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サルディニアとスペイン(簡略ロ歴) [英語学習]


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* 内容の紹介
傭兵戦争を乗りきったカルタゴだがサルディニア、コルシカをうしない窮状におちる。ハミルカーはスペインに可能性をもとめ渡航する。都市、ゲイズ、アクアルークの創設、金銀鉱山の確保をあつかう。
(Ancient Rome History - Sardinia and Spain - 30、Historyden)

* 傭兵戦争を乗りきったカルタゴがサルディニアの回復をねらう
前回は傭兵戦争をのべた。この危機からからくものがれたカルタゴにおいてハミルカー・バカのすぐれた指導力がひかった。傭兵戦争の期間にアフリカの反乱軍はイタリアにちかいサルディニア島の反乱をそそのかした。これによりカルタゴに圧力をくわえようとした。カルタゴはここに部隊をおくり事態の収拾をはかった。しかし部隊は崩壊しカルタゴ人は処刑された。傭兵戦争のあいだサルディニアの地位はどっちつかずのままであった。戦争がおわってカルタゴはサルディニアの問題に集中できるようになった。この地の反乱勢力はローマに救援をもとめた。

* 協定を無視しローマが介入、併合
第一次カルタゴ戦争後にローマとカルタゴのあいだに協定がむすばれた。これによればサルディニアへの支配権はカルタゴにみとめられてた。ローマはこの規定を無視し救援に乗りだした。これは実質的な併合である。カルタゴがサルディニアとコルシカの支配を放棄しないならばまた戦争の危機がおとづれる。カルタゴは自国海軍をもたない現状をふまえ戦争をさけローマの支配を容認した。賢明な判断だったがハミルカーはローマとの平和を尊重しようとする自国内の 政治勢力への怒りを増大させた。また彼のローマへの不信はさらにおおきくなった。

* ローマへの不信をつのらせハミルカーはスペインにむかう
彼はきたるべきローマとの戦いに思いをあらたにした。いずれにせよサルディニアとコルシカがローマに併合された。カルタゴはすでにシシリーをうしなってる。このような困難にカルタゴがかんがえたことである。

スペインへの関心をたかめた。歴史の偶然にせよすぐれた将軍ハミルカーがいた。ハミルカーは自分の一族を引きいて独自に軍事行動をおこす。国内の 政治勢力の干渉をさけることができる。それがスペインであった。彼自身とスペインの関係である。彼はすでにスペインに遠征し傭兵をあつめてる。したがってこの地の土地勘が充分あった。紀元前二三七年頃には南部スペインの地をうしなっていた。彼はこれを取りもどすさらにライベリア(リベリア)半島の支配をもねらってた。これにより金銀鉱山があたえる財力をカルタゴが手にいれることができる。

* スペインの金銀で賠償金の資金源とする目標
これがこの軍事行動のおもな目標である。ローマへの賠償金支払いの資金源である。カルタゴ帝国をさらに強力にできるかもしれない。またハミルカーの考えがただしければ将来、ローマとの戦いがはじまる。ならばこの軍事行動は当然の結論である。ハミルカーは神に犠牲をささげていのった。さらに当時九歳だった息子のハンニバルを祭壇前につれてきた。神の前でローマへの憎しみをけっしてわすれることはないとちかわせた。この後にハミルカーはヘラクレスの柱の海峡を船でわたりライベリアの沿岸についた。ライベリアにおける軍事作戦がはじまった。

* ハミルカー、スペインにおける最初の拠点、ゲイズ
しかしこの地における彼の詳細な行動はよくわからない。歴史書に散見される程度である。後のハンニバルの軍事作戦がくわしくのこってるのと対称的である。さて彼のスペイン渡航後の活動は広範囲にわたったが紀元前二三七年の夏、ゲイズでおわった。ある歴史家によればこの地は人のすむには適さないというが彼はここが一番の適地とかんがえ拠点とした。将来の作戦である。まず金銀鉱山をねらう。そのため接触する部族は誰か。タティジアンズである。彼らはゲイズの北にいる。青銅時代までさかのぼるほどふるい。その地は金や銅など金属資源がゆたかである。戦争することなく協定をむすぶことに成功した。その次はタドゥライである。彼らはタティジアンズの北にいる。古代の部族である。これは兄弟二人が部族を引きいてた 。

* タティジアンズ、タドゥライ、インドルティズの征服
彼はこれをやぶりこの二人もころした。これにより三千の兵を増強することができた。次は五万の兵をもつ軍と交渉にはいった。インドルティズという人物に引きいられてた。戦いがはじまる前からおおくが敗走した。そして丘のうえにある砦に逃げこんだ。ハミルカーはこれに城攻めを仕かけた。インドルティズは闇にまぎれて逃走した。しかしこれをおったハミルカーにとらえられ十字架の刑となった。残酷なようだが古代において通常のことである。この処刑はあったがハミルカーはのこりの捕虜、一万人を開放した。初期段階だが彼は拠点の確保に成功した。

* 金銀鉱山によりゲイズで銀貨を発行
これによっておおくの金銀鉱山を確保した。これば莫大な富を産みだした。これによりゲイズで銀貨を発行した。ハミルカーはこれで傭兵の給料をはらい将来の作戦に必要な傭兵増強の手当ができた。彼はまたカルタゴ本土に銀貨をおくった。それがローマへの莫大な賠償金をはらう資金となった。この頃ヌメディアンズが反乱をおこした。彼は同行してた息子のドリウブルを本国にもどした。その反乱をおさえ、またハミルカーの軍にもどってきた。ヌメディアンズのことだが彼らは時に敵対し時に友好をむすぶ。そしてこの後の数年間にわたりハミルカーはライベリアの支配をかためていった。おおくの都市が交渉あるいは戦いをつうじて彼の支配下にはいった。彼はこの頃に巨大都市、アクアルークをつくってる。

* 東への拠点都市、アクアルークの創設、あっけない死
これはおそらく紀元前二三五年だったろう。この都市は東にむかうための拠点である。これはこの土地の住民の警戒心を呼びさました。彼らはローマにこれを通報した。この頃はローマはサルディニアとコルシカのことにいそがしかった。ハミルカーの動きにはあまり注意をはらってなかった。しかし異変をかんじたローマはハミルカーにたずねた。紀元前二三一年、使者をおくった。彼の答は簡単だった。我々はこの土地を併合しローマへの支払いの資金をつくってるというものだった。これにローマは納得しその後の数年間は注意をはらわなかった。

紀元前二二八年冬のことである。彼はいくつかのライベリアの都市に城攻めを仕かけ、彼の息子、ドリウブルは他の作戦にむかった。彼は冬のための拠点をアクアルークにあらたにつくった。そしてあっけなくなくなった。それには二つの説明がある。一つは無名の部族との戦いにおいて死亡した。もう一つは落馬して川で溺死したというもの。いずれにせよ彼は九年間の作戦行動によりおおきな成果をあげた。完全なスペインの支配はできなかったが、拠点の確立に成功した。後のハンニバルのローマとの戦いの道をひらいたといえる。

彼の死後、その息子のドリウブルが将軍となった。その時、彼の支配下には五万六千の兵、十二の都市があった。さらにニューカルタゴをつくった。それは西部地中海において最良の港であった。これはカルタゴがスペインの勢力拡大をはかる重要な拠点となる。ドリウブルの業績である。だが彼は使用人によりころされた。あっけない最後だった。あらたな将軍が登場する。

(おわり)

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