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アレキサンダー大王 [英語学習]

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日本でも人気のあるアレキサンダー大王の事蹟について訳した。次はその仮訳である。軍事工学の専門的な事項はむずかしかった。
(Alexander the Great History Channel (Engineering an Empire)

* はじめ
404BC、27年、おおくの血をながした戦争がおわった。アテネがスパルタにやぶれた。アテネの将軍が判断をあやまりパルチモイにおいて壊滅的な敗北をきっした。アテネの敗北の後、10年間、スパルタが覇権をにぎった。359BC、北のはずれのマケドニアで23歳の人物が王となった。20年間のうちにギリシャの形をかえた。フィリップ二世である。

* フィリップ二世の登場
マケドニアはへんな国、おおくの人材、資源をもってたが、それをうまく統合し機能させることができなかった。それまで未開とかんがえられてたが、フィリップ二世が統治し変容させ、もっとも尊敬され、おそれられる軍団をつくりあげた。外交においては周囲の国と同盟関係を構築しはじめた。と同時に軍事においては陸軍を改革し常備軍化し高度な訓練をあたえ職業軍人とした。あたらしい軍への鍵は彼が開発させた武器、機械の設計、製作。これの工学的高度化であった。この-革新がそれ以降の戦争のやりかた、勝利の方式をかえた。

マケドニアはギリシャとはかんがえられてなかった(注あり)。野蛮の民だった。しかしフィリップはこれをかえた。正方形の歩兵集団が軽快に進軍する。重装歩兵である。その速度におよぶ他の軍団はほとんどなかった。これは数100年間もつづくギリシャの伝統的戦術であったが、これを彼は革革新的に変貌させた。

* マケドニア軍の中核、重装歩兵のこと
重装歩兵は隊形を柔軟に変形させることができた。それにあたらしく長槍を導入した。これが革新的だった。その攻撃力が巨大となった。長槍は18フィート。みじかい剣をつかう前の武器である。

よく訓練され、規律にしたがう、よい装備をもった兵士がマケドニアの重装歩兵は伝統的な戦闘方法の兵士たちより優位にたった。さらにかれらに軍事工学が無敵の軍をつくった。

* 殺傷能力をました弓
従来のギリシャ人は戦術に特にすぐれてたわけでない。しかし紀元前400年ころから状況がかわってきた。弓矢は数千0年ものあいた戦争の主要な手段だった。弓の能力は個人の腕力に制約されてた。

弓に軍事工学の革新がおきた。人間の力をうわまる強力な弓がうまれてきた。クロスボウである。このクロスボウもおそろしいほどの革新だったが、世界の軍事でさらに優位にたつには、次の世代の武器が必要となった。それが螺子式のカタパルトである。これは台の上に据えつける。その弓をロープをねじることにより弓をひく。そこから矢を発射する。これはとおい距離で安全であった兵士をたおせる。4分の1マイル(400メーター)の距離にも殺傷力がある。弩(いしゆみ)のこと。(鎧につかわれるような)動物の上皮を貫通する弓である。これで彼は他のギリシャを圧倒した。

* フィリップ二世のギリシャ統一
紀元前338年、アテネとテーベへの勝利により、彼は誰からも異議のでないギリシャの王となった。フィリップ二世と息子アレキサンダー大王はこの同盟をコロニアで紀元前338年にたおした。そこでフィリップ二世は彼らの帰国をゆるし、さらにすべての都市国家をまねいて同盟関係をつくった。さらに彼は教えをこうため哲学者を自国にまねいた。こうしてギリシャ全土の統一をはたし、ペルシャの攻略にむかった。

* フィリップ二世の暗殺
彼の生涯をかけた野望、ペルシャ征服、それをまさに実行にうつそうとした。その前に公的な祝事をひらいた。会場におもむくその時に護衛の一人が彼の胸をさした。46歳だった。暗殺者は別の護衛にころされた。この野望は息子に引きつがれた。またその軍事力も引きつがれたが、軍事工学において彼を凌駕した。婚姻は重要なフィリップ二世の外交政策だった。フィリップ二世は20年で強大な陸軍をつくりあげた。彼はギリシャを征服し、その息子、アレキサンダー大王は世界を統一した。

* アレキサンダー大王の登場
アレキサンダー大王は戦場において卓越し、かがやかしい能力を発揮した。紀元前334年、35,000人の陸軍をペルシャに進軍させた。ペルシャは強大な国だった。現在のトルコにあたる地域を侵略していった。しかしペルシャにはまだ強力な海軍があった。彼にはない。それ無力化する必要があった。彼はペルシャの海軍の拠点を攻略することにした。

* ペルシャに進軍、要塞の攻略
彼は地中海の南に進軍した。拠点となる都市、タイヤにせまった。沖にうかぶ島、要塞だった。強力な船団をもってた。まず外交手段をこころみた。使者をおくった。交渉を拒否し使者をころした。要塞を攻撃する技術を必要とした。本土から盛土による土手道をつくった。0.5マイルの距離、200フィート幅、20フィート高さ。つぎに攻撃用の塔を建築した。それは車輪で前進し多層階で防火措置をほどこした木造の塔だった。内部には攻撃用の投石機、カタパルトが収納されてた。要塞はおちた。パレスチナにすすんだ。

* エジプト遠征、神とあがめられる
たかくそびえたピラミッドと巨大な墳墓の国であるとともに、ゆたかな穀倉地帯だった。彼はこれを必要とした。エジプトではまったく戦いがなかった。彼は解放者としてエジプトにはいった。彼は歓迎され、さらに神としてみとめられた。紀元前331年、ファラオとなった。24歳だった。彼はここで自分を神とかんがえたかもしれない。

* ギリシャ世界の拡大、ヘレニズムの醸成
紀元前4世紀の後半からギリシャの都市はアレキサンダー大王の軍に兵士を供給するように なり、その管理の役割をはたすようになった。もっと重要なことは、ギリシャ語が統一の手段として活用され、ギリシャの文化、文明、知識がひろまった。都市づくりが帝国のすみずみまでひろまったことである。彼は兵士に髭ををそるよう命令した。それにより敵と区別できるようにした。

紀元前325年までに、ギリシャから3000マイル東の現在のインドまで拡張した。彼が征服した国を統治する方法は現地の事情をとりいれたものだった。それが後にヘレニズムとよばれるものとなった。そこでギリシャの習慣が取りいれられ、ギリシャ語が採用された。ヘレニズムは都市生活の上にきづかれた。

* アレキサンダー大王の都市づくり
それが都市計画に如実にあらわれた。新都市建設あるいは再開発にかかわらず、格子計画とよばれる方法が採用された。直角のまじわる格子にそって計画され建設された。

ペルガモンにその例をみることができる。市場、寺院、体育館、劇場と必要なものがそろってた。それは海抜3000フィートに位置した。それは高所にアクロポリスをもったアテネを反映してた。そのための費用はおしまなかった。ヘレニズムの時代、中心はアテネからペルガモンにうつった。ギリシャ都市国家の人々があつまる公的場所は市場(アゴラ)である。商人が日常品をうり市民があつまりその日の政治問題を議論する。ここは経済的、政治的に中心であった。文化的にもっとも大切なのは劇場であった。

* 劇場づくり
劇場はアテネの発明である。演劇はアテネのデモクラシーの成長とともに発展してきた。これは後のローマの円形大代演技場(コロシアム)に影響をあたえ、これ以降の競技場設計の基本となった。現代の劇場よりも巨大であった。おおくの聴衆を収容した。それがどうして可能かというとギリシャのすぐれた工学的手法があったからである。

ペルガモンの劇場は何千人もの巨大な規模の劇場だった。俳優はその舞台にたって、声を劇場の後ろのところまでとどける。これができるのは工学的仕組の成果である。劇劇は山の斜面部分からほりだす。これにより劇場をささえる大規模な構造は不必要となる。劇場は半円形である。これがすぐれた音響効果をもたらした。舞台でささやいても後ろできこえる。俳優はマスクをつける。マイクロフォンの役割をはたす。これらにより理想的な劇場となった。古代の劇場でもっともよく保存されたものは、ペロポネソス半島の南にあるエピダウロス、アゴリの劇場である。

劇場は3つの部分からなる。ひとつは、観劇の場所である。ここに聴衆がすわる。次はオーケストラ、舞踏の場所である。ここが活動の中心となる。最後にオーケストラの後部にある木造の構造物、楽屋となる空間がある。エヒダウロスの劇場である。これは55列の座席列、3つの部分にわかれる。総勢、1万2千から1万4千の人々を収容できる。音響効果がすばらしい。すこし声をつよめるだけで会話ができた。

* アレキサンダー大王の死
アレキサンダー大王は10年でギリシャ世界を造りあげた。紀元前326年、彼はユーセフラを建設し軍馬を慰霊した。紀元前323年、ギリシャ、エジプト、印度におよぶ帝国をつくりあげた。しかし13年間、3000マイルスの遠征の旅は兵士たちの忠誠心の限界をこえた。

印度から帰還することとした。彼は不可解な病気にかかった。その死因は謎である。父親の暗殺とともに謀殺の疑いがのこる。紀元前323年6月10日、33歳で死亡した。帝国はただちに崩壊にむかった。将軍の間で権力闘争がはじまった。

* 帝国の崩壊、ヘレニズム世界、エジプトの繁栄
エジプトはプトレオマイオスが統治した。これは300年間つづいた。彼はアレキサンダー大王の司令官であり顧問であった。彼はゆたかで安定したエジプトを獲得した。エジプトは地中海の王冠の宝石である。プトレオマイオスは自分の支配を確実とするとともにアレキサンダー大王の後継者の地位を確実にするため、葬送の隊列にあったアレキサンダー大王の遺体をうばいエジプトまで移送し、アレキサンドリアに安置した。そこはアレキサンダー大王自身が50年前につくった都市であった。

彼はアレキサンドリアを知と科学の都市に変貌させた。ギリシャ文化、ギリシャとエジプトの技術のノウハウをつかって建設した。あたらしい世界におけるアテネである。

* アレキサンドリアの灯台
アレキサンドリアは海岸線にせっする。貿易の重要性にかんがみ、港に歴史上初の灯台を建設した。これは夜間は光、昼間は煙でみえるようにした。ギザのピラミッドをのぞけばエジプトで一番たかかった。440フィートとかんがえられる。どのように光をはっするかは謎である。ひくい部分は四角形、その上は八角形、その上部は円筒形、そこにかがり火がのった。強力な光が発射されつづけたという。

鏡で反射させる仕掛けがあったといわれてるが、その確証はない。1600年間、存在した。13世紀の地震により崩壊した。1994年にアレキサンドリア港の海中から巨大な石を回収した。700トンの石があった。彼がやったのは、灯台ばかりでない。歴史にのこる建築物のプロジェクトがある。アレキサンドリア大図書館である。20万の巻物を保有した。そこで1700以前に蒸気機関が発明されたという。プトレオマイオス二世のとき、聖書がギリシャ語訳された。

* アレキサンドリアの大図書館
アレキサンダー大王の死後、帝国は分裂した。アレキサンドリアは世界の都市だった。灯台が船をみちびくように博物館と図書館にも使命があった。それは世界最初のシンクタンクであった。彼はギリシャから偉大な学者や作者をまねいた。図書館は偉大な智慧の貯蔵所である。20万あるいは70万にものぼる書物があったという。そこではじめて知識が公共のため貯蔵され利用されるものとなった。そこで到達した知識のあるものは1800年あとでやっと認められた。天文学者のアリストートニが計算した地球の周囲の長さは1パーセントの誤差しかなかった。興味ぶかい話しがある。船が入港した時、船が書物をつんでることを確認し、現物を保持し、その複製を船長に交付したという。

* プトレオマイオスの死
彼の統治の特徴はエジプトの習慣を受いれたことである。事実、伝統にしたがいプトレマイオス二世は自分の妹と結婚した。プトレオマイオスは紀元前283年に死亡した。自然死だった。図書館や灯台の完成をみることはなかった。その願望のとおり、その後も知のメッカとして繁栄した。多数の思想家を生みだした。それから300年後にもっとも有名な工学者を生みだした。ヘロンである。消火器、自動ドアの装置、蒸気機関を発明したという。これは英国で発明され蒸気管より1600年はやい。だが実用化されなかった。英国にくらべて当時の人件費は圧倒的にやすい。必要性がうすかった。その後図書館は焼き討ちにあい、焼失した。

注) マケドニアがギリシャであり、バーバリアン(野蛮人)といえないとの意見がある。

(訳のおわり)

* 感想
工学的、技術的な説明がはいる。訳するのはむすかしい。大意にかかわらないとおもって、省略したところ、意訳したところがある。

* 英語学習
きいて真似る。こういってきた。次はその成果といえるものを参考までにしるす。私はボイスレコーダーを購入し、これで何度も繰りかえしきいた。その成果ともいえる。まあ100回くらいきいただろう。こんな機器がなければできないことであった。

(英文)
In effect, It's a little bit like, you know, when an adult, when a kid tries to attack an enemy, put your hand on the forehead, his little fist swings and this is how he can reach you.

4分40秒あたり。重装歩兵がもつ長槍の意味を説明する部分である。ここを繰りかえし再生するようにしておいて、聞きとり、真似て、書きおこした。真似る時に微妙に発音がちがうことに気づいた。上の文章でいうと、
effectの「ff」
likeの「l」
knowの「kn」など、の発音である。

どこがちがうか、日本語にくらべて、よわい。私はつよく発音しすぎる。すると音がちがう。すこしながくなる。ついてゆけず、おくれる。真似られない。

日本人の感覚からいうと、もっと明瞭にきっぱりと発音したいのに、という不十分な気持がのこる。中途半端に発音してる。だから気がつくとつよく発音して失敗する。英語で明瞭にきっぱり発音する。この感覚に対応するのは、アクセントのある母音の頂点と、それ以降に急激におちる部分を発音した時。これが対応してるとおもう。

私のブログ(2016-02-15)で「発音、はねる母音」といった。頂点が右にずれた正規曲線のような音圧の変化をしめす。このような息づかいをすれば当然の現象である。だができてない。あらためて気づかされた。

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