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パイリック戦争(簡略ロ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
イタリアの統一をすすめるローマが南でギリシャとぶつかる。そこでおきたパイリック戦争の一つ、ヘリクリアの戦いをあつかう。
(Ancient Rome History - Part 1 Pyrrhic War - 19、Historyden)

* すすむイタリア統一、南部でギリシャと対決へ
前回でサムナイト戦争をあつかった。これはサムナイトのみならずいくつかの部族も征服した戦いであった。それまで文化的、言語的に分裂していた部族がローマによりゆっくりだがローマのやりかたで吸収されていった。ローマの軍事力はたゆむことなく強化されていった。政治的、軍事的な変革をはたし他の都市との争いを乗りこえローマの勝利につながった。パイリック戦争がはじまる頃にはゴールズを北においやりポール川を境とし南にはあたらしい植民活動に動きだした。

それはトレントをふくむギリシャの植民都市である。サムナイト戦争がおわって十年後にパイリック戦争がはじまる。ギリシャの植民者たちは将軍、パイロスに引きいられ戦争をはじめる。これはローマのレージョンがギリシャの密集編隊とぶつかりあう最初の機会となった。それはマセドニアの密集編隊である。

ローマは南部をふくめイタリア全土の統一をねらってた。ローマはアプリアとルカニアに植民都市をたてたが、ギリシャの植民都市に浸透しようとする。ギリシャの諸都市を統合するものがない。都市の政治にはいつも民主政治と 貴族政治の対立がみとめられた。ローマは貴族政治側に支援を提供する。

* ローマ、ギリシャの植民都市へ浸透
民主政治勢力はローマを非常にきらった。おもな都市にトレントがあった。彼らはローマが南で拡大してゆくのに警戒心をつのらせた。ローマは都市内の対立を利用し貴族政治側を支援した。もし都市内の統合がしっかりしていたらローマの浸透はむずかしかったろう。ローマの支配は堅固だった。外国の干渉をゆるすすきがなかった。二八〇年、ギリシャの植民都市、ツリアイがローマにたすけをもとめた。彼らは貴族政治である。彼らは別の都市と対立してた。ローマはトレント湾に艦船をおくった。これは当時存在してたトレントとの協定に違反してた。トレントはこれを攻撃しいくつかをしずめた。ローマはこれにいかり賠償金を要求した。拒否したトレントに戦争を宣言した。

* トレント湾でギリシャと衝突、パイロスの登場
ローマが南部イタリアの征服を完了する。このためにトレントに口実をもうけ攻撃する。ローマのねらいだったかもしれない。ところがトレントで反乱がおき民主政治側が政権をうばった。彼らはトレントに忠誠であった。ローマは軍をトレントにおくった。紀元前二八一年、最初の年はトレントの田園地帯で略奪してまわった。そして退却していった。トレントは単独でローマを排除できない。そこで将軍、パイロスにたすけをもとめた。彼は アレクサンダー大王がうまれた後にうまれた。アレクサンダー大王の帝国再現をめざす将軍、王たちがいた。彼はその一人だった。大王の死後、その帝国は今やいくつかに分裂しヘレニズム化したギリシャとよばれたもの。

* アレクサンダー大王を夢みたパイロス
パイロスはおどろくべき人物とおもう。彼は戦いがあれば、どこでもいつでも出かけていく。ギリシャの歴史のなかでもっとあつかいたい人物だが、これはローマの歴史である。本題にもどる。彼はギリシャのエパイロスをついだ。ペロポネソス半島の南西にある領域である。パイロスはこの王国を当時としては最強の王国とした。彼はローマにとって重大な脅威であった。彼は自分自身をアレクサンダー大王になぞらえてたようだ。大王は東に王国をつくった。彼は西に王国をつくることを夢みた。イタリアをその飛躍台にしようとした。

彼はギリシャのコサイラを征服した。その時にトレントの協力をえた。そのために同盟国、トレントの要請にこたえる必要があった。彼の計画である。ローマに長期的に敵対する国をみつける。それと同盟国となる。サムナイトが有力候補である。ローマをやぶった後にはシシリーにむかう。その後はカルタゴである。これらを征服したらマセドニアにむかう。ここがギリシャ帝国の最重要な王国である。野望にみちた計画である。彼は博打をうつ人といわた。危険にみちた計画である。

* 地方勢力だったローマ
パイロスがどの程度にローマをみてたか。ローマはずっと地域的な存在だった。ギリシャはそれよりも世界に関心があった。たぶん彼は過信気味だったろう。ローマの能力をひくくみてたろう。カルタゴもローマについておなじようにみてたろう。カルタゴはパイリック戦争の時にローマに協力した。パイロスをおおきな脅威とみた。ローマをそうみてたわけでない。それまでのローマの活動は地域が限定されてる。しられてないのでこの認識はもっともである。だがまもなくパイロスはこの姿をしることになる。イタリアに侵入する前に彼はいくつかのギリシャの都市と停戦協定をむすびイタリアでたたかうために兵を補給した。紀元前二八〇年、彼はトレントに上陸した。

* ローマは八のレージョンを派遣
ローマはこれを非常な危機とみた八つのレージョンをおくった。それを四つの軍にわけた。総勢は八万人である。二つの軍がイタリアの部族の動きにそなえおくられ、もう一つがローマのまもりにのこされた。四つの軍がファブリアス・フォラリアス・ラヴィーナスの指揮のもとトレントにむかった。これは最初のパイリック戦争の作戦、ヘリクリアの戦いである。ここで 戦闘用象についてのべる。

* ヘリクリアの戦い、戦闘用象の活用
これは敵を踏みつぶすもの。象の背中のうえに座席がのる。そこに四人の操縦者がいる。彼らは上から投石したり弓をいたりする。象の身長がたかいことが有利となってる。これは敵兵に恐怖をあたえる兵器である。象をみただけで敵兵が逃げだし隊列をみだす。戦場から離脱する。このようなねらいをもつ。パイロスはインド象をつかった。ハンニバルばアフリカ象である。

これの欠点は移動が一方向になり柔軟性にかける。さらに象は敵味方の区別がつかない。操縦者が失敗すると味方を傷つける。だがながくつかわれ十九世紀に大砲が登場するまでつかわれた。では陣容をみる。

* ほぼおなじ兵力
パイロス。二十から二十五の象。これは重要な働きをした。両軍の兵力はほぼおなじである。ローマは兵力の半分は同盟の兵である。ここにはローマの方針 がある。都市への税を軽減して兵をあつめる。これにより兵力の増強が可能となった。この同盟軍にも戦利品の分配がみとめられてる。これにより都市は極めて富裕になることもある。戦場の様子である。

戦場の中心に平原がある。その南西にシリス川があり南東から北西にながれてる。川の両岸には丘がつづく。それがなくなったところから川をわたることができる。平原を北東にすすむとそこにも丘がならんでる。ローマの野営地は川の手前の南西にある。ギリシャは川をわたり平原を北東にすすみ丘にいたる。その後にある。

* シリス川を渡河し平原でギリシャと対決
パイロスはシリス川のちかくに拠点をおいた。平原がのこり密集編隊にとり有利である。そこでローマをまつ。彼はローマと交渉しようとした。しかしローマはまったくこれにおうじなかった。 彼らはギリシャをイタリアから完全に撤退させようとした。パイロスはシリス川岸の近くに軽装編隊をおくった。それはローマが川をわたるのをすみやかに察知すること。その渡河を阻止することである。夜明けローマは川をわたりはじめた。ローマが実際にわたった場所はパイロスが橋を遮断してたところより川下だった。そのためローマはギリシャの軽装歩兵を攻撃できた。ギリシャは逃走をはじめた。

パイロスはローマの渡河をながめてた。その規律と整然とした様子におどろいた。彼はこの戦いは簡単なものにならないと覚悟した。彼は先遣隊をおくった。騎馬隊とペルタス(歩兵隊の一種)だった。これによりローマの編隊をみだし退却した。これで時間をかせいたパイロスが編隊をととのえ戦闘にそなえた。両軍の戦闘態勢がととのった。これで密集編隊とローマのレージョンとの巨大なぶつかりあいがはじまる。パイロス側は七つの部隊がたたかう。ローマも七つの部隊がたたかう。攻撃がはじまった。両者の戦いは均衡し勝負の帰趨はみえない。

* 象におどろき混乱、逃走、パイロスが勝利宣言
ローマの騎馬隊の攻撃がギリシャの右翼を圧倒し退却をしいられた。危機である。戦いが敗北におわりそうになった。ここでパイロスは戦闘用象を投入した。彼らはローマの編隊を分裂させた。ローマにとり悪夢であった。ローマの馬はこのようなものをみたことがなかっただろう。戦場から逃走をはじめた。重装編隊も逃走にはいっった。パイロスはここで勝利を宣言することができた。ダイアナイシスがいう。ローマは一万五千人をうしなった。その半分が捕虜となり残りがころされた。これにたいしギリシャは一万千をうしなったとした。これは最初のパイリック戦争の勝利である。これをまとめるとパイロスは戦闘にはかったが戦争にはまけたいうべきである。ローマはうしなった兵を補給することができた。しかしパイロスあはできなかった。彼はどの戦いにおいても千人をうしなうことがゆるされなかった。彼には圧倒的勝利が必要だった。この戦いであきらかになったことである。

* 戦闘にまけ戦争にかったローマ、兵士の補充にくるしむギリシャ
ローマはギリシャの密集編隊の攻撃に対抗できる。ギリシャに充分な損失をあたえることができるということであった。この戦いの後にパイロスは軍の補充をイタリア南部でおこなった。彼はそこでローマ以上におおくの敵に出あった。ローマのラヴィーナスは北に退却し、もう二つのレージョンの補充をうけた。これで彼の軍はほぼ戦前の戦力に回復した。パイロスがおどろいたことがある。ローマの兵士の忠誠心のたかさである。捕虜となった兵士をギリシャ側に転向させようとした。しかし転向した兵士はいなかった。これで彼が相手にしてるのは傭兵でなくローマの忠誠心のたかい市民兵であることに気づいた。

パイロスは勢いをつけ北上しコンパニア、ラティアンズに転戦し略奪をつづけ、ローマの三十マイルに近づいた。ここでローマに和平の交渉をもとめた。ローマはこれを拒否した。パイロスはここでローマへの攻撃をやめた。というのはローマの軍が各地にのこってる。それがローマにもどってくる。背後を敵につかれる危険をおそれた。彼は南にもどった。戦いはまだつづく。

(おわり)

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