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スパルタの栄光、その三、栄光から崩壊 [英語学習]

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* はじめに
シラキュースにおいてスパルタ王が指揮するシラキュース軍がアテネをやぶった。さらにペルシアの資金で強化されたスパルタ海軍がアテネをやぶった。アテネの防御壁が破壊された時にスパルタはアテネにかわってギリシャの覇者となった。だがその栄光はながくない。奴隷制にたよった軍事国家は内部崩壊してゆく。あらたに登場したシーブスとの戦いにやぶれスパルタ軍はほぼ消滅した。シーブスが奴隷を解放しスパルタの栄光は完全にきえた。ここではスパルタの栄光と崩壊をあつかう。

(The Spartans - Part 3 of 3 (Ancient Greece Documentary)、Timeline、World History Documentaries、2017/08/28 に公開)

* デルファイの神託
ここはデルファイである。古代ギリシャにおいて宗教的に非常に重要な場所である。ギリシャ人にとってここは世界のへそ(中心)である。まだ天と地がはっきりとわかれていなかった太古と今をむすぶへその緒のようなものである。デルファイは神託で未来をのぞく窓となる。神託は精神世界との交流から日常生活の助言にいたる多様な人々の必要にこたえてくれる。恋愛問題から外交問題まで人々は神託をもとめてやってくる。この夏にアテネがあるアティカに侵入してよいか。レアンドロあるいはレオニダスと結婚してもよいか。その答は奇妙な現象のなかからやってくる。それは年おいた女神官、預言者の老女からやってくる。彼女はわかい処女の服装に身をつつんでいる。

彼女は薬物の効果により自分自身を興奮状態におく。幻覚をおこさせる草を口にふくみ月桂樹の葉のうえで毒性のある草をもやして、その煙を吸いこむ。こうして自分自身を興奮状態におく。そしてうわ言を口にする。そこに神意が吹きこまれたようにみえる。彼女の発言を男の神官が書きうつす。うつくしい詩文にかえる。これが神託である。

* 神託をおそれるスパルタ人
神託は難解である。その真意は事件がおきた後にあきらかとなる。これがよくおきた。そしてこれがたぶん紀元前五世紀頃にすこし時代遅れとなってた理由だろう。ギリシャでは懐疑主義や合理主義のあたらし思想はまだはいってない。これは人間と神と宇宙が存在するという根本的信仰に疑問をもつというものである。アテネで 哲学者は太陽をあかくねっした岩とかんがえ劇作家のアリストファニは雷を宇宙が消化不良をおこしたわるい例だといって冗談にした。しかしギリシャでアテネ以外のどこでもこのような考えかたはなかった。

スパルタ、ユラテスの谷は安全で事件がない。ここでは神は天にいましてすべて世界はこともなしとしんじられた。スパルタはかって革命的な社会であった。それは二百五十年前のことである。今やそれがつくった社会体制は固定化しかえることのできない伝統となった。スパルタの選良たる戦士は変化に臆病となり新規のことには敵意をしめすようになった。十年間、スパルタはアテネと戦争状態にあった。アテネは革新的な民主主義を生みだし、ますますデルファイの神託に懐疑的となった。ところが保守的なスパルタの人々にとりその価値はゆるぎないものだった。女神官がかたることを彼らはつつしんできいた。だからもし紀元前四一五年にスパルタ人がやってきてスパルタの未来について神託をもとめたら、そして女神官が神託をつげたなら非常に憂慮すべき知らせを持ちかえったろう。スパルタはその最大の敵、アテネの壁が破壊されるのをみるだろう。勝利のよろこびが爆発するだろう。だがその勝利も腐敗し最後にはきびしい敗北となるだろう。

* アルソバイアデス、シラキュースとの戦いを主張
スパルタとアテネの戦いは流血の惨事である。どちらがかったときめがたいものだった。十年の戦いが多数の死者をだしたが決定的なものでない。アテネの悲惨な疫病と屈辱的なスファテリアにおけるスパルタの降服の後に両者は一時休戦の協定をむすんだ。だがこの協定の六年後にはなばなしくもシラキュースとシシリーで戦いがはじまる。ギリシャから数百マイル(百六十キロメートル)はなれたここで、アテネは大敗北をきっした。ギリシャのすべての都市が地中海およびそれをこえる領域で植民地建設に乗りだした時代、シラキュースの都市も建設された。

この戦いにおいてギリシャの世界は二つにわかれた。それはスパルタとその同盟、それにたいするアテネである。紀元前四一五年、アテネにおいて戦争の気運がたかまった。その議論の焦点となったのがシラキュースである。その戦いを主張したのはアルソバイアデスである。彼は頭がよく美男子で野心的だった。典型的なアテネ人だった。彼には大衆人気があった。当時のアテネにひろまってたあたらしい思想の潮流にのってた。ソクラテスは彼の友人だった。彼の政敵は彼が無神論者であり神を冒涜してるという噂をひろめた。アルソバイアデスは美食家で酒をのみ美女をあいした。ソクラテスの忠告をきかなかった。アテネを疫病がおそった時に神を馬鹿にする言葉をはっしたという噂があった。だが彼が戦争をかたる時に市民は耳をかたむけた。

スパルタとアテネの戦いをかんがえる時、スパルタが好戦的にみえるが、かならずしもそうではない。アテネはその帝国主義の野心をみたすことに貪欲である。また戦いに賛同する三万人のアテネ人をみつけるほうが戦争に賛同する一人のスパルタ人をみつけるより容易だという。アルソバイアデスが好戦論を主張する時に彼は充分な手応えをかんじることができた。

* アルソバイアデス、スパルタに逃亡
艦船がうごきだす前に事件がおきた。神を冒涜する事件がアテネをさわがした。そのいたるところでエルメスの神像が破壊された。夜のあいだに何者かがおこなったという。上品な言い回しでは鼻がかけたというが事実は男根の破壊だった。アテネの将来に不安をなげかけ盛りあがった戦争気分に水をさした。不吉な予兆があらわれ犯人さがしの声があるなかで艦船は出発した。そこにはアルソバイアデスものってた。

彼の政敵は彼の不在を利用した。彼の名声をおとしめ、わるい噂をひろめた。その結果、アテネの当局は彼の召喚命令をだした。陰謀の罪、涜神の罪にとうためだった。アルソバイアデスはアテネ市民が噂に迎合する無定見さをよくしってる。彼自身もまた自分の目的のため世論を操作してた者である。彼の主張をまともにきいてもらえる可能性はひくいとおもった。逃走することにした。その行き先はなんとスパルタだった。そこににげて彼にどのような成算があったのか。彼は大衆政治家である。大衆受けする振る舞いはできる。スパルタでは衣服はみすぼらしい。生粋のスパルタ人にとっても食事はまずい、しかし彼はスパルタとあいいれない人物ではなかった。彼の背景をさぐると関係がありそうだ。彼の家族もアテネの貴族階級の人々とおなじようにスパルタと関係があった。彼自身もスパルタ名をもってた。彼はスパルタ人の養育係にそだてられてる、彼自身のスパルタとの関係にはこいものがあった。

* アルソバイアデスの恋愛事件
しかしスパルタの大衆は彼のおそるべき魅力にも心をうごかされなかった。だが噂によれば彼は王の妃、ティメヤを魅了したようだ。スパルタの性についての倫理観は奇妙なものだった。スパルタ以外のギリシャでは不倫は罰をうける罪である。しかしスパルタでは既婚女性がもし夫の同意をえるならば夫以外の男性を愛人にもつことができる。それはフリーセックスというわけでない。スパルタにおいては人口減の問題が 深刻であった。そのため一夫一妻制や核家族といった考えは重要でなかった。大切なのは健康な男の子どもをうむことだった。そのためにつよくて勇敢で多産な男性をもとめることがあった。これが本当か王が同意したかしなかったのか、たしかでない。だがこの問題はアルソバイアデスがスパルタをでていったあともながく問題としてのこった。

* アルソバイアデス、スパルタ王にシラキュース遠征をすすめる
さてアルソバイアデスは自分を受けいれてくれたスパルタにお返しをした。。彼はシラキュースにおいてスパルタと同盟しようとする人々に援助をあたえるよう助言した。これは従来のスパルタの発想ではまったくでてこない革命的だった。彼は説得してまわりジュリペス将軍がおくられた。それは費用をかけず海外に自国の防衛軍をおくる方法だった。これはアテネの数千人の兵たちには致命的打撃となる助言であった。

* アテネ、シラキュースで大敗北
王の遠征は最初から順調だった。ジュリペスが到着してからアテネにとり事態は不調となった。ジュリペスは彼自身がすぐれた戦略家というわけでなかった。しかし敵に包囲されたシラキュースの人々にとってスパルタの戦士がいる、そのことだけで士気があがった。彼らの反撃がはじまった。アテネは補強部隊をおくらねばならなかった。丘のうえにある砦に大規模な夜討をかけた。すこしずつ頂上にむけ前進していった。ある時点で彼らの攻撃が成功したようにみえた。夜明けとなった。アテネの兵たちは疲れはてた。彼ら港にある自分たちの野営地まで押しもどされていった。彼らのすべてがシラキュースから逃亡したいとおもった。彼らがシラキュースから出発しようとした夜である。普通ではない現象がおきた。神の存在をしんじることがもっともすくない人々である。だが月食という現象をみて不吉な予兆をかんじざるをえなかった。野営地の神官は落ちつくようにいった。また次の満月までには予兆はよくなるといった。その判断は間違いだった。ジュリペスは艦船の錨をおろしシラキュース湾の入口を封鎖するようめいじた。アテネは罠におちた。つづいて戦闘がおきた。数千のアテネの兵がころされた。ところが彼らは幸運だったかもしれない。生きのびた兵たちはもっと不幸だった。アルソバイアデスの裏切りが彼らの運命を苛酷にした。

彼らの数は約七千であった。都市の外にある石切場につれていかれた。ここはいま公園に整備されてる。それは岩が切りたったせまい空間である。日除けの場所も飲み水もない。彼らはここに閉じこめら数ヶ月のあいだ傷つきしんでいった。灼熱の日光にやかれその最後をむかえた。秋となれば夜はこごえるような寒さだった。ほとんど食事や水があたえられなかった。すぐ病気が萬延した。死者が積みあげられ、ほうむることができなくなった。それらはくさるまで放置された。苛酷な飢えと病気はつまりは処刑であった。拷問であった。シラキュース人は子どもたちをつれて彼らをのぞき、あざけりわらった。シラキュース人はエウリピデスの悲劇をこのんだ。もし囚人たちが音響効果のよいこの場所でその一文をみごとに歌いあげたならば、ここから解放され奴隷にうられることがあったという。シラキュースにおける敗北がアテネにつたえられた夜、悲しみの声がひびいた。そして彼らを絶望の奈落におとした。

* さらにつづくアテネの凋落
シラキュースにおいてスパルタがアテネに完全に勝利することはできなかった。アテネは一年の混乱の後にもう一度、スパルタに立ちむかった。だがそれは彼らの敗北を先にのばしただけだった。最後に打撃をあたえた男はライセンダという。彼はスパルタ人だが、いやしい身分の出身である。私生児である。父は完全なスパルタ人であったが母はヘロットであった。つまりスパルタの経済をささえてる奴隷、マイシニア人とおもわれる。いわば混血の身分であったがアゴギへの入所がみとめられた。これは苛酷な訓練によりスパルタの男子を戦士に仕たてるものである。彼は社会的地位をもってなかったが集団のなかで頭角をあらわし軍隊における指揮官として、すぐれた政治家にそだっていった。

* スパルタ、ペルシアの資金による海軍力の増強
彼の政治的活躍にはペルシアとのふかい関係の構築があった。とかくばらばらになりがちなギリシャであるが七十年前にスパルタとアテネを指導者としギリシャは同盟しペルシアとたたかった。今やギリシャ人同士がころしあってる。ペルシャ帝国はこれをみて自分に役にたつほうに黄金をくばっている。ほとんどのスパルタ人はペルシャをきらう。スパルタ人は法の支配をこえたところにいる一人の人間にこびへつらう、その無駄とおべっかをきらう。ところがライセンダはこの価値観をかくすことができる。彼はペルシャを扉をあければ金を取りだせる金庫のように利用する。彼はサイラス、ペルシャの王の息子と個人的な関係を作りあげた。これにより彼の艦船の船員の給与が二十五パーセントと昇給した。国にぞくしない傭兵の船員はアテネからスパルタに乗りかえた。その結果アテネの艦船の船員が一夜にしていなくなったという。

* スパルタ、ライセンダの勝利
ペルシアの資金をえたライセンダの艦隊はアテネとその同盟に何度も勝利した。その結果、彼はアテネにたいする穀物の供給路を封鎖することに成功した。紀元前四〇五年である。ライセンダは大規模なアテネの艦隊を迎えうった。彼は相手をうまく誘いこんだ。戦いを拒否し、おそれて退却するようにみせかけ、敵の警戒がおろそかになった時に攻撃した。アテネは大敗北をきっしてその運命が彼の手ににぎられた。

アテネが降服した時、ギリシャの全土がこれまでアテネにもってた不満や恨みを爆発させた。一人のシーブス人はアテネを完全に破壊しその領土をシーブスに引きわたすべきといった。しかしスパルタはこれまでの戦い、おおくの犠牲にもかかわらず感情的にならなかった。彼らは冷静に条件を突きつけた。アテネの民主主義政府の廃止、アテネの艦隊の縮小、三隻のみにすること。都市を防禦してた壁のすべてを破壊。これはスパルタ人がながいあいだ不満をもってたものである。アテネの壁がもえてる時にスパルタがギリシャの支配者となったことがみとめられた。ライセンダはアテネの売春婦、都市の周囲にキャンプしてた一人がたちまち態度をかえ残り火のなかで踊りをおどり帝国の滅亡の歌をうたってるのをみた。アテネはスパルタに同調する勢力により運営されることとなった。ふるい学派のひとたちが定住した時に流血の事件がおきた。そのなかにアルソバイアデスがいた。彼はスパルタに亡命したがたくみな弁舌でアテネ市民にとりいりもどってきた。この敗北がおきた時、彼は指導者となりスパルタに立ちむかう一人とみられた。しかしスパルタからの命令により排除された。

ライセンダは勝利をデルファイに記念碑としてのこすことにした。彼は自分自身を顕彰する立派な記念碑をたてた。これはスパルタ人の行動倫理、控え目にものごとをいう自分を目だたせない。この倫理から、あざけりの的となった。今は基底部だけがのこってるが、かっては三十以上の実物大の青銅の彫像があった。それらは彼の勝利をたすけてくれた友人、支援者である。そしてその中心に彼自身がたってた。彼に王冠をかぶせようとしてるのがなん と海の神、ポセイドンである。自己宣伝の一。まさに恥をしらない姿である。

抜け目ないライセンダがもたらしたスパルタの勝利がすべてをかえた。スパルタがもっとも有力な都市国家となった、ギリシャ世界においてそうなったことがあきらかとなった。もし選択するなら帝国にすすむ道である。ライセンダはおおきな計画をもってた。そこにはスパルタによるあたらしい世界の秩序とそのなかなでの彼の場所が用意されてた。

* 神託と王位継承問題
紀元前四〇〇年である。表面上はスパルタは何もかわらなかった。だが時代がかわる。その頃に神託がでた。それがスパルタの市内を駆けめぐった。ビッコの王、他部族の征服、戦争の発生についてかたってた。ほとんどの神託は曖昧で内容のないものだったが、これは内容のあるものだった。スパルタにおいて権力闘争がおきることに言及してた。アジェス王がしんだ。

二人の候補者が王位をあらそうことになった。彼の息子、ラヒヒダスと異母兄のアジェスレイアスである。王位の継承は単純であるべきである。ラヒヒダスは王の息子である。アジェスレイアスは、生まれつき足が不自由だった。普通のスパルタ人たったら障害のある男子はうまれた時に排除される。ところが王室についてはこの法が適用されない。アジェスレイアスはこれにより生きのびることができた。七歳の時に彼はアゴギにはいった。これはスパルタ人の男子を戦士にそだてる仕組みである。スパルタの王室にぞくする者でアゴギにはいったものはいなかった。彼はこのきびしい環境で丈夫にそだっていった。アジェス王がしんだ時に彼は充分な自信をもって候補となった。この神託が出まわったのはこの時であった。そこにビッコの王とかいてあるのはまさにアジェスレイアスをさしてる。そこで示唆されてる脅威は深刻である。ところで神託はその解釈が重要である。抜け目のないライセンダはこれを政治的に利用した。まずスパルタ人にかっての歴史を思いださせた。

* ライセンダの政治的発言
アルソバイアデスとアジェス王の妃、ティメヤの恋愛問題である。この噂が真実ならラヒヒダスはアルソバイアデスの子である可能性がある。ティメヤはおさない時にラヒヒダスをあやしてアルソバイアデスとなんどもささやいてたという。ライセンダは神託のビッコの王、そのビッコは正統でない子を意味するかもとあてこすった。これでラヒヒダスはおち、アジェスレイアスが王となった。

* アジェスレイアス王の登場
彼はスパルタの王のうちでもっともスパルタらしい王である。アゴギが生みだした典型だった。スパルタ社会の仕組み、考えかたに全幅の信頼はおいてた。しかしスパルタの社会はかわってゆく。アテネにたいする勝利は戦争によるほころびをもたらした。質朴な戦士にたいする誘惑をもたらした。戦争は彼らにあの豚の血と酢からつくった伝統の食事にそれ以上のものをもたらした。国外にでたスパルタの指揮官の身持ちのわるさが有名となった。国外で不当な利益をえて持ちかえる。このわるい傾向がながくつづいてた。これがはじめてアジェスレイアスによりかえられた。彼が王になると彼とその家族は質素にくらしはじめた。彼のぼろぼろの外套は彼の質素さの象徴となった。

* 王とライセンダとの対立
そしスパルタに存在する頽廃の芽をつむことが彼の惟一の関心事となった。そこでライセンダをどのようにあつかうかが問題となった。ライセンダが神託をたくみに利用したことでスパルタにおいて彼の政治的影響力が増大していった。これまでの行動のつけが彼にもどってくる時がやってきた。この国際的に活躍した将軍はアジェスレイアスを見あやまった。彼は支配者である王の威厳を極めて重大にかんがえてたのである。ライセンダの海軍がアテネに何度も勝利してゆくにつれ彼のまわりに支持者がふえてきた。政治的な野心をもつ人たちもあつまってきた。このような人たちは足の不自由なぼろぼろの外套をきた王より彼のほうを尊敬する人たちである。

アジェスレイアスは彼を公然と攻撃することにした。彼がすすめようとする作戦はすべて、その反対のことをやった。ライセンダの支持者が賛同をもとめてもこれを拒否した。さらにアジェスレイアスは彼の考えを次のとおりあきらかにした。ライセンダと関係をもつことは死をもたらすかもしれないといった。最後に破局がやってきた。アジェスレイアスはライセンダに彼の食卓にやってきて自分につかえるようめいじた。ライセンダはこれは友人への振る舞いでない屈辱だといった。アジェスレイアスはそれをみとめるとともに自分よりたかい位置にたつことをゆるさないとこたえた。ライセンダは行方をくらましデルファイにいってアジェスレイアスにたいする謀略をめぐらせた。彼は金をおくり神託をかえ警告をあたえるものにしようとした。彼はこれが迷信に左右されやすいスパルタ人に動揺をあたえることをしってた。

彼はこの謀略が実現する前に戦闘において死亡した。その謀略は相当深刻な内容であった。その死後に書類が発見された。そこにスパルタの政体を改革するということがかかれてた。王の選出に公選制を導入する。ライセンダ自身が最強の候補者となることを想定してた。アジェスレイアスはこれをただちに公表しライセンダがスパルタにとり脅威であったことをあきらかにしようとした。しかしこれをよんだ長老の一人がその内容があまりに深刻である。なのでアジェスレイアスにつよく非公開をもとめた。すでに死亡してるライセンダを墓場からよみがえらす。それより演説原稿も彼もそのままにしておくようもとめた。この事実はかくされスパルタは何もかわらなかった。だがスパルタをめぐる外界はどんどんとかわってゆく。一連の災害が深刻な神託の正しさをあきらかにしていった。

* スパルタ、内部対立の表面化、ケネドンの陰謀
深刻な事態がアジェスレイアスの近くにあつまってきた。古典ギリシャの力がもたらすよき秩序がしりぞき、みえなくなった。そしてこのわるい精霊になやまされる王のまわりに悪運があつまった。王位をついで一年がたった。ふだんどおり犠牲の儀式がおこなわれたが神官が警告をはっした。スパルタは邪悪な敵にかこまれているという。これに新味はほとんどない。ほぼ三百年のあいだその独自の社会構造、ヘロットがいる人種差別政策、彼らを最下層しその労働力に依存する。ペリオイコイという商人、職人の階層。彼らは市民権をもたない。その頂点にホミオエ、えらばれた市民、スパルタの戦士がたつ。人口の少数派がその下部をしっかりと支配している。神官はこれがもつ脆弱性を警告していた。実際の脆弱性はそれよりももっと深刻だった。その数日後である。陰謀が発覚した。それはスパルタの社会構造を根本的にくつがえそうとするものだった。その首謀者の一人はケネドンという。彼はヘロットでもペリオイコイでもなく下層のスパルタ人であった。

この人たちはいったいどのような人たちだったのか。戦争からの逃亡者、私生児、混血、借金による奴隷だったのかもしれない。この陰謀者たちで注意すべきはヘロット、ペリオイコイ、下層のスパルタ人という範囲の広さである。ケネドンは彼らがスパルタの理想郷の恩恵からはずれた人々といってる。彼らが自白し罪状があきらかになった時にケネドンとその仲間たちは。槍を突きつけられて追いたてられ処刑の場所につれてこられた。それはこの地中の裂け目がある場所だったろう。ここはスパルタから数マイルの距離にある。考古学的調査がおこなわれその底に数フィートの厚さの残存物が発見された。紀元前五世紀から六世紀にぞくする。男、女、子どもの骨がのこされてた。

この事件はスパルタの欠陥をあきらかにした事件である。それは異常なまでの選抜主義である。スパルタは市民の権利をはじめてみとめたギリシャの都市であろう。しかしそれは常に少数の人々の特権であった。この少数へのこだわりはさらに先鋭化してゆく。彼らは本能的に自分たちのきびしい基準にあわない者を排除してゆく。その結果はこうなった。スパルタからスパルタ人がいなくなる。百年前のテルモピレの戦いの時代である。そこには一万の完全な市民権をもつ人々がいた。今や千の少数となった。スパルタ人の人口は 危険水準にたっした。戦いにおいてスパルタ人は戦闘をおそれるようになった。彼らは指揮官になる。兵はヘロットがなる。彼らは戦いの後に奴隷からの解放が約束されてる。この他に不承不承に参加した同盟軍がいる。

* 枯渇するスパルタ戦士
スパルタにあたえられた時間はすくなくなってきた。アテネの防御壁が取りこわされた時、紀元前四〇四年が歴史家によれば自由なギリシャのはじまりであるという。傲慢なアテネはその振る舞いゆえにほとんど友人をもたなかった。だがスパルタ帝国も抑圧をくわえるものだとわかってきた。アテネはその艦隊のために資金を要求してきた。スパルタは戦争をたたかうために兵を要求してきた。f友人との仲がわるくなる時期であった。スパルタにあたらしい敵が登場してきた。シーブスである。軍事的にいえばさほどおおおきくない同盟の盟主である。しかしアジェスレイアスの理解しがたい行動により不満をたかめている都市がふえてゆく。事態はスパルタが予想してるよりはやくうごいた。紀元前三七一年の春である。都市国家があつまる会合がひらかれた。ここできびしい敵対関係や戦争への危機をやわらげようとした。ここでは外交や税の問題が重要となる。だがこれらはアジェスレイアスの得意とするところではない。スパルタはこの会合では筆頭者とみなされてた。しかしシーブスの代表にたいし他の都市が尊敬の態度をみせてるのに気づいた。彼はこれにいかり代表と論爭をはじめた。シーブスも受けてたち無鉄砲にも反論をかえした。 アジェスレイアスは完全に冷静さをうしなった。彼は平和協定を取りあげそこからシーブスの名前をけした。二十日後に二つの都市はぶつかった。その場所はレッキトラである。ここに記念碑がのこってる が当時はもっとたかく周囲を威圧するほどだった。アジェスレイアスはこの戦いの指揮をとらなかった。彼が戦争をこのむとおもわれたくなかったからだろう。別の王が指揮した。七百のスパルタ、千三百のヘロットである。それにあまり気持がすすまない同盟の軍である。

* スパルタとシーブス、レッキトラの戦い
それにたいするのは六千のシーブス軍である。彼らの士気はたかく復讐の念にもえてた。敗戦は兵力の差だけでない。シーブスはあたらしい戦術をとった。彼らの密集歩兵隊の編隊は八列の厚味でなく五十であった。四百のスパルタがその日にころされた。これはおおきな数字でないようにみえるが当時のすべてのスパルタの兵の半分にもたっするものである。軍事力の観点からは実質的にスパルタ軍は消滅した。

その敗戦の意味は深刻だった。ここは都市、マイシニアの壁がのこってるところである。スパルタ人がけっしてみたくないものである。これはレッキトラの敗戦の後に三百年のあいだ奴隷とされてたヘロットがたてたものである。シーブスはレッキトラの戦いの後にラコニアにあるスパルタを攻撃した。これでマイシニア人を解放した。アジェスレイアスのその後である。彼は八十歳になったが傭兵隊の将軍として、からになったスパルタの国庫をお金でみたそうとエジプトにいた。エジプト人が彼をみかけた。彼はぼろぼろの外套をきて砂浜にすわってた。ある歴史家によれば彼らはただわらったという。

* 軍事国家、スパルタの終焉
スパルタは嘲笑の的となった敗戦からけっして再生することはなかった。奴隷の支えをうしなってから再生することはなかった。第二流の都市国家に格下げされた。これにつづく数百年のあいだ、カルタゴ、シシリー、ローマとあたらしい領土をもった勢力が登場した。スパルタはそのたびにかってのスパルタの仕組みを復活させ再生を夢みた。だがマイシニア人の奴隷がいないスパルタはスパルタではない。ユートピアの正体があらわれた。もはや誰もスパルタを再生させることはできなかった。

スパルタが崩壊して四百年の後に重要な人物の訪問をうけた。ローマの最初の皇帝、オーガスタス・シーザーである。彼はここに皇帝としてでなく個人としてローマにおおくの文化的影響をあたえた社会に敬意をあらわすためにおとづれた。またここにはローマからの旅行者だけがきたのではない。ここのおおきな劇場ではスパルタの独特の踊りや軍隊での儀式がえんじられた。また近くのアルテミスの神域にいけばかっておこなわれていたスパルタ男子の通過儀礼、時には棒でなぐられ死にいたるかもしれない儀式。それの復活版をみれる。これらはスパルタの興隆と没落の象徴であるかもしれない


スパルタからながい旅をしてここ英国の田舎、バツキンガムシャーにある貴族の敷地にやってきた。ここにギリシャ風の建物がある。これはアテネの文化をたたえたものだろう。そこに美徳の寺院というものが ある。そこでは三人の賢人がかざられてる。ソクラテス、ホーマー、それと半分神話の人物であるライカーガスである。

彼についてこうきざまれてる。スパルタ建国の父。偉大な知恵をもって国をかたちづくる法をさだめた。それは国民を腐敗からまもり、強固な自由をあたえ、富、貪欲さ、贅沢と欲望をうしなわせる堅固な道徳をあたえた。

これは自己規制、自己否定に清教徒的な共感をもってかかれた極めて公平な総括である。だがそこにはスパルタ社会がもつより上流階層的でない側面、女性同士にある親密な関係、残酷な教育、奴隷制度、たえまなくつづく戦いについてふれられてない 。さらにいうがスパルタがもつ最大の欠陥、理想に拘泥しすぎ完璧さを追及するあまり時代とともに自分自身を改変してゆくことができなかった欠陥についてふれられていない。
(おわり)

お知らせ
次の簡略ギリシャの歴史シリーズを窮作文庫に収録しました。ブログ掲載分を修正し転載したものです。みやすくなったとおもいます。一度のぞいてみてください。

序論など)
序論
ミノア文明
マイシニ文明の一
マイシニ文明の二
ホーマーと暗黒時代
古代ギリシャと都市国家
密集隊戦法
スパルタ
アテネ
ペルシア
(ギリシャとペルシアの戦いなど)
マラソンの戦い
テルモピレの戦い
サラミスの戦い
プラティアの戦い
マイカリの戦いとデリアン同盟
アテネ帝国
ペリクリースの時代
(ペロポネソス戦争)
第一次ペロポネソス戦争
ペロポネソス戦争の一
ペロポネソス戦争の二
ペロポネソス戦争の三
ペロポネソス戦争の四
ペロポネソス戦争の五
ペロポネソス戦争の六
ペロポネソス戦争の七
ペロポネソス戦争の八
ペロポネソス戦争の九
ペロポネソス戦争の十
ペロポネソス戦争の十一
ペロポネソス戦争の十二
ペロポネソス戦争の十三
ペロポネソス戦争の十四
ペロポネソス戦争の十五
(スパルタの覇権など)
スパルタの覇権
一万人の行進の一
一万人の行進の二
小アジアの騒乱
(コリンス戦争)
コリンス戦争の一
コリンス戦争の二
コリンス戦争の三
コリンス戦争の四
(スパルタの崩壊など)
コリンス戦争のあと
平和なし
ルトラの戦い
アルカディアとマシーニアの反乱
マンテニイの戦い、最終のゲーム
ウルブルンの難破船

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