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ギリシャの宗教(2の1)


* はじめに
Religion in Ancient Greece、Historyden、20(2の2につづく)18/11/27 に公開

* 古代ギリシャの宗教
ここでは古代ギリシャの宗教についてのべる。ギリシャの宗教はその日常生活すべてに影響をあたえる。なので極めて重要である。古典ギリシャにおける神々は青銅時代にまで逆のぼるものもある。また、石器時代にまで逆のぼるものもあるだろう。しかし正確に逆のぶるかをきめることはむずかしい。宗教的崇拝の念は石器時代に存在したという証拠がある。ギリシャの外で発見さた墓では紀元前十万年前とされる。死体の埋葬は死者への尊敬の念のあらわれとみれる。

これが宗教的行為の一つかどうか、わかってない。石器時代に宗教的行為があったどうか、書きのこされた記録がないので断定できない。石器時代では人々の交流規模がかぎられる。だから大規模な宗教ははじまってないだろう。農業が導入された紀元前一万年以降から頃からおおくの人々が一定の地域にあつまってきた。

* 青銅時代の宗教
宗教的崇拝がはじまったのは青銅時代の二つの文明、ミノア文明とマイシニア文明であることがわかっている。線文字Bの解読によりわかることがある。古典ギリシャ時代の神々の名前が線文字Bの粘土板に見つかった。ゼウス、アテナ、ポセイドンである。これらは後の古典ギリシャの時代のものと同じである。千年後の古典ギリシャの神々とおなじである。ポセイドンの場合であるが、おなじ神の名前だが彼は古典時代の海に関連づけられた神というより、陸の神である。これが意味するところは何か。青銅時代の宗教的伝統が古典ギリシャにどれほどつたわったかを、かんがえさせる。おなじ名前はたんなる偶然とはいえない。それらはなんらかの連続性があることをしめす。暗黒時代、古代(archaic)時代から古典時代へとつたえられたものとおもわれる。壺や詩によってたどれるのは紀元前八世紀からである。それより以前はわからない。すでにのべたようにマイシニア文明は紀元前十二世紀に崩壊した。その後にはギリシャ本土は暗黒時代に突入した。この時代は三百から四百んつづいた。

* 空白の暗黒時代
つまり四百年の空白があり古代ギリシャ時代となった。この時代になってはじめてギリシャの宗教をおしえる考古学的遺物が発見された。青銅時代の宗教が古典時代につたわった可能性があるのか。これは記録がないと確定しがたい。私は紀元前八世紀に宗教がうまれたが、そのなかに青銅時代の影響をうけたもの、ものによっては石器時代に逆のぼるものがある。そうかんがえるのがもっとも妥当とおもう。

* 古代ギリシャの宗教
古代ギリシャの時代のギリシャの宗教は一人の人物の創造するところでない。たとえばキリスト教はキリストにより創造され、イスラム教はホハメッドにより創設されたというようなものでない。ギリシャの宗教の姿は詩、神話、壺そして石にきざまれた碑文からうかがうことができる。そこでもっとも重要なのはホーマーとヘシオッドの詩である。これらがさまざまな宗教行為、儀式を形成するのに力があったといわれてる。

* ホーマー、ヘシオッドからみる宗教
ホーマーはイリアド、ヘシオッドはシオジニをつうじてである。シオジニはギリシャの神々の起源を説明してる。碑文はまた宗教行為、儀式を説明してる。これは古代ギリシャの宗教の豊かさや多様さをつたえてくれる。総体でみたギリシャの宗教が複雑多様だが、彼らは共通の神々を信仰してるといえるのだが、宗教の姿は複雑で多様である。個々の都市はまた彼らに固有の姿をつたえてる。神々についていえば、もっとも重要な神々はオリンピアの神々である。

* オリンピアの神々
彼らはホーマーの著作によりあきらかとなってる。オリンピアの神々とは彼らがオリンポス山にすんでるとされることからきてる。その神話によれば巨人族とのたたかいにかつて、優位性をえたという。十二人の神々はゼウスに引きいられている。彼は天の父である。そこにはアテナ、ポセイドン、ハーミイズ(hermes)と、さまざまな名前がしめされている。 さて十二番目の神はヘスティア。オリンピアの神の一人だったが彼女は神々の絶え間ない争いにくるしみ、その席をディオニドス(ダイオノイザス)、ワインの神にゆずった。だがさったとはいえ、彼女はなおその棲み家をオリンポス山にもっている。ヘスティアはもはや非常に重要な神とギリシャ神話でかんがえられてない。実際、ホーマーの著作では完全に除外されてる。では次に、寺院と聖域についてみてみる。

* 寺院と聖域
外からみてもっともわかりやすい宗教をあらわすのは寺院である。寺院は通常、聖域につくられる。それは特定の神にささげられる。しばしばその神像が屋内におかれる。祭壇が通常、祭壇が寺院の前におかれる。犠牲をささげ儀式がそこで取りおこなわれる。もっともよくしられた寺院はパルテノンである。これは女神、アテナにささげられたものだ。アテネの市民はアテナを守護神とした。スパルタもまたアテナを自分たちを保護する神とした。ところがコリンスはポセイドンを守護神とした。聖域と寺院の違いをのべる。

* 聖域の特徴
神にささげられた聖域が神が所有する土地となる。ほとんどの場合、聖域は寺院よりふるい。おおくの聖域は寺院をもたない。寺院は都市が発展、繁栄してからつくられる。水もまた聖域では重要な働きがある。おおくの聖域には泉や新鮮な水を提供する泉がある。これは聖域にやってくる旅人にとって重要である。これらの水は旅人や時には獣にさえ利用をゆるす。聖域はしばしば神聖な森をもつ。通常は一つの種類の樹木がある。たとえば、パルテノンのちかくには、オリーブの樹木がある。神話ではゼウスがアテネをめぐってアテナとポセイドンをきそわせた。

ポセイドンは泉をつくり、アテネはオリーブつくった。アテネの市民はアテナがつくったものを受けとった。オリーブの木が彼らの生活の中心となった。その葉は凱旋した将軍や王の髪をかざった。またオリーブが地中海地方で主要な食品となった。古代世界において重要な輸出品目となった。火もまた重要な役割をはたす。そのため、おおくの寺院には蘆(いろり)がある。この重要な火はたやさぬようもやしつづける。永遠の火といった。デルファイもまたおなじように火をたやさない。

おおくのギリシャの都市は市民を派遣しその火を都市に持ちかえる。すでに祭壇を寺院の前におくといったが、おおくの場合、屋外の目立つところにおく。寺院はそちらむきにつくられる。祭壇はしばしば石でつくられる。おおきな石のかたまりがおかれ、祭壇までつづき、そこに腰かけられる。おおくの場合、犠牲の儀式や神にささげる酒の儀式を取りおこなう場所となる。

* 神官
ギリシャには専門の神官はいなかった。古代の宗教でしばしばみられるような専門の神官ではない。ローマにおいては組織された神官がいた。。ギリシャでは誰でも儀式を取りおこなつことができた。通常その役割は都市のなかの重要な人物にまかせられた。たとえばスパルタの王である。ここでオリンピアにあるゼウスの寺院を説明する。

* オリンピアのゼウスの寺院
寺院の内部に高さ四十三フィートのゼウスの神像があった。それは象牙と黄金の板からできてた。その神像は歴史のなかでうしなわれた。どのような状況で破壊されたのかはわかっていない。では予言(devination)をみてみよう。

* 予言
これは将来の未知の知識をもとめる慣行、行為である。それは超自然の方法によるものである。神託をつたえる神託者と占い者がいる。両者は予言をおこなう。神託は神または土地の意志をつたえる媒介者である。その予言は神の意志として理解されてる。占い者は神託者とちがい直接神と接触してない。神は印を提供する。占い者はは神がおくった予兆をしらべる。それは鳥、獣、何かの跡、その他の方法をつうじて提供される。

占い者は神託者よりはるかにおおくの数の人がいた。占い者は単純な問に「然り」とか「否」という答しか提供できない。ところが神託者はもっと一般的な質問にこたえることができる。占い者はあらわれた印を読みとる義務がある。その印は将来が惡いか良いかをしらせるものである。これのほとんどすべてがゼウスがおくってきたものである。それらは雷鳴、日食、雷鳴がともなう嵐などであるが、もっとも重要なのが鳥の飛跡である。単純な善悪の答だから、これはよい知らせかわるい知らせかである。もしよい知らせだったら将軍は戦いにむかう。わるい知らせだった野営地にとどまり、よい知らせのおとづれをまつ。占い者は行軍中の軍にいつも付きそっている。では神託者についてはなす。

* 神託者
神託者は通常、聖域あるいは寺院に付随している。もっとも有名な神託者はデルファイのである。これはアポロの意志をつたえるものである。これはギリシャ文化の世界全体におおきな影響をあたえた。神託者の女官は古代ギリシャにおいてもっともたかい宗教的権威をもってた。彼女はあらゆる種類の質問にこたえるが、通常は政治、戦争にかんする問題である。外国の有力者が直接訪問することもめずらいことでなかった。彼女は 古代世界で有名だった。すでに神託者は神あるいは土地の意志をつたえる媒介者といった。

彼らの予言は神の意志をしめすものとかんがえられた。神はさまざまな神託者をつうじて神託をつたえる。デルファイの神託者はアポロと交流しているとしんじられてる。地中から吹きだしている火山の炎や蒸気にかこまれてる。そして神託者は恍惚状態に落ちいる。そして神託の言葉をはつっする。それはは理解しがたい発言である。それをそばにいにる神官が書きとる。ところでデルファイは地球の中心という。神話にいうがゼウスが二羽の隼をはなした。一つは西から。もう一つは東からである。二つは最後に出あった。そこがデルファイである。では宗教行事についてのべる。

* 宗教の行事
最初は獣の犠牲で。もっとも敬虔な宗教行事である。犠牲には山羊、羊あるいは他の獣がふくまれるが、もっともたかい価値があるとかんがえられる犠牲は牡牛である。典型的な例だが、祭壇まえをゆく行列のなかには犠牲の獣がふくまれる。通常は犠牲は布によりかざられている。行列の行進には音楽がともなうことがめずらしくない。犠牲が祭壇にささげらる前に祈りの言葉がとなえられる。そして犠牲の獣はナイフまたは斧で切断される。犠牲からこぼれる血液はあつめられ、祭壇のうえにそそがれる。
(2の2につづく)
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