* 非常時の問題での対応
たとえば米国大使館が奪取されたとしよう。その最初の情報は複雑で巨大な組織である情報機関のある部署に秘密情報としてやってくる。それはもしかしたら政府がしる前にCNNの報道としてあらわれるかもしれないが、それは極秘情報である。ホワイトハウス、国務省、国防省のかぎられた一部の人たちにのみしらされる。

その政策も国家機密の保護から秘密としてあつかわれる。少数の集団のなかで議論され、最後に決定は一人の人物、すなわち米国大統領によりなされる。もし秘密がもれなければ、決断が公表された時にはじめて人々にしらされる。この例は典型例となってるキューバ・ミサイル危機である。そこでは秘密がまもられた。

新聞も近年は国の安全保障のために秘密をまもる。そのようなふるいやりかたで何がおきるか。関係部所で問題は一週間ほどころがされる。大統領がテレビにあらわれ、現状にどのような脅威があるかを説明し、どうしようとしてるかを説明する。もはや議論するにはおそすぎる。だがこれが我々の政治でおこなわれてることである。ペリクリースの時代には戦争か平和の問題がアテネにおいてもあった。そのたびに議会がひらかれ市民のまえで議論された。そして単純多数の投票により決議がなされた。これが厳密におこなわれたのか、このような重要な問題においてアテネ市民が完全で最終的な決定権を行使した。そんなやりかたをすることになってたという以上のたしかな証拠を私は見つけたわけでない。

* 五百人委員会の機能
数千人の構成員からなる議会が助けなしで、その任務をはたせない。そのために五百人委員会の助けをえてる。それはすべてのアテネ市民から籤引きによりえらばれたものである。それはおおきな組織では対応できないおおくの公務をはたしてるが、その主責任はこの点で立法の準備作業をすることである。五百人委員会は議会を輔助する機関であり、議会は彼らが作成した法律案を投票にかけることができるのである。

議会は再作成をもとめる指令をつけて送りかえすことができる。まったくの新法律案で置きかえることもできる。大衆の権威が完全な決定権(sovereignty)とその実効性、これがピニックスにあつまった議会の働きとして直接に機能してる。彼らがやりたいとおもったどのようなことも、その日からそのようにうごけるのである。

*行政の単一責任者の不存在
行政、我々がそうよべる行政についてみる。古代のアテネにおいて、こう区別してたわけでないが、我々の理解をたすけるため、これを区別して説明する。我々はこの行政を判断力と実行力もつものとして厳密にしぼってかんがえる必要がある。行政と司法の区別は現代の区別よりさらにはっきりしない。まず、責任者として大統領、総理大臣はいない。内閣もない。どのようなかたちにせよ国家を運営し、責任をはたす選挙によりえらばれた公職者はいない。政策一般を提案する責任者はいない。

米国人が政府(the administratio)とよぶものや英国人が政府(the government)とよぶものはない。十人の主たる公職者としてえらばれた十人の将軍がいる。彼らは一年の任期でえらばれる。その名前でわかるように彼らはおもに軍事の公職者である。彼らは陸軍や海軍を指揮する。彼らの再選は制限されないが、キーマンやペリクリースのような長期の再選は極めて異例である。

* 将軍の権能、評価、点検
彼らが発揮した政治力は議会の同輩市民を説得し、したがわせる個人的力である。彼らは陸海軍の作戦行動をのぞき特別な政治的、行政的権能をもたない。これをのぞき誰も命令する権能がない。将軍としての権能だが、きびしく制限されてる。外征作戦の指揮官は議会全員の投票によりえらばれる。

また議会は派遣軍の兵員、したがうべき作戦の目的をきめる。選出のまえには五百人委員会により、その能力、資格について審査をうける。その任期を満了した時には、その業績について審査をうける。特に、彼らの財産につき会計検査をうける。ユスナ(euthuna)とよばれる。

えらばれた人たちによる審査だけでなく、一年間に十度、議会全体から一年間に十度、将軍は評価をうける。もし満足できないと表決されたら、彼らは法廷で裁判にかけられる。そこで有罪とされると罰や罰金をかされる。もし無罪ならもとに復職する。彼らには特権があたえられるから、彼らが人々の支配にはんしてないかを慎重に審査する。これらの手続の裏にあるものである。このようなきびしい審査をようする公職者には、陸海軍、海軍の船建造、国庫の管理、都市の水道施設にかかわる公職者である。だが他のおおくの公職者については籤引きによりえらぶ。このようなやりかたはアテネ人が民主主義の支配的原則として平等を重視してることからくる。

* 籤引きによる公職者の選定
それは市民としての責任をはたす能力がある市民は充分にいるとの考えである。さらに行政の権能を少数の人間にゆだねる危険性への恐れがある。それが彼らの有能さ、あるひは経験をみとめても恐れをもってることでもある。この理由からアテネは相当量の公職を籤により割りあててる。一人にあてる公職は一度かぎりと制限してる。ただし例外には五百人委員会がある。それはその生涯につき二度である。将軍の再任には制限がない。これはその技術と能力がその職の必要不可欠の部分だからである。任期が非常に短期であることをのぞき、これが本当の例外といえる。現代の目からみておどろくべきことだが、アテネ人は公的活動の管理からは、教授、専門家、専門職、官僚、政治家をとおざけてる。これ以降は次回にはなす。

(3の3おわり)

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