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第二次カルタゴ戦争、トレンタム(簡略ロ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
ローマはハンニバルへの包囲網で対抗する。アフリカのヌメディアンズへの工作をとおし打撃をあたえる。アピの奪還、ハンニバルのトレンタムの砦への城攻めをあつかう。
(Second Punic War - Tarentum - 45、Historyden)

* 二一三年、ハンニバル対策のレージョン配置
紀元前二一三年、ファビウス・マクシマス(小ファビウス)が執政官に選出された。彼は大ファビウスの息子である。タイベリアス・シンプロニアス・グロカスが二度目の執政官に選出された。二人はローマに呼びもどされ元老院とあたらしくつくるレージョンのこと、それをどの州におくか、その担当を協議した。二人はハンニバルに対抗する作戦をおこなう。小ファビウスは大ファビウスのレージョンを引きついだ。大ファビウスは息子の補佐にまった。グロカスも引きつづきその軍を引きいた。マサラスはシシリーで二つのレージョンを引きいる。彼はシラキュースにたいする城攻めをおこなってる。バレリアスは一つのレージョンをひきいてギリシャにいる。前年にマセドニアに目ざましい勝利をおさめた。フォビアスはコンパニアのスイサラにいる。この他にサルディニア、ルカニア、パイシナム、最後にローマにレージョンがおかれてる。シピオはレージョンとともにスペインにいる。

ハンニバルにたいしおかれたレージョンが八つにのぼる。任命手続がすみ執政官はそれぞれの地に赴任した。小ファビウスはイタリア半島の東沿岸のアプリア、グロカスは西沿岸のルカニア。どちらもローマより南にある。小ファビウスの最初の作戦行動はアピの攻撃である。ここはカナイの戦い以降ハンニバルと同盟関係にはいった。ローマにとってその奪還は必須だった。

* ローマ、アピの奪還作戦
その手段としてドシアス・アルティニアスが登場する。彼はファビウスにローマに味方するという話しを持ちかけた。有能な人物としられてたが、その真意は疑問があった。そのため彼の扱いは大ファビウスにまかせられた。彼はアルティニアスを敵としても味方としてもあつかうべきでない。戦争がおわるまで別の場所に隔離する。時期がきたら彼が味方となって有用になるよりアピを裏ぎったことが罰にあたいするかを議論するとした。こうして彼は拘束された。他方、アピではアルティニアスがいなくなったことに衝撃がはしった。アピにおけるカルタゴの指揮官はこの失踪の責任を問題にしてその妻と子どもを火炙りの刑にした。

* ローマ、嵐のなかの侵入
ローマは半マイルはなれたところに野営地をさだめた。小ファビウスはアピを観察して、そのもっともよわいところを攻撃することとした。彼は精鋭部隊を城に近づけた。夜、幸運にも雷鳴まじりの嵐がおそった。ローマは梯子をかけ城壁をのぼった。そして内側から都市の主門をあけた。嵐がローマの行動をかくした。守備兵はねていて気づかなかった。こうしてローマ兵のすべてが都市の中心部にはいった。ハンニバルはここには五千の守備兵をのこしてた。警鐘がならされ彼らはすばやくローマに対抗した。カルタゴと市民の軍、三千がまず最初にたたかった。

* 降服の市民、スペイン人の寝返りで成功
その時、ローマと市民の軍に対話がうまれた。そこで都市の指導者たちがハンニバルに味方したが自分たちはその裏切りをしらなかったといった。ローマはこの説明を受けいれた。市民の軍はカルタゴに対抗する。千のスペインの軍も反乱をおこしローマに参加する。こうしてカルタゴは完全に包囲された。だがスペインが彼らが無事に退去するのをみとめるようにローマにもとめた。ファビウスはこれをみとめた。こうしてほとんど抵抗をうけずにローマがアピをうばいかえした。これが紀元前二一三年に特記すべき出来事だった。

* ハンニバル、サラピアからトレンタムに
ハンニバルはなおも南部イタリアのサラピアにいた。しかしいくつかのローマ軍が彼の近くに拠点をおいた。危険な状況となった。ルカニア、サムニア、フドニアである。さらにわるいこと。それは冬の蓄えをほぼ使いつくした。これでローマに攻勢にでることは不可能。ハンニバルはここれ以上ここにいることをやめ南の沿岸にそいトレンタムにむかった。ここでもハンニバルへの攻撃をひかえる方針は維持された。ハンニバルは紀元前二一三年の夏がおわるまでトレンタムの近くで野営した。スペインのシピオである。

* ローマ、ヌメディアンズ工作でカルタゴに打撃
スペインのほかにアフリカに手をのばした。三人の使者をサイファクスにおくった。彼はヌメディアンズの王である。交渉が成功。彼は永久的にカルタゴの妨害工作をすると約束した。ヌメディアンズの軽装騎馬兵はすぐれてる。それにたよってるカルタゴにはおおきな痛手である。歩兵はさほどでない。ローマがこの訓練をを約束した。これにくわえて王はすでにスペインにおくってるヌメディアンズについて、彼らがカルタゴにいるがローマに味方するようつたえた。これによりカルタゴからヌメディアンズが大量に離脱した。このことがサイファクスに問題をおこした。ローマはアフリカの彼らをまもることはできない。

* カルタゴ、ヌメディアンズを攻撃
カルタゴに攻撃されたヌメディアンズの軍は三万をうしなった。サイファクスはたすかったがアフリカの奥地に退避せざるをえなかった。彼は軍を再編して反撃の姿勢をみせた。ハズドアラブルはマサリアンズをさそい共同してサイファクスに大規模な攻撃をした。ハズドアラブルはマサリアンズもふくむ増強した軍でスペインにもどった。紀元前二一二年は多事な年となった。

*二一二年、ローマの新体制
あたらしい執政官をえらぶ必要があったが現在、ハンニバルに対抗してる執政官を呼びもどさないことをきめた。このためクロディアス・セントウを当面の専政官とした。それはあたらしい執政官を選出するまでのあいだの体制である。やがてファルビアス・フラッカスとアピウス・クラウディアスが執政官にえらばれた。それぞれに二つのレージョンがあたえられた。執政官はローマのレージョンを編成した。これで都合二十三のレージョンができた。この選出のあとにローマにある事件がおきた。

* ハンニバル、トレンタム市民の怒りを利用
トレンタムの捕虜がローマから逃亡した。彼らはすぐ逮捕され処罰された。この処罰の残酷さにトレンタムの人々がいかった。これは近くに野営してたハンニバルがまってた事態である。この結果、十三のトレンタムの貴族はその都市をハンニバルにゆだねることにした。その指導者はフェロミナスという。彼はローマの守備隊にいって外出の許可をえた。狩をおこなうという名目で実はハンニバルと接触した。ハンニバルはただたちに彼の意向を受けいれた。彼はトレンタムの自由とカルタゴによる税、貢ぎ物の義務を免状するようもとめた。ハンニバルは合意した。これでどのように都市の引き渡しを実現するかを相談した。この狩を口実につかうこととした。

* ハンニバル、内報者と折衝、都市攻略をねる
フェロミナスは狩にでるごとにもどると獲物を門番にわたす。これはハンニバルがわたしたもの。ローマの守備隊はこれになれて自動的に門をひらくようになった。ハンニバルは警戒心をおこさせないため野営地をさらにはなれた地点にうつした。ついに行動が開始された。ハンニバルは八千の歩兵と二千の騎馬兵を引きつれてやってきた。

このさい、軍の選抜に行動の敏捷性を重視した。まず先遣隊、ヌメディアンズの騎馬兵をおくった。彼らには出あった敵は攻撃するようめいじてた。これはローマがカルタゴは普通の攻撃作戦をとってるとおもわせるためであった。この策略は成功しローマの対応がおくれた。翌朝になってはじめて騎馬隊を派遣した。もう手遅れだった。ハンニバルは十五マイルの距離に近づいた。夜がくるのをまつ。作戦は二つのおもな門をうばうことだった。夜がきた。フェロミナスはいつもどおり獲物をもって門に近づいた。この時、彼はおおくの野獣の獲物をかかえてた。これで注意をひきすきをみて年おいた門番をころした。気づかれないでカルタゴの軍の一部が都市内にはいった。その頃、第二の先遣隊とハンニバルがもう一つの門に近づいた。

* ハンニバル、都市に侵入、ローマ、砦に逃亡
ハンニバルの合図にこたえて門番をおそい門をひらいた。ハンニバルは歩兵をなかにいれた。だが騎馬兵は外にのこした。ローマの騎馬隊の襲撃にそなえたものだった。ハンニバルと謀反人たちは都市の広場にしずかにすすんだ。ハンニバルは部隊を都市の主要地点におくった。市民は最初は何がおきたかわからず混乱した。彼らははじめローマの守備隊が略奪をおこなってるとおもった。しかしローマの守備隊も混乱した。ローマの指揮官は異変を察知し、ただちに砦に退避し警報をだし、すべてのローマが砦に避難するようしらせた。都市内はハンニバルの支配下におかれた。トレンタムの市民に危害をくわえないようめいじた。さらにトレンタムの住居の扉に掲示をかかげるようめいじた。

* ハンニバル、砦を陸海から遮断
ローマの住居のみが略奪をうけた。この略奪がやんだ時にハンニバルは注意を砦にむけた。それが壁と堀により極めて厳重にまもられてることをしった。その一部は海にでて、まるで半島のようだった。彼はその周囲を壁でかこむこととした。これでローマは攻撃にでる。カルタゴが待ち伏せ攻撃をおこなう。この考えどおりローマは外にでて攻撃してきた。カルタゴは反撃をくわえた。ローマは砦に退却した。この時の犠牲はおおきかったので二度と攻撃をしかけなかった。ハンニバルは小規模の軍をのこし半マイルの距離に野営地をかまえた。彼は何度ももどって壁の建設作業をみた。この包囲壁ができあがってローマを攻撃することとした。

小規模な城攻めの部隊が攻撃を開始した。ローマは救援をうけてこの城攻めに反撃した。ハンニバルはこの陸上からの攻撃を中止した。問題は陸上から攻撃してもローマは海上からの補給をうけられる。港に突きでた場所がある。そこから補給ができる。ハンニバルはトレンタムの人々をあつめて陸からの攻撃はローマに海上からの補給があるかぎり効果がない。彼はトレンタムの艦船をつかいたいといった。だがトレンタムの艦船は内港にある。これは連絡水道で外港につながってる。ところがこの連絡水道はローマが支配してる。ハンニバルがここで作戦をしめした。トレンタムの艦船を陸路ではこび港の外にだす。それには都市の中心部とおす。市民の賛同をえて作業がはじまった。平らな地形がさいわいして数日でおわった。艦船は外海から外港の入口にやってきた。これで砦は完全に遮断された。これで都市にたいする砦の脅威はなくなった。ハンニバルは外の野営地にもどった。

(おわり)

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