SSブログ

第二次カルタゴ戦争、ローヌ川をわたる(簡略ロ歴) [英語学習]


genpati_tyamise.gif

* 内容の紹介
セグンタム攻略後に交渉が決裂し第二次カルタゴ戦争がはじまる。ハンニバルのアルプス越えの作戦、ローマの二方面作戦をあつかう。
(Second Punic War - On to the Rhone - 34、Historyden)

* セグンタム攻略後、交渉、決裂、第二次戦争
セグンタムの攻略の後にすぐローマがカルタゴに使節団をおくって要求した。ハンニバルとその将校を引きわたせ。もし受けいれないなら戦争の宣言という。カルタゴにはハンニバルを引きわたすつもりはない。ローマが現行の協定に違反したと反論した。ローマは協定はローマにおいて承認されなかった。だから無効と主張した。派遣団から平和か戦争の態度をきめろとカルタゴに要求した。たいしてそれはローマの派遣団がきめることといった。やりとりの後に派遣団が戦争を宣言しカルタゴの元老院が受けいれた。ここに公式に第二次カルタゴ戦争がはまる。

* 遠征前の準備、ライベリア、カルタゴの防衛
ハンニバルはすでに地中海沿岸のニューカルタゴに拠点を設置してた。彼の兄弟にライベリアにおける指揮権をあたえ艦船もあたえた。スペインの沿岸をまもる目的である。彼はローマが優位にある海軍力でライベリア沿岸を攻撃すると確信してた。さらに軍をカルタゴとリビアにおくった。ローマがアフリカに攻めいることの備えである。千二百の騎馬と十三万八千五百の 歩兵隊。これにくわえてアフリカからあつめられた四千の歩兵隊。これがカルタゴの守備隊におくられた。

* 道筋のゴールズの支族に使節を派遣
これで歴史的なローマ遠征がはじまる。ハンニバルはその道筋にいるゴールズの支族に使節をおくった。これはアルプスとポー平原についての貴重な情報を入手することを期待してた。さらにイタリアにおける拠点をつくるために同盟を申しでるゴールズを期待してた。イタリアにおいては長期の作戦行動が予想される。そのため活動維持の拠点は不可欠である。彼は使節から情報をえた。アルプスのこと、ゴールズがローマを嫌悪をしてることをしった。おそらく彼はこの前にあったローマとゴールズの戦いについておおくのことをしったであろう。

* ポー平原でゴールズのボインが反乱
彼はポー平原にちかい支族の一つ、ボインがローマとカルタゴが戦うという情報に興奮してることをしった。さらにボインはポー平原のローマ人入植地に攻撃をはじめた。略奪し捕虜を取りもどした。これにローマがレージョンを派遣してゴールズを追いだした。そこでは持ち主がはっきりしない土地は開拓されないまままだった。道路をゆけばふかい森にぶつかった。ゴールズはこの森を隠れ蓑にしてローマを攻撃した。七百人の犠牲をだした。ローマは防衛線をしくことができたが、それでもゴールズによる圧迫がたえなかった。これはローマの戦力集中をさまたげた。

* ハンニバル、遠征へ出発、ピレネー越え
ゴールズとの同盟の可能性がうまれた頃に彼は兵をあつめはじめた。紀元前二一八年の春だった。本国からは彼の軍事作戦が市民に受けいれられたとの情報がはいった。これで作戦開始のすべての準備がととのった。当初は一万九千の歩兵隊、一万二千の騎馬隊だったという。これを引きいてハンニバルははじめてエボラル川をわたった。山越えはアルプスだだけでない。その前にピラニー(ピレネー)山脈がある。その山と川のあいだにいくつかの敵性の支族がいる。彼らはローマの影響下にありカルタゴの支配にはいることを警戒してた。服従させるにはきびしい戦いが必要となるだろう。ある歴史家がいう。かりにこの作戦に成功しても犠牲はおおきい。ハンニバルはハノにめいじてこのあたらしく征服した地域の統治をゆだねた。そのため一万の歩兵と千の騎馬をあたえた。またライベリア統治のため一万の軍をのこした。これらの兵力はローマのスペインを攻撃へのそなえでもある。これらの調整があったが。ハンニバルには一万五千の歩兵と九千の騎馬がのこった。

* ローマの二方面作戦、ハンニバルと本国を攻略
これらの兵力はもっとも彼が信頼してる古参兵である。彼の動きをしってたがローマは阻止にでなかった。そのかわり兵力を二つにわけた。ファブリアス・コレリアス・シピオがライベリアにタイベリアス・センプロニアス・ロンゲスをアフリカにおくることとした。ローマはこの時点ではハンニバルがイタリアに侵攻することの脅威を充分に理解してなかったようだ。さて隊の編成をむずかしくしたことがあった。五千の歩兵をゴールズの反乱でくるしむポー平原の守備隊におくらざるをえなかった。この補充に時間がかかった。このためシピオの出発がおくれた。ローマは職業軍人でない。そのため即応がむずかしい。ハンニバルに対抗する貴重な時間をここで無駄にした。夏にはいりシピオの出発準備がととのった。

* シピオがローヌ川河口に、センプロニアスがシシリーに
彼の軍に二十の艦船があたえられた。センプロニアスには百六十の艦船だった。当初の計画ではセンプロニアスはまずシシリーに船でゆき、そこでシピオがアルプス越えをするハンニバルを阻止する。そのしらせをきいてセンプロニアスがカルタゴ本土に総攻撃を仕かけるというものだった。

* ハンニバル、ゴールズに贈り物をして進軍
ハンニバルはピラニーをこえ、そこで野営した。彼はこの地域で和平協定をむすんでない。この地域の支族は敵対的であったり友好的であったり多様で見当がつかない。彼はここからローヌ川までできるだけはやく通りぬける必要がある。そのため贈り物をおくることもした。この土地の支族はカルタゴに支配されることをおそれてた。彼は各支族長に使節をおくり自分の意図はローマとたたかうことである。この地域の支族とたたかう意図はないと説明させた。贈り物の効果によりローヌ川までたどりついた。この川は大河である。

ところでシピオはピザから船出した。そしてローヌ川の河口についた。偵察から情報がはいった。ハンニバルはピラニーをこえたがまだローヌについてないという。実際はついてた。そこはシピオが停泊してる地点から四日の行進でゆける距離である。シピオはまず彼の所在を確認することにした。彼はハンニバルが南下し沿岸沿いにローマにやってくる可能性がたかいとかんがえた。そこをシピオが向えうつとの目論見だったが事実はちがう。

* ハンニバル、ローヌ川をはさみ敵と対峙
ハンニバルはローヌ川の西岸で野営した。友好的な支族から船を購入し、またさらに船をつくるため材木も購入した。これは今でいうカヌーであろう。敵対的な支族もいた。彼らはハンニバルの渡河を阻止しようとして対岸にあつまった。ローマは四日の距離にある。ここでのたたかいば時間をとる。またおおきな犠牲がでる戦いははやらないときめてた。この危機を抜けでればアルプスにむかえる。そうなればシピオは彼らをおうことができなくなる。ところが対岸の敵は大勢である。ここで渡河の強行は自殺行為である。そこで分遣隊を川上に派遣した。

夜の闇にまぎれて行軍し五マイルの上流に適地をみつけた。そこで渡河に成功した。敵から探知されなかった。そこから南下し敵に近づいた。ハンニバルの陣営からの信号によりそこで待機した。これで本隊の渡河の準備がととのった。敵はこの渡河を待ちかまえてる。ところが背後の敵にはまったく気づいてなかった。ハンニバルの命令がでた。歩兵も騎馬も船にのってすすんだ。敵は対岸に一列となりならんでた。

* ハンニバル、奇襲により渡河に成功
焚き火がたかれて分遣隊に信号がおくられた。敵の背後に完全な不意打ちをくらわした。一つは野営地を攻撃し、もう一つは川岸に待ちかまえてる敵を攻撃した。渡河してきた本隊も同時に攻撃した。敵側は大混乱となり象をのぞいた本隊はすべて渡河した。彼らはその夜、東岸に野営した。すでに準備してた構造物をもって象も渡河に成功した。ハンニバルはここではじめてゴールズの友好的支族にあった。彼らはポー平原にくれば必要なものが準備されてるとはげました。さ らにローマのレージョンがちかくに停泊してることをおしえた。

* シピオ、追跡に失敗、ハンニバルはアルプス越えに
彼はただちにヌメディアンズの斥候を派遣し正確な所在地を確認させた。おどろいたことに彼らはシピオの派遣した斥候の一行にぶつかった。戦いがおきておおくの犠牲がでた。ローマは彼らをおってハンニバルのところに近づいた。そこでローヌを渡河したことをしった。ただちに引きかえしシピオに報告した。シピオはただちに隊にめいじて河口から北上した。ハンニバルの野営地にやってきた時には彼らはすでに出発し、アルプスにむかってた。シピオはこれ以上の追跡は無理とあきらめアルプスをこえた側で待ちうけることとした。

(おわり)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。