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アルカディアとメッセニアの反乱(簡略ギ歴) [英語学習]

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* 内容の紹介
ルトラの敗北後、反スパルタの動きがアルカディア、ペロポネソスにひろがる。それにシーブスがくわわり同盟軍は多数にふくれあがる。直接衝突をさけながらスパルタの孤立がふかまる。これらの動きをあつかう。
(Ancient Greek History - Arcadia and Messenia revolt - 43、Historyden)

* ルトラ後にシーブスはスパルタ攻勢に
ルトラ後の混乱がおわってシーブスは各都市にペロポネソス侵攻への協力をもとめた。使者がアテネにきたが使者がはなすことをゆるさなかった。次に北、テッサリの支配者であるジェイソンのところにいった。彼は小規模の軍を招集してビオーシャにいった。そこでスパルタを攻撃しないようにもとめた。おなじようにスパルタにたいしてもビオーシャを攻撃しないようもとめた。

* ジェイソンが仲裁役に登場
この頃はジェイソンはギリシャにおける中心人物となってた。両方の側が彼の発言を重要視した。彼はあきらかにギリシャ全土において権威ある人物だった。特にシーブスとスパルタからたよりにされた。何故彼が後年のマセドニア、フィリップのような権威をもってたのか。彼はまもなく暗殺される。事情は不明のままである。紀元前三七〇年、ピシアンのゲームでおきた事件。ところでオリンピックゲームは古代ギリシャで開催された惟一のゲームではない。ほかに三つのゲームがある。それらはどれも非常に重要なもの。そのうちの一つがデルファイでひらかれるピシアンゲームである。その由来である。

* ピシアンゲームの開催、ジェイソンの暗殺
伝説にアポロが蛇、パイソン をこの場所でころした。ゼウスは激怒したので、これをしずめるためアポロがピシアンゲームを創設したという。ほかのゲームとちがって体育競技にくわえ音楽の競技がひらかれる。おおくのギリシャの支配者や都市は体育競技会を彼らの威勢をしめす手段としてつかった。ジェイソンもこの例にならい自分の力でゲームを開催する。彼はもっともすぐれた行列の飾りをつくった都市に黄金の枝をあたえると宣言した。これはアポロをたたえるため行進である。彼の栄光の瞬間はみじかく悲惨だった。ゲームがひらかれてるなかで七人の男が彼をおそい刺殺した。警護がかけつけた時、すでに絶命してた。ゼネフォンによれば彼が将来の専制君主とみなし、それをおそれたものという。

* アーカディア、ペロポネソスの都市がスパルタに反抗
こうしてジェイソンは舞台からさった。アテネはルトラの戦いが一時の混乱を引きおこした。だが前からあった和平協定で平和を維持しようとした。大切な条項は各都市、規模の大小をとわず独立が保証されることである。スパルタはこれがペロポネソス同盟の都市に適用されないとしんじてた。しかしルトラの敗北から権威は失墜しスパルタにたいしペロポネソスの都市、アルカディアの北のラコニなどが独立を主張しはじめた。そこで主導したのがマンテニイである。彼らは正式にペロポネソス同盟をはなれ独立を採択した。それと同時に防衛協定をむすび安全を確保した。またスパルタからの攻撃にそなえて防御壁を建設することとした。

* アジェスレイアスのマンテニイへの説得失敗
これはスパルタにとって愉快なことでない。彼らはこれがすすみアルカディアが同盟をむすびスパルタに反抗する。こんな事態をおそれた。彼らはこの動きを阻止しようとアジェスレイアスをマンテニイにおくった。彼はその祖先がマンテニイと関係があった。スパルタは彼がいけば説得できるかもしれないとおもってた。アジェスレイアスは一時的に壁の建設を停止できないか。壁で要塞化することはスパルタの容認をえてからおこなう。こうきいた。しかしマンテニイの責任者はきっぱりとことわった。壁建設の決定が正式にきまった。撤回は不可能であるといった。スパルタの奇妙な立場があきらかとなった。ゼネフォンはいう。協定は都市の独立、自治を保証する。それによれば壁の建設は完全に合法である。彼らが決意すれば可能である。まさにスパルタがおそれた事態である。それが現実となった。

* タジアの反スパルタの動き
その他のアルカディアの都市も反抗しはじめた。そのなかで有名なのはタジアである。これにスパルタがこまった。というのはタジアはスパルタにいたるルートのうえにある。そのためタジアはスパルタの防衛戦略の要である。かって私がのべたようにペロポネソスはスパルタを防衛するためのおおきな緩衝地帯である。もしこれがなくなればスパルタは直接に外部の脅威にさらされることとなる。タジアでの議論である。

どちらにつくべきか。ある勢力はスパルタという。別はペロポネソス同盟を有志とともにはなれる。アルカディアの都市、マンテニイをふくめた同盟を形成するという。スパルタ同調派とのあいだに市民戦争が勃発した。反スパルタは壁のなかににげマンテニイにむいた。ただちに伝令をだしてマンテニイに助けをもとめた。これにこたえマンテニイからやってきた。門をひらいて向かいいれた。これをみてスパルタ同調派は退却しタジアの外にある寺院に保護をもとめた。反スパルタ派とマンテニイはすばやく彼らを取りかこむ。ただちに彼らを処刑した。スパルタ同調者がスパルタに逃走して事態をつげた。スパルタはマンテニイを協定違反と非難しタジアに進軍していった。

* アジェスレイアス、タジアに侵攻
スパルタは協定違反は処罰すべし。マンテニイは攻撃すべしという。アジェスレイアスが軍を引きいることとなった。他方、アルカディアから同調する都市がマンテニイのちかくにあつまってきた。伝令がシーブスにもはしった。シーブスはこれをスパルタ攻撃の絶好の機会ととらえた。スパルタに話しをうつす。アジェスレイアスは通常の犠牲の儀式をおこなった。そしてよい神託をきいて進軍していった。そして傭兵隊の到着をまってた。傭兵隊がマンテニイに敗北したときいた。マンテニイは自分の都市にもどった。 アジェスレイアスはマンテニイに最終的につきそこで野営した。翌日、彼はマンテニイの周辺を進軍した。アルカディアの軍は彼をさけ、通りすぎてタジアについた。マンテニイの軍は都市内にいて外にでなかった。

* 城外にでないアルカディアとマンテニイ、シーブスの到着
二つにわかれた敵にたいしてアジェスレイアスは別々に攻撃するよう助言された。しかし待機し状況を見まもることとした。さらに犠牲をささげ田園地帯で略奪をおこなった。ところでマンテニイはスパルタとたたうことをのぞんだ。しかしシーブスが到着するのをまつことにした。アジェスレイアスは田園地帯の略奪をつづけラコニアにもどり、そこで軍を解散した。アルカディアの軍はもはやスパルタがいないことをしって都市、タリアをおそった。それはアルカディアではもはや数すくないスパルタ側だった。アルカディア同盟軍の勢いはイパマナンデス引きいるシーブスの到着でさらにたかまった。他のアルカディアの都市は状況をみてあつまってきた。総勢はおよそ七万にたっした。これは数ではスパルタを圧倒するものだった。スパルタであってもひらかれた場所でたたかってかてる数でない。

* ふくれあがった同盟軍がスパルタへ
そこでイパマナンデスはアルカディアが同盟を形成すること、さらに複数の都市を統合したメガロポリスをつくることをすすめた。これはあたらしくできるアルカディア同盟の首都となるもの。そこには守備隊をおき同盟のための建物をつくる。これはラコニアの国境ちかくにある。これはスパルタからの攻撃にそなえるのにてきした立地である。アーカディアはシーブスにラコニアを攻撃することをもとめた。これだけの人数がそろった。攻撃の好機という。イパマナンデスはためらうシーブスの他の将軍を説得して攻撃にうつることとした。最後にはスパルタの評判をおとす強力な一撃となると説得した。軍は南に進軍し:ラコニアにむかった。

* 川のむこうにスパルタ、同盟軍が南進
先例のないことである。スパルタの敵がラコニアにはいったことはない。イパマナンデスの統率のもとユラテス川を右にみて南下をつづけた。スパルタはこの川の西側にある。南下をすすめるなかですべてを破壊した。とうとうスパルタの領域にもはいった。数では圧倒的に優位にあるがイパマナンデスはあえてスパルタのなかにはいろうとはしなかった。スパルタと接近戦をたたかえば、なお最強である。その危険をおかさない。同時にスパルタはひらかれた平原にでてたたかうこともさけた。そのため同盟軍は川をわたることはせず、そのまま川にそって南下をつづけた。なおも周囲の田園地帯を略奪しつづけた。

* 軍を強化したスパルタと衝突をさける
スパルタのことである。敵がラコニアで勝手な攻撃をしてる時、歴史的決定をした。奴隷身分のヘロットを、もしこのアーカディアとシーブスとの戦いに従軍するならば自由人の資格をあたえるとの制度をきめた。ゼネフォンによればおよそ六千人がこの契約に署名したという。シーブスはついに川をわたった。スパルタの南にあるアマコイに近づいた。この時点でスパルタはペロポネソス同盟にぞくしてる都市からの援軍をうけた。それでイパマナンデスはスパルタ侵入をあきらめ周辺の略奪をつづけた。

* 同盟軍とスパルタの小競り合い
スパルタの援軍をしりシーブスは警戒をたかめた。彼らは切りたおした木で防禦柵をつくった。ところがラコニアで略奪をつづけてたアーカディアである。彼らは略奪になれ警戒をおこたった。スパルタは油断を見すかし不意打ちした。ゼネフォンによればシーブスの軍はスパルタの行動をさまたげるような行動はとらなかったという。彼らは野営地にとどまった。最後にすべての軍はその野営地にもどった。アーカディアの同盟軍はまた南下をはじめた。壁にまもられてない都市、ゲシアンについた。スパルタにとり重要な港であった。シーブスとアーカディアは三日間にわたりはげしい攻撃をくわえゲシアンをおとした。しかしその数日後にスパルタがこれを取りかえした。これらラコニアでおきてることがアテネの懸念するところとなった。

* アテネ議会、スパルタに援軍
彼らはスパルタが崩壊するところをみたくない。これが急激に勢力をつけてゆくシーブスの利益になる。それがアテネの脅威である。そのためアテネはスパルタの使節を議会で発言することをゆるした。彼らはペロポネソス戦争の終結にあたってシーブスがアテネを攻撃しようとした。その時、その事態がおこらないよう行動したのはスパルタであると指摘した。議会には反対の声もあったが援軍をだすことにした。フィクラテスがその軍の指揮官にえらばれた。

* 到着がおくれたフィクラテス
ラコニアである。ラコニアとアーゴスはそれぞれの地域にしりぞいた。彼らは国境線をスパルタとせっしてる。その反撃の脅威にさらされてる。シーブスもまたこの地をさろうとしてた。冬が到来する。他国侵攻の季節がおわった。そこにフィクラテスが到着した。その時、シーブスが退却しようとしてる。とめることはできなかった。これにつきゼネフォンは彼を時間を無意味に浪費しておくれたと非難してる。私は議会のスパルタ同情の姿勢と彼の考えには溝があったとみる。それほどいそぎたくなかった。

* シーブス、イパマナンデスがマシーニアを解放
イパマナンデスはスパルタへの圧力をさらにくわえる。マシーニアに進軍した。スパルタはこの土地に食糧と資源を依存してる。そこにいるヘロットはながい間スパルタの奴隷であった。彼らはイパマナンデスを解放者とみておおいに歓迎した。彼はただちにヘロットを奴隷身分から解放した。さらにスパルタにとり都合のわるいことをやった。マシーニアのあたらし い首都、マシーンをつくった。それは攻撃が困難なイトミ山のちかくに立地する。要塞化した防御は最強だった。マシーンはアーカディアとおなじく協定により自治を要求できる。イパマナンデスはラコニアにちかいところ、二つの領域を解放した。彼はスパルタを陥落させたわけでない。しかし間接的手段によりスパルタのペロポネソス同盟支配の力をそいだ。なかでもマシーニアの解放が最大の打撃だったろう。これでスパルタはもうかっての軍を再建することはできないだろう。

* 将軍に再任されたイパマナンデス
イパマナンデスはシーブスにもどった。その将軍任期が延長された。これはシーブスがラコニアにふかく関与した状況から必要だった。またこの職は事前には政敵の任命が予定されてた。しかし撤回され彼の就任となった。紀元前三六九年だった。

(おわり)

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