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集団的自衛権の閣議決定 [中・韓問題]

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集団的自衛権についての憲法解釈の変更が閣議決定された。その概要は次の表のとおりである。ここで全文は後に掲載するので、集団的自衛権をのぞく部分については、極力簡略にしてる。

閣議決定の概要
事項
概要
経緯 我が国は、戦後一貫して平和国家として歩んできた。
世界の情勢は複雑に変化し、対処すべきあたらしい課題がでてきた。
政府の責務をはたすため積極的平和主義の考えで世界に貢献する。そのための法整備をおこなう。
侵害への対処 1 武力攻撃に至らない侵害への対処

純然たる平時でも有事でもないが侵害に対処すべき事態がある。このため警察機関と自衛隊などがより緊密に協力する。
不法行為に対処するため、警察や海上保安庁などが対応を強化、協力する。
離島の侵害について、迅速に治安出動、海上警備を発令するため法整備をおこなう。
さらに、我が国の防衛にあたるる米軍部隊への攻撃、そのおそれ、侵害が発生する場合に適切に対応する措置をとる。
国際社会への貢献 2 国際社会定への一層の貢献

武力行使への一体化をさけるため、活動範囲を非戦闘地域に限定してた。これを他国軍隊が武力行使をおこなう場合、ただちにそこを撤退するとの条件で非戦闘地域という限定をはずす。
他国においてテロなどから邦人を救出するため、相手国政府の承認を前提として武器使用をみとめる。
同様な承認を前提に武力の行使を伴わない警察活動ができるようにする。
集団的自衛権の解釈変更 3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置

(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。

(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。

この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。

(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。

こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

(4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。

(5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。
今後 4 今後の国内法整備の進め方

すすめる。


昔のことを思いだす。政治家が法制局長官がけしからん。集団的自衛権を否定した。これが金科玉条のごとくまかりとおるという。行政は内閣が責任をおう。法制局長官はそれに所属する一官僚にすぎない。そんなに偉くない。

しかし、これは国民がもつ戦争への忌避感を敏感に察知した政治家が表にたつの嫌っただけと思う。この問題を安倍さんが正面から取りくんだ。閣議決定に持ちこんだ。ことの是非はさておいて、これだけの決断を国民にせまるとは、たいしたものだと思った。さて、世の中の評価である。

朝日新聞が説明が不十分だといってた。賛否をあきらかにせず、責任を回避する時の常套句である。心にひびかない。毎日新聞が法制局の見解がききたいといってた。まあ、この閣議決定の全文をよめばそれでよいだろう。外国の評価である。

オーストラリア首相の評価はよかった。中国を意識していたのだろう。戦後の日本の行動を法律をまもって行動してたといった。訪問した安倍首相への待遇も英国の首相と同じようだった。米国も積極的に評価した。ヨーロッパ諸国の評価もよかったと思う。

アジアも中国、韓国をのぞけは評価しているようだ。世界の中の日本である。すこし蘊蓄をのべる。自衛権は個別的自衛権と集団的自衛権がある。これは国連憲章に明記されている。それが日本にもみとめられているかであるが、サンフランシスコ平和条約においてみとめられている。ところで、閣議決定でのべてるように、日本国憲法が集団的自衛権をみとめているかどうかである。これは別の問題というのがこの閣議決定の見解のようだ。つまり独自に判断することという。で、結論である。

集団的自衛権の概念は二度の世界大戦をへてうまれてきた考え方とおそわった。個別的自衛権のみでは世界平和はたもてないとの反省があったという。独自の憲法解釈をもつのはよいが、このような智慧の所産を無視するのはいただけない。これからも世界の良識はあたらしい平和の枠組みをつくってゆくだろう。いつまでも同じような憲法解釈に甘んじてられないかもしれない。常に世界の動向に目をむけてほしい。

閣議決定の全文(当初、失念した。お詫びして追加する)
http://www.asahi.com/articles/ASG713DQGG71UTFK00J.html

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